第十七話 大賢者と竜王
東大陸のとある山中。大陸北東部にある険しい山々が連なる最奥部、そこは『竜の住処』と呼ばれる場所が存在していた。大きな湖と果てしなく広がる山林があり、そこの湖を中心にして多くの竜が住んでいるのだ。
翼を持たぬ者は踏み入れないとも言われており、仮に踏み入れても数多の竜に取り囲まれ、焼き殺されるか潰されるかのどちらかの運命を選ばされることになる。
二十年ほど前に、ここに立ち入り生還した者もいるが、それこそ稀有な例であり、生きては帰れぬ恐ろしい秘境、それが『竜の住処』だ。
だが、何事にも例外は存在するものである。その男には翼はないが、魔術の足はある。〈瞬間移動〉の術で湖まで飛び、そこから程近い場所にある洞窟へと足を踏み入れた。
洞窟の中は暗く、少し奥まで行くと、すぐに日の光が届かなくなり、手に持つ杖に魔術の光を灯し、さらに奥へと進んでいった。
そして、男は辿り着いた。生きているのかどうか分からないほどにゆっくりとした呼吸をする、巨大な黒い鱗を持つ竜の目の前に立った。たとえ深く眠りに着いていたとしても、圧倒的な存在感と溢れ出る力の波動は隠し切れず、並の人間であれば、その姿を見ただけで失神してしまうであろう。
男はその姿に見惚れているが、今日はそんな物見遊山をしに来たわけでなく、別の案件でこの竜に会いに来たのであった。
「竜王よ、漆黒の鱗を持つ最強の竜よ、いと猛々しき黒竜王ネイデルよ、目覚めたまえ」
男は頭をや下げて来訪を告げ、目の前で眠る黒き竜に話しかけた。すると、竜の体から光の玉が飛び出し、それが男の前までふわりと飛んできた。古の時代より存在する竜王は一度眠るとなかなか起きない。それこそ、十年二十年は余裕で眠り続けるほど、その眠りは深い。しかし、来訪者が現れたり、何かしらの用事がある場合は、体は眠ったままであるが、精神体を飛ばして対処するようにしていた。
今も眠っている真っ最中なのだが、来訪者が来たので精神体を飛ばして対応しているのだ。
「誰かと思えば、我が朋友トブの裔か。久しいな、トゥルマースよ」
男は竜王に今一度頭を下げ、丁寧に挨拶をした。
「お久しぶりです、竜王ネイデル。急な来訪ゆえ、先触れを出さずに訪れたことをまずは陳謝を」
「礼は不要。前にそう言ったはずだぞ、トゥルマース」
ネイデルは久方ぶりの来訪者を歓迎し、その感情を表すかのように光の玉がチカチカ光った。
トゥルマース=ムドールは《全てを知る者》の二つ名で知られる、東大陸最強の魔術師にして最高の賢者であり、そしてフリエスの養父だ。伝説の大盗賊トブ=ムドールの末裔を名乗り、一族秘伝の術式を使うことができる。
かつて《英雄王》の存命中はその片腕として辣腕を振るい、その魔術と頭脳を以て魔王軍を撃滅した。しかし、親友でもある《英雄王》が亡くなると全ての官職を退き、妻である将軍のヘルヴォリンとともに僻地で陰棲するようになり、フリエスへの訓練や他二名の実子の養育を行っていた。
その傍ら、失伝した古代の技術である竜脈の活用法の研究を進めたり、魔術の技術者、研究者として過ごしてきた。
「まずは竜王の娘御についてですが」
「知っておる。西の大陸に渡って行ったのであろう? まったく、あのお転婆者めが。いずれは竜族を引っ張っていく者としての自覚がいささか足りぬわ。ヴァニラには、今少しその辺りの躾をしておくべきであったわ」
トゥルマースにはネイデルがふて腐れているように感じた。竜族は個体数が少く、産卵も百年に一度、あるかないかという程だ。そのために、自身の卵より生まれ出た者には、特段の愛情を注ぐ傾向にある。ネイデルも竜王という立場にはあったが、やはり娘が可愛くて仕方がないのだ。なるべく、自分の側近くに置いておきたいという気持ちが強く出てしまった。
「申し訳ありません。私の娘が呼び込んでしまったようで、海に出てしまいましてな」
「ふむ、あの雷神を称する娘か。実力的にはまだまだだが、伸びる余地はある。前も、ヴァニラが家出したときも、あやつが誘いに来ておったな」
「左様でございます。重ね重ね、お詫び申し上げます」
トゥルマースは恭しく再び竜王に向かって頭を下げた。トゥルマースは基本的にはちゃらけた性格ではあるが、それでも宮仕えの経験もあるのでそのあたりの礼儀作法については身に付いており、きちんと礼を尽くす場面ではしっかりと振舞えるのであった。なにしろ、目の前にいるのは太古の昔より存在し、神にも迫るほどの実力者である。現在、この世界においては間違いなく五指に入るほどの力を有しているのだ。礼を尽くすのは当然と言えた。
「まあ、そのような私的な案件で、わざわざこのような辺境まで訪れたわけではあるまい。気兼ねなく話してみよ」
「では、二つほどお聞きしたことがございます。一つ目の質問なのですが、我が始祖たる大盗賊トブ=ムドール、どのような方でありましょうか?」
トゥルマースから発せられた質問は意外であったらしく、ネイデルの精神体は何度か激しく光り、そして元の淡い発光体へと戻った。
「我が朋友のことを、か。お主もその裔として、色々聞いておろうに、なぜわざわざ尋ねるのか?」
「トブに実際に会ったことがあるのが、他でもない、竜王しかおられぬからです」
伝承によると、遥かな昔、竜王ネイデルは一族を率い、“空の魔王”と称される十二魔王の一角に位置する大怪鳥ズゥツウと戦ったとされる。大気を自在に操る魔王の圧倒的な力の前に苦戦を強いられるが、トブとその盟友たる《天空の騎士》エルカロンがこれに加勢し、共にズゥツウを討ち果たした。
ちなみに、トゥルマースの親友であり、フィーヨの夫であるルイングラムはエルカロンと同じ二つ名で呼ばれているが、これはかつての竜に跨る伝説の大英雄の再来と人々から目されたため、自然とそう呼ばれるようになったのだ。なにしろ、ルイングラムが騎乗していた竜は、ネイデルの卵より生まれしヴァニラであるのだから、人々が伝説を思い浮かべるのも、無理からぬことであった。
「我が朋友トブは、“人”の枠組みを超えた存在。この地上のあらゆる者より強い超越者であった。元は脆弱な存在であったと聞いているが、かの者はとんでもない能力を持っていた。それは己の眼で捉えた技、術を読み解き、それを自分のものにしていまうというもの。種族固有の能力以外は全て模倣できる、それがトブという者だ」
知っていたこととはいえ、改めて自身の先祖のことを聞かされて、とんでもない人物だとトゥルマースは戦慄した。見ただけで相手の技や術を模倣する。研鑽も何もあったものではない。それ故に、あらゆる能力を盗み取る彼を“大盗賊”と呼ぶのだ。
「だが、それは彼の一側面に過ぎぬ。真に偉大であったのは、“落とし込み”だ」
竜王はそう断言する。今日の人族の繁栄は、トブが行った“落とし込み”あってのものだとネイデルは考えていた。
“落とし込み”とは、トブが得た技や術を並の人間でも使えるように、難度を落として使いやすくしたものだ。原初の人間は“神”によく似た姿で作られたが、特にこれと言った特徴のない種族であった。それが劇的に変化したのが、トブの登場である。
トブは自身の能力を使ってありとあらゆるものを吸収した。技術や魔術、それは多岐にわたり、そのすべてを人間が使えるまでに改良を加え、教えていったのだ。
例えば、魚人族は水を支配し、泳ぐことを得意とする。しかし、火が使えない。大地の妖精は鍛冶を始めとする加工技術に優れているが、泳ぐことが出来ない。森の妖精は手先が器用で弓を得意とし、魔術の才も高い。しかし、華奢な体付きで力は弱い。このように、種族によって得手不得手が存在し、その適正にあった技術が備わっている。
しかし、“人”はそれらすべてを使うことが出来た。無論、他種族の得意分野であれば、当然ながら劣るのであるが、“使用不能”なほどに苦手なものが存在しないのが人族なのだ。泳ぐことはできるし、鍛冶をこなせるし、弓も使えて、魔術も使える、力もそれなりに強い。つまり、“なんでもできる”のが人族の強みであり、それを可能にしたのがトブの能力と、それを誰でも使えるようにした“落とし込み”だ。
あらゆることがそれなりにでき、そこそこの繁殖力があり、そこに“文字”の発明がどこかの段階で加わったことにより、人族の繁栄は確定したといってもよい。今日、この世界における最大の勢力は、他でもない“人”なのだ。
個体の能力で言えば、明らかに竜の方が強い。しかし、竜は繁殖力が弱すぎて、個体数が少ないという致命的な弱点がある。人族には数で押し負けてしまう。
これらがあるからこそ“大盗賊”トブは人類の始祖と呼ばれ、十二魔王を退けた功績も相まって、今日でもその偉業が讃えられているのだ。
「竜王よ、思い出話に水を差すようで申し訳ないが、私が尋ねておりますのはトブの能力や偉業に付いてではありません。単刀直入に申し上げれば、どのような“顔”をしていたか、です」
伝説上の人物として、そうした歴史的、伝説的な場面の絵画や彫刻などの題材になることは珍しくない。しかし、その姿形には統一性が見られない。なにしろ、容姿に関する記述が一切ないからだ。トブがいたころの時代には文字があったかどうかさえ不明であり、そのため後世に伝わってないのだ。統一国家『魔導国』の時代の文献は、あくまでそれ以前の時代に付いては口伝を文字におこしただけであり、正確性に欠ける。現にトブの伝承も場所によって違いがいくつもあり、どれが本物か分かったものではないのだ。
「つまり、実際見たことのある者から聞くのが早い、そういうわけだな」
「はい、生き証人なれば情報の正確性もあがるというものです」
「道理ではあるな。しかし、残念なことに、トブの顔を“思い出せない”のだ」
ネイデルの回答を聞いた瞬間、トゥルマースの顔が強ばった。この回答はいくつか考えていた予想の中にはあったが、実際に聞くのはやはり衝撃的であったのだ。
「“忘れた”のではなく、“思い出せない”と?」
「お主に指摘されて気付かされたわ。どういうことだ? 我が背にあやつやエルカロンを初めとする仲間らを乗せて飛び回っていた記憶はある。だが、どういうわけか、その姿に関する記憶だけが、ぽっかりと空いておる」
口調から、ネイデルが動揺していることが伝わってきた。竜王といえど、あまりに予想外な出来事に混乱し始めていた。
「竜王よ、トブが“始めからいなかった”という可能性は?」
「それはない。断言できる。あやつと駆け回った日々は本物だ。あれが嘘だというのであれば、この世の全ては夢幻よ」
魔王との戦いの日々は記憶の中に生々しい残っている。受けた傷の痛みは、体がしっかりと覚えている。裂かれた翼、穿たれた鱗、潰された足、どれも頭にも体にも残っている痛みだ。傷は癒えようとも、その記憶は脳裏に刻み込まれている。
「トブは存在する。だが、姿形は思い出せぬ。男か女かすら分からぬ。あやつが全てを手にし、全てを与えたのは確かだ。だが、容姿に関する記憶だけがない。まるで、盗まれたか消されたかのように。指摘されるまで考えることすらなかった」
「指摘されるまで、か」
ネイデルの動揺はトゥルマースも痛感していた。なにしろ、自分にもそれが当てはまっていたからだ。そう、“あいつ”の資料を読み解くまで、思考することすらなかったことがいくつもあったのだ。
自分に及びもしないことを思考する、賢者としては完敗だと言わざるを言わざるを得ない。見ている視点、考える立ち位置、全てが狂人の後追いでしかない。
手にした数々の資料すら、わざと渡されたような手掛かりではなかったのかと勘繰ってしまうほどだ。
だが、そこでふて腐れている立ち止まるような脆弱な精神構造を、トゥルマースはしていない。“諦めの悪さ”もまた、英雄に必要な条件だからだ。
「それはそれとして、次なる質問と参りましょう。“雷神”フリエスをご存知ですか?」
「それはお主の娘ことであろうが」
「違います。私の娘はフリエス=ムドールであって、“雷神”フリエスではありません。娘に降ろされている雷神と称される何かについてです」
トゥルマースが抱く最大の疑問は、自身の娘のことだ。その正体がなんであるのか、これはずっと彼が追い求めてきた事柄でもある。なにしろ、“雷神”フリエスに関する情報が、あまりにも少なすぎるからだ。
「我もよくは知らぬが、神は八百万と称されるほどに存在する。よく知らぬ神がいたとしても不思議ではあるまい」
竜王の言は正しい。トゥルマースもまた、そのように考えていた時期があったからだ。賢者と呼ばれる自分ですら、よく知らない神がいくらでもいるからだ。
だからこそ、そこに疑問が生じる。雷神フリエスは全ての神を滅ぼし、至高神や邪神すら打ち倒した最強の女神である。そんな神話のトリを飾る神が、ほとんど誰も知らない土着神程度の扱いなのは、どういうことなのか、と。
その疑念が生じたとき、トゥルマースは雷神の存在を昔の遺跡や、あるいは神々について記されている書物を調べて回った。その結果は、たった一冊の本でのみその存在を確認できただけという、散々な結果に終わった。
ちなみに、その書物とは『神々の辞典』と題された合計で五十巻を超える長大な書物だ。百年ほど前に発見されたとされ、神それぞれの特色が記されていたり、神話での逸話が載っていたりと、およそ神に関する書物としては最高傑作だと、学者、研究者も太鼓判を押す代物だ。神を知りたければこれを読め、などという謳い文句は、これを読んだ者なら誰しもが口にする台詞である。
実際、トゥルマースもこれを読み終えており、神に関する知識の大元は、この書物から得た知識である場合が多い。名の知れた神から、一部族や地域でのみ信仰される土着の神まで、その膨大の知識量は圧巻であり、トゥルマースでなくとも、神について調べようとすれば、まずこれを手にするほどだ。
だが、この書物についての謎も多い。東大陸の魔術師組合の図書館の記録からは、百年ほど前に寄贈され、それが徐々に写本されて方々に散っていったことになっている。しかし、その由来は元より、作者も編者も一切不明の書物なのだ。
これほどの膨大な知識を溜め込んだ書物となると、その制作に関わって者の名が一切不明というのが、今にして思えば妙なものだ。しかし、神学、神話研究においては有用であるので、その点については“些細な事”として黙殺されてきた。トゥルマースも興味を抱きつつも、深く考察しようとはしなかった。研究者にとっては、誰が作ったかよりも、何が書かれているのかが重要であるからだ。
しかし、トゥルマースは以前の自分がその点を考察しなかったことを恥じ入りつつ、そのことを改めて考えることにした。そして、いくつかの推論をたて、その答え合わせとして竜王の下へと参じたのだ。
「私の調査では、一冊の本でのみその存在が確認できました。ならばと、太古の知識を蓄えられている竜王ならばとここへ参ったのですが、その竜王ですらよく知らない神であると?」
「うむ、知らぬ。我とて完全無欠の存在ではない。万能でもなければ、全知なる者ではない。知らぬこともまた多い。トブの裔よ、さしたる役には立てぬようですまぬな」
「いえ、竜王の言葉を聞き、私の推察が逆に正しかったことが、ある程度ではありますが補完されました。突然の訪問でありながら、わざわざ対応して下さり、恐縮でございました」
トゥルマースは竜王に深々と頭を下げた。そして、踵を返し、元来た道を歩き始めた。
その間も思考を続け、竜王の言と自身の推察を織り交ぜていき、次なる思考へと移った。
(私の推察が正しいとすれば、《狂気の具現者》め、とんでもないことをやりやがったな、畜生め!)
トゥルマースは頭の中で狂人ネイロウに悪態をついた。それは研究者としての嫉妬であり、魔術師としての羨望でもあった。
(雷神に関する書物は一冊だけ。遺跡には神殿や祠の類はなし。竜王にとっても未知なるもの。娘からの定期連絡で知りえた、“西の大陸に雷神の情報なし”という事実。これらのすべてを合わさり、至る結論は一つ。雷神フリエスは、“消された”神なのではなく、“書き加えられた”新しい神であるということ。つまり、“人造神”ということ。思考の前提条件の方が間違いだったのだ)
神は昔からいるものだと言う思い込み。神から人が生まれたという大前提。それらすべてが狂ってしまったのだ。もちろん、まだトゥルマースの推論に過ぎないが、そう考えた方がしっくりくる事象がいくつも見られるのだ。少なくとも、トゥルマースの中では今までの常識や前提が大きく崩れたと言える。
(人が先か、神が先か、ええい、“鶏と卵”ではないのだぞ、まったく。ネイロウめ、とんでもないことをしてくれる)
同時にトゥルマースの中でネイロウへの恐怖が増大した。もし自身の推察が正しかった場合、ネイロウは“神を造った人”となるからだ。そんなとんでもない相手と、今まで自分は張り合っていたことになる。歩いているだけだと言うのに、自然と汗が噴き出した。
気が付くと、洞窟の出口に到着し、輝く太陽がトゥルマースを突き刺した。暗いところに目が慣れていたため、眩しくて目を細めた。次第に慣れていき、澄んだ空を見上げた。
「フリエスよ、我が娘よ、お前は世界を崩壊させる存在なのかもしれんぞ。厄介なことではあるが、お前を引き受けたその時には、我が運命も決まっていたのかもしれん。だが、“親”としての責務は果たさねばなるまいて」
遥かなる果ての空の下にいる娘の顔を思い浮かべ、決意を新たにする。世界をとるか、娘をとるか、あるいは両方取るか、最強の魔術師の想いの先には、今なお無限の可能性を秘めた闇で満ちている。
~ 第十八話に続く ~




