第五話 魔術師アルコ
大地を照らし、生きとし生けるものすべてを包み込む。それは森の中にも注ぎ込まれ、木漏れ日が優しく差し込む。その光と闇の混在する森の中を、四人の男女が進んでいる。
『酒造国』レウマにおいて、現在何者かによる攻撃により大混乱に陥っていた。鉄の巨人たるゴーレム軍団を率いる仮面の剣士が現れ、国の重臣一同が次々と殺害される事態となった。その騒動をどうにか逃れたフロンは一路、師のいる山村を目指していた。
フロンはレウマ国の重臣たる十二伯爵家のうち、トゥーレグ伯爵家の当主コレチェロの弟で、兄が騒動の最中に仮面の剣士に殺され、現在は暫定的ながら伯爵家を引き継ぐこととなった。
追っ手に追い回され、危うく捕まるところであったが、運よく旅の三人組に助けられ、そのまま彼らを護衛として雇い、共に旅をすることとなった。三人は最近往来が可能となった東の大陸よりの来訪者であり、冒険者であった。
フリエスは巻き癖のある金色の髪を持ち、木漏れ日の光を浴びてキラキラと輝いていた。意志の強さを秘めた金色の瞳は前を見据え、力強く大地を踏みしめて道なき道を進んでいく。電撃系を得意とする凄腕の魔術師であり、追っ手の集団を一撃で屠るほどだ。見た目は痩せめの少女に見えるのだが、これでも三十路に突入している大人の女性である。雷神の力を降ろした際に時間が止まってしまい、その時のままの姿をしている。その姿も相まって、東大陸の大戦において《小さな雷神》の二つ名で呼ばれていた。
なお、現在、フリエスは裸である。外套で覆っているが、その中身は素っ裸である。昨夜、旅仲間のセラと男女の情事に及んだ際に服を破られてしまい、やむなくこの姿となった。
そのセラは集団の先頭を歩いている。短めの灰色の髪が微かに吹き抜ける風になびく。何を考えているか分かりにくい無表情で、ただ灰色の眼だけはしっかりと前を向いている。かなりの長身であるが、顔立ちは極めて端正で、もう少し愛想よくできれば、道行く女性の誰もが振り向くであろう美男子だ。
その彼は人族、人狼族、吸血鬼の三種族の混血児であり、《十三番目の魔王》を自称している。実際、それにふさわしい実力の持ち主であるが、魔族でありながら邪神に帰依することなく自由にふるまっており、それゆえに満月の夜には邪神の呪いにより暴走するという面倒な状態になっている。昨夜も暴走によって、旅仲間であるフリエスに襲い掛かってしまったが、毎度のことなのでどちらも気にしていない。
最後の一人フィーヨは癖のない真っすぐな黒髪の持ち主で、前を見る瞳もまた黒である。胸元にある鷹頭と車輪とあしらった首飾りは、軍神マルヴァンスに帰依したる者の証である。旅装束という。地味な装いだが、隠しきれない美貌と気品が溢れており、ちゃんとした格好をすれば貴族の淑女と言っても通用するであろう。実際、彼女は東の大陸において皇帝として一国を統治していたこともあった。数々の善政を敷き、領民からは《慈愛帝》と呼ばれ、非常に敬愛されていた。
現在、フィーヨは自分の子供に帝位を譲っており、自由気ままに方々を旅していたのだが、フリエスが西の大陸へ白鳥の手紙を届ける依頼を受けたのを聞き、それに同行することにしたのだ。なお、その手紙は手違いにより消し炭となり果てた。
そして、四人は現在、フロンの師であるアルコのいる山村のすぐ近くの森まで来ていた。しかし、そこで足が止まる。セラが木に登り、少し遠めながらも村の様子を眺めると、田舎の山村には不釣り合いな連中の姿を確認できた。完全武装の騎兵が数騎である。
定期的な巡察の可能性も捨てきれなかったが、それにしては周囲への警戒が異様に厳しく、村人たちも怪訝な表情で遠巻きに眺めている様子だ。
「てな感じだが、どうするんだ?」
セラが見たままのことを他の顔ぶれに告げると、フロンの表情を険しくなった。その状況では相手に先を越されたのは間違いなく、師であるアルコの身の上が心配になったからだ。
「捕まったか、逃げたか、確認しなくては」
フロンは慌てて村の方へと進もうとしたが、それはフリエスに腕を掴まれ止められる。
「というのを待ってる可能性が高いわよ。どう考えても待ち伏せだわ」
「しかし、師の安否が分からないことにはどうしようもありません。逃げたのならそれでよいですが、捕まっている場合は助けなくてはいけません!」
フロンの焦りが嫌というほど他の三人に伝わってきた。フロンの師への信頼感や敬意はこの二日間の間にその語り口調から容易に想像できた。危機に陥っているとなれば、我が身を顧みずに突っ込んでいきそうな勢いだ。
「まあまあ、フロンさん、落ち着いてください。様子はあたしが見てきますので、ここで待機しといてください」
「むう・・・、分かった。あなたにお任せしよう。して、どのようにして探る?」
「もちろん、正面から堂々と、ね」
そう言うなり、フリエスは森の中を駆け出した。
素早く気づかれることなく、村の外縁まで到着し、物陰から村の様子を眺めた。
この山村は人口百人にも満たない小さな村だ。村の中央を小川が流れ、それを挟み込むように家屋と畑が点在している。何かの神を祀る祠も見られる。畑と森の恵みによって成り立っているどこにでもあるような村だ。
それだけに、物々しく武装した騎兵はのどかな田園風景には不似合いだ。
フリエスは村人にも注意しながら辺りを物色し、干してあった服に手を伸ばした。まだ少し湿り気があったが、この際文句を言ってられないので素早く着込んだ。代わりに、物干しには銀貨十枚の入った小袋をかけ、服の代金としておいた。服の代金としては高額であったが、こうした謙虚な気配りができてこその英雄であると、フリエスは考えていた。
そして、堂々と村の中を進んだ。村人達は遠巻きに騎兵らを眺めながら畑仕事を行っているので、見慣れぬフリエスに声をかける者はいない。周囲を警戒している連中も、村娘の一人くらいにしか思っていないので、村の道を進むフリエスを気にもしない。
こうして誰からも邪魔されることなく、フリエスはフロンより聞いていたアルコの家の近くに到着した。さすがに元宮廷魔術師ということもあってか、かなり立派な家であった。そこまで高くないが壁でぐるりと囲われており、母屋も周りの家屋よりも大きい。馬屋や倉庫もあるようで、いかにも地元の名士然とした佇まいの屋敷だ。
そんな屋敷にフリエスは自然に近づき、入り口の前に立っていた騎士に話しかけた。
「あの・・・、すいません、アルコ先生は御在宅でしょうか?」
「なんだぁ、お前は?」
「隣村の者です。母の具合が悪かったので、アルコ先生に薬をお願いしていたんですが」
見慣れぬ騎士に少し怯える村娘を演じながら、ありそうな話を口から出していくフリエスであったが、ビクつく態度とは裏腹に神経を尖らせて家の中の気配を探った。
(馬は四頭。門の前に二人。中には・・・、二人か。荒らされたり、争った様子もない。てことは、先生はお留守ね。上手く逃げたか、察して離れたか・・・。まあ、捕まってないみたいだし、さっさと戻りますか)
などと考察しつつ、気弱そうな村娘の演技は続け、怪しいそぶりは一切見せなかった。
「残念だが、先生は不在だ。分かったら帰れ」
「そうですか。母さんの薬、どうしよう・・・」
フリエスは弱った感じを見せつつ、屋敷から離れた。
村の道を元来た通りに進みんでいると、ふと家屋の屋根の上に停まっていたカラスと目が合った。だが、すぐに目を離しそのまま歩き続ける。
(あれ、使い魔だわ)
フリエスは気づいていないふりをしながら、警戒の度合いを高めていった。誰かがこっそり村を見張っているのだ。姿の見えないアルコか、あるいは仮面の剣士か、とにかく正体がばれないように振舞わなくてはならない。
そんなフリエスの考えを読まれでもしたのか、カラスがフリエスに向かってカァ~と一鳴きしてから飛び去って行った。
ばれたかどうか判断の難しいところであったが、とにかく急いで合流しようと、フリエスは少し早足で進み、村の外に出た。しばらく道なりに進んだが、誰からもつけられたり、見張られていないかを確認した後、すぐに森の中へと飛び込んだ。
そして、森の中を駆け出し、三人が待機している場所へと急いだ。
元の場所に戻ると、フロンが落ち着かない様子でウロウロと行ったり来たりしていたが、フリエスが戻ってくると、急いで彼女に駆け寄った。
「フリエス殿、師はどうだった? 村は無事か?」
フロンは必死でフリエスに問いかけた。フリエスは宥めながらそれに答える。
「アルコ先生はいなかった。捕まった様子もなかった。家探しはされてたけど、争った形跡もなかった。村は平穏無事よ。みんな遠巻きに眺めてただけ。村にいた捕り手は騎兵で七人ね。屋敷に四人、周囲の警戒に三人」
「老人一人の捕り物に、騎兵を七騎とは大げさね。まあ、それだけの大物なのでしょうけど。捕まってなかったのは幸いですわ」
フィーヨは安堵の息を漏らし、フロンもひとまずは安心できた。捕まってしまっていては、危険を承知で助けねばならなかったし、人質としてこちらをおびき出すくらいはやってくるであろうからだ。
「あとね、誰かが使い魔を使って、村の監視をしていたわ」
フリエスの言葉を聞き、一同に緊張が走る。一体誰が使役するの使い魔か、と。
「先生のかもしれませんね。危機を察して村を離れ、それから使い魔を放って、状況の確認を行っている。きっとこれでしょう」
「その可能性もあるが、軽々に判断はできまい。どっち側のか分からんのだ。どっちからも監視されていると思っておいた方がいい」
はやるフロンであったが、セラはどこまでも慎重であった。
「で、使い魔はどっちに飛んでった?」
「えっと、あっちかな。山の北側から北東側の辺り」
フリエスの言葉の後、視線がフロンに集中する。この辺りの地理を知っているのは、村を幾度も訪問したことのある弟子のフロンだけだからだ。
フロンはしばらく考えだすと、すぐ近くに立ち寄りそうな場所があったのを思い出した。
「そうだ。その辺りには、たしか狩猟小屋がありますな。普段は村の猟師が使ったりしているのですが、師も薬草採取の際に使用することがあると聞いています。場所は村の者か、師から話を聞いている者くらいしか知りませんので、一時的に非難するにはよい場所かと」
「なるほど。なら、そこ行ってみましょう。どうせ老人一人がそこまで遠くに行けるとも思えないし、近場で避難できる場所があるなら、きっとそこにいるわ」
フリエスの言葉にフィーヨも頷いた。フロンの話ではアルコは齢八十を超える老体だ。それが追っ手の追撃を逃れつつ、身を隠しながら別の村や町まで移動するとは思えなかった。もっとも、転移系の術式を使えるほどの魔術師ならば、話が変わってくるが。
ともかくそこへ向かってみようと、一同は周囲を警戒しながら狩猟小屋を目指して歩き始めた。
***
フロンの記憶を辿って森を進み、そして、森の中で少し開けた場所に一軒の小屋を見つけた。村で見た家屋とそう変わらない大きさであったが、獲物を解体するのに使うであろう作業台や、その他道具類も見られることから猟師小屋であることが伝わってくる。
付近を警戒しながら小屋に近づくと、何かが体を突き抜けるような違和感を感じた。ほんのわずかな違和感で、警戒していなければ風のささやき程度にしか思わないほどの軽く触れられた感覚だ。
先頭を歩いていたセラは気づいてはいてもお構いなしに進んでいくが、フリエスは違和感を感じたその場で歩みを止め、フロンに止まるよう手で合図を送った。フィーヨも感じ取ったので、こちらも足を止める。
「フィーヨさん、気付きました?」
「ええ。なにかしらの、探知系の魔術ね。魔力の流れを逆探知しますと、小屋を中心にして、森の広場全体に陣を敷いていますわね。となると、中に誰かいます」
そんな二人のやり取りを聞き、フロンは師のいるであろう小屋に進もうとするが、二人はそれを制止する。小屋の中身がまだ分からないからだ。
さらに注意深く観察していると、屋根の上には先程のカラスが止まっているのを確認できた。つまり、使い魔の使役者がいるということでもある。
待ち伏せを考慮し、セラだけが小屋に歩み寄るのはそのためだ。番犬はこういう時のために使ってこそだ。
「おおい、アルコ先生とやらはいるか? 弟子のフロンが尋ねてきたぞ」
セラが小屋の中にもちゃんと届くよう、大きな声で呼びかけた。もっとも、探知系術式で探っていた以上、中にいればすでに気付いているであろうが。
そして、すぐにその結果が現れた。小屋の扉が開き、中から老人が姿を見せる。何かしらの古木で作られた持ち主の背丈と変わらぬくらいの大きな杖に、焦げ茶色の長衣を身に着けた、いかにもといった感じの魔術師の装束だ。髪はすっかりと白一色となってはいるが、その密度は薄れておらず、背筋も真っすぐであることから、齢八十とは思えない若々しさすら感じさせた。
「おやおや、教えを乞う子らが老いぼれを訪ねて、こんなド田舎まで来おったわ」
老人がにこやかな笑顔と共に、腕を大きく広げて歓迎の意を示した。屋根の上のカラスも飛び降りてきて、アルコの肩に停まる。やはり使い魔の主はこの老人のようだ。
「おお、アルコ師よ、ご無事で何より。お屋敷が押さえられ、姿も見えなかったので、気を揉んでおりました!」
フロンがアルコに歩み寄り、その手をしっかりと握った。安堵と興奮の入り混じった表情で、その喜びようが伝わってくる。
「見慣れん連中が馬で街道を突っ走ってくるのが、使い魔を通して見えてのう。念のために、家から離れてみたら、あの有様よ。忙しないことじゃ」
「さすがは我が師! 迅速に動かれて何よりでした」
「うむ。何か色々とあったようじゃが・・・」
アルコは見慣れぬ三人組に視線を移すが、そのうち女性二人が妙に緊張していた。
フリエスは言い表すことのできない何かを、目の前の老人から感じていた。あえて言葉にするのであれば、“拒絶”だ。とにかくこの老人とは一緒にいたくないという思いが、魂の底から湧いて出てくる感覚だ。
(なぜ? どうして? 何かがおかしい、この老人は)
フリエスはちらりとフィーヨに視線を向けると、彼女も似たような感覚に襲われているのか、普段漂わせている余裕さがまったくない。魂の底から湧いて出る疑念と苦痛が、呼吸を荒くしていた。
二人とも互いが言い知れぬ不安に襲われているのが分かると、そこからは早かった。
「軍神マルヴァンスよ、我に加護あれ。真なる姿を現す聖なる光を降ろしたまえ」
「混沌の海より現れ、万物に流転せし魔力よ、その姿を我が前に現せ」
「お二人とも!?」
いきなりアルコに向かって術式をぶつけようとするフリエスとフィーヨに対して、フロンは慌てて止めようとするが術式が発動する方が速かった。眩い光が二人から放たれると、それがアルコを包み込んだ。アルコの方はというと、特に抵抗するそぶりも見せず、やれやれと言わんばかりのため息をひとつ吐いてからなすがままに身を任せた。
「安心しろ。探知系ないし解除の術式だ。害はない」
セラの言葉にフロンは取りあえずは安心したが、初対面の相手に許可なくいきなり術式を使うのはさすがに無礼すぎると思った。まあ、自分も経験がないわけでもないので、この二人がとにかく慎重すぎるのだとフロンは自分を納得させた。
まず、フィーヨが使ったのは、姿を元に戻す神の奇跡〈変身解除〉だ。つまり、フィーヨが疑ったのは、誰かがアルコの姿を借りて、こちらの隙を突いてくるのでは、という疑いだ。幻術でごまかしたり、あるいは魔族の中には変身能力を持つ者もいるので、外見だけで相手が“本物”であると判断するのは危険であった。
かつての大戦で、フィーヨの伴侶たる《天空の騎士》ルイングラムがとんでもない幻術を使う悪魔を相手に命を落としかけたと語っており、幻術の恐ろしさをよく認識していた。
次に、フリエスが使ったのは術式を使った痕跡を探る〈魔力探知〉だ。フリエスが疑ったのは目の前のアルコは“本物”で、誰かに操られているという可能性だ。〈魅了〉や〈傀儡〉などで精神を支配され、油断したところで仕掛けてくる策だ。ありきたりだが、ありきたりになるほど多用されているということでもある。
もし、術式で操られているとすれば、必ず何らかの魔力の痕跡が残るものだ。もちろん偽装することもできるが、それでも細かな痕跡は残る。フリエスはそれを探っていた。
二人がしっかりとアルコを調べつくし、その結果が出る。
「「白!」」
二人は同時に叫んだ。徹底的に調べつくし、文句のつけようのない白となった。
フィーヨの使った〈変身解除〉にアルコは無反応であった。もちろん、解除の術式に魔力を活性化させて抵抗する術もあるが、姿も魔力も抵抗の兆候すら見せない。つまり、今、見えているアルコの姿は“本物”で間違いなかった。
フリエスの〈魔力探知〉によってアルコは色々と暴かれたが、そのどれもがフリエスの求める回答ではなかった。
まず分かったのは、アルコが膨大な魔力の持ち主であったということだ。もしかすると、フリエスの養父で東大陸最高の魔術師である《全てを知る者》トゥルマースに匹敵するかもしれない、と思わせるほどの魔力量だ。少なくとも、こんな田舎でのんびりしている隠居の魔術師とは思えなかった。
次に、魔力の痕跡だが、フリエスがどれだけ探っても見えなかった。見えているのは、肩に停まっている使い魔のカラスとの魔力と意識の糸が繋がっているだけで、何らかの術式の影響下にあるようには見えなかった。
実はカラスが高位の悪魔か何かで、アルコを操っているかとも疑ったが、カラスは本当にただのカラスで、アルコの影響下にあることは間違いなかった。
結果、目の前の老魔術師は、“本物”のアルコで確定した。
(本物だったのはよしとしましょう。じゃあ、さっきの拒絶感は何? この膨大な魔力量に無意識化で反応したから? それとも何かもっと別の・・・)
どれだけ思考しても、明確な答えは見えてこなかった。結局、アルコはすごい魔術師です、というフロンが喜びそうな文言を得ただけに終わった。
「それでお嬢さん方、気は済みましたかな?」
特に気分を害されたという様子もなく、アルコは穏やかに二人に視線を向けた。無許可で術式による検査をしたのであるから、無礼をなじるくらいはしてもよいのだが、この老魔術師は寛容という他ない。
これには、さすがにフリエスもフィーヨも自分達の軽率さを恥じた。
「老壮にして英知溢れる魔術師殿、アルコ師よ、数々の無礼の段、どうかご容赦を。フロン様より色々とご高名を聞かされてはおりましたが、面倒事が立て続けに起こった次第で、度過ぎて慎重になり、疑い深くなりすぎておりました。許可も得ず、術式を用い、いらぬ疑念を抱きましたること、深く謝罪させていただきます」
すらすらとフィーヨは謝罪の弁を述べ、深々と頭を下げる。フリエスもそれに倣い、頭を下げる。こういう口上は礼儀作法を仕込まれているフィーヨに任せておいた方がいいと、フリエスは口を紡いだ。
だが、そんな恐縮する二人に、アルコは笑って応じた。
「いやいや、構わんて。色々と大変なことが起こったことは察しが付くわ。片田舎で隠居しとるワシにまで兵を向けて来るんじゃ。余程のことであろう?」
「はい。我が身の非力、浅学を恥じ入るばかりです。師には迷惑かもしれませんが、何卒、何卒、そのお知恵をお借りしたいのです!」
今度はフロンがアルコに向かって頭を下げた。まだ何が起こったかは伝えてはいないが、とにかく熱意や危機的状況はアルコに伝わった。
なんとも、ぎこちない妙な雰囲気になりつつあったが、そんな空気などお構いなしな人物が一人だけいた。セラである。セラはアルコに歩み寄り、ぶつかるような間近まで顔を近づけ、じっと顔を眺めた。
「なあ、爺さん、あんた、移送系の術式は使えるかい?」
セラから飛び出した言葉の意味するところは、全員がすぐに理解した。これは質問などではなく、事件の容疑者に対する尋問、であると。
「セラ殿、それは!」
「うむ、使えるぞ」
焦るフロンを横目に、アルコはすんなりと答えた。予想通りの返答にセラはニヤリと笑い、さらなる質問を浴びせた。
「では、ゴーレム作りはできるかい?」
「セラ殿、いい加減に・・・」
「それもできるぞ」
これまたあっさりとアルコの口から答えが放たれる。
「よし、これで犯人が分かったな!」
単純なる答え。移送系の術式、ゴーレム、例の事件を引き起こせる条件は満たしている。
レウマ国重臣一同を次々と殺害したあの殺戮劇を引き起こした仮面の剣士は、多数のゴーレムをいきなり出現させた。これは移送系の術式を利用したと考えていた。
そして、強力なゴーレムを複数用意できる財力と魔力。これらが揃わなくては、あの奇襲を成功させることはできない。
セラの二つの質問はそれを聞くためだ。
ともあれ、アルコの回答はあの事件を引き起こせることのできる人物だと、アルコ自身の口から飛び出したことになる。だが、犯人だとしてもすんなり答えるだろうか、一同にはそこが大いに引っかかるところだ。
「セラ殿、聞き捨てなりませんぞ! 師を犯人呼ばわりするなど!」
「落ち着かんか、馬鹿者」
セラに飛び掛からん勢いで詰め寄るフロンに対し、アルコは杖でコンッと軽く頭を叩いた。そして、老魔術師はセラをかばうようにフロンとの間に割って入った。
「フロンよ、この御三方の方が正しいぞ。疑う、という行動はとても自然な行動であり、謎を解き明かす原動力となる。目で見えたからといって、真実であるなどとは思うな。嘘という名の薄布一枚の向こうに真実が隠されているなど往々にしてあるものよ。師の言葉とて盲信するな。師の教えを尊重するのはいいが、師に忠実すぎる弟子はいつまでも師の背中を追いかけることになる。師への反逆なくして、師を超える存在にはなれんぞ。時には、師であっても疑え」
アルコに窘められ、フロンは恐縮してしまった。隠居の身とはいえ、師はどこまでも師として自分を導いてくれる。目の前の老人にはどこまでも頭の下がる想いであった。
で、あればこそ師を犯人であるなどとは、フロンにはどうしても思えなかった。
「さてさて、御三方よ、移送系の術式を使えて、ゴーレムも作れる、このおいぼれをいかがする?」
アルコは三人にそれぞれ視線を向け、答えを待った。
フリエスは必至で答えを考えた。探知系術式で調べた結果は白だ。だが、それはあくまで目の前の老人が本物のアルコであるということの証明でしかない。アルコが事件に関わっていないという意味ではない。
だが、ああもすんなり情報を開示する理由はなんなのか?
そもそも、事件に加担したとして、動機はなんだ?
フリエスは全力で頭を動かし、それを推察した。
(富、名声、権力・・・。ん~、どれもすでにあるか簡単に手に入る。ゴーレム軍団を作る手間を考えると割に合わない。となると、やはり別の何か・・・)
フリエスは思考を巡らせども、答えを導き出すことができない。情報が少なすぎる上に、目の前の老人が一切怪しいそぶりをみせないからだ。先程の探知にしてもなすがままだ。せめて仮面の剣士と結託している証拠でもないと、手出しはできない。
フリエスがちらりと他の二人に視線を向けると、フィーヨも随分と迷っているようだった。犯行可能であるが証拠なし、結局はそこに行きつくからだ。
セラにいたってはただニヤつくだけだ。この男はフリエスやフィーヨの仲間というわけではない。あくまで餌をくれるから付いている程度の関係だ。ゆえに、状況を混乱させ、事態を悪化させるくらいのことは平気でやってくる。面白ければそれでいいのだ。
同時にこの男は意外と律儀であった。滅多にすることはないが、交わした約束は決して違えることはない。今回の場合はフロンを助けて事件解決に動いてくれている、と考えられなくもない。
だが、セラの最大の行動原理は強くなることであり、そのために強い相手と戦うことだ。強そうな相手には誰彼構わず噛みつくことが往々にしてあり、目の前の老魔術師を戦うに相応しい相手か見極めるために、あえて挑発しているのかもしれない。
実際、フリエスは目の前の老人が、東大陸最強の魔術師と言われる父親に匹敵する膨大な魔力の持ち主であることは確認済みだ。犯人であるかどうかは別にして、どういう反応を示し、どういう行動に出るのか、セラはそこを見極めたいのであろう。
(結局、まだ何か具体的な行動を見せない以上、要注意としか言いようがないか)
フリエスにしろ、フィーヨにしろ、結局はこの答え以外は現状出ししようがなかった。先に検査して白出しをしたのだ。次に状況が動くまではとにかく観察するしかなかった。
それにどれだけ強力な魔術師であろうとも、距離がつめられた状態ならば対処可能であるともフリエスは考えていた。
「単独での最強は《剣星》だ。壁役付きなら《全てを知る者》が最強だ」
これはかつて東大陸で起こった大戦で活躍した英雄《五君・二十士》の、世間一般で言われている強さの評価だ。戦士と魔術師では求められる強さの尺度が違うとはいえ、これはよくできた評価だとフリエスは思っていた。
魔術師は強力であるが、それはあくまで術を発動できるか否かで決まるといってもいい。術の発動一つで戦況がひっくり返るなど、フリエスにごくありきたりな話であった。だが、それは詠唱等が終わるまでの時間稼ぎが必須であり、そのための壁役がいない魔術師などは、戦士にとっては格好の餌食でしかない。
フリエス自身は電撃系に限定されるが、詠唱破棄を習得しており、隙なく術を打ち込むことができる。それでも対処に遅れることもあり、剣術もそれなりに使えるようにしていた。
結局、魔術師の存在が輝く状況とは、やはり集団戦なのだ。少なくとも、時間稼ぎできる状況でなければ、単独での戦闘行為は自殺に等しい。
フリエスは魔術師、フィーヨは神官、ともに後衛であり、本来は前に出ないのが当たり前なのだが、セラを戦力と見ていない以上、前に出ざるを得ない。前衛もこなせる後衛、という変わった編成になってしまったのもこのためだ。
そう考えると、現在のアルコの状況は敵対する魔術師の行動ではない。距離がすでに詰まっているからだ。何か術を発動させようとすれば、それより先にフリエスが腰に帯びた曲刀で切りつけるなり、フィーヨが懐から蛇をけしかけるなり、そちらの方が速い。
(問題は詠唱破棄の技能を持っている場合、それも移送系術式のそれを持っていた場合ね)
これを持っていた場合はお手上げだ。瞬時に移動して距離を空けられてしまう。
ちなみに、フリエスの父である《全てを知る者》も移送系の詠唱破棄を習得している。移動するのではなく、呼び寄せる術式ではあるが。
フリエスの聞いた話では、ご先祖である大盗賊から受け継がれてきた技で、目で捉えた物を呼び寄せる術だ。目でしっかり捉えていること、持ち主が抵抗すると失敗する、手で持てる物に限る、等と色々制限はあるが、結構便利な術式だ。
(父さんと同等の魔術師だとすると、何かしらの隠し玉を持っているのは確実。警戒は必要。まあ、敵対しているのが杞憂であるのが一番なんだけど)
フリエスとしては、目の前の老魔術師が敵として立ち塞がるのが怖かった。英雄級の魔術師は幾人も知っているが、誰も彼も一癖も二癖もあり、とんでもない戦い方や術式を使っていた。初見なら、まず勝てない。
そういう相手とは、初戦は負けを覚悟で戦い、生き残ることと情報を持ち帰ることに集中するのが最善手だとも、今までの経験から学んでいた。
だが、そんなフリエスの悩める思考など、目の前の老魔術師はお見通しであったが、孫娘に接する老人のように、優しい笑顔をフリエスに向けた。
「さあさあ、立ち話もなんじゃ。まずは状況の説明をお願いしようかのう。いくらわしが賢者と言えど、知らぬことの回答をすることはできんて」
そういうと、アルコは小屋に向かって歩き始めた。同時に、肩に停まっていた使い魔のカラスを空に放った。上空を旋回させて、警戒に当たらせるためだ。
フロンは師に続こうとするが、フィーヨがそれを止めて、セラに先行するよう手で合図を送った。セラはそれに素直に従い、アルコの後に続き、さらにフリエス、フロン、フィーヨの順番でそれに続いた。
小屋に入った途端に爆発、等というのは十分に予想できるので、まずは番犬に突っ込ませ、続いて不死身に等しいフリエスが続き、護衛対象のフロンが真ん中、そして、フィーヨがしんがりという隊列だ。
だが、拍子抜けするほどに何も起きなかった。フィーヨは最後に入る際、周辺の気配を探ったが、誰もいないのを確認してから扉を閉めた。
~ 第六話に続く ~