第四話 旅の目的
地獄と評するものがあるとすれば、あるいはこのような感じかもしれない。フロンは目の前の光景をみて、率直にそう思った。
なにしろ、周囲という周囲には死体があちこちに散乱し、そのどれもが強烈な一撃により切り裂かれ、血と肉片を周囲の木々にこびりつかせていた。
そして、地獄の獄卒が見目麗しい淑女である点が、その不気味さをより一層引き立てていると言っても過言ではなかった。、
「やれやれ。やっと終わりましたね。さすがに少し疲れました。が、気分は上々。夜空の満月から、邪神の舌打ちが聞こえて来そうですわ」
返り血や飛び散った肉片がこびり付き、フィーヨの姿がとんでもないことになっていたが、赤い蛇がフィーヨの袖口に引っ込むと、風の前の砂のごとく、返り血がやらがサラサラと剥がれ落ちていった。そして、元の端正な顔立ちに戻る。
フィーヨは焚火の前に腰掛け、水筒の水で喉を潤し、フロンもまた腰かけて水を飲んだ。
「それにしても、凄まじい戦いぶりでしたね。魔王軍と激闘を繰り広げたという伝説、嘘偽りなしと感心いたしました」
フロンは改めてフィーヨに礼を述べた。そもそも、三人組に出会ってなければ、追手に捕まっていたであろうし、どうにか逃げ延びても、今度は小鬼の群れと遭遇し、命を散らせていたのは間違いない。そう考えると、自分は相当な運に恵まれており、それをもたらした目の前の恩人に感謝の気持ちがわいてくるというものだ。
「まあ、あの程度でしたら問題ありませんわ。毎月魔王と戦っている身としては、危機の内にも入りません」
「確かに。それで、先程の二匹の蛇、武器に姿を変えたり、色々とやっていたようですが、何かの魔術の道具でしょうか?」
フロンの質問に、フィーヨは表情を変えた。哀愁を漂わせ、はるか遠くを見据えるような、とても寂しそうな顔だ。
「これは・・・、私を助けるために犠牲となったお兄様の残してくれた物です」
「兄・・・、というと確か《五君》の一人で《苛烈帝》の二つ名で呼ばれた皇帝ヘルギィ」
記憶力のいいフロンは、吟遊詩人の歌った東大陸の英雄譚をしっかりと覚えていた。それによると、フィーヨにはヘルギィという兄がおり、そちらが本来の正当な皇帝であったが、ヘルギィが若くして亡くなり、やむなくフィーヨが帝位を継いだと記憶していた。
「私、その二つ名嫌いなんですよね。お兄様こそ《慈愛帝》の名がふさわしいというのに」
フィーヨは首を横に振り、そして、大きなため息を吐いた。
フィーヨにとっては、兄の死が何よりも苦々しい過去の記憶であった。しかも、その死には自分が関わっており、それが一層自分自身を苦しめる結果にもなっていた。
なぜあんなにも優しい兄が死なねばならなかったのか、なぜ自分よりも遥かに優れた兄が死なねばならぬのか、なぜ凡才の自分が天才の兄の代わりに皇帝を務めねばならぬのか、問うても答えが出ない自問に、フィーヨは常に苦しめられてきた。
もし、兄が死んでなければ皇帝となることもなく、今ほど激動の人生を送らなかったであろうと常々考えていた。
「私が生まれたのは『奉神国』とも呼ばれるスヴァ帝国。東大陸の西部の大半を領有する大きな国でした。皇帝であった父と奴隷の母との間に生まれた私生児、それが私です。母は奴隷ではありましたが、誰も見たことがないような絶世の美女だったらしく、皇帝が買い上げたそうです。母の身分が問題となって私は実子とは認められなかったので、母が産後程なくして亡くなると、帝都の外れにあった軍神の神殿に預けられました。そんな不遇の幼少期を過ごしていたのですが、ヘルギィお兄様だけが私に優しくしてくれました。ヘルギィお兄様も下級貴族の娘との間に生まれた子なので、境遇が似ていた私にとても優しくしてくれました。まあ、皇后との間に生まれた他の皇子と仲が悪かったというのもあるのでしょうが」
フロンはフィーヨの歩んできた苦難の人生を僅かばかりとは言え知ることができた。父である者を、皇帝、と吐き捨てるように言う様子からも関係は破綻しているのであろうことも察した。同時に兄に対しては絶対的な信頼を置いていることも。
「まあ、世継ぎの問題はどこの貴族でもありがちな問題ですからな」
「そして、私は死にました」
フィーヨから飛び出した意外過ぎる言葉は、フロンは目を丸くして驚いた。死んだというのであれば、目の前の女性は一体なんだというのか?
「帝都に流行り病が出た時期がありまして、私はそれにかかって命を落とすことになりました。そして、お兄様は激怒し、無能な皇帝を引きずり下ろすため、私を“蘇生”させるために簒奪を画策しました。唯一の味方と言ってもいい次席宮廷魔術師と共に・・・。あ、ちなみに、この当時の次席宮廷魔術師が後に《二十士》の一人で《氷の魔女》の二つ名でと呼ばれていますわ。私の代になっても宮廷魔術師を続け、嫌々ながらも支えてくれました」
フロンは《氷の魔女》の二つ名にも聞き覚えがあった。英雄譚に登場するミリィエという名の女性の魔術師で、氷雪系の術を得意とし、その術を受けた者は魂すらも凍らせるという。
「まあ、考えてみれば正妻との子がいるなら、妾の子には余程のことがない限り、皇帝の位が回ってくるなんてことないでしょうしね」
「ええ。お兄様は文字通り皆殺しにしたのです。自分以外の帝位の継承者となる者を全員。ある者は流行り病に見せかけて、ある者は狩猟の際に猛獣に襲わせて、あるいは事故に見せかけて、ついには皇帝の直系男児どころか継承権持ちの近親者も残らず死に絶え、お兄様だけが残りました。そうなると皇帝は妾腹の皇子であろうともお兄様の継承権を認めざるを得なくなりました。そして、仕上げとして皇帝を幽閉して帝位を簒奪、晴れて皇帝に昇りつめた」
《苛烈帝》の名に偽りなし、フロンの率直にそう思った。
「では、なぜお兄様がそうまで手際よく事を進めれたのかというと、実は魔王軍と裏で繋がっていたからです」
「な・・・、フィーヨ殿の兄上が魔王と結託していたと!?」
フロンにとっては驚くべき事実であった。もちろん、魔王側に付いて利益を得ようとする人間も出ようというものだが、英雄と称えられる者が魔王側に与していたなどとは考えもしていなかったからだ。
しかも、ヘルギィは皇帝だ。国ごと魔王陣営に走るとは想像を絶する状況であった。
「魔王陣営も魔王復活が間近に迫っていた頃で、人間側にも自身の手駒になるような勢力を築くように裏から方々へ手を回していたのです。お兄様はその誘いに乗り、まんまと帝位を手にし、私の蘇生に必要な様々な術式や道具の準備を進めることができました。もっとも、あとで魔王軍すら出し抜いてしまいますが」
魔王相手にペテンを仕掛けるとは、とんでもない胆力と知略がなくては不可能だろう。だが、目の前の死んだ人間が生きて、今自分と話しているのが達成された証であろう。
「まあ、実際は繋がっていたのは《氷の魔女》で、お兄様はそちらを通じて魔王側とやり取りをしていたのですが、お兄様のずば抜けた才覚に逆に《氷の魔女》が心服し、結果お兄様に忠誠を誓って魔王側を引っかけたのですが」
「そして、フィーヨ殿は蘇生の儀式が成功した、と」
「ええ。最後の詰めさえ誤らなければ、すべてが上手くいったのですが」
フィーヨはうつむき、ブルブルと両手が震えだした。余程の耐え難い記憶が脳裏に浮かんでいるんだと、フロンは感じた。
「『神を倒す』が口癖のとんでもない魔術師がいましてね。皆からは《狂気の具現者》などと呼ばれていました。それが横槍を入れてきたのです。その魔術師は魔王軍とは違う完全な第三勢力。お兄様は遠征に出ていた隙を突かれて、隠されていたはずの研究所が襲撃されました。そして、留守を預かっていた《氷の魔女》も退け、儀式が成功してあとは目覚めるのを待つだけだった私と、数々の研究成果や道具を奪われた」
フィーヨの声が無意識的に強くなった。その口にしている事象がなければ、あんなことが起こらなければ、そう声色から漏れている。
「知らせを聞いたお兄様は私を取り返すために、《狂気の具現者》の下へと急いだのですが、そこで立ちふさがったのがそいつの娘フリエスなのです」
「フリエス殿が!?」
フィーヨとフリエスの意外な因縁に、フロンは思わず声を上げた。まさか、魔王と戦う英雄同士が激突していたとは思いもよらなかったからだ。
「雷神の力をその身に降ろしたフリエスの力は、まさに圧倒的でしたわ。お兄様も付き従っていた《氷の魔女》もその力に敗れかけました。そんな時、後に私の夫となる《二十士》の一人で《天空の騎士》の二つ名を持つことになるルイングラム様が助太刀してくれました。お兄様とルイングラム様は敵対関係にありました。ルイングラム様は『信竜国』とも呼ばれる北の大国ヴァル帝国の将軍でした。皇帝と対立国の重臣という敵対関係ではありましたが、ルイングラム様は政治上の対立よりも因縁浅からぬ《狂気の具現者》を倒すことを優先してくれたのです。そして、フリエスを昏倒させ、相手を仕留めることができました」
「魔王軍以外とも壮絶な戦いを繰り広げていたとは・・・」
「しかし、フリエスから受けた傷が深すぎて、結局お兄様はそのまま息を引き取りました。私はルイングラム様に引き取られ、剣術から政治学、貴族の礼法まで色々と教わり、巡り巡って空位となっていた皇帝となり、お兄様から受け継いだ剣と玉座を守り抜きました」
伝説では語られない歴史の裏話、それが本人の口から語られ、フロンは思わずうなってしまう。吟遊詩人の歌は勇壮に、壮大に、英雄の活躍を語っている。だが、実際は数多の苦渋や悪意が重なり、決して物語通りなどではないと思い知らされた。
そして、今の話の通りならば、フィーヨは今、兄の仇と共に旅をしているのだ。
「フィーヨ殿はフリエス殿に恨みなどは抱いていないのですか?」
「まあ、フリエスは正気ではありませんでしたし、操られただけですからね。恨むに恨めませんわ。それに、その戦いの後はルイングラム様の伝手でムドール家に引き取られましたし、しっかり鍛えなおしていただけましたしね。・・・あ、フリエスが言ってる父さんってのは、《狂気の具現者》の方ではなくて、フリエスを養子に迎えたムドール家の現当主の方ね。こちらは《二十士》の一人で《全てを知る者》の二つ名で呼ばれる最強の魔術師にして最高の賢者にして最悪の変態トゥルマース=ムドール」
「その通り!」
声のする方にはフリエスが立っていた。父親が変態呼ばわりされたというのに、全力で肯定する当たり、フリエスの父親は相当な変わり者なのだろう。
だが、それよりも問題なのはフリエスの格好だ。そう、フリエスは裸であった。首飾りを下げただけの、一糸まとわぬ完全な裸体を堂々と晒していた。
フロンは慌てて顔を背けた。その上で、手で目を覆い、何か言いたそうに口をモゴモゴさせた。
しかし、フリエスはそんなことなどお構いなしに焚火のそばに腰かけた。
「フリエス、服は?」
「ビリビリに破られちゃった。あいつ、ちょっと乱暴すぎよ!」
フリエスは水筒に手を伸ばし、ごくごくと中身を飲み干した。
「予備の服は?」
「昨日、消し炭になっちゃったじゃない」
「あぁ~、そうだったわ、まったく」
フリエスは自分が身に着けていた外套を投げた。フリエスはそれを受け取り、体に巻き付けた。
「今日は随分と激しかったようで・・・。それで、具合はどうでした?」
「いや、栄養補給に感想を求められても困るわ」
フリエスはあくまで飼い犬への餌やりとしての態度を崩さなかった。
「にしても、凄まじいわね、周囲の状況。《慈愛帝》の二つ名が泣いてるわ。小鬼も満月の夜じゃなきゃ逃げられたのに、突っかかった相手が悪すぎたわね」
「フリエス、あのねぇ、私はいつでも優しい皇帝ですよ。・・・身内限定ですが」
フィーヨは優しい笑顔を作り出したが、フリエスは肩をすくめる。周囲に転がる死体の山を見て、優しい皇帝などと信じる者はいないであろう。
「それよりも、フリエス、年頃・・・、とは言い難いけど、女性が紳士の前で裸体を晒すものではないわ。人里に着いたら、まずは服を調達しましょう」
「はいはいっと。フロンさんもそんな赤面することもないでしょうに。あ、もしかして、女性経験ないの? なんだったら、あたしで初めて済ませとく?」
ズケズケと下品に物言うフリエスに、フロンはさすがに呆れ返った。しかし、昨日からずっとこの調子なので慣れてしまい、少し考えてから反撃に出てみた。
「申し訳ありませんが、私は今少し豊満な女性の方が好きなので、フリエス殿は私の好みの範疇外なのですよ。ほんの少しでいいので今より大きくなったらお願いしに行きますよ」
ふふんと鼻を鳴らして言い放つフロンであったが、フリエスには殊の外効いた。頬を膨らませながら指で地面を弄り、拗ねてしまった。
「あたしだって、こんな体になるとは思わなかったし、ガリガリの子供のまんまとは思わなかったし、大きくなると思ってたし」
「でも、フリエスは戦災孤児で栄養状態も良くなかったんですし、そのまま大きくなっても、体つきはまあ、その、ねえ・・・」
「ぐぬぬ・・・」
フリエスはなにやら悔しそうに唇を噛みしめ、フィーヨを睨みつけた。フィーヨの体型は服の上からでも分かるほどしっかりと出るべきところは出て、引っ込むべきところは引っ込んでいる。四十過ぎの経産婦とは思えない体型だ。フリエスが望んで手に入れたくても手に入らない物をお持ちなのだ。この点では嫉妬以外の感情は湧いてこない。
僅かばかりだが、フリエスに反撃できたことをフロンはにやりと笑った。
「ところで、フリエス殿、ムドール家に引き取られたと言われましたが、“あの”ムドール家なのですか?」
「そう、“あの”ムドール家よ。しかも、父さんはその直系を名乗っているわ」
原初の人間とも言われる、大盗賊トブ=ムドール。この伝説に語られる人物は神々が滅んだ世界を人間中心にまとめ上げ、蠢動を始めた魔王らを多くの仲間達とともに封印し、世界に秩序をもたらしたとされる。
伝説上の人物で実在したかも分からないが、いないと魔王が封印された理由がなくなってしまうので、いたことにされていた。数々の伝説や逸話を残してはいるが、そのすべてがのちの時代に描かれた伝聞を書き記した物で、トブが存在した時代の物は現存する道具でしか推し量ることができない。
そして、多くの子孫を残したとされ、その末裔はあちこちに存在する。東西大陸のどちらにもトブ=ムドールの末裔と称する者も多い。
ただ、直系で完全なる後継者ともなると、その数は少ない。なぜなら、秘伝の奥義や術式が存在し、それを使えないならば、ムドール家直系だの、正統なる後継者だのと名乗ることを許されないからだ。
「私は養子だから魔術師や賢者としての訓練は受けたけど、ムドールの秘奥義については触れてない。まあ、弟や妹が生まれてるし、跡継ぎはそっちね。こっちとしてはあんな危険極まる術式を引き受けなくてよかったとも思ってるけどね」
「ムドールはこちらの大陸にもいますが、たしか今の魔術師組合の代表だったかと」
「へぇ~。そうなんだ。なら、そのうち会いに行ってみますか」
現在、旅の目的を失っていたので、何かしらの目的ができるのは歓迎だった。と言っても、白鳥の依頼もどうにかしないといけなかったが。
「まあ、皆さんことはおおよそ分かりましたが、手紙の受け渡し以外になにかしらの目的をお持ちのようですが、どのようなことで?」
「神様をぶち殺すことよ」
ズバリとフリエスが言い切る。大言壮語にも聞こえるが、フロンの見るフリエスの眼は至極真面目で、フィーヨも怒りをたぎらせた眼になっていた。
「あたしは自ら望んで神の力を降ろした。そして、神の力を手に入れた。その代償として時の流れはあたしを置き去りにした。ずっとこのままなら、あたしは不老不死のままこの世の終わりまで生き続けることになる。父さんも、母さんも、弟も、妹も、友人も、知人も、みんないずれいなくなる。新たな縁も、いずれは消えてしまう。今はともかく、そのうち耐えられなくなると思う。だから、あたしは自分を殺したい」
まさかの自殺の表明。フロンにとってはフリエスの言葉は意外だった。セラの三大欲求が“自殺願望”だと言っていたが、まさかフリエスもそれを抱えていたとは思いもしなかった。
「復讐したいから、力が欲しかった。だからあいつの口車に乗って神を降ろした。必要なくなったから、神を辞めたくなった。わがままだってのは承知してる。無茶苦茶だってのも承知してる。でも、私は人として死にたい。だから、神を殺す。人として死ぬために」
「複雑な心情ですな。しかし、もったいないと言うか、不老不死は得ようと思って得られるものではありません。昔話や伝説などにも、不老不死を求めてやらかしてしまう話がいくつもあります。そして、フリエス殿はそれをいらない、と」
「ええ、いらないわ。安易な気持ちで不老不死なんて得るもんじゃないわ。それこそ“一生”かけて後悔することになる」
結局、どれだけの力を得ようが、人間には神の力は重すぎるということなのだろうか。フロンにはもはや別世界の感覚であり、その苦しみを理解できそうになかった。
「フィーヨ殿も神殺しを?」
「私は一度死にました。ですが、お兄様は神が定めた生死の循環を捻じ曲げて、私を生き返らせてくれました。だから、今度は私がやります。私は愛するお兄様を、ルイングラム様を、二人を生き返らせたい。そして、お二人や子らとともに、家族で仲良く過ごしたい。神の定めた摂理がそれを咎め、邪魔しようというのなら、神の書いた規定書を書き直して差し上げます。神を冒涜することになろうとも、神を殺すことになろうとも」
神への殺害宣言をする神官とは、なかなかに斬新だとフロンは思った。
「ええっと、軍神にお仕えする神官として、色々とまずいのでは?」
「軍神マルヴァンス様はその辺りは寛容、というか煽ってきます。以前、先程と同じことを軍神に告白したことがあるのですが、その時の答えが『とにかく頑張れ!』でした」
いいのか軍神、とフロンは思わず突っ込みそうになった。いくらなんでも神様殺しますと宣言している自分の召使いに声援を送るとは。
「なんというか、軍神は知恵や勇気を振り絞り、大敵に立ち向かおうする者にはついつい応援したくなるそうで。贄という名の奉仕もしっかりしているので、むしろ気にかけていただいてるくらいです」
「・・・神様も色々なんだな」
神は、“どこにでもいてどこにもいない”存在であると賢者はまことしやかに語る。神は遥かな昔に肉体を失い、魂だけの存在として精神世界に留まっている。そして、物質世界であるこの世への関りを得るため、様々な形で干渉しようとしてくる。しかし、干渉に必要な神力を信仰力という形で得るとされ、夢枕に立って神託を授けたり、神力を行使して奇跡を起こしたりして、信仰心を呼び起こすように促す。
信者は贄という奉仕と信仰心の対価として、神の奇跡を授かる。願いを叶えてもらったり、神の術式を伝授されたりする。そして、更なる信仰心のために信者は奔走する。その繰り返しによって、神は世界への干渉を強めるのだ。
神がなぜ滅び、それでもなお世界に干渉しようとするのか、それは誰も知らない。神はこの問いかけにだけは、決して答えようとしないからだ。
フロンも神を信仰している。酒杯神エウルがそれだ。といっても、フィーヨのように神の奇跡を分け与えられるほど深く信仰しているわけではない。せいぜい、いい酒ができますようにと、葡萄畑や醸造所の近くにある祠を綺麗に掃除し、お祈りする程度だ。
レウマ国に伝わるおとぎ話では、酒杯神は人の姿を借りて、時折祭りの席に紛れ込み、大酒を飲んでは愉快に踊って歌い、良い酒を造った者に奇跡という名の褒美を与える、というのがある。そのため、葡萄農家も酒職人も、酒杯神の喜ぶ姿を拝むため、今日も酒造りに精を出すのだ。
「セラも神殺しが目的ね。相手は邪神だけど。まあ、あくまで邪神の洗礼と祝福を受けずに、暴走しない体になりたいってことよ。『いっそのこと、月でも潰すか』とか『目ざわりだから、太陽も吹っ飛ばすか』なんて無茶苦茶なこと言ってたけど、あるいはそれが正解かもね」
「結局のところ、皆さんは目的こそ違いますが、神様に一発ぶちかます、という過程の点で共通してるので一緒に旅をしているのですね?」
「まあ、そういう感じにもなるのかな。白鳥にがっぽり路銀せびってね。手紙の件は忘れよう・・・、うん、忘れよう」
フリエスは自分のやらかしを必死で忘れようと何度も何度も自分に言い聞かせる。
「で、そのセラは?」
「あっちでぐ~すか寝息立ててるわ。満足そうな顔しながら。出すもん全部出したら、暴走も収まったわよ。飼い主の務めとはいえ、早いとこ何とかしたいわ。いっそ、放し飼いにして餌は自給してもらおうかしら」
さらっと、フリエスがとんでもないことを口に出す。毎月、満月の夜に村や町が一つ消える危機が起こるなど、災厄以外の何物でもない。
「そういえば、セラ殿はフリエス殿とつるむまでは、どのように毎月の暴走をどうにかしていたのですか?」
「どうにもしてない。暴走するに任せてた。だから、毎月、村や町がボロボロにされた。でも、誰も気にしなかった。なぜなら、戦争に次ぐ戦争で、村が消えるなんて日常茶飯事。なので、潰れた村が戦争に巻き込まれたか、山賊やなんかに襲われたか、魔族に滅ぼされたか、なんて考えてる余裕がなかった。てか、今は落ち着いてるけど、あいつはそもそも魔族だし、自称魔王だし、その辺気にするとでも?」
言われてみればその通りだ、とフロンは納得してしまった。同時に、東大陸という世界が戦乱によって、村一つ潰れても誰も気にもしないくらいに荒廃していたのだと驚愕した。
フロンは日々の仕事をこなしながら、東西大陸の交流という一大事業に興味を持ち、方々から情報を集めていた。東大陸との交流が始まって一年ほどでしかないが、吟遊詩人の歌を聴いたり、冒険者組合を通じてそれなりに情報を集めてきた。だが、実際に最前線で戦い続けてきた者の話を聞くと、表面を掬っていた程度の拙い知識であったと思い知らされた。
「でも、魔王との戦いも終わり、戦乱が終結すると、セラは明らかに浮いた存在になったのよね~。セラの暴走を放っておくと、いずれは新たな魔王として討伐の話が出るに決まっているわ。それを避けるため、父さんは色々と暴走を抑える方法を考案しては試してみたんだけど、結局は上手くいかなかった。効果がなかったり、手間がかかりすぎて維持できなかったりしてね。で、結局あたしが引き受けて、今みたいな状態になった。普段は普通に暮らし、満月の夜だけ人里離れた僻地に移動して、暴走に対処した」
「で、抑え役として私も駆り出されたり、他の英雄の生き残りも手を貸したりと、毎月一度の同窓会といったところでしたわ」
物騒な同窓会だと思ったが、フロンには同時に疑問が浮かび上がる。
「こう言ってはなんですが、そこまでしてセラ殿を生かしておく理由とはなんですか? 被害のことを考えると、討伐という結論が出るのは当然かと」
「フロンさんの言葉は最もだと思う。あの戦争を生き残った英雄達もそう考えた。でも、たった二人、父さんと白鳥だけが反対した。『敵対者を容赦なく排除する、そういうのは戦乱の終わりとともに終わりにしたい。話の通じない怪物等ではなく、通じる相手ならばなおのことな』、『事が終わってからはい処分、というのは後ろめたすぎるだろ』と言ってみんなを説得したわ。で、結局それに渋々従うことにして、ムドール家が責任をもって飼うなら不問にするってことになった」
飼い主と番犬の関係になった経緯を知って、フロンは状況に納得した。やはりムドール家の影響力たるや凄まじいとも実感した。
「ちなみに、“後ろめたさ”とは?」
「かつての大戦で《五君・二十士》という合計で二十五人の英雄が活躍したってことになってるけど、その最後の戦いたる魔王との決戦に赴いたのは、《英雄王》、《剣星》、《虹色天使》、《全盲の導師》、《全てを知る者》、《小さな雷神》の六人。これにセラを加えた計七人で挑み、魔王を打倒した。つまり、セラは魔王討伐の功労者でもあるのよ。ちなみに、セラは魔王を裏切ったとかそういうのじゃなくて、『強い奴と戦って、さらに強くなる』ために、大戦中は好き放題暴れたあげく、最終的には魔王にまで喧嘩を売ったそうよ」
「なるほど・・・。セラ殿らしいと言えばらしいですね。それに魔族とはいえ、功労者を始末するのは後味が悪い、と。・・・あれ、フィーヨ殿は?」
決戦参加者にフィーヨの二つ名《慈愛帝》がなかったことに気づき、フロンは尋ねてみた。すると、フィーヨは何とも言えない残念そうな顔をしながら首を横に振った。
「二十五人の英雄がいましたが、すでに戦死していたり、深手で戦線離脱していたりして参加できない者が幾人もいました。そして、私が参加しなかったのは“戦力外通告”よ。つまり、足手まといだから参加しなくていいって言われました」
フィーヨの口から出た言葉は、フロンにとっては信じられない衝撃的な内容だった。先程の凄まじい戦いぶりを見た後である。あれほどの腕前を持ちながら、足手まといと言われるとは、参加した顔ぶれがどれほど抜きんでた存在か、大きすぎて想像すらできなかった。
「ちなみに、あたしも危うく戦力外通告出そうになったわよ。でも、父さんが『並外れた自己治癒能力あるし、盾役としては申し分ない』とか言って参加を許してくれた。てか、よく考えてみたら、魔王との決戦に際して十そこそこの娘に向かって、『お前盾役な』で参戦させちゃう父さんって結構鬼畜よね」
「何を今更・・・。あの人は勝利のためには、身内であれ、親友であれ犠牲にできる人ですよ。だからこそ、魔王に勝てたし、その後の面倒事も全部片づけた。《全てを知る者》の二つ名は嘘偽りなき最高の賢者にして、最強の魔術師の証です」
二人の会話を聞いていると、最高の賢者への信頼の度合いが伝わってくる。フロンにとっては今向かっている師アルコへのそれと同じだ。
なにしろ、魔王という強大な相手を数多の激戦を繰り広げてきたのだ。互いの信頼感は相当な物であろう。
「ところでフロンさん、あなたのお師匠さん、アルコ先生だっけ? 合流してどうするの?」
「アルコ師は優秀な魔術師で、お一人でも相当お強いのですが、すでに齢八十を迎えられているので、戦闘は難しいと思います。しかし、賢者としての知恵や知識、そして名声。これを軸にして、国内の戦力を結集させていきます。まあ、私を始め、生き残った他の伯爵家との連携は必須ですが・・・。とにかく、今は情報収集と戦力の結集です」
「まあ、妥当なところね。あたしとフィーヨも戦力に入れといていいからね。まあ、報酬は上がっちゃうけど、そこは働きに対しての正当な対価ってことでね」
業物の宝剣は返してしまったので、貰えるものは貰っておかないといけない。フリエスとしてはこの仕事をなんとしても成功しなくてはならなかった。
路銀は白鳥からかなりの額を貰っているので問題ないが、今足りないのは情報と名声である。そのため、この仕事を無事片づけ、一国の救世主という名声を得るのは重要である。また、情報源としてこの国の重臣と繋がっておくのも当然である。
西大陸での足場固めのため、この仕事はなんとしても成功させねばならないと、フリエスは決意を新たにする。
「セラ殿は戦力として見ていないのは、いかなる理由で?」
「あいつは基本的に強い奴としか戦わないからよ。昨日も、最初は全然動かなかったでしょう? あいつが前に立つときは、何かしらの義理立てか、もしくは強敵が出てきたときよ。あとは気まぐれ。まあ、そういうヤバい事態になった時の切り札でもあるから、手放さないように飼ってるの」
強くなる、ただそれだけが行動原理の自称魔王セラ、それが傍にいるのが吉となるか凶となるか、フロンには分からない。ただ今は少しでも戦力が欲しい。この国を襲う災厄を振り払うため、いざともなれば女神に媚を売りつつ、魔王と握手することも辞さない、とフロンは満月に誓った。例えそれが邪神の眼と知ってはいても。
「ま、話はここらにして寝ましょうか。結界は張ってあるし、朝までぐっすりよ」
そう言ってフリエスは横になり、早々と夢の世界へと旅立っていった。他の二人もまた、横になって眠りに落ちていった。
こうして、騒々しくも知見を広めることにもなった満月の夜も終わる。明日には更なる苦難が待ち受けているとも知らず、皆が眠りにつく。
~ 第五話へ続く ~