第三十三話 夜明け
フリエスとフィーヨは空間の裂け目を通り、元いたワーニ村近郊の森にまで戻ってきた。
丁度、朝日が昇ろうとするところで、山裾が光を帯び始めていた。
朝霧が漂う少しひんやりとした空気に包まれ、フリエスとフィーヨは思わず身震いした。ネイロウの屋敷は温度管理でもされていたのか、過ごすのに程よい気温に保たれていたからだ。
(まあ、狭間の世界を動き回ってるのなら、窓なんて開けれないでしょうし、そういう常駐術式でも仕込んでたのかな)
得るものも多かったが、奪われた情報も多い一夜であったと、フリエスは振り返った。もう少しうまく立ち回れたかもしれないのに、まんまとしてやられた場面が何度もあったからだ。
だが、そんなしんみりとした感情も、徹夜で待機していたセラが視界に飛び込んでくると、すぐに吹き飛んでしまった。
「「セラァァァ!」」
フリエスとフィーヨは絶叫とともにセラに突っ込み、襟首を掴んだり、足を蹴飛ばしたりした。
「あんた、よくもやってくれたわね!」
「何の話だ?」
「魔王の依代の話よ!」
二人が焦るのも無理はなかった。なにしろ、セラの誘導によって装備した《真祖の頭蓋》がフィーヨに馴染み過ぎて外れなくなってしまい、しかもその原因が魔王モロパンティラに復活のための依代に選ばれたからだ。
「フッ、愚かな。調べものせずに装備した方が悪いのだぞ。それにおれはそこの二匹の蛇と気兼ねなく喋れるようになると説明したではないか」
「“副作用”の件は全然喋ってなかったでしょ!」
「呪われた装備は用法容量を守って正しくお使いください」
嘘は言っていないわけであるし、反省も弁明もする必要なしという態度であった。実際その通りであるし、ろくに調べもせずに勢いで装備した方が悪いのだ。
「ああ、ついでに言っておくと、頭蓋にはモロパンティラの残留思念が潜んでいるからな。なにしろ、あいつの頭であるし、今回の祭典のような罠を仕込む程度の力は残っていたしな」
「なんでそういうことを、後から言うのですか・・・」
フィーヨはなんだか急に頭が痛くなってきた。もちろん、ただの錯覚であるが、それでも魔王が潜んでいると言われては、気分のいいものではない。
「それくらいは愛の力で乗り越えてみせろよ。それともフィーヨ、お前とその二匹の蛇との関係は、多少の妨害で消えてしまう程度のものなのか?」
「それはありえません!」
「ならば、問題あるまい。愛の力は無限大、なのだからな」
セラはニヤニヤ笑いながら、愛の女神セーグラの言いそうな台詞を言い放った。
フィーヨは不快に感じつつも、セラの言葉に反論できる適当な言葉が思い浮かばなかった。なにしろ、兄と夫への想いはあらゆる事象に優先すべき事柄であるし、その二人と意思疎通しやすい状況を作り出しているのは、他でもない呪われた頭蓋に他ならないからだ。
この程度で折れているようでは、神に喧嘩を売ってでも成し遂げると決めた二人の復活など、望むべくもないのだ。
「似合わない。魔王が言うと、全然似合わない。愛を説く魔王がどこにいるっての!」
「愛を説いているつもりはないのだがな。現実を突き付け、現状を認識させてやっているだけだ。過ぎ去ったことをいつまでも愚痴るのは性に合わん」
「なぁにが現状認識よ。“落とし穴”の存在に気付きながら、周りの誰にも知らせもせずに、落っこちないかとニヤニヤしていた奴の言葉じゃなければ、多少の説得力はあったんでしょうけど」
いつもの事ではあるが、フリエスはその点が不満であった。互いの利害関係の上での旅仲間という括りに入っているわけであるが、それでも余計な問題が生じるのを“わざと”見逃して、状況を悪化させるのは気に入らなかった。
もっとも、魔王相手にその手の期待をするだけ無駄であるが、それでも一言くらいはあってしかるべきではないかとフリエスは思うのであった。
(そう、こいつはいつでも先んじて正解を引き当てる。黙っているだけで、状況の先読みは本当に正確なのよね。いじわるな出題を生徒が解くのをニヤつきながら眺める教師、ってところかしら)
もちろん、目の前の魔王が教え諭すなどという殊勝な心掛けを持っているとは思っていない。だが、それでもそう感じてしまうのは、先程のネイロウとのやり取りが頭の中に刻み込まれているからだ。
(そう、“世界”も、“神”も狂っている。少なくとも、狂人の視点で言えば、まさにそうなのよね。そして、目の前の魔王はそれらに対して敢然と宣言し、反逆を口にしている。ならば、魔王こそが世界の改変者であり、救世主足り得るのだろうか?)
どれだけ自問しようと、次から次へと疑問が湧いてくる。世界の事、神の事、魔王の事、そして、自分自身の事、思考の土台となるべき常識が崩れた結果、考えが一向にまとまらないのだ。
(少なくとも、あの狂人は同じ立ち位置だと言ったのは、父さんとミリィエ、そしてセラ。まあ、向いている方向は全然違うけど、“世界”あるいは“神”に対して疑念を抱いているのは確かよね。ミリィエは行方知れずだし、セラに相談とかしたくないし、結局またしても父さん頼りになるなぁ~)
自身の思考の浅さを痛感させられるフリエスであった。まだまだ遠く及ばない存在がいる。“神”である自分が、“人間”に劣っているのだ。ならば、“神”とはなんであるのか、この疑問の答えをフリエスは持っていないし、導き出せそうになかった。
「まあまあ、皆さん、とにかく無事に帰着できてよかったではありませんか。これからまだ整理しないといけないこともありますし、少し静養してからじっくり考えるとしましょう」
徹夜明けで荒ぶる面々に対して、ラオは素早く割り込んで宥めすかした。ラオはすっかり部隊の調停役の立ち位置に収まっていた。一番若くて付き合いも短いが、《混ざりし者》のときからこういう立ち位置であったので、ある意味で手慣れたものであった。
なにしろ、周囲全員が我の強い癖のある面々であったため、自分が上手く宥めなければ話が進まないことが多々あったためだ。もっとも、その都度、ユエに絡まれて貞操の危機に直面していたが、今はその心配がないので、ある意味で気が楽であった。
(もっと強くなりたい。強くならなければならない。二度とあんなことを起こさないためにも)
ラオはかつての仲間達の顔を思い浮かべて、改めて誓うのであった。もっと力があれば防ぐことができた。もっと力があれば支えることができた。それがなかったからこそ、全てを奪われた。
世の理が弱肉強食であるならば、奪われないためには強くあらねばならない。それが例え神と呼ばれる存在であろうとも、もう二度と奪わせたりはしない。そうでなければ、失った仲間達も浮かばれることはないと、ラオは考えていた。
生き残ったからには戦わねばならない。世の不条理を正し、その規範書を書いた神とやらの横っ面を引っ叩くため、ラオは決意を新たにした。
「無事の御帰宅なによりだ」
そう言って現れたのは、ルークであった。すでに旅支度を終えているようで、楽器も他の荷物も背負っている状態であった。
「ルークさん、行かれるんですか?」
「ああ。予定通り、このまま南に向かう。君らと次に再会できる日を楽しみにしているよ。炎の神カヅチの加護があらんことを」
ルークは信奉する神の名を唱え、それから背負っていた弦楽器を手にし、軽くその音色を披露した。柔らかな音が周囲に響き渡り、少し緊張していた場の空気を和ませた。
「う~ん、相変わらずのいい音色。《英雄王》をも唸らせた至高の調べ、『鋼鉄国』の宮廷音楽家の腕前、なお健在ですね」
「聞かせる相手は山ほどいますからね。腕前を落とすわけにはいかない。だが、それでも私がこの音色を聞かせたいのは・・・」
ルークの脳裏にはかつて自身が仕えた『鋼鉄国』での一幕が浮かんでいた。酒の席で自分が演奏し、それを周囲の者達が聴き入っている光景だ。そこには《英雄王》がいた。《小さな雷神》も、《全てを知る者》も、《剣の舞姫》も、《生ける兵法書》も、《鉄巨人》も、《風渡しの弓手》も、第一王妃も、《武神妃》もいた。
あの頃が一番幸せで、楽しい時間だったのだろうなと、今更ながら思い返した。
しかし、戦が苛烈さを増していき、《生ける兵法書》が返らぬ人となった。
代わりに第三王妃として《砂煙の血刃》が顔触れに混じってきたが、ルークにとっては因縁浅からぬ相手であり、不協和音が紛れ込んできたと感じた。事実、三人の妃の間でも不和が生じたが、それぞれに顔の効いた《小さな雷神》がちょこまか動き回ってなんとか保っていたのだ。
そして、その小さな英雄が目の前にいる。なんだかんだと騒々しい集まりではあるが、この部隊の中心は間違いなくこの小さな女神であり、皆を率いている。いずれは自分もその輪に加わることになるだろうと考えると、今から楽しみでならない。
「あ、そうそう。ルークさん、これ、持ってて」
フリエスは懐から指輪を取り出し、それをルークに手渡した。
「これは《伝言者》って道具で、対になっている指輪の所へ鳥になって声を届けてくれるのよ。何か火急の連絡があったら、それを使って。あたしの所に届くから」
フリエスは自身が付けている指輪を見せながら説明し、ルークも理解して指輪を指にはめた。
「フロンが見たら発狂しそうな光景だな」
セラの指摘する通り、フロンから受け取った指輪を他の男性に贈るなど、少々無神経とも言える行動であった。
「知らないわよ、そんなの。使い出はあるけど、一回使うと返品しないと使えないのは、なんというか使いにくいし、これ。あくまで緊急用。ルークさんが持っておいた方がいい」
実際、ルークはこれから再び単独行動で離れることになるし、再度合流するにしても連絡手段を持っておいた方がいいのは自明であった。
「では、これで失礼するよ。次に再会出来るのを楽しみにしているよ」
わりと素っ気ない挨拶を交わした後、四人は赤い旅装束の吟遊詩人が見えなくなるまでその場に留まった。
「これで、この国での騒動は一区切りといったところですね」
フィーヨは染々と呟いた。僅かに半月にも満たない滞在期間であるが、その間に色々とありすぎて、半年は駆け回っていたのではと感じていた。
「出会いと別れ、再会と旅立ち、ほんと、忙しかったわね」
フリエスは見えなくなったルークの姿を追って、まだ道を眺めていた。次に再会するときにはもう少し落ち着いているといいなと願った。
「で、これからどうするのだ?」
セラの質問も当然であった。騒動自体は終わったが、後始末が多少残っているし、これからの指針がまだ何も決まっていないからだ。
「まあ、優先事項としては、魔術師組合と冒険者組合への正式な報告でしょう。任務が大掛かりなものでしたし、まだ数日はかかるかと思います」
ラオの意見には全員が頷いた。ちゃんとした報告書を提出しておかねば、変に脚色されたり、妙な噂が真実になったりと、面倒なことになりかねないからだ。ちゃんとした報告をして、各組合のお墨付きを得た広報を出してもらわねばならないのだ。
(と言っても、ジョゴの暴走の件は伏せておいて、適当な作り話を用意しないとね)
さすがに仲間殺しの件を公にしては、部隊の看板に泥が付くことになるし、当人達の名誉のためにもそうせざるを得なかった。あくまで英雄として戦い、英霊となったとしておかねば、格好がつかないのだ。
(結局、レウマの一件と同じく、真実は伝わらずに消え行くものなのね。どっちにも手を貸してるあたしが言うのもなんだけど)
歴史は勝者が作るものであり、それをただ実践しているだけ。ただ、そう割り切れるものでないことも、フリエスは実感していた。ネイロウと色々と話した結果、伝わっている神話や伝説がデタラメの可能性が出てきており、すべてを最初から考え直さねばならないからだ。
(父さんも色々と考えているんでしょうけど、思考の前提条件が狂ってたってなったら、どんな顔するんだろうかな)
まあ、多分笑ってもう一度やり直すだろうとフリエスは思っていた。数々の実験やら検証を一緒に手掛けてきた身としては、失敗ややり直しなどよくある事であり、それで挫折するような心の持ち主ではないのだ。
「私としましては、“スラムドリン”について多少は調べておきたいですわね。偶然の一致であれば問題ありませんが、母と関係があると言うのであれば知っておきたいですわ」
フィーヨは魔王の覚醒というとんでもない手札を押し付けられたが、それでもネイロウから聞いた情報が気になって仕方がなかった。問題の場所に近付くつもりはなかったが、それでも知っておきたい気持ちは強かった。
「なら、図書館へ行きましょう。魔術師組合の支部には図書館が併設されてましたから、西大陸の史書を調べれば、何か分かるかもしれませんし」
「そうですわね。どのみち、魔術師組合には出向かねばなりませんし」
「僕も同行します。ルークさんが出向いた『金鉱国』について、少し予習をしておきたいです」
三人の行き先はこれで決定した。三人は頷き合って、明日にでも出向こうと取り決めた。
「なら、俺は冒険者組合の方へ顔を出すとしよう」
セラの言葉にフリエスは珍しいこともあるもんだと驚いた。
「昼間の人込みは避ける手合いなのに、珍しいこともあるもんね」
「情報収集。というか、次なる任務の目星をつけておく」
「益々もって珍しい。勤労意欲の守護霊がお目覚めなの?」
「かもな」
曖昧な返事ではあったが、多少はやる気になってくれたのはいいことであった。もっとも、また面倒事を押し付けられる可能性もあるので、油断はできないが。
こうして、数々の悲劇と活躍を生み出した、大陸中に響き渡った奇祭“不死者の祭典”に関わる騒動は終わりを告げる。新たなる旅立ちを見守るかのように、姿を現した太陽は四人を照らし出していた。
神様が狂っていようが、やはり太陽は眩しく、輝ける存在だとフリエスは改めて思い、そして、次なる一歩を踏み出していくのであった。
~ 第二章 完 ~
これにて第二部『雷神娘と不死者の祭典』は完結となります。
長らくのご愛読、恐縮でございました。
次なる第三部『雷神娘と天翔る白竜』をご期待ください。




