第十話 温泉(男湯)
人犬族の少年にして、召喚士たるラオは知識を司る書物神カルイカを信奉している。ラオに限らず、学者や魔術師等、学に生きる者にとっては最も身近な神であり、新たな知識や発見を得られるよう、カルイカを信じる者はその職においてはかなりの数がいる。
ラオもそんな一人であるが、そこまで熱心に祈ったり神を讃えたりすることはない。せいぜい、気分を切り替えるためのまじない的な意味として、神の名を唱える程度だ。
しかし、今は違う。ただただ純粋に想い、知識を司る神に問いかけたい。この状況のことを。
(いや、本当にどうしてこうなったのですか!?)
ラオは怯えに怯えていた。はっきり言ってしまえば、大虎に力任せに抱きつかれている時の方が、遥かに落ち着いていられると言ってもよかった。
ラオは今、温泉に浸かっていた。彼が現在滞在するワーニ村は『崋山国』ヒューゴ王国の中でも一、二を争うほど良質な温泉で知られ、険しい山道を越えねばならないため秘湯などと呼ばれており、“通”の者が太鼓判を押すほどの人気のある温泉であった。
現在、ヒューゴ王国では八年に一度の奇祭“不死者の祭典”が開催されており、大陸中から集まった冒険者でごった返していた。なにしろ、不死者に襲われる温泉村を防衛することを条件に、宿泊と温泉が無料ということになっているからだ。
ワーニ村はそういう意味では最高の場所であった。まず、この村は毎回激戦になるため、徹底した少数精鋭を採用しており、最低でも五等級の冒険者部隊でなければ締め出されることになっていた。そのため、村に滞在する冒険者は基本的に他の村よりも少なめとなっている。命がけであるが、込み合っていない温泉を味わうならば、泉質も考えるとワーニ村がいいということになる。
そして、ラオもそれを楽しみに現在入浴中なのだ。夜明けと同時に山から引き上げ、朝食を摂った後、眠りに着く前に汗や埃で汚れた体を洗い、心身ともに癒されるために、村外れにある温泉に浸かっている真っ最中なのだ。
村の温泉は普段は混浴となっており、男女の別はない。しかし、祭典の期間中は男女の別を設けていた。荒くれ者の絶対数が増えるので、余計な諍いでも起きたら面倒なのだ。そのため、大小二つの温泉があり、大きい方が男湯、小さい方が女湯となっており、近くに設けられたそれぞれの簡易の脱衣所も用意されていた。
そして、現在、男湯では大変な光景が広がっていた。
入浴中なのが、現在三名。というか、雰囲気が異様すぎて、この三人以外入りにくいと言った方が適切かもしれない。現に、今の光景を見て入浴を躊躇う者もいたくらいである。
ラオはいい。十五歳ということなので、まだまだこれからも伸びて成長するだろうが、今は少し痩せ型の犬耳少年だ。ユエではないが、ついつい抱き付いてしまいそうな可愛らしさがある。
だが、その両隣に入っている二人は別だ。異様な雰囲気はこの二人から発せられていると言ってもよい。有り体に言ってしまえば、筋骨隆々ガチムチ“蛇男”である。
そんな二人に挟まれながらの入浴だ。ラオが落ち着かないのも、やむを得ないのである。
まずは右隣にいる男だ。ラオにとっては旅仲間であるジョゴで、赤毛の青年だ。弓使いであるのだが、鞭や体術を使った近接戦にも長けており、それゆえに体の作りはかなりいい。
それだけならばまだいいのだが、なんと《多頭大蛇の帯》を起動しているのだ。これは六つの弩と紐のようなもので連結しており、これがそれぞれ独立した動きを見せている。さながら六匹の蛇がクネクネと動き回っているようなものだ。
そして、ラオの左隣にいるのがセラなのだが、これまた奇妙な姿を晒していた。なんと、その両手には赤い二匹の蛇が掴ませており、「さっさと放せ」と言わんばかりに尻尾でセラの顔や体を打ち付けていた。
ちなみに、この蛇はフィーヨが普段連れている蛇なのだが、セラが「覗きはいかんよな」などと言って無理やり連れてきている状態であった。フィーヨは不満の声を上げたが、「混浴は他の男に肌を晒すのが嫌とか思っていながら、自分以外の女が見られるのはヨシ、では通じんだろう。男は男湯へ、女は女湯へ、だ」と言って黙らせた。
そして、今に至った。
最初、ラオが軽くかけ湯をしてからはしゃぎながら湯船に飛び込んだ。丁度誰もいなかったんでまあよかったのだが、いささか騒々しいと言わざるを得ない。
その後、蛇を掴んだセラが器用に足で桶を掴んでかけ湯をして湯船に入った。蛇を掴んでいる異様な姿であるが、かけ湯を忘れぬ礼儀正しい自称魔王であった。そして、セラはラオの左横に腰かけた。
続いてジョゴが《多頭大蛇の帯》を起動させながら脱衣所より姿を現した。もうこの時点で禍々しいと言うべき光景なのだが、かけ湯をして湯船に入る礼儀正しさが返って理解不能な雰囲気を醸し出していた。そして、ラオの右横へと並んで座った。
これが現在の状況である。
(何がどうなっているのですか!? 偉大なる知者の守護神カルイカよ、お答えください。本当にどうなっているのですか!?)
ラオは必至で平静になろうと神への祈りを捧げ、この状況に対する答弁を求めたが、当然ながら返事はない。そもそも、神の声が聞こえるまで強い信仰を持っているわけでもないし、あるいは神であっても答えに窮する場面なのかもしれない。
「あ、あの、ジョゴさん、どうして武装しながらの入浴なのですか? しかも、起動してますよ」
ラオとしては勇気を出して尋ねる以外になかった。
「ラオ、今我々は戦場のど真ん中にいるのだぞ。相手は不死者ゆえ昼間は顔を出さぬが、それも確実なことではない。曇天の日なれば出てくるしな。ゆえに、風呂の中と言えど、武装をしておくのは当然だぞ。いつ攻撃されぬとも限らんし、素っ裸の状態で襲われたら対処ができまい」
ジョゴの返しも理のある言葉であったが、それでもウネウネ動く六つの弩は異様な雰囲気を出していた。起動していなければ、弩が湯船に沈むし、それで傷んでしまっては元も子もない。ラオはこの光景に我慢せざるを得なかった。
「セラさん、その蛇、放されてはどうですか? さすがにいつまでもその恰好はちょっと・・・」
セラは両手に蛇を掴み、湯船に浸かっているのだが、蛇がしつこく尻尾で殴打するので、何とも言えない理解不能な格好を晒していた。ペチペチという音がまたそれを助長している風すらある。
「こいつらは本能で動くからな。放したらフィーヨの下へ向かってしまう。覗き禁止を徹底させるためにも、放すわけにはいかんのだよ」
この二匹の蛇にはフィーヨの兄ヘルギィと夫ルイングラムの魂が宿っている。しかし、自我がないに等しく、新月の夜だけまともに会話できるという有様だ。普段は“フィーヨを守る”という本能のみで動いている状態であるので、常に彼女の体に巻き付き、敵意を以て近づく者を威圧するのだ。
そんなジタバタもがく二匹に対してる、セラは自身の顔の前に相手の顔を持ってきて、そして睨んだ。
「お前らが過保護すぎるから、いつまでたってもフィーヨは甘える癖が残ったままなのだ。少しは離れることを覚えろ」
セラの意見も正論ではあるのだが、《真祖の心臓》の力によって形作られている以上、その使用者であるフィーヨから離れられないのが現状でもあるのだ。切ろうとしても切れないし、そもそも三人とも切ろうとしないのだ。
なにより、セラの言葉は二匹の蛇には響かないし、届いていない。本能の赴くままに動いているので、それを理解も納得もできる頭がないからだ。ひたすらに、セラに対して大口開けて威圧し、尻尾であちこち連打するのがオチだ。
その時であった。周囲に響く大声が飛び込んできた。
「ルイングラム様の浮気者ぉ!」
声の主は明らかにフィーヨであった。少し離れた女湯の方からの大絶叫である。男湯に浸かる三人と二匹は互いに顔を見合わせ、最終的にセラの右手の蛇に視線が集中した。
「お前、何かやったか?」
セラの質問に対して、右手の蛇は全力で否定し、何度も首を横に振った。左手の蛇はどこかニヤリと笑っている感じがしたが、おそらく気のせいであろう。
こうしてはおれんと言わんばかりに、尻尾の連打がさらに早くなったが、魔王に対しては全く効果がなかった。
「あちらもあちらで盛り上がっているようだが、まあ聞くに堪えん話であろうな」
妙に達観したジョゴの言葉であったが、まあそうでしょうねとラオも納得せざるを得なかった。なにしろ、今現在、女湯に入っているのは“あの”四人である。温泉に浸かって気分と筋肉が緩み、ついでに頭の枷も外れてしまうことであろう。どういう会話がなされているかまではわからないが、ろくでもない内容であることは、今しがたの叫び声から予想はついた。
「まったく、騒々しい奴らだ。風呂ぐらいゆっくり入れんのか。女揃えば姦しいとはよく言ったものよ」
なお、言い放ったセラの姿を見て、大人しく風呂に入っているとは誰も思わないだろう。蛇を両手に掴んで、しかも大口開けての威圧と尻尾連打のオマケ付きである。さらに六つの弩がウネウネ蛇のごとく動き回っている光景である。“異様”としか言い表せぬ現在の男湯であった。
それらに挟まれているラオの心境はいかばかりか、想像するのも難くない。
(出たい。でも、出にくい。どちらか出ようとするのを見計らって出よう。でも、いつだ、それ)
ガチムチ蛇男二名に挟まれたうえに、耳に突き刺さる女湯からの叫び声。ラオは早く夜にならないものかと本気で思った。命がけの戦いの方が、今の温泉より遥かに気が楽であるからだ。
こうしてラオは汗と汚れを落としながら、新たに緊張と言う名の心労を体の中に注ぎ込み、夕刻までの睡眠時間を貪ることとなった。
~ 第十一話に続く ~




