第六話 東西交流
森の中のたたずむ狩猟小屋は村の猟師が狩りの際に使用する小屋だ。獲物を解体するための小道具が転がっているが、休憩所としても使われている。アルコも薬草採取で周囲の森に足を運ぶ際に利用していた。
居間には長机と椅子が四つ置かれていた。テーブルには燭台が置かれていたが、今は昼間で窓から日が差し込んでいて明るいので、今は灯っていない。
アルコが椅子に腰かけ、フロンはその横に、フリエスとフィーヨがそれに向かい合う形で腰かけた。セラは入り口近くの壁に背中を預け、腕を組みながら全体を見れる体勢を取った。
「さてさて、東の大陸よりお越しの旅人よ、色々とお話し願おうか」
アルコの言葉に、フリエスとフィーヨが目を丸くした。まだ、東大陸のことなど一言も言ってないのに、あっさりと見抜かれたからだ。
「ご老人、なぜ私達が東大陸出身だと?」
気付かないうちに、〈読心〉でもかけられたかとフィーヨは警戒した。フリエスもつい腰に帯びていた剣に手を置いた。
「そう警戒せんでくれ。・・・訛りじゃな。以前、東大陸出身だと名乗っていた吟遊詩人が、お前さんらと似たような訛りをしておってのう。だから、そう思った」
「ああ、あの時の吟遊詩人ですな! 去年でしたか・・・、『金の成る畑』で宴席を設けた際、たまたま訪れていましてな。東の大陸の英雄譚を何日も聞きました。フリエス殿やフィーヨ殿のことも歌っておりましたぞ」
フロンの説明で二人は納得した。白鳥が東西大陸を結ぶ定期航路を開始して、すでに一年ほど経過していた。当然、東大陸出身者も西大陸に幾人も出入りしている。
「フロンさん、その吟遊詩人の男性ですが、頭巾から服まで赤一色の装い、そして、弦楽器を担いだ姿でしたか?」
「ええ、その通りです」
フリエスの問いに、フロンは当時のことを思い出しながら頷いた。
東大陸と数百年ぶりに繋がったという大事件の直後とあって、当時は東大陸からの来訪者はどこへ行っても大歓迎された。まして、歌とともに遥か彼方の異邦のことを語ってくれる吟遊詩人だ。その歌を聞きにいくらでも人が集まった。
フロンもそんな一人だ。噂の吟遊詩人が自分のいる国に来訪したと知るや、滞在中ずっとその歌を聞き、あるいは気になることをあれこれ質問した。折よく『金の成る畑』にて宴が催されており、その席にも招き入れ、大勢が聞き入る中で英雄譚を披露した。
「ルークさんも頑張ってるな~」
「ええ、元気そうで何よりですわ」
フリエスとフィーヨが何やら懐かし気に話し、笑顔を交わした。
「お二人のお知り合いで?」
「第一便で送り出した人だからね。てか、ルークさんは《二十士》の一人よ」
これにはさすがにフロンも驚き、椅子から腰を思わず浮かせてしまった。まさか、英雄自身が自分語りの英雄譚を披露していたとは思いもよらなかったからだ。
「ルークさんは東大陸のことを西大陸に広めるために、真っ先に渡航したんですよ。『東西交流を進めるには、互いをよく知ることが肝要だ』って白鳥から頼まれてね。まあ、その後に白鳥も我慢できなくなって、自分も西大陸に渡って天使探しをしようとしたけど、みんなが全力で止めました」
「なるほど。そういう事情でしたか。まあ、おかげで東大陸のことは色々と知れましたが。縁繋ぐ吟遊詩人殿には感謝ですな」
東西交流はまだ始まったばかり。フロンとしても、事が落ち着いたら是非にもそれに加わって、いつかは東大陸へと言ってみたいと考えた。
「さて、我が弟子よ、なぜ東西の大陸が分断されておったか知っておるか?」
「もちろんです。東西の大陸の間には海があります。そして、そこにはすべてを飲み込む渦が存在し、海を渡ろうとすると船を飲み込んでしまいます。そこで渦のギリギリ外側を航行して渡ることになります。しかし、渦から離れすぎると今度は別の海流に攫われ、北の氷の大陸か、南の炎の大陸に流され、帰ってこれなくなります。つまり、大陸の移動には渦にも飲み込まれず、別の海流にも攫われないギリギリの海路を進まねばなりません。そのギリギリの所を航行しようとすると、とんでもない難所が存在します。東から西へと向かうと不死者が蠢く死の島の近くを通らねばならず、凄まじい数の幽霊船に襲われるとか」
フロンの回答に、アルコは嬉しそうに頷いた。ずいぶんと昔に教えたことを弟子がしっかりと覚えていてくれたからである。
「そうじゃ。渦に乗ってその外周ギリギリと通らねばならぬのじゃが、西から東はともかく、東から西へと船出すると、死の海域を通らねばならん。そこは命がいくつあっても足りない難所なそうな。結局、分断されていたこの数百年で、死の海域を越えて来訪したのは、数えるほどしかおらん」
「それに対して、死の島を攻略を目指したのが《白鳥大公》ですな」
フロンの発した言葉に、フリエスとフィーヨが思わず吹き出してしまった。
「うはは、《白鳥大公》ですって!? これは傑作!」
「随分とご大層な二つ名ですわね。ルークもどれだけふかした歌を歌っていたのかしら」
腹を抱えて大笑いする二人であったが、フロンにはその理由が分からなかった。白鳥はかつての大戦を歌った英雄譚ではほとんど登場しないが、大戦後の活躍が目覚ましく、そちらの話の方が白鳥の名声を不動のものにしていた。東大陸を十字に繋ぐ街道を整備し、さらに各所の港を改修して物流に革命を起こした。東大陸沿岸部すべてに大きな影響力を有し、そうして得た財力で西大陸への航路開拓に乗り出した。
そして、あの幽霊船団が跋扈する海域へと乗り出し、ついには死霊のひしめく島をも攻略し、東西の航路を繋げることに成功した。
ここまでのことやってのけたのだ。間違いなく、英雄の中の英雄と言っても言い過ぎではない。《白鳥大公》の二つ名も、その栄誉を背負えるだけの大業を成しえたからだ。
「いや、だってね、白鳥の正式な肩書はクレーナっていう漁村の長よ。あと、西海岸諸都市の港湾組合の理事でもあるわね。そして何より、その姿は白鳥。まんま白鳥。人間と同じ頭脳は持ってるけど、完全に白鳥よ。大公なんて肩書は、本人・・・、本鳥が笑うわ」
フリエスが机をバンバン叩きながらまだ笑い続けた。
しかし、フロンにとっては白鳥を名乗る新たなる英雄は、本当に白鳥であった事実は衝撃であった。しかも、人間と同じ頭脳を持っているというのも驚きを加速させていた。
「なんでも、飛べるようになったばかりのころ、クレーナ村で催されていた愛の女神の祭典に誤って突っ込んでしまい、祭壇に体当たりして倒してしまったそうで・・・。それに怒った女神が、白鳥に呪いをかけてしまったのだそうです」
「愛の女神とは・・・」
東の大陸では神が自由すぎる、フロンはそう思わずにはいられなかった。
「で、その呪いの内容は、“皆に好かれるが想い人にだけ好かれない”というものでした。あと、苦悶の内にのたうつ様を見たいとかで、人間並みの頭脳も持たせてしまったとか」
「あ、それだ! 手紙が燃えたのは愛の女神の呪いってことにしよう。うん、白鳥の想いを綴った手紙は女神の呪いの犠牲になった。これで行こう!」
強引すぎる言い訳を作り出し、フリエスは満足げに頷いた。愛の女神にすべてを押し付ける罰当たりな行為ではあるが、同じく女神であるフリエスは愛の女神が喧嘩を売ってきた際は買うつもりでいた。
「それにしても迷惑すぎるでしょう! というか、神は精神世界に旅立ち、この物質世界には干渉できないのではなかったのですか!? 西大陸でも神の力の代行者として神官はおりますが、東大陸のそれよりも神力の使い方が・・・」
神は肉体を失い、信仰にて繋がる人間を介して奇跡を行使する。それはフロンもよく知ることであったが、東大陸からやって来た神官フィーヨは実力が飛び抜けていた。英雄ということを加味したとしても、それでも東大陸のそれは強すぎるのだ。
なにより、話を聞く分では、東大陸では神々が自由に動きすぎているというのもある。問いかけて中々答えないからこそ、必死で修業を積み、信仰を篤く積み重ねて、ようやくその声を聴けるのだ。
「物質世界と精神世界の間には大きな隔たりがありますが、突破不可能というわけではありません。人々から神への呼びかけが信仰心となり、それを糧としてかつての力を一時的に取り戻します。そして、東大陸では百年続いた戦乱と、その終劇を飾るに相応しい魔王との抗争がありました。人々が神への祈りを捧げるのにこれ以上の条件はありませんわ。ですので、神は見えずとも身近な存在となりえるのです」
争いこそ信仰を生み出す源となる、フロンにとっては衝撃的な事実であった。西大陸ではおおむね平和である。もちろん、国家間の戦争もないではないが、百年以上も絶え間なく抗争を繰り広げ、果ては魔王とも戦った東大陸とは雲泥の差だ。
神にも縋る想いと力への渇望、この両者の結果としての信仰心。果たして、神に力を借り受けてよいものだろうか、フロンは悩まずにはいられない。
平和な時代であれば、“神の御業”に頼ることなく、“人の智慧”程度でどうにでもなってしまうのだ。ゆえに、西大陸には神など必要なかった。せいぜい、儀礼的な意味で祭典を開き、祈り敬うフリさえしてればよいのだ。祭りを楽しみにしている人もいるし、そうした意味合いでの神の存在とは、人心の安定のために存在だけはしてもらわねばならなかった。
だが、今は違う。今フロンがいるこの国は大混乱の真っただ中だ。祈って力を授かるのであればいくらでも祈るし、供物を望まれるのであればいくらでも捧げてもよい。とにかく、この国を安定した形に戻したい、という渇望があるのだ。
その渇望こそが信仰の源であり、争いによって渇望が生まれるのだ。ならば、神は信仰を生み出すために、争いを放置したり、あるいは扇動することすらあるのではないか?
そこまで思考して、フロンは恐ろしくなり、慌てて考えるのを止めた。
「愚か者め、なぜ思考を止めた? 考えることこそ、人類の英知の源泉であろうに。まあ、東大陸の発想や思想に触れ、ちょいと毒気の強さに引いたのであろうが」
アルコは弟子を窘めはしたが、その顔は穏やかなままだ。あるいは、賢者たる師はすでにそこまで思考していたとも考えられ、フロンは己の未熟さを痛感するばかりだ。
「やれやれ。まだまだ修行が必要かもしれんな。今少し研鑽を積まねば、よき領主とはなれんぞ。時にフロンよ、今まで話してきて、何か違和感や気付きはないか?」
「東大陸の思想等には驚かされておりますが・・・」
「そうではない。もっと根本的な・・・、いや、単純なことだ」
師の言わんとすることが、フロンには分からなかった。今までの会話の中で、何か師に指摘されるほどの、それも簡単な内容の問題点とは。
アルコはやれやれと言わんばかりにため息を吐き、言い放った。
「なぜ、東大陸の方々と会話が成立している?」
アルコに指摘され、フロンは目を丸くして驚いた。
東西の大陸はまともな行き来ができるようになってまだ一年程だ。それ以前の数百年間は隔絶された世界と言ってもよかった。にも拘らず、東大陸から渡ってきた三人組と難なく会話ができている。さらに記憶を遡れば、東大陸の英雄譚を歌っていた吟遊詩人の歌も聞き取れていた。
「数百年前、東西大陸は『魔導国』という統一国家が存在したと言われています。つまり、その時代に統一された言語や文字が存在し、隔絶されてからもそのまま使用されていて、現在に至った、ということです。訛り程度の違いはあるようですが」
「うむ、正解じゃ。そして、それは驚くべきことでもあるな」
アルコもそのことには感心しているようで、何度も頷いた。実際それは驚くべきとことであるし、極めて有益なことである。翻訳や通訳の手間が省かれ、意思疎通には都合がいい。東西大陸交流に弾みがつくというものだ。
「それはあたしも驚いたわ。言葉も文字も似た物使っていたんですもの。あとは、金相場かな。東大陸の金貨がこっちの金貨と大きさも質も同じだった。でも、銀貨は大きくずれてたわね。東大陸は金貨一枚に対して、銀貨百枚だったのが、こっちでは五十枚。この相場のずれは問題になるだろうから、白鳥に知らせて手を打ってもらわないといけないわね」
「倍もずれがあるのですか・・・。交流が活発になるほど、この差は問題になりますね。大陸間の交易の規則やら法律の作成が必須となりますね」
ここレウマ国は酒の売買で成り立っている国であるので、相場や物価には嫌というほど問題が付きまとってきた。フロンもずっとそんな環境で育ってきたので、そのことは痛いほどよく分かっていた。
大陸間交易を進める上では、早めに解決しておきたい問題だといえる。
「かなり逸脱しているが、話を本筋に戻してもいいか? 知識欲が刺激されるのは結構なことだが、事件が解決してからの方がいいのではないか」
壁に背を預け、全体を眺めていたセラが突っ込みを入れると、全員が苦笑いをしながら咳き込んだ。まさか魔王から真面目にやれと突っ込みが入ると思ってもみなかったからだ。
「いやはや、ワシとしたことが、珍しい異邦の旅人相手に浮かれておったわ。フロンよ、状況を説明せい」
気恥ずかしそうに頭をかくアルコに、フロンは自分も大きくそれた話に夢中になっていたことを詫びつつ、今までの出来事のすべてを話した。
僅かに一週間にも満たない時間ではあった。だが、定例会合とそこでの殺戮劇、その後の逃亡と三人組との出会い、数日の動きはまさに激動という言葉が当てはまる。
「随分と濃い時間を過ごしたのう、我が弟子よ。しかし、コレチェロのことは残念じゃ。他の伯爵家の方々もな」
アルコは目を瞑り、コレチェロやその他多くの知人らの冥福を祈った。アルコは貴族も平民も分け隔たりなく学問を教えてきた。コレチェロもまたその中の一人であり、弟子と言える。また、宮廷魔術師の役目として色々と相談役を務めており、会議に列席していた面々はほぼ全員顔見知りでもあった。
「師よりも先にあの世へ旅立つなど、愚か者よな」
「兄の件は自分の責任でもあります。悔やんでも悔やみきれません」
「いや、話を聞く分では、誰が警備をしておっても防げはせんだろう。なるほど、ゴーレム軍団に移送系の術式か。それを使える魔術師は限られているな」
そう言うと、アルコはちらりとセラの方に視線を向けた。先程の質問はまさに自分への疑いを真っ向から投げてきた。アルコとしては、受けて立つ気満々であった。
「それでセラとやら、ワシにまだ聞きたいことがあるのではないか?」
「そうだな・・・。率直に聞くが、爺さん、あんた、“神々の遺産”は持ってるかい?」
「「セラ!」」
フリエスとフィーヨがセラに向かって怒鳴りつけた。言ってはならないことを口にしたかのように、二人はセラを睨みつける。
「神々の遺産というと、お伽話などに出てくる魔法の道具ですか?」
物凄い剣幕の二人を他所に、フロンはアルコに尋ねた。
「お伽話ではないぞ、我が弟子よ。現に目の前の三人は持っておる」
物凄い剣幕の二人の視線が、今度はアルコに向いた。フロンはあたふたと、師と二人を交互に視線を送った。
「お伽話や伝説に語られる神々の遺産。それは話の登場人物にとてつもない力を付与する、ある意味では理不尽極まる道具じゃ。英雄はこれを持っている。呪われて取りつかれている場合もあるがのう。これと相対するのは死を意味するといってもよい。我が弟子よ、心当たりがあるであろう?」
アルコの問いに、フロンは頷いた。心当たりなど、ありすぎるからだ。
何しろ、目の前にいるのは、英雄が二名、自称魔王が一名だ。そして、その凄まじい戦いぶりをフロンは目撃している。電撃一つで森ごと追っ手を薙ぎ払い、その電撃を難なく無力化した黒い煙、数々の武器に変じた蛇、どれも並の魔法の道具とは思えなかった。
「当ててみようか? お嬢さんが一つ、神官が二つ、自称魔王が一つ、それぞれ持っている。これで正解じゃろう?」
アルコの問いに対して、フリエスの焦りの表情が如実に物語っていた。どうしてそこまで分かったのか、と。
「探知系の魔術で陣を張っているのに気付いたであろう? お前さん方はあれを対人感知と判断したようじゃが、〈魔力感知〉もこっそり混ぜておいたぞ。尋常ならざる魔力が懐や身に着けている装飾品から感じたのじゃ。・・・返答を待つまでもなさそうじゃのう」
フリエスの鋭い視線がアルコに突き刺さる。そして、その手は自然と腰に帯びていた曲刀に伸びていた。フィーヨもまた、いつでも蛇を出せるように機をうかがう。セラは壁にもたれたまま微動だにしていないが、視線だけは動きを見逃すまいと神経を集中させていた。これにはたまらず、フロンが止めに入った。
「師も皆さんも落ち着いてください。道具一つにそこまで目くじ立てずとも・・・」
「道具一つで国が傾くからだよ」
今一つ状況を理解できてないフロンに対して、セラがニヤリと笑いながら言い放った。セラは変わらずの余裕の態度だが、フリエスとフィーヨはすでに臨戦態勢だ。アルコもいつの間にか杖を力強く握っている。いつ激発してもおかしくない空間を形成している。
神々の遺産、ただ一つの言葉が、場の空気を支配し、形成し、戦の趣きすら漂わせてきたのであった。
~ 第七話に続く ~