第三十一話 交換
机を挟み、睨みあうフリエスとネイロウ。しかし、睨みあうと言っても、睨みつけているのはフリエスが一方的に鋭い視線を突き刺しているだけで、ネイロウの方は余裕アリアリの穏やかな表情であった。
「どんな勝負か、何を目的としての勝負か?」
フリエスの放つ口調も警戒と威圧で満たされていた。とにかく、目の前の狂人相手であれば、どれほど警戒してもし過ぎることもないのだ。
「なぁに、勝負というほどのものでもない。いわば余興という感じのものよ。お互い、手札を見せ合って、それを交換する、というな」
ネイロウの言葉にはフリエスと違って、威圧も警戒もない。本当にこれから遊興にふけようか、という感じすら漂わせていた。
「・・・で、決まり事は?」
「お互いに相手に対して一つ質問をする。それに対して、絶対に正直に答えなくてはならない、というわけじゃ。悪い話ではあるまい?」
「つまり、情報の等価交換ってわけね」
「等価かどうかは、質問者と回答者の判断によるがな」
ネイロウの提案はフリエスにとって悪い話でもなかった。なにしろ、聞きたいことが山ほどあり、それに答えてくれるというのであるから、この機会を逃す手はない。
しかし、同時に相手の質問に答える必要もあるため、渡したくない情報も開示する可能性が出てくる。
もちろん、この話は互いに嘘を言わないという大前提が必要だが、目の前の男はまったく信用ならない。こちらが情報を開示しても、あちらが偽情報を掴ませてくる可能性もあるのだ。
「・・・、嘘はなし、よね?」
「その言葉はそっくり返そう」
当然、お互いが信用しているか、もしくは互いに利益を得る状態でなければ成立しない状況だ。
(セラか、フィーヨさんが欲しいところだわ)
セラが立会人であれば、嘘を吐き出せばどうなるか知れたものでないし、フィーヨは〈真実看破〉の術式を使うことができるので、嘘はすぐに見破れる。
「だからと言って、二人には話しにくい内容のことも聞ける、という状況でもあるのじゃぞ」
フリエスを見透かしたようにネイロウが述べ、机をコツンと指先で突いた。
「さあ、決めよ。意味のないお喋りで時間を潰すか、等価交換に応じるか、好きに選べ」
コツンコツンと、ネイロウが発する音が鳴り止まず、フリエスを苛立たせ、焦らせた。無為な時間を過ごすか、危険な賭けに出るか、判断の難しい内容だ。
少しの間、黙考した後、フリエスはもったいぶって口を開いた。
「質問は、あたしからしてもいいわね?」
「提案の受諾と判断しよう。さあ、愛しき娘よ、何でも質問するがいい。何でも答えるぞ」
相変わらず、苛立たせる物言いだが、フリエスはグッと堪えて第一の質問を繰り出した。
「かつて存在して『魔導国』の黎明期に存在していたとされる大魔術師イースターリーは、あんたと同一人物かしら?」
どんな質問がフリエスの口から飛び出すのか、待ち構えていたネイロウは最初目を丸くし、次いで笑いだした。
「おいおい、よいのか? 貴重な情報を引き出すための交換条件が、その程度の内容で」
「・・・、どうなのよ。答えて!」
「同一人物じゃよ。まあ、お主の推察通り、〈輸魂〉を使ってな」
やはりか、フリエスは自身の推察が当たっていたことに満足しつつ、それを顔に出さずに話を続けた。
「となると、『魔導国』が勃興したころから、肉体を交換し続けて、ずっとこの世界に存在していたってこと?」
「質問が二つになっとるぞ。まあ、この程度ならよいか」
ネイロウがパチンと指を鳴らすと、机の上に一枚の地図が現れた。それはフリエスが初めて目にすることになる“世界地図”であった。
「さて、これがワシが調べた限りの世界の形じゃ。〈輸魂〉を使って、肉体を交換することで実質的に老いから解放され、長い年月を費やして確認してきた」
「これが・・・、世界!」
フリエスとしては予想外の情報の大盤振る舞いに興奮を覚えた。未知なるものへの探求は、冒険者としては当然持っている心構えでもあるからだ。
まず、目が行くのが地図の中央に描かれた“大渦”だ。すべてを飲み込む存在とされ、東西大陸の中間に位置し、その航行を妨害していた。実際、渦に近付き過ぎると飲み込まれるため、現在の定期航路は渦の外縁ギリギリを通ることになっていた。渦の回転に乗れば、意外なほど早く航行できるため、実際の距離ほど移動時間を感じなかったことをフリエスは体験していた。
「炎の大陸と、氷の大陸が、・・・ないの?」
「あれは“現在”の人間が生み出した空想の産物。北に向かえば涼しくなり、南へ向かえば暑くなる。東大陸の環境からそうしたものの大元があるなどと考え、勝手にありもしない場所を生み出しただけよ。少なくとも、『魔導国』時代の調査ではそんな大陸は発見されておらん。果てしない大海原と、帰ってこない船や調査団がいくつかあった、そういう感じじゃ」
ここでもフリエスの常識が一つ崩れた。世界は四大陸と大渦によって形成されているものとばかり思っていたが、実際は東西大陸しか存在していなかったからだ。
「じゃあ、大渦から漏れ出し、南北の最果てに向かう海流は・・・」
「さてな。もしやすると、発見されていないだけで、何かがあるのかもしれんが、少なくとも『魔導国』時代から存在し続けるワシの知識の中においては、地図は空白のままじゃ。実際に生きて戻ってきた者はおらんからのう」
あるかもしれないが、生き証人がいない以上は空白のまま。調べてみたいが、そうかと言って『魔導国』時代の技術をもってしても到達できなかった世界の果て。今の技術では到底不可能であろうし、それこそ不死の存在に、不滅の船でも用意しなくてはならないだろうと、フリエスは考えた。
「なるほど。あんたが長い年月を生きてきたであろうことは肌で感じれたわ。最低でも『魔導国』の存在した時代からの生き残りだってのは分かった」
「それは重畳。では、次にこちらの質問に答えてもらおう」
さて、いよいよ来るかとフリエスは身構えた。緊張しているのは相手にも伝わっており、その光景をニヤニヤしながら見つめていた。今、部屋の中には心臓の音が聞こえてくるかのように静かだ。フリエスの方はバクバク活発に動き、一方のネイロウは普段と変わらない。あくまで自然体であった。
「では、ワシからの質問はこうじゃ。フリエス、“至高神”の名を言ってみろ」
激しく動いていた心臓がいきなり握り潰されたとか思うほどの衝撃を受けた。フリエスは平静を装っているが、明らかに雰囲気からばれてしまうであろう。
「な、なんでそんな“当たり前”のことを・・・」
「無論、“当たり前”が“当たり前”でなくなるからじゃ」
フリエスは察した。目の前の男はすでに質問の答えを知っている。知っているが、あえて尋ねてきたのだ。
(フィーヨさんに対してもだけど、こいつは“検査”ではなく、“確認”と言っていた。なら、目星は付いているということ。完全な確証を得ることが目的か!)
嘘をついてしまおうかと思ったが、それも無駄であるとフリエスは感じた。なにしろ、至高神の名前など常識の範疇であるし、雰囲気でバレてしまう。
「甘いのう、フリエス。こういう場合は、『はぁ? 何言ってんの、あんた。んなの、イアに決まってるじゃん』と“即答”しなくては世界を欺けんぞ」
実際、ネイロウの指摘した通りだ。相手を小馬鹿にしつつ、即答で応じていればごまかせたかもしれない。無駄な文言を挟んだ時点で、すくなくとも相手には“至高神の名はイアではない”と伝わってしまう。完全なフリエスの失策であった。
「ぐ・・・」
「さあ、答えよ。至高神の名は?」
「・・・ジェム、それが至高神の名よ」
フリエスにとっては一番知られたくない情報を吐き出してしまった。父トゥルマースに相談してから表に出そうと思っていた情報を、あろうことか一番知られたくない相手に真っ先に開示してしまったのだ。
「そうか、ジェムか。イアではなく、ジェムか!」
ネイロウは興奮してか、手を何度も叩き、机も何度も叩いた。推察が確証に変わった瞬間である。先程の言葉を借りるのであれば、“当たり前”が“当たり前”でなくなった瞬間に立ち会えたのだ。賢者と名の付く人間であれば、間違いなく心中が歓喜に満ち溢れていることだろう。
(やられた・・・。差し出した情報はたったの一言。でも、言葉の受け取り相手のことを考えると、とても等価交換とは言えない)
こうなっては仕方ない。フリエスは吹っ切れて、逆に攻勢に出ようと心を切り替えた。
「なら、次の質問いい?」
「ほほう。ここで折れずにあえて突っ込んでくるその姿勢や良し。トゥルマースの教育も、案外バカにはできんな」
「あのさっきの助手。ニーチェだっけ。あれはどういった意図で作ったの? せっかく手に入れた羽筆を移植までして作ったんだから、それなりの意図があるんでしょ? まして、わざわざあたしに似せて作るなんて、どう考えてもおかしい」
「強いて言えば、予備と言ったところだな」
またしても、聞き捨てならない気になる言葉が出てきた。
「それじゃあ、回答になってない。予備だって言うのなら、その意味やら役目やらを言いなさいよ!」
「ふむ・・・。そうさな、きっぱりと言い切ってしまえば、おぬしが使い物にならなくなった際に、あやつに引き継いでもらうということじゃ。ワシの計画では、おぬしに大いに働いてもらうつもりでいるから、それができそうになかった場合の予備というわけじゃ」
「働いてもらうって、何させるつもりよ!?」
「質問が増えとるぞ」
これ以上は別料金と、ネイロウは口を閉じてしまった。フリエスとしてはもっと切り込みたかったが、これに二枚も手札を切れないため、引き下がらざるを得なかった。
(あたしに何をさせるつもりなのよ! くっ、いいように転がされている感覚だわ。どうにかして、主導権を取り戻さないと)
フリエスは焦り、ネイロウはそれを見ながらにやつく。完全にしてやられて、挽回の目が見えなかった。
「さて、では次はワシの番じゃな。何を質問しようかのう。あ、そうじゃ、火口でセーグラと話していた内容を喋ってもらおうかのう」
フリエスはまたしても聞かれたくない質問が飛んできて、思わず舌打ちしてしまった。当然、ネイロウの耳にもそれは届き、益々楽し気に笑みを浮かべた。
「くそ・・・、なんでセーグラが来てたのに気付いたのよ!? しかも、私の中にいることまで」
「イコとかいう娘が死んでいるのにキビキビと動いておったからじゃよ。〈屍人化〉の可能性もあったが、〈運命の赤い糸〉が発動した段階でそれはないと考えた。そうなると、“神降ろし”しかあるまい。そして、決着がついた後、おぬしは僅かな時間であるが、なにやら独り言をつぶやいておるように見えた。そうなると、中に誰かを招いていると踏んで、その可能性のあるのは愛の女神だけというわけじゃ」
実際、その通りだ。ある程度観察されているのは分かっていたが、こうもじっくり見られているのは、思っていた以上にネイロウは注意深く、慎重で、情報収集に熱心だという表れであった。
フリエスとしては、今後は常に監視されていると判断しなくてはならなくなった。その上での行動を余儀なくされるということだ。
「女神と女神の会話の中身を話せだなんて、とんだ変態だわ」
「艶事の話であれば大歓迎なんじゃがな」
「んなわけないでしょ、変態め・・・」
フリエスは渋々ながらセーグラとの会話を話した。二柱で交わされた会話は、イコの事、ジョゴの事、ユエの事、といった具合の世間話から始まり、そして、神話に関する情報を開示した。
ネイロウは世間話の下りはニヤつきながら聞いていたが、神話のことになると真面目に聞き入り、特に神話の終焉の話にはなにやらブツブツと呟き、思考を進めているようであった。
「なるほどな。至高神、邪神、雷神は、“神”の記憶からも消えたり、書き換えられたりしていたわけか。結構結構」
ネイロウはまた更なる核心に迫る回答を得たらしく、満足そうに頷いた。
(またか・・・。父さんに相談しようと思っていたこと、全部抜かれそうな勢いだわ。でも、あれだけは絶対に聞きたいし、もう一歩踏み込まないとダメか)
フリエスはこれ以上の手札を晒したくなかったが、それでも絶対に尋ねておかねばならないことがあった。それは今後のためにも、特に父トゥルマースの判断材料としては絶対に拾っておきたい情報であった。
「次の質問。これで最後になると思う」
「フフフ、なお突っ込んでくるとは感心感心。で、何を尋ねたいのかのう?」
「邪神の名前を知っているなら教えて欲しい」
フリエスは父とやり取りした際、ネイロウが邪神の名前なり正体なりを知っているのではと聞いていた。ならば、ここで邪神の正体に迫っておかねばという判断だった。
(順番を間違えた。むしろ、これを最初に聞くべきだったわ。こいつの正体云々よりも、世界や神の成り立ちについて深掘りしといた方が有益だった)
今更に判断の悪さにフリエスは後悔したが、もうどうすることもできないので、追加で手札を晒す覚悟でさらに突っ込んだ。
「知っておるぞ。ある意味で、大爆笑な名前であるがな」
「それってどういう・・・」
「邪神の名前、それは“ジェム”じゃ」
回答を聞いたとき、フリエスはそれを理解できなかった。何かの冗談なのかと思ったが、そもそも嘘を付かない約束で、情報の交換を行っている。ここに至って、嘘や冗句で濁してきたかと考えたが、ネイロウからは今までにない真剣な面持ちでフリエスを見つめていた。とてもふざけている様にも見えず、雰囲気も真面目そのものだ。
「私がセーグラから聞いた至高神の名前はジェムだった」
「そうじゃな」
「私があんたから聞いた邪神の名前はジェムだった」
「そうじゃな」
「・・・どういうこと?」
現状、フリエスの頭の中には二種類の可能性がせめぎ合っていた。セーグラかネイロウのどちらかが嘘を言っているのか、あるいは全ての情報がデタラメなのか、どちらかではないか、と。
判断が付かず、フリエスが思い悩んでいると、いきなりネイロウはバァンと机を叩いた。あまりの音にフリエスの思考は中断され、少しビクつきながらネイロウを見ると、怒りを露わにした表情でフリエスを見ていた。
いつもの人を小馬鹿にしたり、愉悦に浸るような表情は完全に消えている。怒り、あるいは苛立ちが前面に出てきており、その表情を見るのはこれで二度目だ。
(この顔は・・・、そう、アルコに化けてた時に、フロンさんに対して怒っていたときのそれだ)
フロンとの逃亡中、一行の中にはアルコに成りすましていたネイロウが紛れていた。酒場にて判断に悩むフロンに対して、アルコが向けた怒りがまさに今のネイロウから放たれていた。
「この愚か者めが! レウマで何を見てきた!?」
「レウマってことは・・・、フロンさんのこと?」
「あれほど分かりやすい答えが目の前にありながら、なぜパパっと答えを導き出せぬのか」
怒り半分呆れ半分、フリエスにはネイロウの言葉をそう受け取った。
「レウマでの騒動は裏も表もすべて見聞きしたであろう。フリエスよ、フロンは何をしたかしっかりと思い出してみよ」
「フロンさんがしたこと・・・。フロンさんは基本的にあたしらに付いてきていただけだしなぁ。まあ、決断自体はフロンさんのだけど。活躍っていうなら、騒動の閉めをあちこち駆けまわって、どうにか収めたってところか」
「ほれ、今、答えを口にしたぞ」
そう言われたので、フリエスは自分の言葉を何度も頭の中で繰り返した。答えはそこにある。ネイロウの言葉を頭に浮かべながら、何を指して答えと言うのか、それを思案した。
そして、ある結論にたどり着く。“ジェム”という名の邪神と至高神。それにフロンの行動を照らし合わせて、合致する点をようやく見出だしたのだ。
「表向きは誠実な調停者、裏では悪辣な策士、フロンさんは二つの仮面を状況に応じて使い分けた。自身は誠実を装いつつ、本来受けねばならない悪評や罪過を他人に押し付けた。つまり、フロンさんがやったのは善悪の“一人二役”!」
「なんとも滑稽なことよな。英雄と悪役が実は同一存在でした、とくれば笑うしかあるまいて」
とんでもない話であった。世界を破壊したのが邪神、世界を救ったのが至高神、その二柱が同一存在でしたとなると、茶番もいいところだ。世界全てが舞台の喜劇を見せつけられた気分になってきた。
神話も伝説もすべてがデタラメ。
「か、確証は!? それを示す証拠は!?」
「ないぞ。今のはワシの立てた仮説。少なくとも、“現段階”におけるワシの考えを披露したにすぎん。嘘は言わない約束であるから、その点は間違いない。今のワシはそう考えている、というだけの話じゃ。信じる信じないはおぬし次第よ」
嘘か真かも分からぬネイロウの言葉。だが、恐ろしいほどの説得力を感じ、フリエスは呆然とネイロウを眺めた。
(ダメだ・・・。思考が全然追いつかない。どれだけ考えても、確証を得ることどころか、自分なりの仮説を立てることすらできない。ああ、もう! なんなのよ、これは。こいつにしろ、父さんにしろ、ガチの“賢者”って、こういう視点で世界を眺めてるの!?)
フリエスは自身の思考の浅さを徹底的に指摘された気分であった。あまりにも、立っている次元が違い過ぎるからだ。
「なら、イアっていう“至高神”の存在意義は何!?」
「またしても質問が増えとるぞ。とことん、図々しい奴よ。まあ、そこらは養父に似たのであろうが、愛娘にせがまれては、嫌ですとは言えんのう」
もうフリエスには怒る気もなくなっていた。とにかく、長い時を存在し続けてきた目の前の賢者の言葉を聞かねばならないと、必死で神経を集中させた。
「イアというのは、それこそ“仮面”の役割なのだろう。ジェムというのが本体で、それを隠すための偽りの存在、というのがワシの考え」
「つまり、本体はあくまでジェム。その存在は長い時間の流れの中で徐々に消していき、無名の邪神という存在だけが残った。そして、イアという別の存在を作り出した。偽りの光を表に出し、闇に潜む本体を消し去った」
自分で話していることがあまりにも衝撃的で、フリエスは意識が遠のいていく感覚すら覚えた。この世界そのものがデタラメ、偽りであり、今まで自分がしてきたことすら茶番であったかもしれないからだ。
到底、認められるものではない。
だからといって、ネイロウの考えを否定できる材料を持っていないのも事実だ。確たる証拠はないが、それゆえの“検査”や“聴取”なのだろう。ネイロウは自身の仮説を証明するため、フリエスやフィーヨの持つ“情報”を得ようとして、それによって仮説が正しいかどうかを調べているのだ。
学者、賢者としては実に正しい姿勢と言わざるを得ない。
「混乱しておるようじゃが、すでにおぬしも“沼”にはまっており、抜け出すことはできない。抜け出すそうとすれば、世界そのものに反逆せねばなるまい。そう、魔王の言葉を借りるのであれば、《神々への反逆者》としてな」
そう指摘されて、フリエスはふとセラの姿が頭に浮かんできた。セラは神という存在をとことん嫌っており、いずれぶっ飛ばすと常々それを言動で示してきた。ネイロウの話を聞いた今となっては、それがまた違った感覚で見ることができる。
「セラは・・・、セラは知っていたの!?」
「あるいはな。あやつは賢者ではないゆえ、深い思考をする性格ではない。だが、他の追随を許さぬ優れた嗅覚や直感がある。つまり、思考ではなく、直感で世界の根幹に気付いたのかもしれん。ハハッ、随分とふざけた話よな。こちらが必至で考えておる世界の理を、ふとした思い付きで閃くのじゃから」
ネイロウは苛立った感じで言葉にしたが、同時に愉快に笑っている様にもフリエスには感じた。
「わしとセラとでは、ワシの方が世界の根幹に近付いていると思っておるが、歯車が嚙み合った瞬間にどこまでも突き進むことができるのも、セラの強みではないかな。動きは鈍いが、動き出したら誰よりも早く、目的地にたどり着く。わしが亀なら、あやつは兎じゃな」
「兎と亀ねぇ。取り返しのつかない場面になる前に、走り出してほしいんだけど」
「まさにその通りじゃな。まあ、飼犬のやる気を出させるのは主人の役目だぞ。せいぜい励むがいい」
そうは言われても、セラがとことん気分屋であることは、長く連れ添ってきたフリエスがよく知っていることであった。魔王を動かすのには、魔王の興が乗らないとダメ。いかに乗せるか、それは思案の必要な案件だ。
「世界の理に近いのは、ワシ、トゥルマース、ミリィエの三名じゃろう。わしは長い年月の内に培われた知識をもって、トゥルマースはムドール家の秘術や知識をもって、ミリィエはかつての魔王の知識や技術をもって、それぞれ根幹に近付いている。あとはセラくらいか。もっとも、前三名が思考を進めていくのに対して、セラは直感で閃いてくるからのう。腹立たしいが、同時に愉快な存在じゃ」
「じゃあ、前にセラと戦うとかどうとか言っていたのは何?」
「ワシ自身は戦うつもりなどないが、あやつが突っかかってくる可能性があるからのう。あやつの気に入らないやり方を通さねばならない場面が出た場合、ぶつかり合う可能性がある。そうなったら、全身全霊で応えねばなるまい。こちらがやる気があろうがなかろうが、仕掛けてくる相手がいるならば戦は起こるものじゃ」
セラの性格ならば、そういう場面も十分にありえるとフリエスは納得した。とにかく気分屋で、自分のやりたいようになるのがセラという存在だ。実力的には頼りになるが、性格上は爆弾そのもの。扱いを間違えば、まとめて吹き飛ばされかねない面倒極まる人物であるからだ。
「さて、今度はこちらからの質問じゃが・・・」
「あ、覚えてたんだ」
「当たり前じゃ。はてさて、何を聞こうかのう」
ネイロウは顎に手を当て、何やら色々と考え始めた。そして、邪な考えが浮かんだのか、ニヤリといやらしい笑みを浮かべ、フリエスを見つめた。
「フリエスよ、セラと夫婦になるつもりはないか?」
「・・・は?」
今日一番の間の抜けた声であり、一番の困惑がフリエスに襲い掛かった。こいつは何を言っているんだと、頭の処理が追い付かない状態になった。
「いやいやいやいやいや、突拍子もないことを言ってんじゃないわよ! てか、それが質問!?」
「そうじゃよ。さあ、約に従い、嘘偽りなく答えよ」
フリエスの困惑に拍車がかかった。目の前の狂人がどういう意図によってこういう質問をしてきたのか、まるで見えてこないからだ。
「あんたまで、セーグラみたいに面白半分にからかってるの!?」
「ワシはいつでも大真面目じゃと言うたであろう」
「今の質問から、どう判断すればそうなるのよ!?」
少なくとも、場の重々しい雰囲気は完全に吹き飛んでしまった。真面目に話していたかと思えば、いきなりの恋話である。フリエスは大真面目という台詞の意味を、目の前の男に大真面目に聞きたくなってきた。
そして、深くため息を吐いてから答えた。
「あるわけないでしょ。あたしとあいつはあくまで主人と飼犬。それ以上になるつもりはないし、なりたくもない。最近は多少頼りにはできるようになったけど、全幅の信頼をおけるようなやつじゃないし、夫婦だの伴侶だのと考える気にもなってないわよ」
「そうかそうか。なら結構」
「結構なの!?」
ますます質問の意味が分からなくなってきた。
「まあ、あれよ。純粋な学術的好奇心。前にも言ったが、種族による限界を超えようとすれば、混血が一つの答えじゃとな。ならば、女神と魔王が交配したらどういう存在が生み出されるのか、とても興味があるのじゃ」
「女神と魔王の交配て・・・。興味本位でやることなの、それ!?」
純粋種よりも混血種の方が突然変異的に強力な存在が生まれることを、フリエスは間近で見てきた。イコやジョゴがまさに半吸血鬼であり、その強力な能力には驚いたものだ。なにより、セラ自身も人族、人狼族、吸血鬼の三種混血の存在であり、それらが理想的に組み合わさって魔王を称するまでに強くなったのだ。
そういう意味では、強力な混血児を生み出すために、ある種の交配を行ってみるのも手ではあった。もっとも、だからと言って女神と魔王が引っ付くのもどうかと考えさえられた。
(やっぱり、こいつ、狂ってるわ)
発想自体がおかしい。フリエスはそう思わざるを得なかった。
「あ、そうじゃ。おぬしの血肉の情報は持っておるから、あとはセラに頼み込んで血肉を分けてもらえばいいではないか。人造人間を造った技術を応用して、人体錬成による強制混合を行えば、女神と魔王の混血児を作れるのう」
「やめて・・・。それだけは絶対にやめて!」
本気でやりそうという不安があったので、フリエスは全力で釘を刺した。自身の与り知らぬところで子供を作られていたなど、考えただけで寒気がしてきたのだ。まして、その相方がセラというのも、複雑極まる心境を生み出していた。
フリエスが恐るべき未来に対して怯えていると、不意に扉が叩かれた。
「ニーチェです。フィーヨ様の検査、終わりました」
扉の向こうから助手の声が部屋の中へと飛び込んできた。
「うむ、ご苦労じゃった。入ってこい」
主人の許しを得て、助手は扉を開けて部屋の中に入ってきた。それに続いて、フィーヨも部屋に入ってきた。
フィーヨの姿はどこも変化がない。二匹の蛇も警戒はしているが、いつもと同じだ。本当に検査だけだったようだ。
フリエスはフィーヨの無事を喜びつつ、改めて警戒を強めた。ネイロウがこのまますんなり返すとは思えず、フィーヨを交えて第二回戦を始めると踏んだからだ。
先程はめちゃくちゃにされたが、場の雰囲気は再び緊張を帯び始めていた。
~ 第三十二話に続く ~




