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フリーダムファイターズ ~月と太陽への反逆者~  作者: 夢神 蒼茫
第一章  雷神娘と黒鉄の人形
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第三話 満月の夜

 緑深き山林の中、道なき道を突き進む四人組がいた。遥か東の大陸より大海原を超えてやってきた三人の旅人、少女のごとき姿をした魔術師フリエス、軍神マルヴァンスに仕える美しき神官フィーヨ、涼しげな顔立ちには不釣り合いな鍛え上げられし肉体を持つ拳術士セラ。そして、彼らを護衛として雇うこととなったトゥーレグ伯フロンである。

 現在、フロンの仕える『酒造国』レウマは大混乱の中にあった。重臣が一堂に集まる会議の席に突如として謎の仮面の剣士が乱入し、フロンの兄コレチェロを殺害。さらに金属でできた巨人のごときゴーレムの軍団も加わり、他の重臣達も次々と殺されていった。

 フロンは辛うじて囲みを突破して逃亡できたものの、追っ手からの追跡が激しく、危うく囚われかけるも三人組に助けられ、今に至っていた。

 フロンは学問の師である元宮廷魔術師のアルコに助けを求めるべく、彼のいる山村に向かって歩みを速めていた。もっとも、追っ手を避けるために山中を進んでいるので、予定よりも大きく遅れていたが。

 この集団の最後尾を歩くフロンは、改めてよく前を歩く三人組を観察した。

 まず、先頭を歩くセラだ。短めの灰色の髪と同色の瞳を持ち、整った顔立ちは貴公子然とした風貌をしていた。そんな優男のごとき見た目とは裏腹に、体は相当に鍛え上げられている。実際に戦っているところは見ていないが、自分の体を片手で持ち上げ、そのまま大きく跳躍するというとんでもない身体能力の持ち主だ。しかも、眉間に矢を受けてもはじき返し、謎の黒い煙で攻撃をかわすなど、人間とは思えなかった。実際、《十三番目の魔王(ナンバーサーティーン)》を自称している。

 無口な武骨者かと思えば、的確な助言や指摘を繰り出すこともあり、武芸のみならず頭も相当切れる印象で、とても頼りになる男だ。

 次にフロンが眺めたのがフィーヨだ。真っすぐな長い黒髪と同色の瞳で、ぼろい旅装束から煌びやかなドレスを着れば貴族令嬢で通せるだろう。実際、かつては東の大陸で皇帝を務めていたこともあり、かつての大戦で名を馳せた《五君》の一人《慈愛帝》の二つ名で名声をほしいままにしていた。聞いた話では、帝位は子供に譲位したそうだ。

 また、彼女は軍神マルヴァンスに仕える神官でもあり、その神力の代行者として、様々な癒しの奇跡を受け、フロン自身も助けられた。ただ、気がかりなのは、そんな神官とは思えないほど、血の匂いをまとっているのが不穏でならない。

 そして、最後に目をやったのは魔術師のフリエスだ。巻き癖のある金髪と同色の瞳の持ち主で、見た目は十代半ばの少女なのだが、すでに三十路に入っているそうだ。かつて東大陸の大乱において《二十士》の一人《小さな雷神(リトルサンダー)》として活躍し、その二つ名に偽りない強烈な電撃をもって、フロンを追ってきた捕り手らを一撃で屠った。

 なお、その一撃で白鳥より託された恋文を巻き添えで焼き払ってしまい、悶絶しながら転げまわった様は、英雄とは思えぬほどの幼い姿を晒すこととなった。だが、フロンには英雄であっても人であると感じ、却って親近感がわいた。

 かつて、吟遊詩人より聞いた伝説の英雄達が自分を助けてくれているのはなんとも心強いが、それでも戦力はたったの四人だ。国中が混乱しているであろうし、あの場の重臣達がどこまで逃げられたか分からない。対する相手は屈強のゴーレム軍団を有している。その全容も掴めていないうえに、首謀者が誰なのかもわかっていない。

 情報収集に戦力増強、やるべきことはいくらでもあった。


「フロンさん、目的の村はここから分かります?」


 山林から突き出る形の大きな岩があり、そこから遠方まで眺めることができた。フリエスとフロンはその岩に上り、周囲を眺めた。

 フロンは頭の中にある地図を呼び起こし、場所の特定を進める。


「ええと、あそこに湖があるから、あの辺りが街道のはず。で、突き出た岩山があそこで、太陽の位置が現在真上。となると・・・、あれですな。あの北北西の山がそうです。」


「あの山? ちょっとだけ周りより高めの」


「そう、それです。あそこの西側の緩やかな斜面のところに村があります」


 場所の特定ができたので、二人は岩から地面へと降りた。

 下に降りると、セラがどこから捕ってきたのか、鹿を担いでいた。しかも、すでに血抜きまで終わらせている手際のよさだ。


「お、食料手に入ったじゃん。今日は鹿の焼肉ね」


 フリエスは鹿をポンポンと叩きながら舌をなめずりした。


「で、あとどれくらいだ?」


「半日もあれば行けるかな」


 フリエスがそう答えると、フロンを除く三人が腕を組み、あるいは顎に手を当て、何やら悩み始めた。


「このまま急げば、夜中には着くかもしれませんが、どこかで野宿してから明日到着ということにしますか?」


「あぁ~、なんていうか、今日は満月だからどうしようかな、と」


 フリエスの意外な回答にフロンは首を傾げた。昨夜の夜空を思い浮かべると、ほんの少しだけ欠けた月のことを思い出した。あの様子であれば、確かに今夜は満月のはずだ。だが、それがどうして三人を悩ませるのか、フロンには分からなかった。


「私としては、準備の時間もありますし、そろそろどこか水辺でも見つけて、宿営の準備を始めるべきだと思いますわ」


 フィーヨの提案に、他の二人もまあ妥当かなと頷いた。フロンだけが理由を理解できていない。野宿をするにしても、まだ太陽は高く、準備するには早すぎるからだ。


「ああ、フロンさんには少々説明が必要ですわね。毎月一度、満月の夜、どうしてもこなさなければならない雑事がありますの。まあ、それに巻き込まれてもあれですので、なるべく人里離れた場所を選んで、早めに準備をしないといけないのですよ」


「ふむ・・・。何やら訳ありなご様子で。まあ、どのみち私には選択の余地はないので、御三方のいいように」


 フロンとしては急いで師の下へ行きたかったが、現在の状況では三人抜きで行動するのは危険すぎた。間違ってゴーレム軍団と出くわしたら、その時点で終了だ。三人が満月の夜になにかをするというのであれば、それに付き合わざるを得なかった。

 四人はもう少しだけ進むと沢を発見し、そこで野宿をすることに決めた。

 フロンは焚き木拾いを行い、セラはどうやっているかは分からないが鹿を素手で解体し、枝から作った串に刺して、いつでも焼けるようにした。

 一方で、フリエスとフィーヨは野宿の準備はそっちのけで、何やら森の中を行ったり来たりしていた。フロンはそれをチラ見しながら準備していたが、どうやら何かしらの術式を要所要所に打ち込み、“陣”を築いているようであった。

 そうこうしているうちに日が傾いてきて、暗い森がさらに闇色に染まり、焚火の明かりが唯一の光源へと変わっていく。四人で焚火を囲み、先程の鹿肉を焼き、フリエス、フィーヨ、フロンがそれを頬張る。調味料の類がなく、なんとも味気ないが、逃亡生活とあってはやむを得なかった。

 そして、フロンが気にかかるのは、セラが何も食べていないことだ。昨夜もそうであったが、セラが何かを食べているのを見たことがない。水すら飲んでいない。


「まあ、不思議に思うのは当然ね。昨日も行ったけど、こいつは自称魔王。人間みたいな食事はしない。もっといい物を食べちゃうのよ。そう、満月の夜にね」


 そう言うと、早めの食事が終わったフリエスは立ち上がり、森の奥へと進んでいった。セラも立ち上がり、それに続いた。

 そして、辺りには不気味なまでの静寂に包まれる。何かと賑やかなフリエスがいなくなったこともあるが、森の動物や虫の声もなく、パチパチという焚火の音だけが妙に響く。


「気になりますか?」


 こちらも食事を終えたフィーヨがフロンに尋ねてくる。


「フロンさんはかなり知識が豊富で、頭もよいのでおおよそ検討がついているのでは?」


「ええ。魔王・・・、食事・・・、連れ立って消えていく二人、何も起こらない訳はなく、とくればおおよそは。要するに、“贄”ということですね」


「はい、正解ですわ」


 フィーヨがわざとらしくにこやかな笑顔とともに拍手をする。内容をすんなり言い当ててしまったが、同時に恐怖する。言い当ててしまった内容があまりにもが自分が生きてきた世界とはかけ離れているからだ。


「まあ、ちょっと離れた位置から観察しましょうか。場合によっては、私も“参加”することになりますから。当たり、大当たり、はずれ、純粋に確率は三分の一。はずれ以外は出番はありませんが」


 そう言うと、フィーヨが立ち上がり、フロンを手招きしながら二人の後を追った。

 そして、先程の野営地から百を数えるほど歩いたところに、フリエスとセラの姿を見つけた。こちらにも焚火が用意されており、二人を照らしていた。両者は焚火を挟んで、それぞれ倒木や岩に腰かけているが、どうも様子がおかしい。セラの体が小刻みに震えている。


「そろそろですわね。フロンさん、そこからは決して近づかないでください」


 フィーヨの警告が飛んできた。同時にその表情からは先程のにこやかな笑みはない。昨夜のような余裕ある戦闘中の獲物を見定める笑みもない。ただただ純粋に緊張している雰囲気だけが伝わってきていた。

 さらにフロンはフィーヨの服の袖口から、昨夜姿を見せた二匹の赤い蛇を確認できた。昨夜は飛んでくる矢を噛みついて止めたのを見ている。ただの蛇ではなく、何かの魔術の道具であろうと推察している。

 ともかく、フィーヨが臨戦状態なのはよく伝わっていた。

 それもそうだろう。セラの体が震えるたびに、おぞましいほどの魔力が垂れ流されている。心を強く持たねば、そのまま絞殺されそうなくらい息苦しい。


「いったい何が始まるんです?」


「魔王のお食事ですわ。フロンさん、私が逃げてと叫んだら、先程の焚火の所へ戻ってください。そして、私の腰かけていたところに白っぽい石を置いてきましたので、それを空に向かって投げてください。仕込んでおいた結界が発動します」


 緊張の度合いはさらに高まり、フィーヨはいつでも飛び出せるように構える。

 フロンは現在、目の前で起こることがまだ理解できていなかったが、それでも月に一度の“食事”というものが、いかに危険であるのかはさらに増していく魔力の奔流からは察することができた。

 日は完全に沈み、夜の闇が森を支配する。そして、その闇を貫く煌々と照り輝く満月の光。事態は一気に動き出した。

 セラが立ち上がり、天に向かって絶叫する。何を叫んでいるのかわからない、森と大地に響き渡る叫びだ。あまりの禍々しい叫びに、心臓が鷲掴みにでもされたような衝撃をフロンは受けたが、必死で食いしばりつつ耳を手で塞ぎ、どうにか耐えた。

 次の瞬間には、セラがフリエスに飛び掛かった。二人の間には十歩以上の距離が空いていたのに、ほんの一瞬で距離が詰まり、セラがフリエスをそのまま組み伏せた。

 その倒される瞬間、フリエスはフィーヨに向かって手を差し出し、親指を突き上げた。そして、組み伏せられたフリエスは猛り狂うセラによって衣服を強引にはぎ取られ、その幼い裸体をひんやりとした森の空気にさらすことになった。顔立ちから痩せ型だとは思っていたが、予想通り腕は細くて脇にはあばらが分かるほどに浮いていた。そして、乳房も膨らんでいるのかどうか分からないほどに平たかった。

 そんなことなどお構いなしに、セラの手はフリエスの乳房を荒々しく掴み、嫌がる表情を見せる少女の唇をも奪った。

 フロンはその光景を見て事情を察し、少し顔を赤らめながら二人に背を向けた。そして、フィーヨもすぐ横に立って、どういうわけか安堵のため息を吐いていた。


「どうやら、大当たりを引いたみたいですわ。ささ、戻りましょう。邪魔になります」


 そう言うと、フィーヨはフロンの手を掴み、元来た道を歩き出した。そして、近くにあった何かの刻印が施された木に手を触れた。すると、なにか眩い光が発したかと思うと、続けざまに周囲の木々の何本かが同じく光りだした。そして、その光は何事もなかったかのように収まり、フリエスとセラの傍にある焚火だけが暗い森をまた照らし出す。


「今のは?」


「昼間の内に仕込んでおいた、結界を発動しました。これで二人の営みを邪魔をする者はいなくなりますね。獣も妖魔も簡単には近づけませんから」


 フィーヨが微笑みながら先程の場所に戻ろうと促す。もっとも、何やらその笑みには少しばかり下品な意味ありげな感じも含んでいそうだが。


「フィーヨ殿、先程の言葉・・・、食事、すなわち“食べる”という言葉は比喩的な表現でということですか。ええ、と、なんというか・・・」


「あくまで大当たりがそれだったというだけです。本来の意味での“食べる”もありますよ。他のが出てきたら。なにしろ、確率は三分の一ですから。まあ、時間もありますし、色々とお話ししましょう。昨日はあなたの身の上を聞いたので、今日はこちらの身の上でも」


 などと喋りながら歩いているうちに、先程の焚火の所にまで戻ってきた。焚火を挟んでお互いに向き合って腰かけた。そして、カラカラになった喉を水筒の水を一気に飲み干して潤す。緊張が解けたとはいえ、先程の絶叫の影響はまだ体に残っている。


「フロンさん、三大欲求ってご存じ?」


「生物が生きる上で必要な三つの欲ですね。すなわち、“食欲”と“睡眠欲”と“性欲”、前二つは命と身体の維持のため、後ろのは命を次に繋ぐため」


「はい、正解。でも、今回ははずれ」


 正解だけど不正解、フロンはフィーヨの言わんとすることが分からなかった。


「簡単なことですわ。セラは人間ではない。ですから、人間の三大欲求とはズレがあるということです。ちなみにセラの三大欲求は“食欲”と“性欲”と“自殺願望”・・・、あ~、いえ、“破壊衝動”と言った方が適切かもしれませんね」


「“破壊衝動”ですか・・・。つまり、暴れ回るのが欲求であると?」


 フロンの問いにフィーヨは無言で頷く。水筒の水を口に入れ、喉を潤す。軽く一息ついてから、フィーヨは話を続ける。


「セラはね、人間ではないと言いましたが、それは正確ではないですわ。正しくは、人族、人狼族(ヴェアヴォルフ)吸血鬼(ヴァンパイア)の三種族の混血児なのです。なんでも、母親が人族と人狼族(ヴェアヴォルフ)の混血、父親が人族と吸血鬼(ヴァンパイア)の混血。で、三種族の血が混ざりあい、この世に生まれ落ちたのがセラ。人族の知恵と生命力、人狼族(ヴェアヴォルフ)の身体能力、吸血鬼(ヴァンパイア)の魔力や特殊技能、全部いいとこ取りして能力と技能全乗せ、ほとんど奇跡みたいな確率ですわね」


「以前、師が言っていたのを覚えています。『それぞれの種族には、必ずそれぞれに限界がある。その壁を取り払う手段の一つが混血だ』とね」


「そうよね。てか、あなたの師匠も相当な賢者よね。フリエスじゃないけど、私も興味が出てきたわ。仕事抜きでも会いたいわ」


 魔術師や賢者として教育をうけたしたわけではないのに、フロンの博識ぶりにはフィーヨも素直に感心する。師のアルコが余程熱心に教育してきた成果であろう。


「しかし、セラは実力的にははっきり言って、魔王になれるだけのものは持っているわ。魔王軍とやりあってた私が言うのですから、間違いありませんよ。でも、肝心のものがないので、あくまで自称止まり」


「実力があるのに、魔王になれない。・・・えっと、魔王としての心構えがないとかですか?」


「それに近いですわ。正確には、“邪神の洗礼と祝福”を受けていないということです」


 洗礼と祝福については、フロンもよく知っていた。各所の神殿にて自らが信仰する神に誓いを立て、神への奉仕を行う。そして、信仰の強さと奉仕の量によって神より力を分け与えられる。先日、フィーヨが使っていた癒しの力も、神よりの授かり物だ。


「魔族には魂の中に邪神の刻印がなされているそうなの。上位の悪魔も、下級の妖魔も、どんな存在の中にも邪神が蠢いている。邪神の求める奉仕は世界の破滅、さらに突っ込んだ表現をするなら原点への回帰。原初の世界は混沌、あるいは虚空と呼ばれる存在に満たされていた。そこへ光とともに神が降臨し、世界を形作った。それをなかったことにして、世界を最初の状態に戻そうとしているのが邪神」


「なんとも怖い話ですね。ちなみに、邪神とは、創生神話に出てくる邪神で?」


「そうです、名すら知られぬ邪神です。『名前をみだりに口にしてはならない』との有史以前から続けられてきた制約によって、よく分からない存在になっているのは周知でしょうが、どういう存在なのかすら、名前と共に失伝しています。分かっているのは、至高神イアとの戦いで邪神は果てたこと、その血肉の残骸から魔王や怪物等が生まれたこと、邪神の魂が月に憑り付いて見張っていること、ですわね。名前やどういう存在なのかも“消されて”いるために、便宜上邪神と呼んでいるに過ぎません」


 よく分からないのに確実に存在し、しかもこっちをジッと見ているのというのは、どうにも気持ちが悪いものだと、フロンは身震いした。


「ならば、セラ殿も魔族に連なる者として、いずれは世界を滅ぼす存在になると?」


「今のところ、それはないわ。先程も言ったけど、セラは邪神に誓いを立てていません。ですから、邪神への奉仕の義務はありません。ただし、魔族でありながら邪神に誓いを立てていませんので、“暴走”という罰が課せられている。先程のがそれ」


 無秩序に垂れ流された魔力、旅仲間にすら襲い掛かる錯乱状態。なるほど“暴走”と呼ぶにふさわしい状態だなとフロンは納得した。


「フロンさん、月の満ち欠けによる魔力の変質はご存じ?」


「ええと、月の状態によって空気中に漂う魔力の性質が変わる、ってやつですよね。魔術の儀式を執り行う際、相当な影響が出るとは聞きますが」


「影響は絶大ですよ。満月の日にしか使いないとか、新月の日にしか使えないとか、制限がかかる術式もかなりありますわ。で、セラの場合は満月の夜に暴走します。まあ、セラに限らず、邪神の祝福を受けてない魔族は全員ではありますが・・・。満月は“邪神の眼”とも言われ、魔族は決して抗えないほどの強制力があります。ただただひたすらに錯乱して暴れ回る。セラほどの実力者でも祝福のあるなしでああなるわ。邪神にとっては、魔王と呼ばれる存在すら召使い程度の存在でしかない」


 そう説明されると、魔族というのも難儀なものだとフロンは思う。この世に生まれ落ちた瞬間から邪神に睨まれ、助かりたければ邪神に帰依せねばならず、奉仕を強制される。そして、奉仕の内容は世界の破滅で、自身を含めたすべてを消し去ること。“自殺願望”が欲求とは、なんとも考えさせられる。


「で、セラ個人の話ですが、セラは三種族の混血です。暴走する際に、どの三大欲求が表立って暴れるか、開けてみないと分からない。“食欲”が出るか、“性欲”が出るか、あるいは“破壊衝動”が出るかね。今夜は人族が表立ったんで、あっちでフリエス相手に“性欲”を満たしていることでしょう」


「なるほど、おおよそ理解できました。つまり、“破壊衝動”を引かない限りは、まあ大丈夫ということですね?」


「そう。“食欲”は吸血鬼(ヴァンパイア)と連動してて、血を吸うことでそれを満たそうとする。“性欲”のときと同じくフリエスがなにかする必要もなく、セラのやりたいようにさせてればいいですからね。血を吸われたところで、雷神の加護がすでに入り込んでいますので、魂の性質が上書きされて吸血鬼(ヴァンパイア)化するわけでもありませんし・・・。ただ、吸血は翌朝の倦怠感だけは残るので、多少は嫌でしょうが」


 当たり、大当たり、はずれの三択。フロンはようやく状況を理解した。同時に、毎月こんなことを繰り返す面倒な状況に同情も覚えた。

 とはいえ、自称とはいえ魔王を帯同させることができるのであれば、月に一度の食事くらいはやってもいいとの判断をしたのだ。フリエスは文字通り体を張って、強力な番犬を飼っているということだ。


「ちなみに、はずれの“破壊衝動”を引いた場合はどのような感じで?」


人狼族(ヴェアヴォルフ)が表に出てきます。そして、巨大な狼と化し、周囲を手当たり次第に壊します。遠吠え一つで大気を震わせ、足踏みだけでも地面が割れます。牙は鋼鉄ですら紙切れ同然に引き裂き、体当たりで強固な城壁すら崩落させます。暴走状態ですから術式の類は使いませんし、動きも単調ですが、気のすむまで暴れ回ります。そんな魔王級の化け物を二人だけで抑え込む苦労は、まあお察しください」


 かつての英雄とて、たった二人で魔王相手と戦うなど、とてもまともとは言えない。しかも、それを毎月しなくてはならないのだ。今月は当たりだったからよかったものの、はずれを引いていたら周囲の山林が消し飛んでいたかもしれない。


「となると、先程の結界、要は食事の邪魔をさせないためであり、あるいは食堂から勝手に出ていかないようにするための、ですかな?」


「はい、それも正解。男女の睦み合いを邪魔するのは無粋ですし、怒って“破壊衝動”に切り替わっても困り物のですからね。というか、フロンさん、ほんと頭のいい方ですね。補足の説明が必要ありませんわ。領主なんてやめて、賢者として生きていかれては?」


「兄が健在であれば、それもよかったでしょうが・・・。あいにくと、領民を見捨てて自分の道を歩めるほど、無責任な育てられ方はしておりませんので」


 今では望むべくもない未来に想いを馳せた。とにかく、今は国内の混乱を片付けるのが先であり、後のことはそれから考えようと、フロンは決意を強くした。

 そんなフロンを他所に、フィーヨは警戒の度合いを高める。表情からは穏やかな表情は消え去り、気配を探る鋭い感覚を周囲に向けていた。

フロンは何事かとわずかに困惑したが、すぐにその理由が分かった。何者かが早足でここに近づいてきている。それもかなりの数だ。

フィーヨは立ち上がると同時に、横に置いていた宝剣をフロンに投げて渡す。今回の護衛の報酬として貰っていたものだが、さすがに丸腰はまずいと思ったのか、フロンに返すことにしたのだ。


「フィーヨ殿、これはよろしいので?」


「ええ。報酬の件は落ち着いてから話し合いましょう。それに、今からのお相手は、話の通じる人間ではありませんから」


 フィーヨは軍神マルヴァンスの聖印(ホーリーシンボル)たる首飾りを握り、神への祈りを捧げた。これから始まる戦いの勝利を祈り、神への供物をささげる儀式の始まりの合図として。

 そして、森の中を駆けてきた者達の姿が、焚火の明かりと僅かな月明かりに照らされてあらわとなる。人間より二回りほど小さく子供のような大きさで、手には剣や斧、こん棒が握られている。手入れができていないのか、刃こぼれしている物が目立つ。さらに、尖った耳に黒が混じりこんだ汚らしい赤い肌で、ボロボロの衣服を身にまとっていた。


小鬼(ゴブリン)か・・・。」


 フロンは返してもらった剣を鞘から抜き、しっかりと握って構えた。フィーヨの言葉通り、話の通じる相手ではないので最初から戦闘態勢だ。

 小鬼(ゴブリン)は低級の妖魔であり、人間に比べるとかなり弱い部類に入る。遥かな昔、魔王らの手によって堕落させられた森の妖精(エルフ)の成れの果てとも言われ、その尖った耳と森を生息地とするのがその名残とされる。

 だが、弱いといっても侮れないのは、優れた繁殖力があるからだ。人間が子を成すのに十か月かかるのに対し、小鬼(ゴブリン)は四、五か月で出産する。しかも、一度に五、六匹は産み落とす多産系の種族だ。あげく、五、六年で成体になり、次の子供を産んでいく。まともな医療技術を持っていないので夭逝することもままあるが、それでも数はどんどん増えていく。その繁殖力に裏打ちされた数の多さこそ、小鬼(ゴブリン)の厄介な点だ。

 また、道具を使い、数を数えれる知能も持っているのは、そこいらの獣と大きく異なる点だ。基本的に憶病な性格なので、人間を進んで襲うことはない。遠巻きに眺めるのが常だ。だが、数を数えて有利と考えると、途端に襲い掛かってくる。

 しかも今は満月の夜だ。天空に輝く満月が邪神の眼となり、小鬼(ゴブリン)達を急かし、興奮させているのだろう。いつも以上に息が荒く、今にも飛び掛かってきそうな雰囲気だ。


「数は・・・、そうですね、百近くはいますね。人里からさほど離れていない場所にこの数の小鬼(ゴブリン)の群れ、手抜かりもいいとこですわ」


 フィーヨの指摘はもっともであり、フロンとしてはこの地の領主に嫌味の一つでも言いたい気分になる。小鬼(ゴブリン)は優先的に駆除すべき“害獣”であり、発見次第、領主が兵を集めて討伐したり、あるいは冒険者が冒険者組合(ギルド)の斡旋を受けて駆除のクエストに出かけるのが常だ。

 フロンが頭を悩ませていると、そんなことなどお構いなしにフィーヨがゆっくりと歩み出て、小鬼(ゴブリン)の群れとフロンの間に立ちはだかる。


「フロンさんはそのまま焚火の前で待機。自分の身と、焚火が消されないことだけ考えておいてください。あとはこちらで“駆除”します」


 一切の焦りもなく、淡々と駆除と言い放つフィーヨ。薄汚れた旅装束でありながら、優雅さすら感じさせた雰囲気はなく、今は獲物を見つけた狩人のごとき佇まいだ。

 そして、フロンの鼻には血の匂いが少しずつ飛び込んできた。昨夜、初めてフィーヨを見た時の感覚と同じだ。これからとんでもないことが起こることだけは確信できた。

 そして、フィーヨの服の袖口から、真っ赤の蛇が二匹顔を出す。


「剣に」


 そうフィーヨが呟くと、蛇が見る見るうちに剣へと変じ、両の手に収まった。

 フロンはその光景を見て、昨夜怪訝に思った武装の少なさに納得した。蛇の姿をした剣を持っていたのだ。魔術の道具の類であろうが、姿を変えれる武器ならば、暗器としてはかなり有用だ。だが、神官が暗器を持つなど意外すぎる武器の選択ではあったが。

 そして、フロンはその考えがすぐに誤りであると気づかされた。フィーヨが持つ剣は、姿を変えれる暗器などではなく、英雄が持つ理不尽極まる兵器なのだと。

 フィーヨはゆっくりと剣の切っ先を自分から最も近い位置にいる小鬼(ゴブリン)二匹に向けた。


「爆ぜよ! 〈心臓圧壊(ハートブレイク)〉」


 剣から赤い光線が飛び出すと、二匹の小鬼(ゴブリン)の心臓を貫いた。そして、猛烈な血液の激流にさらされ、二つの心臓が破裂し、断末魔を上げることすらできずにその場に崩れ落ちた。

 フロンは驚いた。いったい何が起こったのか、と。

 小鬼(ゴブリン)達は驚いた。どうして仲間が倒れたのか、と。

 その場の注意は倒れた二匹の小鬼(ゴブリン)に集中するが、そのわずかな時間でフィーヨは次の行動に移す。


「〈限界突破(オーバードライブ)脚力増強(アシスト・レッグス)〉」


 フィーヨの言葉に、二本の剣が即座に反応する。淡く光る赤い魔力の波がフィーヨの足に絡みつき、熱を帯びながら同時に力も湧き上がってきた。

 そして、フィーヨは小鬼(ゴブリン)の群れに向かって駆けだした。

 倒れた仲間に注意を向けていたため、小鬼(ゴブリン)達の反応は遅れた。それ以上に、フィーヨの足が異常に早かった。気が付けば、フィーヨはすでに剣が届く位置にいた。

 右手の剣で走りこみながらの払い抜け、これで首が一つ宙を舞う。いつの間にか逆手に持ち替えていた左の剣で後ろ向けに突きを繰り出し、別の小鬼(ゴブリン)の喉を貫く。それを引き抜きざまに近くの小鬼(ゴブリン)の腹を引き裂く。ここで小鬼(ゴブリン)が一匹切りかかってくるが、右手の剣を振り下ろし、肩から斬られ股まで抜ける一撃を繰り出す。

 数の不利などものともしない、一方的な展開だ。剣が振るわれる度に首が飛び、血煙が沸き起こり、脳漿がぶちまけられる。小鬼(ゴブリン)達の悲鳴にも似た叫びが森に響いた。

 少し離れた位置にいるフロンは、剣を構えて警戒しながらも、フィーヨの圧倒的な強さに見入っていた。武器の切れ味もさることながら、二本の剣を自身の手足のごとく自在に操る技量、さらには常人では出せない足の速さで、舞踊を楽しんでいるような雰囲気すらあった。

 斬り合いが始まってまだほとんど時間が経過していないのに、地面に転がる小鬼(ゴブリン)の死体はすでに十体を軽く超えていた。

 このままではダメだと判断したのか、小鬼(ゴブリン)達は距離を開けた。そして、フィーヨの周りを取り囲み、一斉に襲い掛かれる態勢を整えた。

 小鬼(ゴブリン)は憶病な性格なので焦りの色が見られるが、取り囲んだことにより余裕ができたのか、下品な笑いが漏れてくる。どれだけ足が速かろうが、囲んでしまえば逃げ場はない。そう考えたのだ。

 だが、フィーヨに一切焦りはない。力を抜き、両手の剣の先を地面に向けた。そして、襲い掛かってくるその瞬間を待った。

 一匹の小鬼(ゴブリン)が絶叫しながら飛び掛かると、周囲もそれにつられて動き出した。その数同時に十匹による一斉攻撃だ。


「巻き付け、〈血の束縛(ブラッディバインド)〉」


 フィーヨの言葉とともに、地に伏してた小鬼(ゴブリン)達の死体が動き出した。正確には、それらから流れ出た血が、である。まるで蛇のごとくクネクネと動き出し、飛び掛かってきた小鬼(ゴブリン)達全員の腕、あるいは足や胴体に絡みついた。

 襲い掛かってきた小鬼(ゴブリン)達は恐慌状態に陥った。一斉に飛び掛かっていたのに、わけの分からぬうちに動きを止められたからだ。絡みつく蛇を引きちぎろうとする者、あるいは必死で逃げようとする者、中には混乱のあまり倒れた味方の死体を切り付ける者など様々だ。

 そんな小鬼(ゴブリン)達の混乱などお構いなしに、フィーヨは次々と切り伏せていった。首が円を描くように順々に転がり落ち、新たに死体の列に加わっていった。

 斬り合いでも勝てず、一斉攻撃も失敗、小鬼(ゴブリン)達は怯えて逃げ出そうとするが、寸前のところで立ち止まる。森の奥から小鬼(ゴブリン)らを押しのけながら何かが進んできたからだ。

 新たに現れたそれは黒混じりの汚らしい緑色の肌をしており、その大きさはフィーヨの倍以上の背丈をしていた。その長身にふさわしい太い四肢を持ち、手には丸太のごとき大きさの棍棒が握られていた。顔立ちは小鬼(ゴブリン)と大差ないが、耳は短い。そして、その首回りには小振りな髑髏をあしらった首飾りがかけられていた。


「今度は大鬼(オーガ)か・・・。なるほど、それで発見が遅れたわけか」


 フロンは小鬼(ゴブリン)大鬼(オーガ)とつるむことを知っていた。小鬼(ゴブリン)大鬼(オーガ)を言わば用心棒として雇うのだが、その報酬は食料で払われる。そして、その食料とは小鬼(ゴブリン)の子供である。

 小鬼(ゴブリン)大鬼(オーガ)に自分達の子供を食べさせ、群れの用心棒とする場合がある。大鬼(オーガ)は食料が手に入るので助かり、小鬼(ゴブリン)は強い用心棒が手に入るので群れが強くなる。また、適度に間引きされるので群れが急速に大きくならず、急激な個体数増加による食糧不足になりにくい。しかも強い群れなので他の群れとの縄張り争いにも勝つので、山奥から中々出てこず、発見が遅れやすいのだ。

 大鬼(オーガ)がぶら下げている首飾りの髑髏も、おそらくは子供の小鬼(ゴブリン)の物であろう。力の誇示であり、小鬼(ゴブリン)に対して誓いを忘れるなとの警告でもあった。

 そして、フロンはふと思った。目の前の醜悪な連中と、今しがた目の当たりにしたフリエスとセラの営み、やっていることは根っこの部分は同じではないか、と。

どちらも対価を支払って、用心棒を雇っている。もっとも、自身を贄に差し出すフリエスに対し、自身の子供を贄に差し出す小鬼(ゴブリン)。その部分が決定的に違っている。その醜悪な行動にはやはり好意的になる理由が一つもない。

 結局のところ、小鬼(ゴブリン)は駆除されるべき存在だ、フロンの思考は結局ここにたどり着いた。

しかし、大鬼(オーガ)がいる以上、簡単にはいかなかった。あの巨体に加え、その体躯にふさわしい重量武器も所持している。あれを食らうのは死を意味する。

 その実力も当然、小鬼(ゴブリン)達は知っているので、現れた大鬼(オーガ)に歓声を上げる。あの目の前にいる化け物を、それ以上の化け物が潰してくれると信じて。

ところが、そんなフロンの焦りや小鬼(ゴブリン)達の喧騒などどこ吹く風。フィーヨがゆっくりとした足取りで大鬼(オーガ)に近づいた。そして、剣が再び蛇に戻り、両の腕に巻き付いた。


「さあ、来なさい。格の違いを見せて差し上げましょう」


 フィーヨは大鬼(オーガ)に向かって手招きし、さっさと巨大な棍棒を振り下ろすように挑発する。

 ならばと言わんばかりに、大鬼(オーガ)が棍棒を頭上に掲げ、雄たけびとともにフィーヨの脳天めがけて一気に振り下ろす。


「〈限界突破(オーバードライブ)腕力増強(アシスト・アームズ)〉」


 振り下ろされた棍棒はフィーヨの脳天には当たらず、その前に両手で挟み込むように受け止められた。あの細腕からは信じられない腕力だ。足元が地面にめり込むほどの一撃だが、フィーヨ自身は一切傷ついていない。

 大鬼(オーガ)は驚愕するも、必死で体重をかけ押し切ろうとするがびくともしない。


「では、軍神への贄となりなさい」


 フィーヨが掴んでいた棍棒を押し返すと、大鬼(オーガ)はよろめいて数歩後ろに下がった。

 そして、大鬼(オーガ)が次にフィーヨの姿を視界に捉えると、腕に巻き付いていた蛇がまた姿を変えた。しかも、今度は弓と矢に。

 フィーヨは左手に弓を握り、矢を右手で掴んで弦を引いた。大鬼(オーガ)はすぐに顔を射抜かれると思い、棍棒を顔の前に構えて射撃を防ごうとした。

 そして、フィーヨはすぐさま矢を放つ。狙いはもちろん顔だ。大鬼(オーガ)は防げると考えたが、それは間違いだと気づかされる。そして、それが大鬼(オーガ)にとっての最後の思考となる。

 矢は確かに棍棒で防ぐことができた。問題はその後だ。


「集え」


 ぽつりとつぶやいたフィーヨの言葉に反応してか、周囲に転がる小鬼(ゴブリン)の死体が爆散した。そして、血の塊が大鬼(オーガ)に向かって槍のごとく繰り出され、その全身を貫いた。頭が、胴体が、四肢が、全身穴だらけになり、棍棒を握りしめたまま絶命し、その場に崩れ落ちた。

 そして、動かなくなった大鬼(オーガ)に近づき、棍棒に刺さっていた矢を回収する。


「この矢は言わば印付け。矢に向かって血が集まるよう術式を組んでいました。つまり、あなたは防御ではなく回避を選択するのが正解でした。もっとも、そんな俊敏に動いて矢をかわすなどという芸当が、その巨体でできたとは思いませんが」


 フィーヨは弓矢を再び剣に戻し、小鬼(ゴブリン)達を威圧する。


「さて、では続きと参りましょうか」


 もう、小鬼(ゴブリン)達に戦意は残っていなかった。逃げたかった。だが、逃がしてはくれなった。目の前の人間の女の姿をした化け物がではなく、夜空に輝く満月という名の邪神の眼がである。もし、今日が満月でなければ、逃げることはできたであろう。だが、今日は祝福すべきことに満月の夜だ。

 照り下る満月の光は小鬼(ゴブリン)達の心を書き変える。恐怖から狂奔へと。これは洗礼を受けぬ者への邪神から下された罰だ。逃げることなど、許してはくれない。洗礼を受けて破滅へ向かって突き進むか、洗礼を受けずに暴走して果てるか、魔の眷属にはこの二つの道しか邪神は用意していない。


「まだ逃げないのか、こやつらは!」


 フロンは吐き捨てるように言い放ち、狂ったように襲い掛かってくるゴブリンに向かって剣を構えた。基本的には前に出ているフィーヨの方に小鬼(ゴブリン)は群がるが、数が数だけにあぶれる者もおり、それらがフロンに襲いかかってきたのだ。


「それだけ、しっかりと邪神の眼が効いてるということですよ。まあ、邪神としてはこの後、私をズタボロにして、小鬼(ゴブリン)の孕み袋にでもしたいのでしょうが、残念ながらそんな展開はありません。なにしろ、私は軍神の信徒。邪神のお遊びに付き合う義理はありませんわ」


 フィーヨは軽口を叩きながらも、群がる小鬼(ゴブリン)を次々と切り伏せていた。

 もし、フィーヨやフロンが相手の立場ならば、被害を抑えるためにもさっさと撤退する。数の利も活かせず、用心棒もやられたのだ。当然の判断と言える。

 だが、目の前の小鬼(ゴブリン)達にはそんな当然の判断すらしなかった。完全に発狂状態であり、口からは唾液がだらしなく垂れ、目は焦点が合わずに虚ろであった。

 満月、すなわち邪神の眼の影響ががっちりと小鬼(ゴブリン)の精神を蝕み、暴走させているのだ。

もちろん、フィーヨはそんな小鬼(ゴブリン)達の状況を理解していた。理解していたが、同情の余地はない。なぜなら、暴れるに任せていては、人族の領分に踏み入ることになり、どのみち争いとなるからだ。ならば、さっさと駆除しておくに限る。


「ああ、いけません、いけませんわ。なんと言いましょうか、下品な野獣の情欲に満ちた視線を感じてしまいます。でもね、残念なことに、私を欲望のおもむくままに身も心も好きにしていいのは、この世でたったの二人しかいないのですから」


 フィーヨはゴミでも見るかのような冷ややかな視線を小鬼(ゴブリン)達に向けた。醜悪な外見もさることながら、小鬼(ゴブリン)が自分に求めるものを察しているからだ。

剣で小鬼(ゴブリン)を次々と切り伏せるが、次から次へと小鬼(ゴブリン)がフィーヨに殺到する。雄たけびを上げ、目を血走らせながら、まっしぐらにフィーヨに飛び掛かった。

 それに対して、フィーヨの対処は極めて冷静だ。かわして、斬る。ひたすらこれを繰り返しだ。すべての小鬼(ゴブリン)の位置を把握し、次の行動を先読みする。斬ってはかわし、下がっては突っ込む。剣が振るわれる度に小鬼(ゴブリン)はその命を散らせていった。

 フロンにも襲い掛かった小鬼(ゴブリン)も、フィーヨに襲い掛かった者と同じ運命が待っていた。フロンの剣技もなかなかのもので、次々と小鬼(ゴブリン)を切り伏せていった。暴走して動きが単調で、連携も悪い。それらが対処を容易にしていた。

 そして、最後の一匹をフィーヨが仕留め、辺りに夜の森の静寂が戻ってくる。パチパチという焚火の音以外、もはや何も聞こえない。

 その焚火に照らされて、凄まじい数の小鬼(ゴブリン)の死体が転がっているのが見える。必死になって斬り合っていたので、フロンはようやく一息ついて状況を確認することができた。しかも、転がる死体の大半は目の前にいる、たった一人の女性によって量産された。


(なるほど。これがかつて魔王と戦ってきた英雄というやつなのか!)


 フロンは血と肉に包まれた恐ろしくも美しい一人の美女を見ながら、畏怖と敬意を同時に覚えた。



               ~ 第四話に続く ~

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