第十五話 最後の朝餉
その日の食堂はいつも以上に盛り上がっていた。集まってきた冒険者の数は村の食堂では収まりきらず、何組も外に溢れる有り様であった。
盛り上がりも頂点に達していた。幾度となく繰り返される夜の出撃と、招かれざる来訪者の波。そして、とうとう祭りの本番、百の満月の夜がやって来るのだ。
いつものよう日が昇ると同時に村へと引き上げ、ある者は汚れを落とすために温泉に向かい、ある者は朝食を食べに食堂へと向かった。
百の満月の夜は今夜。次に太陽が沈むときに、それは訪れる。緊張している者もいるが、ワーニ村にいる面々は大いに盛り上がり、士気は極めて高かった。なにしろ、今日この時まで、なんと死者なし。毎回激戦地になるワーニ村周辺では、極めて珍しいことであり、皆がその栄誉を口々に喜んでいた。
なにしろ、押し寄せる不死者の群れを次々となぎ倒す“英雄”がいるのだ。誰しもが認める“等級外指定”、すなわち特等級冒険者部隊、!《神々への反逆者》と《混ざりし者》だ。
「あんなのと戦うのを強いられる不死者が哀れってもんよ! まあ、不死者だから滅ぼすべきなんだがな!」
調子よく酒を煽りながら豪快に笑うのはカトーであった。彼も最初はフリエスらを小馬鹿にしていたものだが、今ではその実力に心酔していた。
カトーがわざわざ叫ばずとも、周囲もそれはよくよく認識しており、誰しもがその強さを讃えた。
そして、この村にいる冒険者の最大の関心事は、なんと言ってもその英雄達が数百年にわたって続く“不死者の祭典”に終止符を打てるかどうか、であった。
この奇祭はいつから始められたのか正確なことは分かっていない。かつて存在した統一国家『魔導国』の文献にはこれの記載がないため、統一崩壊の混乱期あたりがその始まりなのではと言われている。それ以降、不死者の撃退は続けられ、今日に至っていた。
魔王モロパンティラが呪いを施したとも言われているが、それも定かではない。いつ始まり、なぜ始まったのか、誰も知らないが、誰しもが知っている祭り、それが“不死者の祭典”なのだ。
この祭りの幕引きを志した者はいたが、それを達成した者はいない。いないからこそ、今も続けられているのだ。
そして、今回こそはと、盛り上がっているのが現在のワーニ村なのであった。
後々にまで語られる伝説の一幕に見えることができるかもしれない。あわよくば、その伝説の片隅に、もしかしたら自分の出番があるかもしれない。そう考えると、この盛り上がりもやむ無きことであった。
また、盛り上がっている理由はもう一つあった。それは、提供された酒が旨いことだ。
フリエスは『酒造国』レウマを出る際、フロンから馬車とともに渡されたのが、同国の葡萄酒であった。レウマ産の葡萄酒は西大陸一の美酒として名高く、かなりの高額で取引されている。贈答品や賄賂としてよく用いられるほどだ。
しかも、フロンから渡されたのは一等品の葡萄酒が三十本もあった。市場で買おうとすれば、銀貨で四、五十枚は見ておかねばならない。
さらに最高級品『黄金樹』を六本も渡されていた。これはレウマ国の至宝たる『金の成る畑』でとれた葡萄で造られた葡萄酒で、こちらは金貨で三枚はする。まずおいそれと飲めない高嶺の花だ。
これら最高級の酒をフリエスは“無償”で提供した。元々何かしらの贈答品としてフロンが渡したのだが、フリエスはここが使いどころだと判断し、一気に放出したのだ。
今、空けられたのは一等品の葡萄酒の方で、『黄金樹』は祭りの打ち上げで開けることにした。それでも名酒と名高いレウマ産の葡萄酒であり、本番前の最後の朝餉を酒とともに楽しんだ。
「いいわね、みんな! 今夜も生き残るわよ! あの世へ先駆けしたアホウには幻の名酒の分け前はなし! 無様なへっぴり腰で戦った奴もなし! 明日の朝日をみんなで拝み、杯を掲げ、勝利を祝うわよ!」
フリエスの掛け声にあちらからもこちらからも喝采が沸き起こり、気前のいい小さな英雄を称賛した。見た目に反して凄まじい戦いぶりを見せる魔術師としてすっかり有名になっており、この村から冒険者組合に伝わり、そこからこの国に集まっている冒険者の噂に上るようになっていた。
もちろん、フリエスだけではない。セラを除く全員があれやこれやと人々の話の中に紛れ込んでいた。これを狙っていたフリエスとしては、成果は上々と満足した。
先程の酒の件も、士気を高めるためだけでなく、こうした名声の拡散を加速させる意味合いもあった。強い上に気前も良く、人当たりもよいのは、皆が想像する英雄像としては分かりやすく、それ故に人から人へと伝わっていくのだ。
ちなみに、セラだけが噂に上がってないのは、誰もセラの実力を信じてないので、ホラの一種だと思われているからだ。なにしろ、血に染まる亡霊術士王を一撃で葬ったなど、あまりにも荒唐無稽すぎて現実味がないからだ。
そのことでセラは特になんとも思ってなかった。彼が欲しいのは力と戦うに能う相手であって、名声などという形のないものには興味がないからだ。もちろん、魔王を侮る愚か者には、相応の報いを受けてもらうつもりではあったが。
そんな楽しく賑やかな光景を、フリエスは少し離れたところで眺めていた。先程の軽い演説の後、全ての部隊に声をかけて回り、それが終わってから喧騒の外れにある木にもたれ掛かっていた。
その横には、珍しくセラがいた。この手のごちゃごちゃした席が嫌いなので、宴の席にはまず顔を出さないのが常であったが、今日に限って姿を見せていたのだ。
フリエスは珍しいなと思い、一通り挨拶回りが終わった後、セラのすぐ横に移動したのだ。
「ふふっ、楽しいわね。やっぱ祭りはこうでないとね」
「あとは何人生き残れるかだな。昨夜も数に圧されて、危うかった場面もあったしな」
「熱気に水を差さないで欲しいわね。まあ、そうなんだけど」
フリエスはセラの何気ない一言に不機嫌になりつつも、間違ってはいないので頷かざるを得なかった。明日はいよいよ本番であり、昨夜よりも激しく攻め立てられるのは誰しもが認識している。しかも、八面六臂の大活躍を見せた七人は、山より現れる荒々しい不死者の波を越えるため、明日は不在となるのだ。
突破の際にどれだけ蹴散らし、あるいは上位種を引き付けれるか、これが明暗を分けてくるかもしれない。もちろん、敵軍勢を引きつけ過ぎて、火口湖まで辿り着けないのでは本末転倒もいいところだが、そのあたりの匙加減をどうするべきか、これから七人で作戦会議を行う予定ではあった。
そして、その際の策もすでにフリエスの頭の中には描かれており、それこそが唯一無二の勝利を掴みとれる策だと信じている。
「それでさ、セラ、あんたはどの程度手伝ってくれるの?」
「俺はいつもと変わらん。拳を振るうべき相手は俺自身で決める。強い奴でも出てくるか、あるいは振るうべきなにかが起こるかすれば、すぐにでも前に出るさ」
これだから戦力とは見なしにくい、フリエスは相変わらずの態度に苛立ちを感じた。しかし、強いことには違いなく、現に普通に戦えば苦戦は必至の血に染まる亡霊術士王を一撃で倒してしまっている。魔王を自称するだけのことはある、そう納得せざるを得ないのだ。
事実、フリエスは先頃の火口湖での戦いにおいて、セラに見惚れていた。自分は女神などと大層な肩書を持ち、その力を降ろしている。しかし、目の前の自称魔王と戦えば、間違いなく負けるだろう。
「名誉や肩書きってのはな、誰かに与えられるものではない。自ら生み出し、そして、“背負う”ものだ。背負うものに相応しい振る舞いと実力が求められる」
あの時にセラの発したこの言葉が、フリエスを思い悩ませていた。自分には本当に“女神”という肩書きに相応しいものを持っているのか、疑問が生じているからだ。
セラは魔王を名乗っている。周囲がそれを認めようが認めまいが、セラにとってはどうでもいいことだ。自分がそう思っていればいいだけという態度であるし、その実力を目の当たりにすればすぐに手の平を返すことを知っているからでもある。肩書きに相応しい力と振る舞い、セラはどちらも持ち合わせているからこそ、普段から余裕ある態度を見せれるのだ。
“女神”の肩書を“背負える”のか、今のフリエスには明確な答えがなかった。情けないことに、主人より飼い犬の方が、余程しっかりしていると言わざるを得ない。
そんなことを頭の中で堂々巡りさせていると、盛り上がっている席が急に静まり返った。何事かとフリエスは思考の渦から現実に引き戻されたが、その理由はすぐに分かった。
イコが現れたからだ。それも、普段来ているフードの付いた長衣ではなく、どこからか調達してきたであろう、艶やかな衣装に身を包んでいた。母親が森の妖精で父親が吸血鬼、この二人から尖った耳と犬歯を受け継いでしまい、普通の人間とはかけ離れた容姿をしていた。そのためイコは怖がられないように、普段はフードを深く被り、その姿を見せないようにしていた。
そして今、仲間以外には見せたことのないありのままの自分を晒した。それはつまり、とうとう決意を固めたということでもあった。
「お、いよいよ決めたか」
「みたいね」
フリエスもセラもイコの姿を見て、全てを察した。いよいよなけなしの勇気を振り絞るときが来たのだと。
イコはざわつく人々の間をゆっくり進み、そして、武器の手入れをしていたジョゴの前に立った。ジョゴはイコが寄ってきたことに気付き、椅子に腰かけたままそちらを見つめた。
まわりの視線が痛い。ざわつきも耳に響く。イコの素顔に対してか、あるいは着飾っていることに対してか、とにかくイコにとっては心臓に突き刺さる刺激以外のなにものでもない。
全てが静まり返って欲しい。自分以外の声は消して欲しい。そう願わずにはいられない。イコはこれから成し遂げる事案に何もかも捧げるつもりだ。勇気も、献身も、そして何より、愛を。
「ジョゴさん!」
周囲のざわめきをかき消すほどの絶叫。実際、静寂が広がり、皆の視線がイコに注がれ、その次の言葉を待った。何を言いたいのかは誰しもが分かる。分かるからこそ、黙って見守るのだ。
ジョゴも目の前の旅仲間が何を言おうとしているのかは察した。手入れをしていた武器と道具を机の上に置き、イコをじっと見つめた。
心臓の音だけが大きく響く。イコにはもうそれしか聞こえない。それすら邪魔だ。心の底から、言いたいことを吐き出したい。そして、楽になる。願いを掴む。たったそれだけのことだ。
躊躇うことは何もない。
「ジョゴさん! 私はジョゴさんが大好きです! 今までもそうだし、これからもずっとそうです。だから、ずっと一緒にいさせてください。死が二人を分かつまで、私はジョゴさんの隣にい続けます! だから、私と夫婦になってください!」
言った。ついに言ってしまった。ずっと言いたくて、ずっと言えなかったこと。ついに口に出し、面と向かって言葉にできた。
顔を隠さず、ありのままの自分を出し切り、勇気も絞り出し、そして、想い人に告げた。心臓は早鐘を打つがごとく鳴り響いたが、まだ止まるな。返事をこの耳にしかと入れるまでは。
「イコ、死が二人を分かつまでと言ったな。今夜は今までにない危険な一夜となるだろう。それを乗り越えねばならぬ。だが、お前がいれば、新たな未来が開けると考えている。まずは次の夜を越えることを考えよう。そして、その先にある日々は、お前とともに歩んでいこう」
ジョゴも照れているのか、恥ずかしいのか、回りくどい言い回しだ。だが、その内容が示す答えはただ一つ。“肯定”、イコの言葉を受け入れるということだ。
イコはジョゴの言い回しの解釈のために、一時思考が停止したが、その意味を認識すると、体中が歓喜に打ち震え、次いでいつものごとく興奮して鼻血が出始めた。
そんな沈黙を破ったのは、ユエが発した拍手だった。
「よぉ言うた! イコ! 鼻血に耐えてよく頑張った。感動した!」
ユエは椅子から跳び上がるように立ち上がって、あらん限りの拍手をイコに贈った。それが合図となって周囲の観衆全員が拍手を贈り、ある者は二人をはやし立て、ある者はめでたいめでたいと酒杯を掲げて飲み干した。
イコは嬉しさのあまり、涙と鼻血を垂らしながらジョゴに飛びついた。勢い余って、危うく椅子ごと倒されそうになったが、ジョゴはかろうじて踏ん張った。ワンワン泣きわめくイコの頭を撫で、落ち着かせようと少しだけ力を入れて抱きしめた。
「これでこの件は一件落着ですわね」
フィーヨは抱き合う二人を見ながらようやく安堵のため息を出すことができた。イコを焚き付けた身の上として、結果がどうなるかしっかりと見届けねばならなかったが、まずは二人が結ばれたことに感謝をした。勇気を振り絞って戦いに勝利したことを軍神に、二人の仲が末永く続くことを愛の女神に、それぞれ心の中で告げた。
「まずは二人に祝福を。とはいえ、今夜を無事に越えなくては、未来とやらも姿を見せてはくれませんが」
「なに辛気臭いこと言ってる」
ラオの不安げな一言に、ユエはペチッと軽く頭を叩いてたしなめた。
「バッチリ越えてみせるんだよ、あたしら七人でな。一人も欠けることは許さねえからな、ラオ。なにしろ、未来ってのはあたしらも込みでの話だ」
すでにユエはラオを掴んでいた。いつものように、舌なめずりしながら、獲物を見定めた。
「ほら、あれだ、英雄譚には艶事を添える方が盛り上がるってもんよ。あいつらだけじゃまだまだ盛り上がりに欠けるだろうし、あたしらもだぞ、ラオ。吟遊詩人がさぞやいい詩文を拵えて、後世まで語り継いでくれるだろうよ」
「そうですね~、無事に乗り越えられるといいですね~」
ラオは半ばやけくそ気味に答え、どうにかして目の前の大虎の毒牙から逃れる術はないものかと、本気で考え始めた。別に嫌ってのことではない。口でどうこういうよりも、さっさと食べてもらった方が踏ん切りがつくかもしれないというのに、毎回寸止めなのだ。からかわれているのか、実は口先だけの奥手なのか、どうにも判断しずらいのが精神衛生上よくないのだ。
などとこちらもいつものやり取りをしていると、騒ぎの中心にフリエスが駆け寄り、開いていた椅子に飛び乗って拳を振り上げた。
「よっしゃ、聞いての通りよ、皆の衆! これにてイコとジョゴさんは結ばれた! 明日の夜明けとともに、新たな未来が開かれる! それをみんなで拝むわよ! 一人も欠けることなく、二人を祝福してあげるわよ!」
フリエスの宣言に周囲も盛り上がり、同じく拳を天に向かって突き上げて叫んだ。
そこへカトーが寄ってきて、これまた椅子に飛び乗って叫んだ。
「いいか、お前ら、ここにいる全員が立会人だぞ! 全員だ! 全員で二人の新たな門出を祝福し、盛り上げてやるんだ! 俺は今夜の祭典を乗り越える! お前も、お前も、そっちのあんたも乗り越えるんだ! 明日の朝は祭りの打ち上げと二人の祝宴をやるんだからな!」
カトーの声に盛り上がりはさらに熱を帯び、口々にやる気を滾らせた言葉を発した。もはや誰も勝利の栄光を疑っておらず、喝采と祝意でその場は満たされた。
ただ一人、隅の方でその光景を冷めた表情で眺めるセラを除いて。
セラはそびえ立つイーサ山の視線を向け、その山頂部を睨みつけた。
「なあ、魔王モロパンティラよ、あんたはこういうのが嫌いじゃないかな? “闇の女王”の二つ名に相応しく、もっと陰気に、もっと陰惨に、もっと血生臭く、二人の花道を汚してやるつもりなのかい? あるいは、それとも・・・」
セラは視線を再び騒ぎの方に戻し、抱き合うジョゴとイコを見つめた。イコの汚れた顔だけは早くなんとかしてやれとセラは思ったが、それでも幸せそうな二人には些細な問題でしかなさそうだ。
「誰が書き上げた台本か、じっくり見させてもらうとしよう。もっとも見やすい最前列で」
セラには長年の経験からよく分かっていた。このまま平穏無事に、ただの戦程度では収まらないことを、その勘は敏感に何かを察しているのであった。
~ 第十六話に続く ~




