第二十五話 真なる女神の戦い方
イコの姿をした縁を司る愛の女神セーグラ。突如として現れたそれは、場の空気を一変させた。圧倒的な存在感に加え、セラの腕を掴んで止めてしまう力。驚くなという方が無理なのだ。
何より姿がイコなのである。ジョゴにはなにか悪い夢でも見ているのかと勘違いするほどに衝撃的だった。
「まさか、イコの死体に女神が降りてきたと!?」
「いかにも。この愚物めが」
イコが絶対にしないような冷ややかな視線をジョゴに向けた。姿形はそのものでも、中身はやはり別物だと思い知らされた。
「お前がセーグラか。思った通り、お高く止まった気に食わない女神だな。まるで自分が中心に世界が動いている思っている、高慢ちきな口調や気配だな」
「自称魔王のセラよ、事実を事実を受け止めれぬほど、今の時代の魔王は物覚えや理解に乏しいとは嘆かわしい。筆頭魔王のヒャズニングは今少し物腰穏やかであったのじゃがのう」
「そいつは原初の渦に落とし込まれたぞ。落とし穴に蹴落とすのに、随分苦労させられたがな」
女神の言葉を聞き、セラは二十年ほど前の戦いを思い出した。十二体の魔王の中でも、文句なしで最強を誇る魔王ヒャズニング。邪神より“死”の概念を受け継いだとも言われる存在であり、決して死ぬことのない魔王であった。
死なないのなら故郷にお帰りいただこう、と《全てを知る者》トゥルマースの策に従い、今は原初の世界へと追い落とされている。
セラが戦った相手としては文句なしの最強の存在であり、当面の目標としている存在だ。単純な力であれば凌駕していると自負しているが、“死”の概念を超越している点がさすがに大きすぎて、未だ後塵を拝しているというのが自己評価だ。
「それで、女神様がわざわざ血生臭い戦場へお越しなのは、一騎打ちを邪魔するためか?」
「結果としてはそうなるかのう。マルヴァンスの粗忽者に頼み込まれてきてみれば、よもやこのようなバカげたことになっていようとは、嘆かわしい限りじゃ。なぜ皆が愛を慈しみ、縁を貴ばぬのか」
「お前の教導が手抜き、穴だらけの証左だな」
女神に対してこの言い様である。セラの神に対しての嫌悪や不信感の表れとも言えよう。
(それより、軍神の名前が出てきたということは)
セラはチラリと後ろを向いた。視線の先にはフィーヨがおり、横になっているフリエスとそれを介抱しているラオの姿が見えた。
(なるほど。軍神を介して、イコに女神を降ろしたのは、フィーヨの仕業か)
セラは状況からそう判断した。
***
時は少し遡る。
セラがフリエスより血と力を吸い上げ、その搾りかすを投げ捨て、フィーヨがそれを受け止めた直後からだ。
「コラァ! 雑に扱うのにも程があるでしょうが!」
フィーヨは投げ飛ばされたフリエスを抱えながら叫んだが、当然聞こえてはいても反応はなかった。これから真なる魔王の姿に変わろうとしているのである。雑事に煩っている暇などないからだ。
まあ、それもいつものことかと諦め、フリエスをそっと地面に置き、癒しの神術をかけた。
「毎度のこととはいえ、お疲れ様、フリエス」
「まさか、一晩で二回も“食事”に付き合わされるとは思ってなかったわ。ああ、体がだるい」
なお、“だるい”程度の感想で終わっているところが、フリエスが女神である証拠でもあった。魔王と追いかけっこをした挙句、血と力を根こそぎ搾り上げられたのである。人間ならば、確実にあの世生きの案件だ。
「まあ、それだけ今回の任務が高難易度とも言えます。普通に達成ではなく、特別条件を満たしたうえでの達成ですから」
心配そうにフリエスの横に跪き、ラオはそう言った。それについては二人とも異論はない。現在進行中の任務である“不死者の祭典”は本来の目的で言うのであれば、溢れ出てくる不死者の大群から村々を守るのが主目的なのである。そうであるならば、村を防衛しやすい場所に拠点を設け、山から下ってくる不死者を狩り取るのが賢いやり方だ。
だが、それでは満足できない連中がこうして、百の満月の夜を狙って火口湖に突き進んだのである。
現状を言えば、ジョゴの暴走によって“三名”を失うこととなったが、決着はじきに着くだろうと楽観視していた。なにしろ、魔王セラが真面目に戦ってくれるというのだ。それならば、心配はないとその実力を認める三人は確信していた。
ただ、それでもジョゴと旅をしてきたラオとしては複雑な心境でもあった。セラの前では強気な発言をしたが、いざとなるとジョゴの事が悔やまれてならない。間違いなく、ジョゴは倒され、冥府魔道に突き落とされるであろうし、それだけのことをしてしまったとも考えていた。
(救う手立てはなかったのだろうか、これからの道で救いはないのだろうか)
セラは勝てる。勝てるが、ジョゴの気持ちや感情は容赦なく踏み潰すかもしれない。それでは生きている時も、死んだ後も救いようのない人生ではないか、ラオはそう考えざるを得ない。
「フィーヨさん、あなたは神にお仕えする者。こう言っては何ですが、あの悪辣な神々に“責任”を取らせる方法はないのでしょうか?」
神を懲らしめる方法を神官に尋ねる、なんとも矛盾した行動であったが、フィーヨはまじめに取り合って、しばし考えに耽った。
数ある神の中でも、戦う者を守護する軍神マルヴァンスの神官ならではの行動だ。強大な相手と知恵を力を振り絞って戦うのが、マルヴァンスの信徒達である。その対象が“神”であっても例外でなく、軍神はそれを是として見守ってくれているのだ。
「・・・一つだけ、なくはないですわね。我が主に口入れしてもらって、愛の女神にご足労願うというやり方があります。上手くいけば、ですが」
考えた末の結論をフィーヨは口にしたが、それはかなり成功確率の低いやり方であった。そもそも、神に対して責任を取らせるという発想自体が狂っているのだ。当然、そのための準備も狂ったものや難度の高い方法を取らざるを得ない。
「でもまあ、やれるだけはやってみましょうか」
フィーヨはそう言うと、立ち上がってイコの遺体の側まで移動した。そして、それを抱えて移動させ、フリエスの横に寝かせた。
「イコさんの遺体をどうするつもりで?」
「死んだ直後だから“まだ使える”はずよ。このイコの体に愛の女神セーグラを降ろす」
「神降ろしの術ですか!?」
ラオの驚愕も無理はなかった。神を人の体に降ろす術は、修行に修行を重ねた神官が自身の命と信仰心を捧げてようやく成せる最上位の術だ。当然、その結果は神という存在に押しつぶされて、死を迎えることとなる。地上に舞い降りた神の奇跡は、降ろした当人には降り注がず、周囲を照らし、術者は神と共に精神世界へと旅立つのだ。
犠牲という名の献身によって発動する術であり、当然その効力は桁外れである。
「やり方はこう。まず、私が“贄”を捧げて我が主マルヴァンス様と交信する。で、マルヴァンス様を介してセーグラを招き寄せます」
「なるほど。で、神に捧げる供物は・・・」
当然、二人の視線の先には横たわるフリエスがいた。嫌な予感はしていたが、実際に口にされると汗がダラダラ噴き出すものである。
「ちょっと待った、フィーヨさん! セラに散々吸われて頭がクラックラしてるのに、この上さらに血を抜かれたら死ぬって!」
「大丈夫です。フリエスは神ですから、死にません」
それはフリエス自身も承知のことだが、それでも気絶はするであろうし、回復にも時間はかかるはずだ。それでもなお、目の前の薄ら笑いを浮かべる神官はやってしまうだろう。
「なんで神降ろしにこだわるんですか!?」
「セラがやり過ぎて、万一にも入手宝物が傷物になったら大変ですからね。少しでも確実な方法を選択します」
「結局それ!?」
ジョゴの体の中には神々の遺産《真祖の頭蓋》が吸収されている。これを使えば、ヘルギィとルイングラムと交信することができるのだそうだ。それならばあらゆる“犠牲”も厭うことはない。揺ぎ無い価値観や方針がフィーヨにはあるのだ。
「神々の遺産には防護術式が付与されているのが常よ。まして、魔王モロパンティラの遺品とも言うべき品。いくらセラの攻撃が強烈でも、損傷はないと思うけど」
「九割方大丈夫だとは思いますが、どうせなら十割目指して確実な入手を狙いましょう。引いてはならない一割を引かないためにもね。こう言う状況では、案外引いてしまうものなんですよ、その一割を一発目で」
フィーヨは説明しながらも既にやる気満々で、二匹の蛇を使って、降霊術用の魔方陣を描いていた。こうなってはもはや止められないと、フリエスは諦めた。どのみち、体が脱力感で動くこともできない。
「だ、大丈夫なんですか、フィーヨさん!?」
「確率は低いって言いましたよ」
そこではないと言いたかったが、ラオも諦めて心配そうにフリエスを見つめた。普通なら死ぬが、女神は死なない。分かっていても、心配なのには違いない。
だが、フィーヨは平然としている。フリエスへの信頼か、あるいは入手宝物を確実に手にするためか。どちらにしても、そういう手段をすんなり採用できるフィーヨが、やっぱり一番恐ろしいとラオは感じずにはいられなかった。
「偉大なる我が主、軍神マルヴァンスよ、捧げものでございます。その対価を以て、従順なる信徒に神力と叡智を授けたたえ、〈生贄の祭壇〉」
神への祈りが形となって表れた。フリエスの足場が隆起し、“車輪”の形をした磔台が姿を現した。車輪は軍神の象徴であり、実際フィーヨが身に付けている軍神教団の聖印は車輪に鷹の顔が描かれた形をしていた。
その車輪の磔台にフリエスは縛られ、そして、ため息を吐いた。
「まさかの一晩で三度目の“食事”とは・・・。てか、フィーヨさん、今の私は魔王の食べかすみたいなもんだけど、そんなの捧げて軍神怒んない?」
「大丈夫です。マルヴァンス様はその程度の事など些細な事として流されます。むしろ、そこまで自身を搾り上げた勇気や胆力に敬意を払われるでしょう」
絞られてんのはあたしなんだけどなぁ~、とフリエスは今夜の自分の境遇を嘆いたが、そんな些細なことなどお構いなしにフィーヨは次の準備に取り掛かった。二匹の蛇を変化させ、一匹は槍に、もう一匹は杯に変化させた。心臓を貫き、流れ出た血を杯に注ぐ。ありふれた生贄の儀式の作法だ。
「先程は“神”を贄と捧げて“魔王”を呼び起こし、今度は“神”を捧げて別の“神”を呼び出すなんて、無茶苦茶もいいとこです」
ラオは自分の知識、見識がいかに狭いものであったかを、この一晩で思い知らされた。もっとも、目の前の二人がいかに常識に囚われていないかの証左でもあったが。
「では、始めますよ!」
フィーヨは杯を寝かせたイコに握らせ、自らは槍を握ってフリエスの横に立った。そして、その脇から割を突き立て、女神の心臓を貫いた。
人間ならこの時点で絶命だが、フリエスにとっては苦痛の始まりに過ぎない。ただでさえ小さな体から搾られた血を更に搾られ、槍から血が伝って零れ落ちた。
「満たせ、満たせよ、杯を。叶え、叶えよ、我が願い。降りよ、下れよ、我が主。おいでませ、力と叡智の両輪に跨りし偉大なる軍神マルヴァンスよ!」
流れ出た血が杯に注がれ、フィーヨが祈りを捧げると、不意に視界が一切の暗闇に覆われてしまった。いよいよお出ましになる、フィーヨが身構えていると、遥かな天上より一筋の光が差し込んできた。そして、その光が道となり、巨大な鷹頭獅子に曳かれた一輌の戦車が駆け下りてきた。
フィーヨの良く知る、自身が仕える偉大なる軍神マルヴァンスであった。
マルヴァンスの乗る戦車はフィーヨの目の前で止まり、乗車したまま自身の下僕を見下ろした。その姿は威風堂々たるものだ。顔は聖印と同じく鷹で、首から下は鍛え抜かれた筋肉で覆われた偉丈夫を見せつけていた。戦車にはいくつもの武器が備え付けられており、中でも一際目立つのが、得意武器としてフィーヨも時折借り受ける投槍だ。
「久しいな、我が下僕たる元皇帝フィーヨ=スラムドリン=ドゥ=スヴァニル。と言っても、先程声をかけられたばかりではあるか」
軽く声をかけられただけでも圧倒的な威圧感。普段は声だけしか聞こえないが、こうして実際に姿を見せて会話を交えるのは、その比でない程の強烈な力と存在感を見せつけられる。フィーヨは落ち着きつつ、両膝を着き、頭を垂れた。
「お久しぶりにございます、我が主、偉大なる軍神マルヴァンス、力と叡智を回す者。我が声にお応えいただき、お姿を拝見できましたることは恐悦至極にございます」
「前置きは良い。時間もなさそうであるし、本題を話せ」
グダグダ長口上を垂れる神とは違い、マルヴァンスはこうした実直さを持っている。フィーヨにとっては本当に話の分かる上司であり、分かりやすい上にやりやすかった。
「しからば、お言葉に甘えましてお願いしたいことがございます。我らが愛の女神と呼ぶセーグラ様との御執り成しをお願いいたします」
「あのあばずれ女をか」
この一言で、マルヴァンスがセーグラを快く思っていないことは理解できた。やはり厳しいか、フィーヨは汗を必死で押さえながら話を続けた。
「状況はご説明するまでもなく、先程私が申しあげた通りにございます」
「なるほど。つまり、セーグラの巫女の死んだ責任を、セーグラ自身に負わせようという腹積もりか」
「左様でございます。おそらくは、愛の女神自身も覗いてはいることでございましょう。ですが、呼びかける者がいなくては、降りてくるどころか、声をかけることすらままなりませぬ」
これが神を縛る法則だ。神は自身の信徒にしか話すことができず、それを介してでしか世界に干渉する術を持たない。世界に対する干渉を企図した場合、信徒とその信仰心が必須であり、それを得るために奇跡と称した様々な事柄を引き起こすのだ。
現在、火口湖にはセーグラの信徒はいない。元信徒の死体が一つあるだけだ。そのため、セーグラと交信することは叶わない。そこでフィーヨは自身とつながりのあるマルヴァンスに言葉を伝え、そこからセーグラへの言伝を頼もうというのだ。
「あの者は気まぐれだ。『愛は縁より生み出され、縁とは偶然の産物なり』と申して成すがままの状態をヨシとする性格だ。人間の価値観で言うところの、善行悪行の区別なく、すべてを縁として認識する。あやつが動くとは限らぬぞ?」
「その気まぐれに賭けてみたく存じます」
フィーヨもセーグラへの見聞は浅いと思っている。なるべくなら深くかかわらないようにと心がけてきたからであるが、自由気ままな存在であることは認識していた。であるからこそ、それをあえて“挑発”してその気にさせてみようかと考えた。
「かの女神にこうお伝えください。『かかる惨状を目の当たりにした以上、たまには責任ある言動をなさってはいかかでしょうか? あなたの述べられる愛とは、そのような偏狭なものなのか』と」
それを聞くなり、マルヴァンスは大笑いした。気に入らぬ同輩をなじるのに、ここまでの言葉は中々にないからだ。しかも、それを無関係の人間に言われては、さてどういう反応を示すのか、早々に戻って伝えねばと考えた。
「よかろう。その言、そのまま伝えて参ろう。どう返してくるのか、見物であるな!」
マルヴァンスは手綱を握り、戦車を動かして天へと戻っていった。途端に、暗闇で覆われていた視界が元に戻り、フィーヨは元いた場所へと戻ってきていた。
フィーヨは急いでフリエスを磔台から下ろし、癒しの術式をかけ、穴の開いた箇所を塞いだ。
「うぇ~、マジで死ぬ・・・」
「口が利けるようなら、大丈夫ですわ」
しかし、実際のところ、フリエスは致死量を超える出血多量なのは間違いない。ぼやけているとはいえ、意識を保っているのはさすがと言わざるを得ない。
「さて、あとは高慢ちきな女神がくるかどうか・・・」
「もう来ておるわ」
不意に声をかけられたのでフィーヨが慌てて声のする方を振り向くと、そこで横になっていたイコの目がしっかりと見開かれていた。そして、ゆっくりと上体を起こし、動作に支障がないか、体の損傷具合を動かしながら確かめていた。姿こそイコのままだが、溢れ出る気配は全くの別人。間違いなく愛の女神セーグラが降りてきていた。
「おや、お早いお着きなご様子で」
「ここの世界と神の世界は表裏一体。呼びかける声ばあれば聞くし、話しもする。信仰を捧げれば、力を分け与えもする。降りる器があれば、顕現することもできる。お主らの感覚で言えば、自宅の門をくぐれば、すぐ目の前が仕事場のようなもの。いちいち仰々しく戦車で突っ走って来る目立ちたがりの粗忽者とは違うわ」
妙に棘のある言い回しであったが、マルヴァンスの言い方が余程癇に障ったのだろう。もちろん、その字句を考えたのはフィーヨであったが。
「では、女神セーグラ様、説明は先程、我が主がお伝えになったかと思いますので、よろしくお願いいたします」
フィーヨの態度こそ敬意を払っているが、口調からはその気がないのだけは簡単に察することができた。セーグラは鼻で笑いつつも、降りてきたので神の威徳を示さねば沽券に関わると考え、目の前の些細な無礼を流すことにした。とは言え、ただ流すだけではあれなので、嫌みの一つでも言っておくことにした。
「やれやれ、主が粗忽者なら、その召使いは無礼者か」
「主以外の者へは敬意を払わぬのが私の流儀なれば。それに、我が主もあなた様のことは好んではおりませぬゆえ」
「言いおるのう、人間風情が。なんなら、わらわの力を使い、その二匹の蛇と“絶縁”させてもよいのじゃぞ? 縁結びの祝福を反転させれば、縁切りの呪詛となるのじゃからな」
それはフィーヨにとって絶対に触れてはならない部分であった。握っていた槍をセーグラに向け、眉間に穂先を当てた。ほんの僅かだが刺さり、セーグラも眉を顰めた。
「そんなことをすれば、この地上に存在するあなたの神殿を悉く破壊し、信徒を余すことなく血だまりに沈めて差し上げます。それでよろしければ、いかようにでもどうぞ」
「神にものを頼む態度ではないのう。魔王にでもなる気かえ?」
「必要とあれば、悪魔にも天使にもなります。皇帝だって演じ切って見せました。もし、二人の復活に必要なら、なんでもしますよ、私は」
愛の女神と軍神の信徒の間に険悪な雰囲気で満たされた。全てを包み込む“絶対愛”、勝利をもぎ取り時として収奪すら認める“力と叡智”、両者の神威には大きな溝が最初から存在しているのだ。
だが、それに待ったをかけたのは、その場にいたもう一人の女神であった。
「あのさぁ、どうでもいいけど、さっさと終わらしてくんないかな? 何もかも搾り取られて、寝床に直帰したいんですけど」
フリエスが弱々しい抗議の声を上げた。実際、フリエスは色々と限界が来ていた。いくら自動回復ができるとはいえ、今夜の出来事は無茶振りが過ぎていた。
イコ(中身はセーグラ)はプフッと笑い、寝かされているフリエスの横で跪き、その頬を撫でた。
「生贄が喋るというのも、なにやら不思議な感じがするのう。いかようにしてそうなったかは知らぬが、死なぬ者を生贄とされては、連れて帰るわけにもいかぬし、これはタダ働きかのう」
「まあ、心臓ぶっ刺された生贄がピンピンしてりゃそうでしょうよ。連れて帰られたら困るし。てか、連れて帰ってどうすんのよ?」
「わらわは縁司る愛の守護神。あんなことやこんなことに決まっておろうが」
想像したくもないので、フリエスはそこで思考を止め、次の話題へと移った。
「呼び出しといてタダ働きってのは残念でしたと一応煽っておくけど、私が女神に言うべきことは一つだけ。信者を誑かして、あの惨状を招いた責任を取れ、これだけよ」
「ひどい物言いじゃ。神を呼び出しておいて、贄や供物もなしに働けとは、信心、信仰もあったものではないのう」
「そりゃ、あたしもフィーヨさんも、あとラオ君も、あんたのことなんか信仰してないからね」
女神と女神の視線は合わさり、互いに見つめ合った。言いたいことは山ほどあったが、時間の無駄だと考え、フリエスは黙っていた。まあ、神と名乗るくらいならば、そのくらいは機微に対応してくれるだろうという思惑もあった。しばしの沈黙の後、愛の女神は立ち上がって、戦っているセラとジョゴの方に向きを変えた。
「愛の力は無限大じゃぞ。意志を持つ者の数だけ縁は存在し、そこより愛が生まれ出るもの。ゆえに、愛は無限大に広がり、全てを包み込むのじゃ。世界を包み込んでもまだ足りぬほどに愛の懐が深い」
「あ~、はいはい。ええっと、愛は那由他の広がりを見せ、一人が抱く愛ですら宇宙に収まりきらぬもの、だっけ?」
「うむ、我が教団の祝詞の一節を知っておるとは感心感心。生贄の小娘よ、我が教団に入信せぬか?」
もちろん、フリエスは全力で拒否した。知識や教養として主要教団の概要や教義について頭の中に収めているが、間違っても入信などするつもりはなかった。なにより、自分が本尊の宗教が立ち上がりつつある現在、神である自分が他の神に下るなどあってはならないことだからだ。
(頼んだことじゃないとはいえ、さすがにまずいよね)
信者が一名しかいない弱小教団とはいえ、ややこしい状況を進んで作り出すわけいはいかないので、フリエスは自重を余儀なくされた。
「まあそれはさておき、タダ働きなのは気に入らんが、あれは確かにどうにかせねばなるまいな。我が召使いの想いを踏みにじった愚か者には、それ相応の罰を受けてもらわねばな」
「ちなみに、罰の内容は?」
「無論、愛こそすべて、じゃよ」
そう言うなり、セーグラは戦う二人に向かって足を進めた。
***
セラの腕を掴むセーグラは笑顔で応対し、そして少しばかり申し訳なさそうに言った。
「すまぬな、魔王よ。この場は譲れ。闘争での解決は、縁を司る者としてあまり好ましいものではない。それに、ここでこやつを滅してしまっては、本当にこの体の主が永劫の苦しみと迷走を続けることになる。信徒の迷走を神であるわらわは望みはせぬ」
物静かな言葉であったが、そこからにじみ出る神気は紛れもなく圧倒的な強者も放つそれであった。神を名乗るのもそれ相応の力を有してのことかと、セラは素直に感心した。同時に、倒すべき相手の実力を肌で感じることができ、それなりの充足感も得た。
「よかろう。ただし、あいつが身に付けている神々の遺産は貰い受ける。ネコババしようなんてのは思わんことだ」
「よいぞ。それは確約しよう。わらわには必要の無いもの。好きにするとよい。わらわが必要とするのは二人の魂じゃ」
セラとしては少々不完全燃焼であったが、女神のやり方を見てやろうという思いが強かったので、見物させてもらうことにした。何しろ、神術どころか、神そのものが地上に降りてきたのである。フリエスのような半人半神ではなく、大規模な教団を持つ正真正銘の神の登場だ。見ておかねば損というものだ。
セラが下がり、セーグラが前に出た。しかし、ジョゴの視点で見れば、殺して取り込んだはずのイコが目の前まで歩み寄ってきたのである。困惑が懺悔となり、懺悔が恐怖へと変じた。
「その姿で私の前に立つな!」
「やれやれ、殺した伴侶が立って歩く姿が、そんなに恐ろしいかえ?」
口調こそセーグラのそれであるが、声色はイコのままである。ジョゴにとっては耳に入れたくない声であった。
「そう怯えるでない。わらわは縁司る愛を説く者じゃて。軍神のように、殴り飛ばして解決するつもりはない。愛を教え諭し、進むべき道に光を指し示すことこそ、我が喜びなり」
「黙れ! 私は神など信じぬ! 俺がもがき苦しむ様を悦と共に眺めておいて、今さら教え導くなど虫酸が走る!」
ジョゴとて呪いから助かるのであれば、神に身を捧げるのもやぶさかではなかった。だが、誰一人としてジョゴの呪いを解ける者はいなかった。いかなる神も救い上げてはくれなかった。
だからこそ、孤独のままに旅を続け、いつ果てるとも知れぬ恐怖と戦ってきたのだ。
「そうあれかし。神がそう望まれれば、世界はそう変わる。ならば、このふざけた体や呪いもまた、神の産物の一つか!?」
「そうなるのう。誰がそう作ったかは、寡聞にして聞かぬのだがな。わらわでないことだけは確かぞ」
創世の時代はある種の無秩序であったと、セーグラは記憶していた。数多の神が好き放題に作り、壊した。人族とてその一つ。怪物もその一つだ。
「創世における神は、人の言葉を借りるならば“分業制”のようなもの。自らが司る事象に対して世界に干渉し、様々なものを生み出してきた。水を司る者は川や海を生み出した。火を司る者は、熱や炎を生み出した。地を司る者は、山や大地を生み出した。風を司る者は、気流や伝播を生み出した。そうして世界は形作られたのじゃ。その程度の話であれば、お主も聞いたことがあろうて?」
「ならば、呪いや災厄などという、存在する必要のないものまで生み出したのか!?」
「はてさて、どうであろうかな。それが存在する以上、どこかの誰かが“必要”と判断したのは間違いなかろう。数多の神が存在する以上、そのように考える輩がいたとて不思議ではあるまい。酔狂で、享楽的な、わらわと相容れぬ輩がのう」
セーグラとて神の一員であるが、世界の全てを把握しているわけではない。自身の領域においては絶大な力を発揮できるが、あくまで“分業制”なのである。及ばない領域の方が遥かに広いし、全知全能ではないゆえに知ることもまた限りがある。
「神とはな、意外と不自由な者なのじゃぞ。あくまで強大な権限や神威を示せるのは、己の領分だけで、しかもホイホイこちらの世界に出かけて奇跡とやらを披露することもままならぬ。だから、こうして信者以外の者と話すことも珍しい。どうじゃ、お主もわらわの信徒とならぬか? 化物に身を窶そうとも、誰もを受け入れるのがわらわの信条。伴侶と共に永劫の時間を約束しよう」
「断る! イコとはすでに一つとなっている。神に縋らずとも、永劫の時間は約されている」
「それでは不完全ぞ。何かの拍子に檻が壊れてしまえば、捉えている娘の魂は天へと召され、地に沈むお主とは離れてしまう。悪いことは言わぬ。わらわの手を取るのじゃ」
セーグラの差し出す手はジョゴを更に不快にさせた。なにしろ、セーグラの姿形はイコのそれである。イコの姿で散々自分を過酷な運命を背負わせてきた神の言葉など聞かされたくはなかった。まして、その手を取り、助力を乞うなど論外であった。
ジョゴは六匹の蛇を動かし、セーグラに狙いを定めた。
「あくまで、戦うと申すのか? 愛ゆえに感情をむき出しにするのもままあることだが、激情過ぎるのも問題ぞ」
「そう世界を作ったのは、貴様ら神であろうが! 人の心を弄び、苛烈な運命を背負わせ、自分達は遥かな高みからのんびり見物か! そこの魔王の言葉ではないが、この世界に神などいらぬ!」
「神無くして、この世界の存続は有り得んぞ」
ジョゴの感情を逆撫でする高慢なる態度。蛇の内の一匹が光弾を放った。セーグラはかわすことも防ぐこともせず、その一撃を甘んじて受け、右腕が吹き飛んだ。
何かすると思っていたジョゴからすると、あっさり一撃を入れられたセーグラの行動は意外であり、目を丸くして驚いた。
「なぜ食らった!?」
「言ったはずじゃ。全てを受け入れるのがわらわなのじゃぞ。まして、この娘はお主の全てを受け入れると誓った身。憤激し、荒れる様とて受け入れる。全てを抱擁してこその“絶対愛”なり」
引き千切れた腕など気にもかけず、セーグラはジョゴに近付いた。近付いた分だけ、ジョゴも下がった。
「なぜ逃げる? 《混ざりし者》の名が泣くぞ。さあ、しかと混じり合い、目ぐ合おうぞ」
「よ、寄るな!」
ジョゴは再び光弾を放とうとしたが、なぜか撃つことができなかった。心の中の何がが引っ掛かっているような、そんな感じが撃つのを躊躇わせていた。
「恐怖、後悔、哀愁、悲観、絶望、感じるぞ、お主の心中を。孤独、いや、蠱毒と言うべきか。呪いという毒を一身に受けし、哀れなる忌み子よ、わらわは汝の全てを受け止めよう。そして、この娘もまた、同じく汝を受け止めよう」
セーグラは左の小指をジョゴに向けると、そこから赤い糸のようなものが飛び出し、ジョゴの左小指に巻き付いた。
「成された! 秘術《運命の赤い糸》!」
赤い糸は更に輝きを増し、同時に二人の体を淡い光が包み込んだ。安心感と高揚感が同時に押し寄せ、ジョゴの荒ぶりも沈静化していった。
「こ、これは・・・」
「口では拒絶やつれない態度を示していても、本心はやはりこうか。結構、これならばわらわが出向いてきた甲斐があったというものぞ」
セーグラは赤い糸が巻き付いた左小指を撫でた。
「《運命の赤い糸》はわらわの教団の神官か使える最上位の補助系神術でな。二人同時に効力を発揮するのじゃが、どちらかがわらわの信徒である必要があり、かつ恋人や伴侶でなくてはならない。発動条件が面倒じゃが、効果は凄まじく、二人に心身共に大幅な強化を施すだけでなく、お互いが使う全ての術式や技術を共有できるのじゃ」
セーグラの説明にジョゴは驚きつつも納得した。何しろ、自分の能力値が術の発動と同時に大きく上昇し、しかも激昂していた精神も安定した。効力は絶大で、それゆえに混乱した。
「なぜ、こんなことを」
「右腕を見てみよ」
セーグラに促されて見てみると、あるべき所に右腕が存在していなかった。術の効果で高揚しているせいか、苦痛が一切なかった。
「全てを共有すると言ったじゃろう。一人が腕を落とさば、もう一人も腕を落とすものじゃ。さて、ならば問おう。一人が死ねば、もう一人はどうなるか」
それでジョゴは察した。今、目の前にいるイコの体は、セーグラが仮初の命を吹き込んで動かしているようなものだ。そのセーグラがいなくなれば、イコは再び死ぬということだ。そして、それと繋がっている以上、ジョゴもまた終焉を迎えるということだ。
防ぐ手立てはない。仮にセーグラを倒せたとしても、それは自分をも倒したことになり、結局最後を迎えることになるからだ。
「・・・つまり、もう手詰まり。何もかもがここで終わるのか」
「それは違うぞ。終わるのではなく、始まるのじゃ。手順を間違えたかもしれぬが、元の鞘に戻るということじゃ。ジョゴとやら、赤い糸で結ばれたということは、お主は心から怪物になることを望んでおらなんだ。邪な感情に押しつぶされようとも、良心と娘への想いはしかと残っておった。赤い糸がはっきりと見えたのはその証左。長い旅路ご苦労じゃった。これからはこの娘と仲睦まじく過ごすがよい。それこそ縁司るわらわの喜びぞ」
セーグラはもう一度左小指を一撫でした後、イコの体から離れた。仮初の命が失われ、イコの体は再び亡骸となり、その場に崩れ落ちた。
そして、すぐに赤い糸の効果が表れた。ジョゴは何かに引っ張られるような感覚に襲われ、気が遠くなっていくのを感じ取っていた。すぐに終わりがやって来る。ようやく、何もかもが終われる。
ジョゴは最後の力を振り絞り、倒れたイコの亡骸の前で跪き、そして抱きかかえた。怪物に成り果てた者とは思えぬほど、その表情は穏やかで満ち足りていた。
***
“ジョゴさん、ごめんなさい。私じゃ、あなたを救うことができなかった”
“イコ、詫びねばならぬのはこちらの方だ。手を払い除け、耳を塞ぎ、勝手に走り出したのは、他ならぬ俺だ”
“それでも、最後の最後で私はあなたを拒絶した。たとえ怪物になったとしても、すべて受け入れることができなかった自分が恥ずかしい”
“いや、自分の弱さゆえの過ちだ。魔王の誘惑に勝てなかった、いずれ訪れる未来の恐怖に勝てなかった。情けない話だ”
“それらを振り払い、ジョゴさんを繋ぎ留めておくことが私の役目。私の生き甲斐。私の願い。でも、それは叶わなかった。愛の女神の信徒として失格です”
“欲に目の眩んだ者が受ける罰だ。俺はこのまま魔道を落ち、地獄の最下層へと落ちていくだろう。お前までそれに付き合うことはない”
“いえ、どこまでもお付き合いします。私はもうジョゴさんと離れたくはありません”
“罰を受けるのは俺一人だけだ。お前まで付き合うことはあるまい”
“地獄の最下層は魂すら凍る氷の世界だと伝え聞きます。ならば、このまま二人で抱き合いましょう。そうすれば、氷の世界も溶けてなくなるかもしれません”
“フフッ、魔王すら解かせぬ氷を溶かすと言うのか”
“愛の力は無限大です”
“そうか。ならば、落ちよう。イコ、どこまでも、一緒にな”
“はい、ジョゴさん。どこまでも、御一緒に”
***
「・・・で、これでめでたしめでたし。ってなるのは良いにしても、なんであたしの体に断りもなく入って来てんの!?」
満ち足りた表情のまま抱き締め合い、地の底へと消えゆく二人の魂を眺めながらフリエスは抗議の声を上げた。なにしろ、イコの体から離れたセーグラは、あろうことかフリエスの体に入り込んでいたからだ。
「すまぬすまぬ、生贄殿よ。お主の血を触媒にして呼び出されたから、割りと相性が良いのじゃよ。このまま依り代のないままじゃと呼び戻されてしまう。あの二人の行く末を見守る間は、しばし我慢せい」
理屈は分かるが、それでも体の中に勝手に入って来られるのは、この上ない不快であった。なにしろ、心が土足で踏みにじられているようなものであり、それをやったのは《狂気の具現者》だけでもあるからだ。
とはいえ、責任を取れと言った手前、ちゃんと結末を確認してもらうのは当然であり、その点を考えると、我慢もできようというものだ。
(イコ、ジョゴとお幸せに。たとえ行先が魔道であろうとも、あなた達なら大丈夫。ようやく本当に一つになれたんだから)
消えゆく二人は最後に残された四人に頭を下げ、そして消えてしまった。その後には二人の抱き合う亡骸と、二つの神々の遺産が残された。
こうして、火口での戦いは、残酷で、幸せな結末を迎えることとなった。
解放された呪いの髑髏がニヤリと笑っていたのだが、それにはまだ誰も気付いてはいない。
~ 第二十六話に続く ~




