第十四話 予行演習 後編
登山と言えば、のどかな風景と他では味わえない解放感を思い浮かべる人も多いだろうが、現在の状況はまさに真逆であった。
なにしろ、現在は夜。暗い夜道を空に浮かぶ月明かりと、たまに発する“爆炎”を頼りに突き進んでいる状態だ。前から後ろからの“登山客”はすでに死したる亡者の群れだ。挨拶もなく、いきなり襲いかかってくる無礼極まる連中に他ならない。
たまに見かける言葉をかけれる知能ある者達も、罵声と絶叫を口にしながら、容赦なく山頂を目指す七人組に飛びかかってくる。なんとも物騒な山歩きだ。
しかし、七人の足取りを止めることはない。ただひたすらに、目指すはイーサ山の山頂だ。
かつての記録から、イーサ山は今よりさらに高い山であったと伝わっている。それが火を噴き上げる山となり、山の形を変えてしまったと伝承には残っていた。
今は火を吹くこともなく、その残り火が地下水を温め、温泉という恩恵をもたらしてれる。また、自然が織り成す雄大な山々の景色も評判名高く、山を観光するならここと誰もが太鼓判を押すのが、『華山国』ヒューゴ王国なのだ。
中でも人気が高いのは、イーサ山の山頂にある火口湖だ。毒気を含んだ煙が立ち込め、近づくことはできないが、遠目にはまるで緑石を溶かし込んだような鮮やかな緑色をした湖を眺めることができ、周囲の雄大な景色と合間って、一度は拝んでおきたい絶景として、数多くの旅行者から評価を受けていた。
それを目指しているのが、《神々への反逆者》の三名と《混ざりし者》の四名、計七名の集団だ。
「昼間は景色はいいけど、毒と酸のせいで近付けない。夜は不死者から熱烈歓迎。唯一、湖に近付けるのは、百の満月の夜だけ。面倒極まる話だわ」
一行の中にいるフリエスが周囲に散らばる倒した不死者の残骸を見ながらぼやいた。
一行はそろそろ八合目を踏破し、九合目に差し掛かろうといったところであった。出発点となったワーニ村はだいたい四合目から五合目付近にあるため、かなり登ってきたことになる。一晩で登って下りることを考えると、かなり早足に進まねばならないが、なにしろ邪魔する輩が多すぎるのだ。
「もう何体斬ったか分かりませんわね。どなたか覚えてます?」
フィーヨも乱れた呼吸を整えながら、周りの面々に尋ねた。他の顔ぶれも、全然働いてないセラを除けば全員かなり疲労していた。ジョゴは割りと涼しい顔でいるが、それでも流れ落ちる汗を服の袖で拭っていた。
「先程の集団で、合計は千四百六十七匹ですね」
シレっと答えたのはイコであった。探知特化の本領発揮といったところで、周囲を唖然とさせる片寄った頭の使い方であった。
イコは隊列の中央にあって、索敵に専念していた。イコが治癒の術式を使っている際に、間の悪いことに上位亡霊術士の集団に襲われた。これはどうにか撃退したものの、イコが索敵から離れる瞬間には隙ができやすいということで、イコはとにかく探知に専念してもらうことになった。
そのため、当初はフィーヨとユエの二名が最前列で戦っていたが、今はフリエスがフィーヨと交代して前に出ていた。フィーヨは得物を剣から長槍に変えており、治癒と補助の術式で前の二人を援護しながら、たまに槍で突くやり方に切り替えた。
これが功を奏し、あれ以降は奇襲を受ける前にイコが看破し、うまく襲い来る敵を退けていた。
しかし、それでも数が数である。イコの口にした数字が正しいのであれば、すでに一人当たり二百を超す不死者を倒したことになる。いくらそこまでの強敵がいないとはいえ、底なしに湧いてくる相手に戦うのは精神も体力もどんどん削られるというものだ。
「でも、安心してください。先程ので不死者の壁は抜けました。反応は麓に向かって進んでいますから、もう大丈夫です。ここから先は敵の反応がありません」
イコのこの言葉を聞き、ようやく抜けたかと、皆一様に安堵のため息を漏らした。
「ただし、山頂には、例の話に聞く“あれ”があるかと思います。今まで感じたことのないような、禍々しい気配を感じます」
「いよいよらしくなってきたね。本当に拝めるのはもうちょい先だが、滾ってくるよ」
腕をボキボキと鳴らし、やる気を漲らせたのはユエだ。火口湖には呪いの大元である髑髏があるとされているが、それを見た者は数百年の祭典の歴史の中でただ一人だけ。しかもそれを拝める資格は、百の満月の夜に火口湖に辿り着いた者にのみ与えられるのだ。
「しかし、予行演習はやってよかったですね。こうして、火口から発せられた“波”を抜けてしまえば、敵はいなくなってしまうのですから。もっとも、本番の際、今日より激しいのが来るでしょうから、どの程度の厚みや密度のある“波”かは推察しかできませんが」
ラオの発したこの意見には皆賛同して頷いた。今、休憩をとれているのは、まさに敵がいなくなったからだ。先程までの荒々しい山登りとは打って変わって、虫の声すら聞こえない静寂が支配する空気が周囲に広がっていた。つまり、山頂から死の気配があふれ出し、それに合わせて不死者がどこからともなく飛び出してくるということだ。
現に、イコは索敵範囲を麓の方まで向けてみると、まだまだ大量に下へと進んでいるように感じ取れた。しかし、強敵の反応はほぼなかったので、下にいる連中だけでも十分対処できると判断した。
結局、この夜も活躍したのは、今この場にいる七人で確定した。ジョゴの予想通り、知能ある上位の不死者がこちらに釣られ、次々と襲い掛かってきたということだ。
「では、さっさと行って、絶景とやらを拝むとしよう」
「全然働いてないあんたが偉そうにしてんじゃないわよ!」
やれやれまたかと、フリエスとセラのやり取りを他の面々は見つめた。フリエスの言う通り、セラは全然働いていない。登り始めた最初の頃、イコへの攻撃を防いだ程度だ。あとは完全に観戦に徹していた。
と言うより、イコの索敵が常時展開される隊列に変更されたことにより奇襲がなくなり、他の六人だけでも対処できたのだ。
フリエスとフィーヨにとってはいつものことであったが、他の部隊と組んでいるときにこれでは、体面が悪いというものだ。サボりがひどくて心証が悪くなりかねない。
今回の仕事が終わったら《狂気の具現者》の討伐協力を要請しようと考えているというのに、この態度ではいくらなんでも相手方に失礼極まるというものだ。
なお、フリエスやフィーヨの考えとは裏腹に、《混ざりし者》の四人は特になんとも思ってなかった。セラがどういう存在なのかは、すでにイコが調べていたからだ。
「三種族の混血、それが絶妙、どころか全部の力が集まっている集合体。そして、魂の奥底にある“呪いが降りてきていない”邪神の刻印、セラさんは魔族であって魔族でない、言い表すのが難しい存在だわ」
これが可能な限りセラを探ったイコの答えだった。
なぜ魔族でありながら邪神への帰依を拒否し、頭を垂れなかったのかは分からない。そんなことをすれば、暴走するのが目に見えてるのに、だ。暴走することを甘受してでも、拒否したい何かがあるとでもいうのであろうか。
出会った直後に邪神を倒すと宣言し、部隊の名前も《神々への反逆者》を名乗っている。つまり、本気で神を“殺る”つもりなのだ。
それだけの大言を吐けるだけの力を、あるいは信念を感じた。《混ざりし者》は三人組の実力を認め、それを受け入れることにしたのだ。
フリエスとフィーヨは力を一端とはいえ見せてくれたが、セラはまだ見せていない。だが、時々見せるその行動はどれも的確かつぶっ飛んでいる。まだまだ実力を披露していない、それゆえのセラに対する様子見でもあるのだ。
そして、敵がいなくなった坂道を悠々と速足で登っていき、ついに山頂へと到達した。
その山頂のすぐ手前には看板が立てられており、『湖水は酸性で大変危険。漂う空気も猛毒です。近づくことを禁ずる』と書かれていた。また、もう一つ別の看板が立てられており、そちらには『あちらに展望台あり。見学はあちらにてどうぞ』と書かれていた。
「マジで観光地なんだね、ここ。昼間に来れば、さぞや景色もいいんでしょうけど」
フリエスは看板を読み終えた後、ふと後ろを振り向いた。今は夜であり、絶景だとの評判の山頂からの景色を拝むことはできない。麓の方に視線を向けると、あちこちに明かりが見え、点在する村々の位置がおおよそ把握できた。そこから山寄りの地点が時折チカチカと激しく光っており、あちらの方ではまだまだ戦いが続いていることも確認できた。
そして、看板の案内する方向に一行は歩きだし、すぐに木造の休憩小屋と、その横に供えられた展望台を発見した。七人が次々と展望台に登ると、そこには思わず感嘆の声を上げたくなるほどの光景が目に飛び込んできた。
火口湖は透き通った薄めの緑色をしており、それが月明りに照らされて淡く輝いていた。毒気を含んだ空気のせいで草木が一本のなく、かえって邪魔な物がないので湖の姿が映えていた。
「なるほど。これは一見の価値ありね。昼間なら、これに加えて、周囲の山々の景色もいい感じでしょうし、険しい山道を越えてでも見に来たがるのも納得ですわね」
フィーヨは毒々しくも美しい湖を素直に賞賛し、他の面々も同意見なのか頷いていた。
「だが、残念なことにのんびり観光というわけにもいかん。イコ、湖底になにか感じるか?」
ジョゴに促され、イコは湖の方に感覚を集中させた。展望台の手すりから少し乗り出すように前に出て、湖の中心をじっと見つめた。
「あぁ~、あれでしょうね。湖のちょうど真ん中です。あそこに強烈な反応がありますね。そして、そこから何かがこう語り掛けています。『死を忘れるな、人々よ、生者の赴く先は、必ず死である。死を伴侶とし、終の寝床に横たえよ。嗚咽と悲鳴が我が糧なり、永遠なる苦痛を与えよう。死が溢れようとも、蓋を開けることなかれ。それは破滅へ通ずる道を開く』とね」
「御大層で尊大な言い方だな~、おい。本当に魔王があそこで眠って、いびきかきながら寝言でも言ってんのかい?」
無論、ユエのその問いには誰も答えられない。誰もその正体を確認できないでいるからだ。結局、湖水が無くなる百の満月の夜に確認しなければならないということだ。
「結局、今日の収穫はここから放たれる死の息吹があふれ出し、それから発する“波”をどう突破するか、それを考えなきゃダメ、ってことが分かっただけか。まあ、攻略の手順が分かったし、あとはそれに対してどういう作戦で臨むか、それを考えないとね」
満点というわけではないが、十分な収穫を得られてフリエスとしては満足であった。今日の経験を元にして、本番に備えられるというものだ。
では帰ろうか、誰となしに歩きだし、下りの山道に向かって進み始めたときであった。
イコが何かを感じ取り、湖の方を振り向いたのだ。
「皆さん、待ってください! 先程のとは別の、巨大な反応が現れました! あそこです!」
先程までは静かであった湖面が、急に慌ただしく波打ち、ついには渦となった。その渦から禍々しい魔力を放ちながら、深紅の長衣を身に付けた何かが現れた。
「あれは血に染まる亡霊術士王!」
フィーヨから悲鳴にも近い叫びが発せられた。相手は何しろ、最上位の不死者であり、かつて戦った魔王軍の幹部に匹敵する実力者だ。
東西大陸航路を塞いでいた死の島の主もまた、目の前の同種であり、散々苦労して倒した経験があったのだ。
「出る可能性は聞かされてたけど、本番前にこいつが出るなんて、いくらなんでも飛ばしすぎでしょ!」
フリエスとして出てくるのはいいにしても、本番くらいに出てくるとか考えていた。何しろ、現れただけで大災害確定の最上位の怪物である。何人犠牲となるか、知れたものではないからだ。
「皆さん、あれ!」
ラオが叫び声をあげながら大空を指差した。そこには巨大な火の玉が落下してくるのが見えた。
「あれは〈隕石召喚〉! 全員逃げて!」
あれを見たことのあるフィーヨは絶叫し、言い終わるのが早いかどうか、とにかく展望台から跳び退いていた。ユエはラオを、ジョゴはイコを、それぞれ抱えて跳んだ。
「くっ! 間に合うか、〈轟雷〉!」
フリエスは逃げならも、落下してくる隕石に向かって手をかざし、そこへ天より雷を叩き込んだ。少しでも威力を落とさねばならないからだ。
フリエスもこれを喰らったことがあったが、あのときは側に養父であるトゥルマースがいた。トゥルマースは隕石に魔力をぶつけて干渉し、予定落下地点をズラすという離れ業で回避した。
無論、そんな芸当はフリエスにはできない。魔術師としての実力は、〈全てを知る者〉に遠く及ばないからだ。
そして、火の塊と化した隕石は地面に落着した。山小屋と展望台を吹き飛ばし、勢いのままに山の傾斜に沿って衝撃と炎が道を作り、山崩れを起こした。
直撃ではないにせよ、一行にも衝撃波が襲いかかり、フィーヨが《真祖の心臓》を使って大楯を作り出し、全員それに隠れて、危機一髪であったがやり過ごした。
どうにかギリギリでしのいだことに、フリエスは汗をぬぐいながら一度深呼吸をした。
「あっぶな。いきなりの大技、待ち構えられてた?」
「例の“あれ”と重なって、擬態されていたのかもしれません」
イコとしては、それが最も説明のつく方法であった。湖底に沈む呪いの大元は膨大な魔力を有し、禍々しい気配を漂わせている。あれに引っ付く形で待ち構えられていては、反応が見えないかもしれないと考えたからだ。
「あれ? セラさんがいませんよ!?」
ラオは大楯の陰に隠れている頭数が“六人”であることに気付き、ジョゴのような大きい体がもう一つなかったことから、すぐにセラがいないことを認識したのだ。周囲を見渡してもおらず、まさか間に合わずに吹き飛ばされたかと心配した。
「えっと、あ、あっちです!」
イコは周囲に意識を飛ばし、セラの気配を探すと、火山湖の湖畔に反応を見つけた。
慌てて全員で駆け寄ろうとしたが、どうにか湖が見える山の縁までしか進めなかった。それ以上は毒が充満しており、生身の体で進むのには危険すぎたのだ。
しかし、セラは別だ。セラは吸血鬼の、不死者としての特性を有している。不死者は火属性や聖属性への耐性が弱いが、毒や冷気に対しては耐性を備えている者が多い。セラもその例に漏れず、毒に対しての耐性が備わっていた。
つまり、セラにとっては、毒気が充満する火山湖の湖畔を歩くことは、普段の散歩となんら変わることではなかったのだ。
***
セラが火口湖の近くまで足を進めると、先程の一撃を挨拶代わりに叩き込んできた赤い衣をまとう不死者達の王がやってきた。湖面をほとんど揺らさず、優雅さすら感じさせながらゆっくりとセラに近づいてきた。
そして、着地する。セラとは三十歩ほど離れたところだ。警戒しての距離なのか、王と不埒者の差なのかは判断出来かねる状況であった。それでも、圧迫感は並みならぬものがあった。溢れ出る魔力はその場にいるだけで息苦しさを覚え、まとう赤い衣とその隙間から覗かせる骨が不気味さを醸し出し、赤黒く光る眼は一切の生きた心地を消し去っていた。
血に染まる亡霊術士王、それは不死者としては最上位の存在。元はただの骸骨兵。それが幾度となく満月の光を浴びて魔術を習得し、それが更なる研鑽を積むことにより亡霊術士へと至る。そして、上位亡霊術士、その先に幾段もの形態が存在し、最後の姿が目の前に現れたそれである。
数百年もの研鑽と命の収奪、その集大成がこのおぞましい姿だ。まといし赤い衣は浴びた返り血と、怨嗟が形となりし炎の証。呪い呪われし王の有り様だ。
「まずは挨拶、礼を欠くべからず。王たる我に頭を垂れよ、下郎めが」
くぐもるような骨の王の声だ。見た目とは裏腹に、その声を耳に入れし者の魂を震わせる。
たが、骨の王の前にいるのは常人ではない。
「あいにく育ちが悪くてな。口より先に手が出る。俺にとっての挨拶とは“拳”のことなんだよ」
セラは握り拳を突き出し、骨の王を挑発した。
「それに、だ。お前も人に礼をどうこう言える立場じゃね~だろ。いきなりあんなのをお見舞いするのが、今時の王様の流行りなのか?」
セラはさらに相手をからかった。骨の王も気に障ったのか、赤い瞳が怪しく光る。
「王を前にして、礼を弁えぬ痴れ者めが。今、この場にこうしておるから、それなりに腕に覚えがあるようだが、驕るでないぞ!」
「それならば、対等の席でよいではないか。お前が王を名乗るのであれば、俺もまた王なのだ。ま、俺の場合は魔王だけどな」
「笑止!」
骨の王は明らかに気分を害したようで、その両腕には炎がまとわりつき、怒りを露わにした。
「魔王を自称するなど、聞き捨てならぬ傲慢なる態度よ。この地は魔王モロパンティラが治めたもう呪われし生贄の祭壇。供物になる者も、それを運ぶ死したる給仕も、誰もが酔いしれる宴の席である。その席にて闇の女王を差し置いて席に着き、王を称するなど無礼講と言えども、度が過ぎるというもの。貴様、寿命を縮めることになるぞ」
「あいにく、もう死んでる。吸血鬼なんでね。心臓は、とっくの昔に止まったままだ」
「なればなおのこと! モロパンティラの眷属ならば、汝らの主に対して、頭を垂れて敬うべし」
骨の王が抱える炎をはさらにその揺らめきが増していき、まるで火柱でも抱えているかのように燃え盛った。緑の湖面を照らし、さらには夜空の月までも焼いてしまいかねない勢いだ。
「お前、それほどの力がありながら、なぜ頭を垂れるのだ? 魔王であれ、邪神であれ、そんな連中に頭下げる必要はない。気取った表情を横から引っ叩く、気分いいぜ」
「狂人の戯言、聞くに値せぬ! 〈紅蓮覇炎〉!」
骨の王は両手の炎を練り合わせ、それをセラに向けて放った。命中と同時に炎が渦となって天高く舞い上がり、湖から影響で湯気を上げてしまうほどに猛烈な炎柱だ。
だが、それだけでは終わらない。
「あの世でも無駄口叩けぬよう、念入りに焼き尽くしてやろう! 《獄炎》」
巻き上がる炎柱に骨の王が追加で放った黒い炎が混ざり合った。赤と黒の炎が絡み合い、天まで届くほどに吹き上がった。火属性最強の術式に加え、火属性への耐性貫通の術式の連続発動である。まともに喰らえば、上位の悪魔といえどタダでは済まないほどの威力だ。
消し炭に成り果てたかと、骨の王は徐々に収まる炎柱を眺めたが、そこにはありえないものが存在した。涼しい顔で立っているセラだ。焼け焦げるどころか、着ている服すら焼けていなかった。
「ば、バカな! なぜあの炎の中、焼けておらぬ!? 火属性への完全耐性か!? いや、それなら黒い炎で焼かれるはず! なのに!」
骨の王は狼狽した。あれだけの炎を喰らいながら、平然としていられることに対してだ。それは当然の反応だ。〈隕石召喚〉から始まり、〈紅蓮覇炎〉と〈獄炎〉の合わせ技、すべてが目の前の男に効かなかったことになる。自身が使える最強の術式を連発したというのに、目の前の男には傷一つ付いていないのだ。
ちなみに、セラが無傷であるのは、身に付けている神々の遺産《虚空の落とし穴》の力によるものだ。自身の体を虚空へと逃がし、頃合いを見計らって戻ってきたのだ。戻るのが早すぎると残り火に焼かれてしまうし、遅すぎると何をやったかが丸見えなので格好がつかない。早すぎず遅すぎず、相手の放った術式と魔力から逆算し、丁度いい頃合いを見計らって戻ってきたのだ。
普通に防いでもどうにかできたのだが、服が焦げるのを嫌って、全力でかわしたのだ。
これらの動きは炎の中での出来事であり、骨の王にはよく見えていなかった。
「き、貴様は何者だ!?」
「先程、“魔王”と名乗ったはずだが? ああ、付け加えれば《十三番目の魔王》とでも言っておこうか」
セラが一歩踏み込む。すると、骨の王も一歩下がる。
恐怖。明らかな恐怖が骨の王にまとわりついていた。得体の知れない目の前の自称魔王の強さ、それが恐怖を生み出し、骨の王をたじろがせていた。
「なぜ下がる? お前は“王”を名乗った。ならば、王として堂々と前へと進み、下々を束ねるに相応しい立ち振る舞いを示し、時に傲岸不遜に笑い、血肉と金銀珠玉にて玉座を築き上げてみせよ。今の貴様のそれは興を削がれる情けなさ。見ていて不快だ」
セラはさらに踏み込むと、骨の王もさらに下がる。もはや、そこに“王”としての威厳も矜持もない。ただただ、目の前の魔王を称する男が恐ろしいのだ。
「頭を垂れよと言ったな、貴様は。俺は頭を下げるのが大嫌いなんだ。想像してみろ、自分が誰かに頭を下げる姿を。その姿、曲がってるよな。俺は自分を曲げるのが何より嫌いなんだ」
さらに踏み出すセラ。一歩一歩ゆっくりだが、着実に進みゆく歩み。足が前に出る度に、セラから発せられる魔力と、怒りの雰囲気が膨らんでいっている。
「俺は自分を曲げない。曲げるくらいなら、そのままこの世から消え去ることを選ぶ。故に、誰であろうと頭は下げない。例え、相手が邪神であろうとも、俺は絶対に曲げない。自分を偽らない」
セラは歩みを止めない。骨の王もただただ下がるしかない。
「ああ、とんだ期待外れだ。せっかく見えやすい席まで出向いたというのに、演出が派手なだけのつまらぬ三文芝居であったわ。《狂気の具現者》が手に持つ羽筆で書き上げた即興の脚本の方が、遥かにいい出来栄えであった。お前は魔王に対しての“礼”を弁えなかった痴れ者ぞ」
セラは明らかにイラついていた。退屈な小芝居に付き合わされた挙句、その役者も三流ときた。これでは機嫌を損ねるなという方が難しい。
セラが強く念じて魔力を右腕に収束させると、黒いぼろきれのような袖に変じ、次いで手が六本指の骨の手に変わった。
「秘技〈冥葬〉」
セラは勢いよく骨の王に向かって駆け出し、距離が詰まると変形した右腕で相手を掴みかかろうとした。しかし、骨の王は寸でのところで上手く身を翻し、セラの右腕をギリギリのところでかわした。セラは勢い余って、そのまま横を駆け抜け、少し離れた場所で止まった。
「ハハッ、何が秘技だ、驚かせおって」
骨の王は背中を向けたままのセラに向かって吠えたが、途端にそれが大きな過ちであったことに気付いた。なぜなら、セラの骨と化した六本指の右手には、赤黒い何かが握られていたからだ。無数の呪符が貼り付けられ、規則正しく脈打っていた。
それを見た骨の王は慌てて自分の体に触れてみると、あるはずの物がなかったのだ。
「そ、そんなバカな! それは!」
「そう、お前の心臓だ。抜き取られたことに気付かないとは、間抜けにも程がある」
セラは骨の王に一瞥もくれない。もはやこの世から消えゆく者に、一々見据えて見送ってやるほどの感情など一片もないからだ。
不死者は仮初の命を持ち、この世に存在している。厳密に言うと死んでいるし、心臓も動いていない。しかし、上位の不死者ともなると魔術を行使できるようになり、体内に魔力の集積する場所を確保せねばならない。そのため、自然と与えられた仮初の命がなんらかの形を作り出し、疑似的な心臓を形成するのだ。
それは決して見えることはなく、体のどこに備え付けているのかは、当人しか知らない。
しかし、セラの生み出す六本指の骨指だけは例外だ。隠された心臓を無意識的に感じ取り、器用にもぎ取ってしまうのだ。
即死耐性を持つ不死者を即死させる技、それがセラの〈冥葬〉だ。
「や、やめろぉ!」
骨の王から発せられた悲痛なる叫び。それすらセラにとっては不快であった。王を名乗りながら、この弱々しい体たらく。さっさと終わらせようと、セラは右手を強く握った。
グチャリと潰れたトマトのような汁が指の間から零れ落ち、それが慌てて寄ってきた骨の王にも同じことがおこっていた。赤い衣は炎の滝となって地面に落ち、骨も粉々となって風と共に吹き消された。
王を名乗った骨の塊は、もはやこの世のどこにもおらず、ただ焼け焦げた地面だけが、空しく残るだけであった。
「名誉や肩書きってのはな、誰かに与えられるものではない。自ら生み出し、そして、“背負う”ものだ。背負うものに相応しい振る舞いと実力が求められる。お前は“王”を名乗った。ならば、それに相応しい態度をとらなくてはならなかった。だが、お前は腑抜けな態度しか示さなかった。数百年分の研鑽、無駄であったな」
セラは右腕を戻し、相手の残骸を振り向いて見ることもなく、少し離れて観戦していた他の六人の方へと歩き出した。
「今一度、一個の骨に戻り、再び研鑽せよ。数百年かかろうともな。今度会うときは王たるに相応しくなっておくがよい」
***
(強い・・・!)
セラの戦いぶりを見せつけられた《混ざりし者》の四人が抱いた偽らざる感想であった。
セラが強いのは分かっていた。だが、考えていた強さと、実際に目の当たりにした強さは、大きな隔たりがあったのだ。世の中は余りにも広すぎて、自分達がなんと狭い世界で幅を利かせていたのだと、徹底的に分からされた。
しかし、フリエスとフィーヨは特段驚いた表情をしていないことから、これくらいなら普通にやることは周知していたようだと、他の四人には伝わっていた。
ちなみに、セラと骨の王の会話は、ラオが風の精霊を呼び出し、それを利用した遠話術を使って聞き取っていた。
「魔王、あれが魔王なのか」
ジョゴは歩み寄ってくる自称魔王に少なからず戦慄を覚えていた。おそらく、自分がどれほどの研鑽を積もうと、人の身では届かぬ遥かな高みに存在するということを、嫌というほどに見せつけられた。
一応、半吸血鬼という混ざり者で、純粋な人間ではなく、能力も高いのだが、それでも上には上がいるのだと、実例とともに示された形だ。同然ながら、怖いし恐ろしい。
「気にしなさんな。魔王なんて、一人で戦うもんじゃないから、人間なら数人で部隊組んで戦えばいいのよ。ただし、顔触れが全員“英雄”でないと勝負にすらならないけどね」
フリエスは恐れおののく四人に向かってそう言い放ち、ニヤニヤ笑って魔王を出迎えた。気が向いたときしか奮われない拳であるものの、この圧倒的な強さを持つからこそ、フリエスはセラと一緒に旅をしているのだ。野放しするには危険すぎるし、いざというときの切り札足り得るからだ。
セラは六人を順々に見やり、その表情を楽しんだ。フリエスとフィーヨは相変わらずだが、他の四人は明らかに戦う前と後とで、自分を見る目が変わっていた。まずは恐怖と警戒、次いで“今は”味方であるという安堵だ。
それでも態度には思い切り出てしまうようで、目線が合ったラオがびく付きながら後退りをし、その背中がフリエスにぶつかった。これに対してもラオは震えてしまい、思わず跳び上がってしまった。
これにはフリエスも笑ってしまい、ラオの頭を撫でてあげた。
「ラオくぅ~ん、こいつが怖い?」
「あ、いえ、うあ、いや、その」
上手く言葉に出せないようで、ビクビク震えながら、フリエスとセラを交互に見やった。
「大丈夫大丈夫、怖いけど、“今は”怖くないから。牙がこっちに向いてない限りは」
フリエスの言葉は全く助けになっていなかった。ラオの体の震えは止まりそうになかった。だが、それはすぐに止まった。震えるラオを止めたのはセラ自身。その肩に手を置き、震えを止めてしまった。というより、“怖い”を通り越して、“諦め”まで思考が進んでしまい、それで震えが止まったのだ。
「いいか、犬っころよ。怖いと思うこと、恐れを抱くことは恥でもなんでもない。要は、それをいずれ克服しさえすればいいのだ。俺とて、あの空に輝くすまし顔のバカ野郎を、地に堕とすのが目的ではあるが、この手はそこまで長くはない。おまけに気まぐれな一睨みで、精神を崩される。まだまだ勝つことはできぬ。だから、鍛えて強くなるのだ」
「は、はひぃ・・・」
「俺の見立てではな、お前ら四人の中じゃあ、お前が一番伸びると見ている。今は取るに足らぬ犬っころだが、いずれは獄犬にだってなれるだろう。そのときまで研鑽を積み、努力を怠るな。さっきのあの骨野郎とて、最初はただの骸骨兵に過ぎなかったしな」
相変わらず、伸びると踏んだ相手には優しい自称魔王であった。魔王からの激励を受けた子犬は尻尾をパタパタ振り回した。
「良かったな、ラオ。あたしらン中じゃ、お前が一番強くなるとさ。そうなる日が早く来るといいな」
「はい、ユエさん!」
ラオはさらに尻尾を激しく振り回し、ユエはピンと張った耳の間に手を置いて、ワシャワシャと頭を撫で回した。
「にしても、やっぱ、あんたは規格外すぎるわ。らしくもなく、本気出しちゃって」
「あんましサボりすぎてると、女神様の好感度が下がりすぎて、怒りの雷が天から降り注いでこんとも限らんしな」
「あぁ~、はいはい、凄い凄い。活躍ご立派です」
フリエスは全然やる気の感じられない拍手でセラを褒めたが、セラは満足したのかニヤリと笑った。
「ハッハッハッ、我が力に酔いしれ、惚れ直したか?」
「いや、全然。あんたに惚れるくらいなら、フロンさんに署名済みの婚姻届けでも手渡した方がマシ」
「当人が聞けば、狂喜乱舞でいい感じに発狂した挙句、住まいと称して神殿でも建立しかねんな」
いかにも有りそうな光景を思い浮かべ、フリエスはげんなりとした。本当に、自分の周りにいる男はロクでもないのしかいない。そのくせ高性能なのばかりというのも複雑な心情であった。
「有能な変人って、一番扱いに困ると言いますからね」
「いやいや、フィーヨさん、あなたがそれを言いますか!?」
多分、《神々への反逆者》の三人組において、誰が一番の変人かとそれぞれに尋ねたら、目も当てられない結果になるであろう。何しろ、自分だけが割と常識人ないし真っ当な性格と思い込んでいて、他二名に対してはバカか変人としか考えていなかったからだ。
「さて、用件も済んだことだし、さっさと下山するか。村に帰り着くまでが遠足だからな」
「過激な遠足でしたけど、とっても楽しかったですよ。さ、帰りましょう!」
イコはジョゴの腕にしがみつき、グイグイ引っ張って下りの山道の方へと歩き出した。他の面々も火口湖を一瞥し、数日後の再会を願ってから山を下っていった。
予行演習は終わった。警戒すべき場所を把握し、来るべき本番への準備は整った。七人はそれぞれの描く大願を成すために、決意を新たにするのであった。
~ 第十五話に続く ~




