第六話 街道を行く
西に向かって伸びる街道を、一台の馬車が進んでいた。二頭の馬がそれを引き、幌までついている立派な馬車だ。
行商の馬車かというと、そうではない。蛇を体に舞いつけた女性が手綱を握っており、すれ違う人々が思わず二度見するほどであった。蛇を巻いていることもそうだが、なにより馬車を操る女性が、絶世の美女と言っても差しさわりないほどの容姿端麗な女性であったからだ。
地味な旅装束に身を包んでいるのが勿体ないと、すれ違う人々は皆、思うのであった。
女性の名はフィーヨ。今をときめく冒険者部隊《神々への反逆者》の一人であり、軍神マルヴァンスに仕える神官であった。かつて東大陸においては一国の皇帝であったこともあり、《慈愛帝》の二つ名で知られていた。
元皇帝という高貴な出自ではあるが、現在は手綱を握って馬車を操り、目的地である『湖畔国』クレゴン王国を目指して西へと街道を進んでいた。
そんな彼女には一つの喜びと、いくつもの悩みや不満を抱えていた。
一つの喜びとは、兄であるヘルギィと寄り添いながら旅をしていることだ。現在、ヘルギィは赤い蛇の姿に身をやつし、ずっと妹であるフィーヨを守っていた。
フィーヨとしては敬愛する兄と共にいられることは喜びであった。しかも、先頃手に入れた神々の遺産《真祖の髑髏》の効力もあって、今までは新月という月一でしか話せなったのが、いつでも意思疎通を図れるようになっていた。
その点は良い。いくつかの困難を乗り越えて手に入れた報酬としては、申し分ないものとフィーヨは判断していた。
だが、不満はある。兄同様、ずっと側にいた夫ルイングラムが、現在別行動中という点だ。
ルイングラムは神々の遺産《竜の涙》を飲み込んだことにより、蛇から竜へと姿を変え、しかも新たに合流したヴァニラの方へと引っ付いて、逆方向に進んでいた。
折角、意思疎通が容易になり、自分と兄と夫の三人で賑やかな旅路を営めるかもと思っていた矢先の別行動である。不満に思わない方がおかしい。
そして、不安に思う点は、この恩恵を与る《真祖の心臓》と《真祖の頭蓋》についてだ。
得た情報によると、かつて十二魔王の一体“闇の女王”とも呼ばれる吸血鬼の始祖モロパンティラは体を三つに裂かれ、それぞれを精製して作られた三つの道具が存在する。そして、そのうち二つがすでにフィーヨの手の内にあり、残りの一つ《真祖の子宮》と融合を果たした時、モロパンティラが復活するというのだ。
その依代としてフィーヨが選ばれているらしく、残り一つの道具との邂逅は是が非でも避けねばならなかった。
夫の不在に魔王の復活と、悩ましいことが存在するが、すぐ目の前の問題の方をこそ、さっさと片付けてしまいたいと、フィーヨは苛立っていた。
「お兄様」
「なんだ?」
「アレ、馬車から放り出したいのですが、よろしいですか?」
フィーヨが背中の方を指さすと、そこにはセラが馬車の中で横になり、のんびりしている姿があった。
セラは吸血鬼としての特性を有しているため、日中の活動は基本的に好まない。日光除けの術式を常駐させておくのが面倒であるからだ。そのため、この幌付きの馬車が手に入ってからというもの、移動中は絶対に馬車から出ずに、横になって日が暮れるのを待っている有様であった。
そのため、現在の顔触れがフィーヨ、ヘルギィ、セラとなっているのだが、馬車を操れるのがフィーヨしかいない状態であった。魔王は決して幌の外側には出ようとしないためだ。
「フィーヨ、気持ちは分かる。私も馬車を軽くしたい気分だ」
「ですよね!? そう思いますよね!?」
「だが、捨てるわけにもいかないのも、また事実なのだ」
兄の返答にフィーヨは口を尖らせて不満を露わにした。普段は貴婦人に相応しい所作を心掛けているのだが、兄や夫の前でだけは少女のような振る舞いに戻ってしまうのであった。
「捨てるに捨てれないなんて、魔王も呪いの装備の一種でしょうか?」
「あるいはそうかもな。だが、呪われていようとも、有用な装備品であるのも事実だ。狂人がうかつにちょっかいを掛けてこないのは、あやつがいるからなのだぞ」
「それはそうなんですけどね」
皆から《狂気の具現者》などと呼ばれる狂人の魔術師ネイロウ。神を倒し、世界を根底から改変することを企む男なのだが、なにかと横槍を入れてくることが多い。
フリエス、フィーヨとは浅からぬ因縁があり、セラとはまるで旧来の友人のように仲がいい。そのため、色々と画策しては、状況を引っ掻き回してきた。
戦って勝つのは難しく、仮に勝っても捕らえることはできないし、殺すことはできても、魂だけで移動できるため、殺害も無意味なのだ。多少の時間稼ぎ程度にしかならない。
とはいえ、時間の浪費を強いることはできるので、セラが倒してくれるのであれば、それはそれでよいとも言えた。復活までの時間稼ぎにはなるからだ。
「ですが、セラがこっちにいる分、あちらの部隊が危険なのでは?」
「私は一向に構わんがな」
きっぱりと言い切るヘルギィであった。実際のところ、ヘルギィにとって優先すべきは妹の身の安全であって、他のことは割とどうでもよかった。この辺りはフィーヨの兄や夫への感覚に似ており、ある意味よく似た兄妹と言えた。
しかし、フィーヨはそういうわけにいかない。何しろ夫ルイングラムは別行動中の部隊の中に含まれており、その点を無視することなどできなかったからだ。
「まあ、心配なのも分からんでもない。で、ルイングラムと別行動で支障は出ているか?」
「発狂しそうです」
「うむ、いつも通りで何より」
妹が苦しむ様を見るのには耐えがたいものがあるが、四六時中顔を合わせておかねばならない義弟がいなくなることは清々した気分であり、ヘルギィとしてはどっちを取るべきか悩ましい点であった。
「感覚としてはどうか?」
「今までは体に巻き付いていましたので、そこまで強く意識したことはなかったのですが、今は細い線でどうにか繋がっているという感じでしょうか。ルイングラム様の抱いている感情や、放出されている魔力なんかは分かる、という状態です」
「ふむ・・・。戦闘状態に入った場合は分かる、くらいか」
と言っても、〈瞬間移動〉などの合流手段がないので、分かるだけで手の出しようがないのも事実だ。
「まあ、試験中だし、色々と試さねばならんな。フィーヨ、ルイングラムに呼びかけてみろ」
「運転中の脇見ですわね」
「馬は賢いから、道なりに進むさ。何より、それを取り締まる法がない」
フィーヨはヘルギィに促されるままに意識を集中させた。身に付けている額冠が輝き始め、繋がっている細い線を慎重に手繰り寄せる感覚で、ルイングラムを意識した。
そして、繋がった。
「ルイングラム様!」
「むっ・・・、フィーヨか。離れていけても、話はできるようだな」
「は、はい! どうやらそのようでございます」
いつも感じている夫の波動を、また身近に感じることができる。離れていても、いつもと変わらない。フィーヨにとってはこの上ない喜びであった。
「ルイングラム様、そちらはどうでしょうか?」
「凄まじい速度で飛んでいるぞ。これなら余裕で新月までに間に合う。図書館での調べ物に当てれる時間が増やせるというものだ」
「それはなにより。こちらは相変わらずの役立たずが寝転がっておりますわ」
特にこれといった問題がなく、お互い順調であることを確認し合うと、離れていることなど気にならないほど安堵の気持ちに満たされた。
だが、そこへ鋭い声が横槍を入れた。
「フィーヨ、すぐに通信を切れ!」
ヘルギィが大声とともに尻尾を振り、フィーヨの額を叩いた。意識が無理矢理呼び戻され、繋がっていたルイングラムの気配が薄れていった。
同時にヘルギィは口で手綱を掴んで強引に引き、馬車を停めた。
「お、お兄様、何を!?」
「馬鹿者。自分の体を見てみろ」
注意を促され、フィーヨはようやくに気付いた。とんでもない量の汗をかいており、着ている衣服がグッショリと濡れていたのだ。
「通信に気をやり過ぎて、気付いておらなんだな。とんでもない量の魔力を消耗しておったぞ」
「そ、そうだったのですか」
汗はかいているし、呼吸も乱れていた。全力で走ったかのような疲労感が、フィーヨの体にいつの間にかのしかかっていたのだ。
「おそらくは、通信する距離の問題であろうな。前にやった大陸間通信は、竜脈の特異点同士の接続であり、魔力供給ができる状態であった。しかし、今はお前が一人でその魔力を補い、意識を繋げて話していたようなもの。余程の急用でない限りは、通信しない方が賢明だな」
「そんなぁ~」
フィーヨは恨めしそうにヘルギィを見つめたが、どうしようもないことも事実だ。ここまで消耗するのであれば、竜脈の特異点のような魔力供給される場所でもない限りは、使わない方が無難と言えた。
「別行動は可能であるが、意思疎通は難あり、といったところか。あとは、戦闘でルイングラムがどの程度独自にやれるかどうか、だな」
色々と考え事をしながら独り言を呟く兄を見ながら、フィーヨはその真面目な性格を改めて感じ取った。
フィーヨは生前のヘルギィの優しい笑顔以外はほとんど見たことがなかった。なにしろ、フィーヨは生まれてすぐに帝都外れの神殿に預けられ、そこから出ることは極めて稀であり、会いに来る人物と言えば兄ヘルギィとその友人である後の《皇帝の料理人》グランだけであった。
そこでの顔はいつも笑顔で、兄は誰よりも優しく穏やかな人だと錯覚していたのだ。
だが、そんなことは妹に余計な心配事を感じさせないための仮面であり、その真なる姿は苛烈な権力闘争に明け暮れる無慈悲な皇子であった。
あとからそうした出来事を聞いていたフィーヨであったが、イマイチ想像が付かず、今も姿が蛇であるため掴みにくい点もあった。しかし、伝わって来る感情は真面目で思慮深く、話に聞く比肩する者なき優秀な為政者にして指揮官であることが確認できた。
「《竜の涙》もありますし、大丈夫では?」
「問題は、お前と離れたことにより、知能が低下することだな。私とて、お前の《真祖の頭蓋》があるからこそ、意思疎通ができているのだ。いくら神々の遺産を装備したといっても、頭がしっかりしていなくてはどうにもなるまい。幼竜程度の頭だと仮定した場合は親の言うことだけは従順であるから、それに該当する《白鱗の竜姫》が的確な指示を飛ばせるかどうか、だな」
やはり慎重だな、とフィーヨは兄の事を感じた。
生前のヘルギィはとにかく慎重で、静かに事を動かし、力を蓄え、攻め時と判断すると、一気呵成に攻め立てると周囲からは聞いていた。不安要素を一つ一つ丁寧に潰し、損害をできるだけ減じた上で確実に取れる分だけ勝ちに行く、という行動原理で動いていた。
なにしろ、ヘルギィは周囲全てが敵だらけの中で生きていたのであるから、万事に慎重でなくてはならなかった。自身の思惑はひたすら隠し、気付かれぬように力を蓄えつつ策を巡らし、時至らば一気に攻め込む、それがヘルギィの歩んできた簒奪の道であった。
一方、夫たるルイングラムはひたすら攻める戦い方が多かった。軽く当てて相手の状況を探り、反応の鈍い箇所や弱点を見つけると、そこへ自らが切り込み、相手方を押し込む、というやり方だ。
守り重視の一転攻勢のヘルギィ、攻め重視の波状攻撃のルイングラム、という差が両者にはある。
この二人は幾度か戦場で渡り合ったことがあるのだが、お互いに攻め口を掴ませぬまま、小競り合い程度の衝突ですべてが終わっていた。ルイングラムが小部隊をぶつけて探りを入れ、ヘルギィはそれをはじき返して反撃に転じようとするも、これをルイングラムが押し返して膠着状態。そして、そのまま互いに退く、という感じだ。
フィーヨはどちらかというと、ルイングラムのやり方に近い。過ごした時間で言えば兄の方が長いが、“戦場”で過ごした時間はルイングラムの方が圧倒的に長いため、そちらをより参考にした形というわけだ。
だが、どちらを選択しようと常人とかけ離れた感覚があってこそのやり方だ。二人は武名を欲しいままにしてきたが、それは戦場の流れを的確に判断し、攻め時や引き際を誤らなかったことに起因している。特にこれと言った訓練を受けていないフィーヨには別次元のやり方であり、未だこれを払拭できていないのが現実なのだ。
自身の体調や魔力消費すら目の前の出来事に集中しすぎて見逃し、誰かが注意せねばそのまま走り抜けてぶっ倒れる。先程の大量の汗は、それの証左であった。
その辺りの訓練をしてこなかったのは致命的だな、と思うヘルギィであった。意思疎通が図りにくい今までの状態ではやむを得なかったことであるが、今後の戦いを考えると、この辺りを修正しておかねば、いずれは過剰労働で倒れかねないからだ。
最悪、当人の意志を無視して、戦闘中は自分がフィーヨの体を操ることも考えておく必要があった。
「まあ、それはそれとして、フィーヨ。こうして話せるようになったのだ。色々と教えておかねばならないこともあるわけであるし、今は旅を楽しむとしよう」
「はい、お兄様。ルイングラム様がいないのは残念ですが」
「あいつは騒々しくてかなわん。いない方が清々する」
実力的には認めてはいるものの、妹を任せるのには不足だとも考えていた。フィーヨの皇帝時代の危機的状況も、ルイングラムがしっかりと目を配らせていなかった結果だと考えており、その辺りのところが両者の溝になっていた。
フィーヨとしてはそれを認識しつつも、根本的な原因は自身の猪突と実力不足に起因しており、二人が対立することはないと考えているのだが、両者の間を取り持つのはなかなか上手くいっていない。
とはいえ、こうして意思疎通がやりやすくなったわけであるし、いずれは解消することだろうと考え、握る手綱を振るい、馬を進ませた。
目指す『湖畔国』はまだまだ先である。
~ 第七話に続く ~




