第九話 図書館にて
『酒造国』レウマ王国に到着したフリエス達は、当然のごとく国王であるフロンからの歓待を受けた。出会ってから半年も経っていないというのに、まるで旧来の友人のような接し方であり、酒の席ということもあって話はそれなりに盛り上がった。
なにより重要なのは、情報交換である。フリエス達は『崋山国』ヒューゴ王国での出来事を事細かに説明し、フロンを大いに沸かせた。なにしろ、信仰する女神の活躍する話である。信者としては、当然心に刻んでおくべき案件であった。
(もう少し、落ち着いてくれたら申し分ないんだけどね)
賑やかに談笑を交わす中、フリエスはそう感じずにはいられなかった。フロンは間違いなく優秀である。国内があれほど乱れたというのに、今は平静そのものであり。それもこれも、フロンの並外れた調停力あってのことだ。
問題はその能力を、“フリエス教団”なる新興宗教に注ぎ込んでいることだ。その辺りを控えて、今少し国内の細かな点まで気を回せば、さらに名声が高まっていくであろうに、この男はそれをしない。あくまで、フリエス本位で行動しているのだ。
「それで、だ。神々の遺産のことや、魔王やなんかの伝説やら、色々と調べておきましたが、一つ大きな情報が手に入りました」
宴席が設けられた城館の会議室に飾られていた西大陸の地図の前にフロンが立ち、その大陸の中心部を指さした。
「この『湖畔国』において、湖底に沈む空飛ぶ城の遺跡調査を行っているのはそちらもご存じでしょうが、ここで問題が発生しました。というのも、これの調査に絡み、魔術師組合内部において意見対立が発生し、発掘を行うかどうかでもめているのだそうです」
「意見対立ねえ。詳細はわかりますか?」
フリエスも地図の前に立ち、問題の湖を見ながら尋ねた。
「組合内部は主流派と反主流派に分かれています。主流派はいわゆるムドール派とも呼ばれ、ムドール家を中心とした一大派閥を形成していまして、組合の要職や各地の支部長の多くを輩出しています。それに抗する形で勃興したのが反主流派、アンチムドール派とも呼ばれていますね。ムドール派が全てを取り仕切る現状を憂い、もっと門戸を広く開けるべきだと主張し、何かにつけてムドール派に噛みついている連中です。はっきり言ってしまえば、妬みや利権奪取の方便ですな」
「まあ、組織が大きくなれば、その手の“灰汁”が噴き出すもんでしょうよ」
政治や運送事業に関わったことのあるフリエスは、さもありなんと状況を理解した。金や権力が絡むと、途端に人間は思慮も謙虚さも曇らせてしまうものなのだ。
「もう少し仲良くすればいいのに、人間はがめついのだ」
「ヴァニラの言う通りなんだけど、竜と違って個体数が多すぎるからね。ちょいと話し合って利害を調整できるっていうふうにはいかないのよ」
数に比例して意思決定が難しくなるのが世の常である。千にも満たない竜族と、大きな町なら万を超す人間がいる世界とでは、考え方があまりにも乖離しているのだ。ヴァニラが不思議がるのも、その辺りの認識の違いが大きかった。
「それで、フロンさん、その二派の対立があるのは分かったけど、それが遺跡調査とどういう風に結びつくのよ?」
「魔力を発生させる無限機関」
フロンの口から飛び出した言葉は、あまりにも突飛過ぎた。だが、その言葉の意味を理解した時、その場の全員が目を丸くして驚いた。
「そんなものが実際に存在するなら、今の術式の技術が根底から覆りますよ!?」
ラオは席を立って驚きの声を上げたが、それは全員が同じ考えであった。巨大な魔力源という意味においては竜脈の特異点というのもあるが、それは地形に左右されるため移動ができない。しかし、それを“装置”という形にできるのであれば、移動させることが可能となる。
「実際、お城が空を飛んでいたのだ。大きな物を飛ばすなら、それ相応の魔力源が必要なのだ」
「そうよね。伝説が伝説なんかじゃなくて、実在の物ってことよね」
魔術師としては、これ以上にない装置だ。無限に魔力が湧いて出てくるなら、いくらでも術を使い放題ということになる。誰であろうと欲しがる逸品だ。
「そうした物が空飛ぶ城にあるってのは、前々から言われていたことだったんだが、今の組合の元締めになってから、急に調査が活発になった。推論になるが、おそらくその装置に関する“何か”を手に入れたんじゃないかって」
「なるほど。湖底に眠る遺跡なんて、調査が大変だもんね。それを考えても、調査しなくちゃならないってことは、それ相応の見返りが期待できる、と」
「伝説の通り、城を空に飛ばすってのは無理かもしれんが、それでも一部でもその技術を解析、復活させようものなら、その功績は絶大。『魔導国』崩壊以降でなら、間違いなく最大のものと言ってもいいでしょう。そうなれば、反主流派が今の元締め率いる主流派を追い落とすなど不可能になる」
結局は足の引っ張り合いか、フリエスとしては腹立たしい限りであった。折角、目の前にお宝があるというのに、掘り出すのを妨害するなど、とても正気とは思えなかった。人類の進歩より、己の権勢欲を優先しているということだからだ。
「しかし、フロンさん、よくそんなことを調べれましたね」
「いいえ、さすがに私はそこまで調査してません。ネイロウ殿が神殿を建立するついでに情報を提供してくれました」
一気に情報がうさん臭くなった。少なくとも、フリエスはそう感じた。
「フロンさん! あいつの言葉を信用するの!?」
「神殿を建立してくれた奇特な方ですよ。信用しない方がどうかしております」
フリエスの言う信用、フロンの言う信用、両者の間には底が見えないほどの断崖絶壁が存在することが認識された瞬間であった。
「あぁ~、なんか一気に力が抜けたわ。どうせ適当ぶっこいて、こっちを誘き寄せようって魂胆に決まってるじゃん」
「そうでしょうか? ポリスムドールに直接赴いて調べれば、すぐにわかる内容の情報ですよ。むしろ、さっさと行け、と促しているのではないですかな」
「余計に怪しいわ。あいつの敷いた道を歩くなんて、絶対に御免だわ」
と言いつつも、すでに別行動してフィーヨ達とはポリスムドールで合流することを決めてしまっている。どちらにせよ、行かないわけにはいかなかった。
警戒は必要であり、どこでどんな悪事を働いてくるか、フリエスを始め、周囲の誰も予想できる者はいなかった。
***
フロントの情報交換が一段落した後、フリエスは魔術師組合レウマ支部に顔を出すことにした。ヒューゴ王国でのいきさつの説明や、図書館での調べ物のためだ。
「なるほど、身分証がないのはそういうことですか」
支部長のミーロは、身分証である腕輪を付けてないフリエスを苦々しく見ながら頭を抱えた。何かしらの事案で身分証を剝奪されたり、あるいは返上したりすることもあるのだが、こうも正面からケンカを売りつけてくるとは想定外であった。
「まあ、復帰させることはできますが、本部から何を言われるか分からないので、正直やりたくはありませんね」
「でしょうね。支部長には迷惑を掛けれませんので、あたしが元締めに直談判してきますよ。どうせ、ポリスムドールに行くことになっているんだし」
「確かに、“不死者の祭典”を終わらせた英雄であるならば、幹部級と会うことも難しくはないでしょうが、正直、覚悟なさっておいた方がいいですよ」
ミーロの指摘に、今度はフリエスが渋い顔になった。いかに相手側に無礼な態度があったとはいえ、西大陸でも最も大きな組織に対して、真っ向からケンカを売ってしまったのだ。軽はずみだとそしりを受けてもやむを得ないほどであった。
「まあ、毎度のごとく、主流派と反主流派の利権争いですよ」
「利権争いですか。まあ、ありがちですね」
組織というものは大きくなればなるほど、そこに人と金の流れが発生するのだ。仮に商人の視点で見れば、組織御用達の出入り業者にでもなれれば、その利益は大きい。そうした立場になるために、組織幹部に働きかけ、“謝礼金”を払うなどよくある話だ。
「ヒューゴ王国は反主流派の強めの地域でしたからな。数少ない利権をよそ者に潰されたわけですから、面白い道理はありません」
「ハンッ! だったら、人を集めず、不死者に食い尽くされたらいいのよ」
「まあ、気持ちは分かりますよ。祭典は魔術師組合、冒険者組合、双方が関わる案件ですからね。どっちの立場に重きを置くかで見方が変わってきましょう」
冒険者組合の視点で見た場合、八年に一度とはいえ、人員を集中させなくてはならない案件である。そのため、同時期に別の場所で大きな案件が発生したら、人手不足に陥る危険がある。解決できるのなら、解決出来るに越したことはない。
一方、魔術師組合 の場合、目的はなんといっても呪いの髑髏を入手、研究することだ。ところが、フリエス達は髑髏の供出を拒絶し、“持ち逃げ”してしまったのだ。
もちろん、あちらの一方的な都合に従うつもりもなく、組合員の立場も捨ててまで拒否したのだ。諦めてくれればいいが、それほど優しくもあるまいとフリエスは考えていた。
「それに、主流派にしろ、反主流派にしろ、大業を成した魔術師を捨て置くとは思いませんし、何らかの働きかけはあるでしょう。どちらに与するか、考えておいた方がいいでしょう。まあ、提示する条件にもよるでしょうが」
「そういうのは、関わり合いたくないんだけどな~」
フリエス自身、宮仕えの経験があるので、派閥同士の牽制などは見てきた口である。はっきり言って、面倒くさいとしか思っていなかった。自由気ままな旅人になっているというのに、そうした厄介事に巻き込まれるのは御免こうむりたかった。
「まあ、そういう気の滅入る話は実際に迫られてから考えた方がいいでしょう。それより、図書室に用があるのでしょう?」
「そうです。いくつか調べ物をね。ラオ君が先に行ってるはず」
「そう。まあ、私にできることは大してないけど、いつでも相談に来なさい。貧相な図書館もいつでも利用していいから」
ミーロの優しい心遣いがフリエスには染み入っていた。殺伐とした状況が続いてきただけに、こうして落ち着いて話せる相手がいるというのは良いことであった。
(なにしろ、今の面子と言えば・・・)
騒々しいヴァニラ、人語を話せぬルイングラム、引っ込み思案なラオが今の部隊である。いつものフィーヨやセラと離れたのは、なんとも寂しい気分だ。
早く用件を済ませて合流したいと考えつつ、廊下を進んで別棟にある図書室へと足を運んだ。
なお、図書館では静かにするのが礼儀であるため、騒々しいことこの上ないヴァニラはフロンに預けて、ルイングラム共々城館においてきていた。
そして、図書館に到着し、扉を開けて中に入ると、フリエスは衝撃のあまり、危うく倒れそうになった。図書館の中には三つの人影があった。一つは入り口受付にいた組合職員、もう一つは先に来ていたラオ。そして、最後の一人は“自分のそっくりさん”。
「あ、お姉様、お先です~」
本を片手に手をヒラヒラさせてきたのは、ニーチェであった。ネイロウの助手であり、フリエスの血肉を元にして作られた人造人間だ。黒髪であることと、フリエスより年齢を少し上にして錬成されてはいるが、見た目は本当によく似ていた。
「あんたねぇ・・・、何しに来たのよ?」
「そりゃあ、お姉様が調べ物をするってことなんで、お手伝いに来たというわけですよ。あ、これ、西大陸の史書ですよ」
ドンと持ってきた本を机の上に置き、さらには椅子を引いて座るように促した。
「神殿の仕事はどうしたのよ? あんた、今の立場は一応、あの趣味の悪い神殿の巫女でしょ?」
「掃除は終わらせました。警備は人形がやってくれてます。ならば、お姉様のお手伝いが優先ですわ。ここの国王陛下も言ってましたわよ、『神殿の管理より、降臨されている御本尊の世話が優先だろう』と」
「ったく、あの人は・・・」
などと悪態つきながらも、フリエスはニーチェが用意した席に着いた。
一応、本の表紙を確認してみると、統一国家『魔導国』崩壊以降の歴史年表や歴史書、そして、五十年ほど前に勃発した“スラムドリン”の出来事に関する本であることが見てとれた。
「てか、本当にあったんだ、スラムドリンって」
「御主人がそう言ってたじゃないですか」
「だから、信用ならなかったのよ」
フリエスは本を手に取り、そして、開いてそれを読み始めた。
スラムドリンはフィーヨの家名である。母であるルールーン=スラムドリンから受け継いだものであるが、皇帝としての在位中は皇室の家名であるザルヴァッグを使用していた。しかし、退位してからはスラムドリンを使うようにしていた。
フィーヨ自身は東大陸の生まれであるが、母ルールーンは出自が不明である。もし、西大陸から東大陸に渡った渡来者であるならば、フィーヨの血筋を詳しく知ることが出来るようになる。
しかし、それが良いことなのかは判断が付かないのが現状であり、そのための調査というわけだ。
三人がそれぞれ黙々と本を読み進め、ページをめくる音だけが妙に空間に響いた。
「スラムドリンはかなり優秀な魔術師の家系だったみたいね」
沈黙を破ったのはフリエスであった。フリエスの調べた範囲においては、スラムドリンは魔術師の家系であり、いくつかの研究資料や昔の論文に、その名が多く登場していた。
「みたいですね。一時はムドール家と比肩される程に勢力を伸ばしていたとか。ほら、ここ、『魔導国』時代の貴族にも、名前が残ってますよ」
ラオがそう言って自分が読んでいた史書を差し出し、その箇所を指差してフリエスに見せた。
「相当古い魔術師の家系ってことか、スラムドリンは」
一般的に魔術師の家系としては、やはりムドール家が一番であるが、それ以外でも優秀な魔術師を輩出してきた家門は、いくつも存在していた。
フリエスも東大陸において、幾人もの魔術師と交流してきた経験があり、魔導国時代から続く由緒ある家もあった。
スラムドリンもそうした長く続いた家系なのだろうと、フリエスは判断した。
「で、問題のルールーンも記載がありましたわ。まあ、完全な“悪名”ですけど」
「うわ、本当にあったんだ、記録が」
フリエスはニーチェの読んでいる本を覗き込み、それを確認した。ニーチェが指さした箇所を読み解くと、間違いなくルールーンの名が記されていた。
「ええっと、なになに、『ルールーンは世界征服を企む邪悪なる魔導の女王ヘディレーネの娘である。自身もまた優れた魔術師であるのみならず、奸計を用いること数知れず。悪逆の限りを尽くしたスラムドリンの一門は、ムドールの手により抑えられる。窮したスラムドリンは和平を装い、会議の席においてルールーンが騙し討ちを目論むも、反撃にあいてついに滅びる』か。こりゃまたなんというか」
「で、この時の騒動は大陸中に波及し、魔導国崩壊の混乱期を除けば、西大陸全土を巻き込んだ唯一の大規模戦争だったみたいですね」
ニーチェが別の本を差し出し、その際の被害や規模等が記された箇所をフリエスに見せた。これはひどい、とフリエスは感じ、かつて東大陸で勃発した大戦が、西大陸でも起こっていたことを知り得た。
「ここ、レウマ王国の独立の契機もそれですね。重税が原因で一揆が発生しましたが、その大元が戦費の調達による増税が引き金みたいですよ」
ラオはレウマの歴史が記された箇所を見つけ、それもフリエスに見せた。
「歴史ってのは、やっぱ連続性があるもんよね。一つの騒動が発生すると、連鎖的に方々に波及する。読み物としては面白いけど、実際の当事者にはたまたもんじゃないわね」
なにしろ、フリエス自身もかつての東大陸で勃発した大戦の当事者であり、数多の戦場を駆け回ってきたのだ。二十年近い歳月が過ぎ去り、かつてを知る者も減りつつあるが、それでもまだまだ当時を知る者は多い。
「こっちは五十年は昔の話だし、生き残りも少なくなってきてるでしょうね」
「でしょうね。あ、お姉様、ルールーンの挿絵がありますわよ」
「どれどれ」
フリエスはニーチェが差し出してきた挿絵を覗き込んでみたが、参考にはならないとすぐに感じた。いかにもと言わんばかりの悪の女魔術師が描かれており、とても本人を見て書きましたとは思えなかったからだ。
とはいえ、その外見的特徴はいくつか書かれており、そちらの方は多少の参考にはなりそうであった。
「んと、女性のわりに高身長で、全体的に細身。穏やかな表情を浮かべるが、顔色を変えることなくいかなる悪行も成す。髪は真っすぐで長く、血肉を塗りたくった赤黒い色をしているっと。なるほど、見た目で言えば、赤毛のフィーヨさんってとこか」
「でも、ヘルギィさんの話だと、そのルールーンって人の髪は、黒毛じゃなかったですか?」
「変身系の術式があれば、髪の色くらいは変えれるわよ。一応、伝承では結構な腕前の魔術師だったみたいだし、素性を隠して東大陸に渡った可能性も無きにしも非ずってところか」
可能性はあるが、詰め切れるほどの情報もなし。本格的に調査をするなら、スラムドリン城で現地調査を行うか、もしくは更なる資料を求めてさらに大規模な図書館で調べるかである。
「まあ、フィーヨさん自身にこれは決断を委ねるとしますか。私個人はどうしても知りたいって案件でもないしね」
「なら、やはり合流してから、ということになりますね」
こうして結論を先送りにした一行は、再び書物に視線を落とした。他にもまだまだ調べたい案件があるので、時間の許す限り読書に勤しんだ。
しばらく、こういう生活を送ってこなかったので、父と資料の山に埋もれていたかつての生活を思い出し、フリエスはなんとなしに喜びを覚えた。
その父とは、再び次なる新月で情報交換するつもりであった。レウマ王国の竜脈の特異点を用いた、大陸間長距離通信があればこその芸当だ。
話さねばならないことが山ほどある。早く話したい。そう考えながらも、フリエスの視線は本がから一瞬たりとも離れはしなかった。
~ 第十話に続く ~




