第七話 山登り 前編
夜がやって来た。夜空に輝く月の光が山を照らし、山より下り来る者達を照らしていた。それは人ならざる者、偽りの魂を与えられ、死してなお現世をさ迷う哀れな死者達の群れだ。
月とはすなわち、邪神の魂が宿る夜の支配者。魔に属するものは誰であろうと、その光を浴びて心を狂わせる。
だが、今日はまだ前置き程度のささやかなもの。月が真円を描くときこそ、それは解き放たれる。祭典はまだまだ始まったばかりだ。
そして、前座の役者達が山を降り下る。体の各所が腐り落ち、腐臭を放ちながら近付く屍人、肉すらなくなり骨だけとなって走り来る骸骨兵、一切の肉体を失いそれでもなお泣き叫びながら現世に留まる幽霊。それらが隊伍とも呼べぬバラバラの集団となり、山から次々と眼下の村に向かって突き進んでいた。
「お~お~、屍人に骸骨兵に幽霊、不死者御三家揃い踏みね」
フリエスは駆けながら、迫り来る不死者を見つめた。不死者を研究する者ならば半ば常識であるが、この三種の不死者こそ、全ての大元なのだ。数多くの種類がいると思われる不死者であるが、その全てがこの三種のいずれかの系統やら亜種に分類される。
例えば、吸血鬼は屍人からの派生、死霊術士は骸骨兵の派生、首なし騎士は幽霊からの派生、と言った具合である。一見違う種類のように見えて、実は大元は同じ、という場合もかなりある。
とはいえ、御三家などと御大層な看板ではあるが、大元というだけで、強さ自体は大したことはない。それこそ、対処法さえ用意しておけば、十等級でさえ討伐は可能だ。
かと言って油断はできない。なにしろ、山からひっきりなしに下ってきており、山々が覆い尽くすかのごとく迫ってきていた。とにかく、数が多いのだ。
見たところ、既に何組かの冒険者部隊が坂を駆け登って迎撃しており、次々と不死者を撃破しているのが見てとれた。
フリエス、フィーヨ、セラの三人は先行していた《混ざりし者》の四人に追い付くことができた。四人は参戦はせずに、最前線から少し引いた場所に待機していた。
「遅くなりました。戦況は?」
フィーヨはぶつかり合う最前線を見つめながら尋ねた。四人は特に焦りも高揚もなく、ただ冷静に状況を観察しているようであった。
「まあ、まだお互い小手調べの段階だ。二十名ほどが上がっていったが、その他は待機だ」
ジョゴはそう答え、周囲で同じく待機する面々を見回した。
今回の任務は村の防衛であり、基本的な戦い方としては迎撃なのだ。相手が村を目指して進軍し、村に入られる前にこれを撃破する、これが基本的な行動だ。
そのため、戦力を前線に集中させることはできない。別動隊が別の道を進むかもしれないし、地形を無視して飛行型の不死者が襲来するかもしれない。
また、地に足を付けている以上は地形の制限を受ける。傾斜がきつい場所には部隊が展開できない。現に、骸骨兵の一部が突破を試みるも、坂から転げ落ちている姿を確認できた。
とはいえ、それはこちらも同じで、ああいう場所では防衛側も人を配置できないので、少し下がって予備予備選力として待機するのが一番なのだ。
欠点としては、防衛指揮官がいないことだ。各部隊ごとにバラバラに動いているため、効果的な防衛策が取れないということだ。
しかし、そこは歴戦の猛者達である。互いの雰囲気を読み合い、個々の力を用いた相互連携を考えていた。そんな中、何かが風を割いて飛んでくる音と気配を感じ取った。
「ラオ君、風の精霊を呼んで前線の人達に防御を! 他の人は左右に散って!」
叫んだのはイコであった。場馴れした連中ばかりなので、惑って慌てる事もなく、全員素早く走り、そこいらの木や岩などの遮蔽物に身を隠した。
ラオもまた、風の精霊を呼び出し、それを前線の頭上を旋回させ、風の幕を展開した。
それからすぐにそれは飛んできた。二百は超える矢の雨が降り注ぎ、前線から待機していた地点まで、矢が次々と突き刺さった。前線の方は風の幕が展開されていたため、矢は一つ残らず弾かれていた。
状況を察した前線の一人が後ろを向き、軽く手を降って援護の感謝を示し、再び戦いの場へ戻っていった。
(イコの反応と指示が的確だったわね。天より賜りし奇跡の眼、《天眼》の二つ名に偽りなし。ふふ、モライナさんを思い出すな~)
フリエスはかつて共に戦った英雄のことを思い出し、思わず笑ってしまった。モライナは《全盲の導師》の二つ名を持つ魔術師で、あらゆる状況を看破する能力を有していた。相手の攻撃、あるいは防御の術式に対して、即座に最適解の攻略法を考え出し、指示を飛ばしていた。
イコの指示もそれと重なって映るほどに似ており、昔のことをついつい思い出したのだ。さすがは特等級部隊の一員だと、先程の席で見せた暴走ぶりを忘れさせる動きであった。
などと考えながらフリエスは周囲を見渡すと、フィーヨがいなくなっていることに気付いた。どうやら、《混ざりし者》と同じ方に回避したようで、離れてしまったようだ。代わりに、顔を合わせたくなかったのがすぐ隣に確認できた。先程、食堂で突っかかってきた男だ。男も自身の部隊とはぐれてしまったのか一人であった。
「おやおや、先程はどうも。まだ死んでなかったことは褒めてあげるわ」
「戦闘中だ。無駄口を叩くな」
男はフリエスの挑発的言動を無視し、岩陰から顔を少し出しながら答えた。先程の下卑な顔はどこにもなく、戦う男の顔になっており、ここでこちらが突っかかっては品位が下がると考え、挑発は控えるべきだとフリエスは反省した。
「あら意外。先程と打って変わって、随分真面目ね」
「仕事中は別だ。なにより、特等級部隊が真っ先に握手を求めたのがお前だからな。何か隠し玉でもあるんだろうが、いざって時には頼むぜ。俺は死ぬときは老衰で死ぬって決めてるんでな」
「それはそれは。せいぜい長生きしないとね」
フリエスは男のことを見直した。こういう場合、意地を張って先程以上に突っかかってくるのが多いというのに、ササッと軌道修正してきたからだ。こういう切り替えの早い相手は好感が持てるというものだ。
「あたしはフリエス。魔術師よ」
「よくよく考えてみりゃ、嬢ちゃんくらいの年で導師級って、すげえことだよな。こいつはちと反省しなくては。俺はカトーだ。四等級の槍使いだ。よろしくな、嬢ちゃん」
フリエスとカトーは互いの拳と拳を軽くぶつけ合い、以て和解の証とした。とはいえ、もし、カトーが自分の実年齢を知ればどうなるか、少しばかり気にはなるとフリエスは思った。
「それより、気付いた?」
「ああ。敵に“指揮官”がいる。面倒だな」
フリエスの手短な質問にも、カトーはその含意を読み取ってすんなり答えが返ってきた。口は悪くとも、場数を踏んだ冒険者であることがそこから読み取れた。
不死者は知能がないに等しく。“生者を嫌う”という本能をもって襲い掛かって来る。上位の不死者ともなると高度な知能を有し、強力な術式を使う者もいるが、今、目の前にいるのは知能を持たぬ下級の連中だ。
だが、先程の矢の雨はその弾幕密度から、“斉射”されたものであることは疑いようのなかった。つまり、誰かが弓隊を組織して隊伍を組み、一斉射撃を行ったことが容易に推察できた。
人間同士の戦でもそうだが、高所を押さえ、そこから眼下に向けて矢弾を撃ち込むのは極めて有効な戦術であり、やられた方はたまったものではない。
「状況としては、前線の不死者を城壁代わりとし、こちら側の侵入を防ぎ、配置した弓兵で削りに来たといったところか。月明りしかない戦場でも、不死者なら生者の気配で居場所が知れるし、そこに斉射すればいいだけだしな。さっきは《天眼》の警告で被害はなかったが、同時に動き辛くなったぞ」
今は遮蔽物に隠れているが、飛び出したら射られる可能性が高い。また、前線で戦っている連中も、矢はラオが作り出している風の幕で防いでいるが、体力が無限に続くわけではない。どこかで交代して後方に下がり、体力の回復を行ってもらわなくては、貴重な戦力を前座で失うことにもなりかねない。
「なら、さっさと対処しましょうか。セラ!」
フリエスは有無を言わさぬ強い口調でセラを急かした。セラとしてはやる気がまだ起きなかったが、義理立て程度には働かないと後がうるさいと考え、少しだけ働くことにした。
岩陰から飛び出し、少しずつ近づいてくる屍人の一団に右手を向けた。
「お前らは全員、回れ右だ」
セラは右手首をぐるりと回した。すると、屍人の一団は動きを止め、さらに一斉に回れ右をして逆走し、先程まで肩を並べて進んでいた他の不死者達に襲い掛かった。
当然、すぐ横にいたカトーの目の当たりとすることとなり、眼を大きく見開いて驚いた。
「おいおい、なんだよ、ありゃ。同士討ちを始めやがったぜ!」
「“指揮官”がいると言ったのはお前だろう? だから指揮権を奪ってやった」
さらりととんでもないことをやってのけたセラであったが、フリエスにとっては当然の結果であったので特に驚くことも褒めることもしなかったが、カトーにとっては天地がひっくり返ったような衝撃を受けた。なぜなら、不死者を支配したり、作り出したりする術式は“死霊魔術”に属するものであり、魔術師組合によって禁呪指定されている、かなり危険な術式であるからだ。
つまり、目の前の男は先程見た身分証の拳術士というのは真っ赤な噓で、実は魔術師組合から特別許可が下りるほどの魔術師、もしくは何らかの方法で自力で死霊魔術を習得したと推察したのだ。どちらにしろ、とんでもない腕前の魔術師であることには変わらない。
実際のところ、セラは吸血鬼としてのスキルを使用しただけだ。吸血鬼という存在は不死者の中でも知能を有する強力な存在であり、下級の存在ならば支配して使役することも容易なのであった。
「あんた、すげぇな。こんなん初めてだわ。・・・て、また向き直ったぜ」
話しているうちに先程逆走を始めた屍人の一団は同士討ちを止め、再びこちらを向いて前進を再開したのだ。
「「はい、バカ確定」」
フリエスとセラはこれを待っていたかのように同時に言い放った。
「で、どっち?」
「あっち」
「それじゃ、行ってくるわ」
フリエスはセラの指さした方角に向かって〈飛行〉を使い、一目散に飛んで行った。状況が見えず、取り残された格好となったカトーはただただ呆然とするだけであった。
「ど、どうなってんだ?」
「ああ、今のは奪った指揮権を、再度奪い返されたのだ。こちらが手加減しているとも分からず、間抜けなことにな」
セラは“指揮官”のことを鼻で笑い、それがいるであろう山の上の方を見上げた。
「奪って、奪い返されてって、何か意味があったのか?」
「奪い返す際に魔力の指示を飛ばして、支配権の上書きをすることになる。それを逆探知すれば、どこにいるのかが知れる。知れてしまえば、そこへ向かって突っ込めばいいだけだ。今の状況を鑑みると、指揮官は後ろに控えて、弓兵で敵戦力を削れるだけ削るのが最良だ。二十くらいの屍人が奪われたくらいで狼狽え、むきになって奪い返そうとするあたり、軍勢の指揮官としては素人もいいところだ。敵に本陣の場所を教えるなんぞ、愚の骨頂よ」
説明されてしまえば理にかなった行動で、あっさりと敵指揮官の場所を特定した手腕は見事としか言いようのないことだと、カトーは素直に感心した。しかも、あの短いやり取りでこれらを行ったということは、二人は互いをよく理解して余計な言葉もなく行動に移せるという、圧倒的な信頼が築かれていることを意味していた。
「しかし、一人で大丈夫なのか? 相手は“指揮官”、つまりは高度な知能を持つ上位の不死者のはず。あの嬢ちゃんが腕利きだとしても、厳しくねえか?」
「逆探知した魔力の雰囲気から察するに、相手は恐らく上級吸血鬼だろうな。その程度なら、あいつ一人でも余裕だよ」
セラの回答に、カトーはまたしても度肝を抜かれた。上級吸血鬼はかなり強い不死者で、自分一人では対処できないほどの強敵だ。仲間の援護がなければまず勝てないという相手だ。
にも拘らず、一人で余裕だと平然と言い放った。そこには、自分と相手の間には巨大な実力差の壁がそびえ立っていることを意味し、カトーは自分の世界観が大きくひび割れ始めていることに気付かされた。
(本当にいるもんなんだな、英雄やら化け物やらの類って)
カトーは飛んで行ったフリエスの無事を祈りつつ、自分も活躍せねばと少し離れた物陰に伏せていた仲間の下へと駆けて行った。
***
フリエスの眼下には、大量の不死者が蠢いていた。歩きやすい山道だけではその数を麓まで下ろすのには不十分で、崖であろうと転がり落ちるように不死者の群れは村へと突き進んでいた。どうせ落ちたところで、すでに死んでいるから痛くもない。ただ、足が折れて這いつくばって進むだけの話だ。
〈飛行〉を使って飛び越えているフリエスに気付く者もおり、届かぬ手を伸ばしてうめき声を上げながら掴もうとしてきた。フリエスは軽く一瞥しただけで特に何もせず、セラが示した方角に向かって飛び続け、“指揮官”たる上位の不死者を探した。
途中、幽霊や吸血蝙蝠に襲われたが、どれも回避して突き進んだ。狙いはあくまで指揮官ただ一人。
そして、発見した。数十はくだらない直轄の下僕を従えて、偉そうにふんぞり返るそれなりに強い魔力の持ち主。間違いなくあれだとフリエスは考え、堂々とその前に降り立った。
いきなりの来客であったが、すぐに周囲の怪物達がフリエスを取り囲み、いつでも飛び掛かれるように身構えた。
それらは下級吸血鬼と屍狼だ。下級吸血鬼は全身真っ青の血色の悪い肌の持ち主だ。血走った眼を持ち、吸血鬼と名が付くものの、はっきり言って弱い。吸血能力を持つことと身体能力がそこそこ高いことを除けば、屍人と変わらない。屍狼は所々が腐り落ちた体を持ち、骨が見えているみすぼらしい姿をしている。こちらも大した敵ではない。
問題は目の前の“指揮官”だ。すなわち、上位の不死者であり、セラの予想通り、上級吸血鬼であった。吸血鬼が幾度となく月の光を浴び、人々の血肉を喰らうことで力が増していき、より強力な吸血鬼へとなった存在だ。月の光がそのまましみ込んだかの如く白い髪と肌を持ち、眼はすすってきた生血を吸い上げたかのごとく赤かった。漆黒の長衣で身を包み、爪と牙をこれ見よがしに見せつけていた。
いきなり現れたフリエスに対して、上級吸血鬼はまるで舞台劇の役者のごとく大仰な手振りでフリエスの来訪を歓迎した。
「これはこれは可愛らしいお客さんだ。できればうら若き処女がよかったのだが・・・。まあ、歓迎するよ、お嬢さん」
にこやかな笑みと共に上級吸血鬼はフリエスに話しかけてきたが、フリエスは何も答えず、ただ相手を見つめるだけであった。
「我が居場所を突き止め、単身乗り込んできた勇気は買うが、如何せん無謀であったな、お嬢さん。君は今から死ぬ。周りにいる下僕らの晩餐になり果てるのだ。処女ならば、我がじっくりいただいても良かったのだが、汚れた乙女など喰うに値せぬわ。そして、君の死の苦痛と叫びは我が主たる魔王モロパンティラ様に捧げる。今宵はまだ前座。だが、満月の夜には魔王様へ生贄にて、火口を人間どもの血肉で溢れかえらせてやるわ!」
高らかな笑い声が夜空に響き、上空の月から拍手でも聞こえてきそうであったが、フリエスは特に何も感じなかった。代わりに、軽く手を挙げた。
「吸血鬼さん、一つ質問いいですか?」
「何かね? ここまで来て、命乞いとかみっともないことは言わないでおくれよ」
「モロパンティラ、たしか全ての吸血鬼の母とも呼ばれる魔王の一体だったかしら。そんなママから教わらなかった? 『敵を前にしての長口上は三流のやることだ』ってね」
フリエスが言い終わると同時に、上級吸血鬼の体から刃物が付きだした。上級吸血鬼は何が起こったのか理解できなかったが、背中からいきなり刺され、黒い刃が自分の背中から心臓を貫いていることだけは認識できた。
そして、気付いた。目の前の少女が剣の刺さっていない鞘を握っていたことに。
「父さんが私の曲刀に仕込んだ贈り物。剣を無くさないようにと、念じれば鞘に戻って来るようになってるの。さっき降りてくる前に曲刀を投げ捨てておいた。落ちた剣と着地した私の線上にあなたが来れば、勝手に刺さってくれる、とまあそういうことなのよ。剣が収まってない鞘を見て、周囲に警戒してればよけれたでしょうに、やっぱあなたは三流だわ」
上級吸血鬼はフリエスの説明を聞き、驚愕した。目の前の少女が静かに冷静でいたのも、曲刀が戻ってくる機を計っていたことだと気付かされて。
「〈轟雷〉!」
フリエスが天に向かって手をかざすと、雷が舞い降り、体を貫いた曲刀に突き刺さった。強烈な電流が曲刀を伝って上級吸血鬼の体内に注ぎ込まれた。心臓が貫かれた上にこの雷である。断末魔をあげる時間すらなく灰へと成り果て、夜風に吹かれて飛び散っていった。
曲刀は少しの間空中に留まった後、雷を吸収しながらフリエスの腰に取り付けられた鞘へと戻った。
フリエスはいまだ取り囲まれたままであるが、周囲の怪物達は動かない。主人が消え去り、支配から解放されたのだが、どう行動すればいいか分からないからだ。じきに不死者としての本能が戻り、生者に襲い掛かって来るであろうが、フリエスはそれを律儀に待ってやるつもりはなかった。
「極大化! 範囲拡大!」
先程の雷をその刀身にまとわせた曲刀を鞘から抜き去り、力ある言葉をもってそれを強化した。刃を振るうと雷が取り囲む怪物達を次々と薙ぎ払い、その主人と同じく消し炭にしてしまった。
まさに鎧袖一触。上位の不死者程度であれば、半神のフリエスにとっては、取るに足らないほどの存在でしかなかった。
「さて、これで指揮系統が喪失したわね。組織立って群れを動かせなくなれば、あとは適当に狩っていけるでしょう」
フリエスは眼下の情勢を眺めながら、次なる一手に思案を巡らせた。
~ 第八話に続く ~




