第二十六話 女神と女神
イコとジョゴが二人揃って幸せそうに魔道へと堕ちていき、火口湖には平穏が戻っていた。
魔王との追いかけっこから始まり、敵中突破、崖下への転落と再突破、ジョゴの暴走、自称魔王同士のぶつかり合い、愛の女神による裁定、たった一晩でこれだけのことをしてきたのだ。暴れ足りないセラを除いて、他全員がようやく終わったと安堵した。
「ようやく終わりじゃのう」
「だったら、とっとと帰りなよ!」
そう、フリエスの中にいるセーグラがまだ居座ったままなのだ。愛の女神セーグラはフリエスの血肉を生け贄にしてこの世界に降臨し、イコとジョゴの間を取り持って全てを鎮めた。その手腕はさすがと感心せざるを得ない。もっと言えば、しっかり信徒を導いていれば、こうまでこじれなかっただろうとも言いたかったが、それはいくらなんでも失礼すぎるのでやめにした。
しかし、二人が消えた後もセーグラは帰らなかった。フリエスの中が気に入り、すんなり帰ろうとはしなかったからだ。
「久方ぶりの顕現だからのう。もう少し居させておくれ。代わりに、縁結びの奇跡を行ってやろう。おお、あそこの魔王と結ばれるというのはいかがかのう?」
「それ、奇跡ってより呪いの類いだから!」
神の力を借りて結ばれるような反則技を、フリエスはよしとしてなかった。仮に、《英雄王》が相手であろうと拒んだだろう。愛を育むのは当人同士の意思が働いてこそであり、そこに神の配剤などあってはならないと考えているからだ。
まして、セラと引っ付くなどとんでもない話であった。あくまで、主人と飼犬、それ以上にも以下にもなるつもりはなかった。
「つまらん。珍しい組み合わせじゃから、信徒でなくとも応援してやろうと思うたのに。神の奇跡と人の親切は縁の源ぞ。大事にせねばならん」
「縁が大事なのは分かるけど、無理やり引っ付けるのは違うと思うわ。気まぐれや偶然の作用によって出会い、それから少しずつ太くしていくのが縁ってやつじゃないの!?」
「まあ、そう考える奴もおるが、女神の気まぐれもまた、縁の一つの形ぞ」
それはそうなのだろうが、やはりこいつは疲れる。フリエスはそう思わざるを得なかった。イコもそうだが、愛の女神の信徒は基本的に我が強く、人の話を聞かない。とにかくガンガン突っ込んできて、良かれと思うことは平然と押し付けてくる。有難迷惑という言葉を知らないからだ。
ましてやセーグラはその親玉である。信徒でなければ、頭の中を引っ掻き回されて、深く考えるのを辞めてしまうであろう。
「だいたい、そんなノリで白鳥に呪いをかけたの?」
「白鳥・・・、おお、あやつか。東大陸で一番の不幸者を自称する、あの大たわけか。わらわの想像以上に強く聡明になったが、縁結びは絶対に成就せず、いかなる努力も報われないからのう。はっは、いい気味じゃ」
鼻で笑う女神に、フリエスは苛立ちを覚えた。白鳥は東大陸の住人では、間違いなく一番の努力家だ。想い人たる天使に会いたいがために閉ざされた世界の壁をぶち破り、東西大陸を繋げた英雄である。それを嘲笑うなど、神とは思えぬ小物と言わざるを得ない態度である。
「娘よ、イラっと来ておるのはわかるが、もしお主の自宅にいきなり馬車が突っ込んできたら、その御者に一発電撃でも撃ち込むじゃろう? わらわがやったのはそれと同じじゃ。単に力の使い方、作用の現れ方が違うだけじゃ」
そう言われると、フリエスは言い返す言葉がなかった。セーグラの言う通り、そのような場面になったら、間違いなくそうするからだ。
白鳥から聞いた話だと、セーグラを讃える祭りの最中に謝って祭壇に突っ込み、儀式をめちゃくちゃにしてしまったのが、女神からの呪いの始まりなのだそうだ。人間並みの知性を与えられ、『誰からも好かれるが想い人とは決して結ばれない』という奇跡をかけられたのだ。
それでも白鳥は神の力に抗い続け、天使と再会するべく西大陸への道を開いたのだ。恋慕によって世界を改変する。セラの台詞ではないが、白鳥こそ最大の《神々への反逆者》なのかもしれない。
「一応聞いておきたいんだけど、白鳥にかけられた奇跡を解除するつもりは?」
「ない。少なくとも、今のところはね。考えてもみよ。白鳥が必至でもがけばもがくほど、海での産業、流通が活発化し、わらわを信奉する海の男どもが強くなる。結果、わらわへの信仰が集まってくるというもの。こんな美味しい状況を手放すとでも?」
「報われないなぁ、白鳥」
東大陸において、セーグラを信奉するのは海の男、海運関係者が多い。その勢力が強くなることは、セーグラにとっては望ましいし、その元締めたる白鳥にはもっともっと頑張ってもらわなくてはならない。
そして、白鳥の原動力はすなわち“愛”だ。純粋なまでの天使への思慕によってなされている。
だが、その思いが成就することは決してない。セーグラがそのように仕組んだからだ。セーグラ自身もほんの気まぐれで白鳥に制約をかけたのだが、思いもよらぬ収穫物が山と積まれ、それを手放すのが惜しくなっていた。
「まあ、安心せい。最後くらいはちゃんといい思いはさせてやるつもりじゃ。わらわはどの神よりも優しいからのう」
「あんだけこき使っておいて、どの口が優しいなんて言えるのよ!?」
「無論、この口じゃよ。そもそも、こき使ってなどおらんよ。白鳥が自主的に努力しておるだけじゃからな。わらわはその上前を撥ねておるだけよ。信徒からの供物という形でな」
言っていることは理解できるのだが、納得しかねるというのがフリエスの考えだ。フリエスも神の一員ではあるのだが、人の世界に関わり過ぎているので、その思考は人間のそれである。
「娘よ、戯れに問うてみるが、わらわ以上にまともな神がいるとでも?」
フリエスは返答に困った。そう、セーグラに関する神話や寓話の類は、割と幸せな結末でくくられている場合が多いのだ。本尊も信徒も好き放題やっては面白おかしく締めくくる、それがセーグラの一派なのだ。
他の神は血生臭かったり救いのない結末が多い中、目の前にいる愛の女神はその例から外れている。
イコとジョゴにしても途中、血生臭い場面もあったが結局は和解が相成り、魔道であろうとも一緒に堕ちていくことを選び、願い通りに一つとなった。
見方を変えれば、それはそれで幸せな結末ではあるのだ。
「そうなると、ユエさん、殺され損じゃない」
「ああ、あの虎女か。あやつはマルヴァンスが回収して連れてったぞ。従卒にするとか言って」
抜け目ない。さすがは軍神、戦場での戦利品には目敏い。フリエスは素直に感心した。
「虎女も割りとノリノリであったわ。今回の顛末もマルヴァンスに伝えておいたから、まあ恨んで怨霊なんぞになることもあるまいて」
「はっは、ユエさんらしい」
フリエスとしては戦力の大幅減に頭を悩ますところであるが、言っても仕方がないことだ。今は死んだ三人の行く末を案じるしかない。しかも、そのうち二人は幸せそうに魔道を堕ちていったのだ。そうなるのかは、さすがに予想できない。
「・・・んん? おい、娘よ、マルヴァンス経由で、虎女がお主に伝言だそうだ」
「お、なんて言ってきた?」
「ええと、『飼犬が二匹になって大変かもしれんが、子犬の面倒をしっかり見てやってくれ』とのことじゃ」
最後の言葉が残された子犬の心配とは、ますますユエさんらしいとフリエスは思わず笑ってしまった。
言われるまでもなく、フリエスはラオの件は引き受けるつもりでいた。まだまだ修行中の身ではあるが、魔王が珍しく将来性に太鼓判を押す逸材だ。磨けば、大きく育つことだろう。
幸い、フリエスは魔術師組合において導師級の地位にある。導師級には教員の資格もあるので、ラオを鍛えることも可能なのだ。ただ、ラオが中級導師であるのに対し、フリエスは下級導師である。階級的にはラオの方が上なのでどうなるか、また内弟子を取る際には本部の許可がいるはずなので、近いうちに本部に顔を出すなり、渡りを付けるなりする必要がある。
「ああ、それともう一つ。『筆おろしもあたしの代わりにやっといてくれ』じゃそうじゃ」
「待て待て待て待て待て!」
シレっととんでもないことをユエに押し付けられたフリエスは焦った。さすがに、そっちの方まで面倒を見るつもりはなかったからだ。
「良いのではないか? 魔王が嫌なら、あの子犬でもよいのじゃぞ、縁結びの奇跡は。魔王とは体格差が有り過ぎたが、子犬となら丁度釣り合い的に、並んで歩いても違和感ない番ができよう」
「いりません! 弟子の手を出す師匠がいてたまりますか! ・・・ていたわ、似たような事例がすぐ近くに」
フリエスは少し離れたところにいるフィーヨを見つめた。フィーヨとその夫であるルイングラムは公式には皇帝とその側近という表の顔がある一方、兵学指南役とその教え子という裏の顔もあった。フィーヨの場合は教え子が指南役に猛烈な求愛を行っていたので、フリエスとラオの逆パターンとなる。
「とにかく、そういうのは必要ないから、とっとと神のいるべき世界に帰れ! 前に見たいに首を跳ね飛ばすわよ!」
「首を跳ね飛ばす? はて、わらわはお主に斬首された記憶などないのじゃが?」
その時、フリエスの頭に強烈な違和感が駆け巡った。それも二つ同時にである。
(んん!? おかしいわね。神話だと、雷神は全ての神々の首をはね、神々の魂を精神世界に追いやったことになってる。その時の記憶がないってどういうことなの? それに今、あたしはセーグラと“創世神話”の会話が成立している。どういうこと?)
前者の方は首を跳ね飛ばす際の一撃が不意打ちとかに近い状態であったかもしれない。それなら記憶がないのも頷ける。
だが、問題なのは後者だ。“会話”が成立している時点で異常なのだ。というのも、神官などの一部の者は神と対話することができる。フリエスの仲間のフィーヨなどはまさにその典型だ。対話どころか、直接招き寄せれるほど、神への信仰心と魔力が強い人物だ。
だが、そんな人物ですら“創世神話”に関することは聞きだすことができない。どうゆう理由なのかは知らないが、神は神話を語ることを禁じられているらしく、誰が尋ねても言葉を濁し、些細な内容であっても情報を得ることが叶わないのだ。
(・・・もしかして、私は“神”だから、縛りを受けていない? “神”が“人”に話すことは禁じられていても、“神”が“神”に話すことは縛りに抵触してないとか? ならば、これは好機!)
願ってもない状況が目の前に現れていることを、フリエスはようやくにして気付いた。フリエスは他の神を呼び出す方法がない。神が他神の神官などにはなれないからだ。対話も呼出もできない。
だが、今は自身が生贄になり、先程の惨状に神が興味を示し、この世界に顕現している。しかも、自分の体を仮宿として降りてきている。こんな状況、よくよく考えてみれば、狙って作り出すことすら困難と言わざるを得ない。
(ならば話は早い。本来なら聞き出せないであろう神話のことを、神の口から直接聞きだしてやるわ。そう、女神と女神の世間話の体を成して、聞き出していきましょう)
フリエスは興奮を抑えつつ、慎重に言葉を選んで話を進めることにした。
「いや、だってさ、セーグラさん、創世期の終わりは、みんな雷神に首を跳ねられて、精神世界に追い出されたんでしょ?」
「バカを申すな。神々の時代の終わりは世界中に電光が走ったかと思うと、暗闇がすべてを覆い、気が付いたら別の世界に閉じ込められていたのであろうが」
セーグラの口から出たのは衝撃的な内容であった。“雷神”フリエスが神々を殺して回ったのではなく、世界そのものが崩壊したと聞かされたからだ。
(いや、これなら解釈や主観の違いで片付けれるわね。世界を覆った電光と暗闇、これを“雷神”がやったと言えなくもない。神話の伝承なんてのは、時間の経過とともにずれてしまうこともあり得る。首をはねられたという伝承が、比喩的な表現なのかもしれないし。とにかく、神々の世界をすんなり崩壊させる何かがあったことだけは間違いないわね)
情報を整理しつつ、フリエスは話を続けた。
「至高神イアと名もなき邪神の争いが原因だっけ、それ?」
「お主、頭がおかしいのか? 邪神なんぞ、わらわは知らぬ」
最大級の衝撃がフリエスを襲った。神話では至高神と邪神の争いに他の神々が加わり、疲弊した所に雷神の誕生が重なって神話時代の終焉を迎えたということになっている。にも拘らず、“邪神”を他の神が知らないというのは、あまりにも不自然なのだ。
「そもそも、至高神の名もイアではないぞ」
「・・・え?」
フリエスの中で何かが完全に崩壊した。神話を締めくくる三柱の神についての情報があまりにデタラメであったからだ。
もはや、動揺を隠すことはてきなくなっていた。
「じゃあ、至高神の名前は何!?」
「何を今更。至高神の名はジェム、いつも皆がそう呼んでおったではないか」
そんな名前の神は知らない。フリエスはますます混乱した。何もかもがおかしい。今まで考えていた前提条件が全て狂ってしまうのだ。
その時、ザザッという何かが頭の中を駆け巡り、危うく意識が飛びかけた。
「おっと、別の呼び出しがあったようじゃ。今宵はこれで終わりとしよう。娘よ、中々に楽しかったぞ」
「え、あ、待って! まだ聞きたいことが!」
動揺と混乱が頭の中にぎっしり詰まっていたが、それでも思考を止めなかったのは、養父の訓練のおかがであった。とにかく、少しでも情報を引き出さねばならない、そうフリエスは考えた。
「ではな、自称雷神の娘よ。魔王と子犬、縁結びが必要になったら、いつでも話しかけてくるとよいわ」
高らかな笑い声と共に存在感が薄れていった。腕を引っ付かんで止めようとしても、実体がないのでそれは不可能であった。
フリエスとしてはまだまだ聞きたいことがあったが、もはやそれは叶わぬこととなってしまった。違和感と混乱だけをフリエスに残し、セーグラはどこかへ消えてしまった。
しばらくの沈黙と思考、フリエスは頭を抱えざるをえなかった。至高神が至高神でない。邪神など存在しない。雷神もどうなっているのか分からない。
(そうだ。すべてが違う。何もかもがおかしい。いや、こう考えていること自体がおかしい)
与えられた情報、得られた情報を基に思考を進めていたが、情報そのものがすでに手を加えられた間違ったものであったとしたら、何もかもが狂ってしまうことになる。
かつて、養父母に徹底的に教わったことがある。それは情報の取得と精査を徹底すること。戦を左右するのは情報であり、その量も質も重要で、いかに相手を出し抜くかはそこに尽きる。あとは得た情報を基にどれだけ素早く決断を下せるか。そう両親からフリエスは教わっていた。
そして、養父から言われたことがさらに重くのしかかる。
「歴史とは“勝者”が決めるものだ」
よくよく考えてみれば、以前のレウマ国での一件など、まさにそれなのだ。現国王であるフロンは不都合な事実を隠蔽し、都合のいい情報だけを表に出していた。それどころか、都合のいい“事実”を作り上げることすらやっていた。それに加担していたフリエスは、まさに歴史を書き換える瞬間に立ち会っていたとも言える。
ならば、その規模を大きくして、神話が都合のいい内容に書き換わっているとしたらばどうなるか、想像することは難しくない。
(つまり、イアと名乗る何者かが至高神の座を乗っ取り、都合よく書き換えてしまったということ。しかも、この世界の“記録”のみならず、他の神の“記憶”すら歪ませている)
そう結論付けると、今まで感じたことのない強烈な寒気や恐怖がフリエスにのしかかった。なにしろ、目の前の現実すら本物なのかどうかすらあやふやになってきたからだ。
(まずいわね。これはあたしの手に余る難題だわ。思考が追い付かない。といっても・・・)
周りを見渡しても、いるのは自称魔王、元皇帝、拾った子犬の三人だけだ。残念ながら、賢者と呼びうる存在はいない。下手に情報を開示すれば無用な混乱を招くか、面白おかしく煽って来るかの二つに一つだろう。少なくとも、自分の中で納得のいく説明ができるまでは止めようと考えた。
(また父さんの知恵を借りないとダメか。父さんも狂人の資料の読み解きは進んでるだろうし、今回のこれと合わせれば、核心に迫れるかもしれない。ひとまずは皆には伏せておいて、相談してから開示するのが一番か)
相変わらず情けない結論だと、フリエスは思い悩んだ。自分の知恵と知識の浅さには辟易してしまうのだ。やむを得ないとはいえ、やはり自分で少しでも解決しようとしても、結局はすぐに難問にぶつかって挫折してしまう。
とはいえ、今は平静を装いつつ、今回の任務の完了を喜ぼうと決めた。払った犠牲は大きかったが、それでも新たな神々の遺産と相応の名声をえることはできそうだ。
まずは、良しとしよう。フリエスは仲間たちの方へと足を進めた。
~ 第二十七話に続く ~




