第三十話 定まる道筋
ようやく終わったか、というのがフリエスの率直な感想だった。あれこれ思考を巡らし、話ながらではあったが、魔法陣で通信術式を制御しながらの会話であった。話している間は気が付かなかったが、思った以上に疲れていたのか、立ち上がれずにそのまま尻もちをついてしまった。
「お疲れ様、フリエス。話すことも多かったうえに、話す内容も濃かったですからね」
「それそれ。結局、バシッとした解決策もなしに、現状維持だもんね。ヴァニラがそのうち来てくれるのはいいにしても、対処法がないとね」
そう言うと、フリエスはセラの方を見上げた。結局のところ、ネイロウがちょっかいを出してきた場合は、自称魔王の助力なしには何もできないということだけが、今夜のやり取りで分かったことだ。捕らえることはできなくとも、撃退して追い払うことだけは可能だからだ。
「セラ、あんたはどうするの?」
「どうもこうもせん。トゥルマースの推察が正しいとすれば、ネイロウにいくつか聞かねばならんことがある。邪神という存在への確信に迫れる」
セラにとっての優先事項は、邪神の眼への対処法なのだ。洗礼を拒んでまで邪神に首を垂れるのを拒否し続けてきたのだ。その解決策が薄ぼんやりとだが見えてきたのだから、やる気は今までのだらけた態度とは違っていた。
「ちなみに、あちらさんが研究資料の開示を条件に寝返りを勧めてきたら?」
「奪うのみ」
「単純明快、大いに結構」
フリエスは気のない拍手でセラを賞した。結局、この男はあくまで自分中心。誰かに頭を下げるのを良しとせず、あくまで力によるごり押しでいくことが再確認できた。しばらくは、やはりネイロウ限定ではあるが戦力としては期待できそうだと安心した。
「さて、そろそろ朝日が昇り始めるし、時間であるな」
ルイングラムが首を東に向けると、少しずつだが明るくなってきているのが確認できた。月に一度、一晩だけの会話であったが、それでも今回話すべきことは話し終えることができたので、名残惜しいが別れねばならなかった。
フィーヨも名残惜しいのは同じであったが、こればかりはどうすることもできず、愛する二人が再び意識を失って蛇に戻ってしまうのを止めることはできなかった。
「ルイングラム様、残念ではありますが、今宵はこれにてお別れとなります。次にお会いするのはまた一月後の新月の夜。待ち遠しくて、心が張り裂けそうでございます」
「なに、何かをやっている間は時間などすぐに過ぎてしまうものだ。それより、ヴァニラと合流したらば、すぐに遺産の封印を解くのだぞ。この前、勝手に使わしてもらったが、やはり本調子とはいかなかったからな。この姿ではどうも制御が難しい」
「心得ております。どうぞ安心してお休みくださいまし」
「うむ。もう少し夜明けまで時間はあるが、あとの時間はヘルギィに譲るとしよう」
二人は見つめ合った後、軽く口づけをし、ルイングラムはフィーヨの腕に巻き付いて、そのまま眠りに落ちていった。
代わって、今度はヘルギィがフィーヨの目の前に顔を出してきた。
「まったく、ルイングラムの奴め、これみよがしに見せつけおってからに。フィーヨ、いちゃつくなとは言わんが、私が見てないところでやれ」
「いえ、お兄様、それは不可能では?」
ヘルギィとルイングラムは〈真祖の心臓〉に取り込まれ、フィーヨから離れられない状態となっている。つまり、どちらも四六時中近くにいるので、見られずにいちゃつくのは不可能であった。ヘルギィの実質的な拒否要請であった。
この二人の意地の張り合いや競い合いは、同居してから十数年も続いている。今更すんなりと終わるとも思えなかった。
「まあ、それはさておき、お兄様、面倒事がまたしても起こってしまいました。今の私ではあの魔術師に勝つことはできません。どうか、非才な私を導いてください」
「当然だ。ネイロウには個人的な貸しもあるしな。次に会った時にはタダではすまさん」
とにかく、この二人はあの魔術師に全てを狂わされたのだ。あの忌まわしい事件さえなければ、今もスヴァ帝国の宮殿で二人は仲良く暮らしていたかもしれないのだ。フィーヨにとってはルイングラムと結ばれる始点でもあるので、そういう意味ではいいかもしれないが、ヘルギィにとってはネイロウに関することは悪い事柄でしかなかった。自分が死に、妹が背負わなくてよい重荷を担がされることとなったのだ。この負債は簡単に完済できるものではなく、それでもネイロウにはすべてを利子付きで返してもらうつもりでいた。
「フィーヨ、お前は快く思ってはおらんようだが、ミリィエとはちゃんと和解せよ。あれは悲しい女でな。才能が有り、努力を怠らぬが、運だけ恵まれていない。本人が望まぬ結果ばかりがやってくるのだ。いささか精神が不安定で、それを宥めるのに苦労したものよ。だから、お前にはきつく当たってしまっていたようだが、許してやってくれ」
「・・・お兄様がそう望まれるのでしたらば」
フィーヨは少しためらったあとに頷いて応じた。そもそも、ミリィエが自分にきつくあたっていたのは自分の失態が原因であり、それについては今更気にもしていなかった。気にしているのは、あくまでも兄への想いがどうなのか、なのだ。
「お兄様、今までお聞きしてなかったのですが、お兄様はミリィエをお抱きになったことはおありでしょうか?」
フィーヨにはかなり勇気のいる質問であった。長年ずっと喉まで出てそれ以上は出せなかった質問だ。兄とミリィエがそういう関係でもいいのだが、それがこじれて自分に八つ当たりしていたのであれば、やはりミリィエとの和解は厳しいかも、と考えたからだ。
「ある。二回だな」
予想できていた回答とはいえ、フィーヨの心臓は連続で打ち鳴らされる鐘のように全身に音や振動を響かせた。そして、次に何を質問しようかと悩んでいると、ヘルギィは蛇の頭でフィーヨの額を小突いた。
「お前もこういう質問をするようになったか。兄とその恋人の情事が気になるか?」
恋人、という単語がヘルギィの口から明確に出たのはこれが初めてであった。フィーヨは兄がミリィエをどう見ていたのかをようやく知ることができた。少し考えた後、フィーヨは首を縦に振り、話の続きを促した。
「あいつを抱いたのは二回と言ったが、実際は添い寝しただけだ。ワンワン大泣きしていたあいつが泣きつかれて眠るまで、一緒にいてやっただけだ。それだけで恋人と定義するには不足かもしれんがな」
ヘルギィからの意外な言葉にフィーヨは目を丸くした。フィーヨの記憶の中では、ミリィエはいつもすまし顔をしていた。言動全てが冷徹で計算高く、フィーヨの失敗には容赦ない罵声と皮肉を浴びせていた。そんな氷の女が泣き疲れるまで大泣きするなど、想像の及ぶ範囲ではなかった。
あと、兄が意外と奥手であることもフィーヨは知ってしまった。似たような状況で、ルイングラムはフィーヨと契りを結んだが、ヘルギィとミリィエの場合は寸止めである。それも二回もだ。手を伸ばせば抱くことくらい容易であったろうに、ヘルギィはあえてそれをしなかった。
「一度目は私と魔族が協定を結んだ時だな。巻き込んでしまってごめんなさい、と。二度目の時はあいつに取り憑いていた魔族を全部切り伏せてやった時だな。何もできずに助けられてばかりでごめんなさい、と」
「何と言うべきでしょうか・・・、私の知っているミリィエとはかけ離れていて」
「まあ、お前はミリィエが成長した後しか見とらんからな。あいつとは私の傅役の下で修業に勤しんでいたときからの付き合いだ。傅役の娘だったからな。幼少の頃はほんと泣き虫だったぞ。涙をため込んでないあいつを見る方が違和感を覚えるくらいだよ」
ヘルギィの脳裏には、かつての日々が蘇っていた。ミリィエが魔術の訓練としてあれこれやっていると、爆発したり、地面が裂けたり、水が噴き出したり、わけの分からない召喚物を呼び出したりと、とにかく碌なことがなかった。その都度、泣いたり助けを求めてきたりと、ヘルギィにとってはフィーヨ以上に手のかかる存在だった。
それが若くして東大陸屈指の魔術師へと成長したのだ。
「ミリィエがお前に辛くあたるのは、一種の同族嫌悪だ。無理に背伸びして足掻くお前を見ていると、かつての自分を見ているようで、イライラするんだろうよ。あとは私がいないことへの不満、というより何もできなかった自分自身への怒りだな。まあ、当人に聞いたわけではないから、あくまで推論だがな」
「失敗ばかりの私が悪いのですが、もう少し彼女としっかりと話しておくべきでした。がむしゃらに走り抜けて、走り終わったら消えていた有様でしたから」
今となっては後の祭りだが、ちゃんと打ち解け合っていればミリィエが出奔することもなく、今も傍らにいたかもしれないのだ。そして、こうしてヘルギィと会話でき、氷のごとき表情ではなく、笑顔の彼女を見られたかもしれない。
すべては遅きに失したが、まだすべてが手遅れというわけではない。この星空の下、どこかにいるのは間違いないからだ。
「お兄様、ミリィエは来るでしょうか?」
「絶対に来るさ。あいつは私が必要としたときには常に隣にいた。私は今あいつを必要としている。ゆえに、来るさ」
ヘルギィの口調からミリィエに対する絶対的な信頼感が伺えた。フィーヨには絶対に発することのない言葉であり、それゆえに妬ましく思うのであった。同時に自分自身への不甲斐なさも感じていた。兄への想いは誰にも負けるつもりはないが、兄に頼られるほどの実力を持ち合わせてもいないからだ。
そして、ミリィエにはそれがあった。悔しいが、これが現実なのだ。
「フィーヨ、張り合うのは別に構わんが、相手は最強の魔術師だぞ。世間では、トゥルマースが一番だと言っているが、私はそうは思わない。私が選んだ私の臣だ。千万を超す帝国臣民の中で、私の隣に立つことを許したのは、お前を除けばたったの三人しかいないのだ。お遊びで選んだわけではなく、情に絆されたわけでもなく、実力で選んだ連中だ」
無論、その三人はミリィエ、グラン、アールヴのことだ。出自も性格もバラバラだが、全員が有能で真面目で、フィーヨの治世を支えてくれたかけがえのない存在だ。ヘルギィがフィーヨに託した物の中で、玉座よりも、神々の遺産よりも、ずっとフィーヨを皇帝として輝かせてくれた。
「ミリィエが天才だと断言するのには理由がある。あいつはな、師に教えを乞うことなく、本を読んで独学で魔術師になったのだ。通常では絶対にあり得ん話だがな。当人曰く、『魔術書を読んでいたら、なんとなく理解できた。あとは成功するまで繰り返した』だそうだ。信じられんだろ?」
「そういえば、あれほどの魔術師なのに、師の話を一切耳にしたことがなかったのですが、まさか完全な独学とは」
これは当然あり得ない話だ。魔術を行使するのに必要な要素、それは魔術を使う“感覚”を身に付けることだ。自分の中に術の構築式を描き、魔力を吸い上げて活性化させ、そして発動する。この手順を覚えることが修行なのだが、最初の構築式を描いて使う、という感覚は容易に覚えられるものではなく、師の指導の下で何度も何度も繰り返して、ようやく身に付くのだ。本を読んだだけでそれを再現するなど、とてもではないが不可能だ。
だが、ミリィエはそれをやったとヘルギィは述べた。どれだけ凄まじい鍛錬を自分に課していたのか、それだけでも驚嘆に値した。
「それほどまでに信頼なさっておいでなのでしたら、先頃のネイロウのあれは随分と御立腹なのでは?」
「ミリィエに化けようとしていた事か? まあ、あのときは蛇であったから意識がほとんど残ってないし、なんとも言えんが、まあ不快ではあるな。とはいえ、ああいう挑発的な行動でこちらの思考を揺さぶってくるのも、ネイロウの手口だ。一々反応していたら気が滅入るし、フィーヨ、お前も気を付けるのだぞ。挑発や誘導には決して乗るな」
ヘルギィの忠告はフィーヨには耳に痛かった。今回のネイロウへの対処はことごとくが失敗や空振りに終わり、醜態をさらす結果になってしまった。今度会うときにはこうはいかないと、強く心の中で誓うのであった。
そうこうしている内に、いよいよ東の空から太陽が顔を出し始めた。ヘルギィは意識が少しずつ遠のいていくのを感じた。
「さて、フィーヨよ、名残惜しいが時間が来てしまったようだ。これから色々と忙しなく動き回ることとなるが、焦りは禁物だ。回り道が意外と正解な場面も往々にしてあるものだ。兄からのささやかな助言だ」
「ご忠告、心に留めておきます」
「うむ。私はいつでもお前の側にいる。何時でも頼れ。ルイングラムも・・・、まあ、多少は使える奴だ。こき使ってやれ」
口では喧嘩しつつも、ヘルギィは義弟の実力を買ってはいた。そうでなければわざわざ婿候補に敵国の将軍などの名前など上げないし、今現在の関係も全力で潰したであろう。気に食わない面もあるが、フィーヨへの想いは本物なので、まあ、認めてやるか。その程度ではあるが。
「お兄様も素直ではありませんね」
「ふん。もう寝る。お前も徹夜で疲れただろう。程々で切り上げて休め」
そう言うとヘルギィはフィーヨの腕に絡みつき、目を瞑って眠ってしまった。これで一月は会話できなくなってしまい、フィーヨとしては寂しい限りではあるが、いつまでも甘えでばかりではいられないので、気持ちを切り替えていくことにした。
フィーヨが周囲を見渡すと、そこには腕組みして待っているフリエスとフロンがいた。
「あれ、セラは?」
「用が済んだから、寝るってさ。まあ、あいつは睡眠なんか必要ないけど、色々とあいつなりに思案したいことでもあるんでしょ」
セラは魔王であるので、睡眠をほぼ必要としない。暴走後の鎮静化の際に寝ることはあるが、それ以外はまず寝ることはない。時折、目を瞑って動かない時があるが、それは基本的に瞑想に近しい状態で、色々と思考を巡らせている状態なのだ。
あとは、日差し避けだ。セラは吸血鬼でもあるので、日光は弱点となり得るのだ。もちろん、日中活動できる術式も用意されているが、移動する予定がないのであれば、日陰で過ごすのがいつものことであった。
「さて、麗しの女神殿と話し合っていたのですが・・・」
「フロンさん、それはもう止めようよ。なんか、白鳥を見ているようでさぁ」
白鳥は《虹色天使》ペリエルに一目惚れしてからというもの、どこへいくのも天使殿、天使殿と追いかけていたものだ。種族の違いを無視し、戦争中であることすら脇に置いて、ひたすらペリエルを追いかけ回していたのは、誰しもが知っている奇行であった。その状態で割り振られた仕事をきっちりこなしてしまうのが、白鳥の凄まじいところだ。
そんな白鳥と天使のやり取りを今の自分とフロンに当てはめてしまうような、そんな錯覚に襲われていた。
「白鳥殿と同一視されるとは光栄の極み。かの御仁と並ぶほどの偉業を成せとの、女神殿よりのご依頼ですな」
「ああ、うん、もういいや。頑張って」
こういう手合いは、相手にせずに適当に流す方がいいとフリエスは結論付けた。多少うるさい程度で、特に害らしい害もないし、どうでもよくなってきたのだ。
だが、正しておかねばならない点は言わねばならない。
「フロンさん、本気で私の教団なんて作るの?」
「もちろんです!」
フロンはにこやかな笑みとともに、親指を立ててやる気満々な態度を示した。そのうち、本気で神殿を建てて、そっくりな神像でも安置して、意味不明な讃美歌でも歌いそうな勢いだ。冗談抜きで実現しそうであるし、想像しただけで鳥肌が立ってきた。
「・・・程々にね。迷惑かからないように」
自分が祭り上げられる姿を想像し、フリエスは恥ずかしさの前におぞましさが体中を駆け巡った。英雄譚の自分の登場する場面を聞くだけでも恥ずかしいのに、それ以上のことをやられては、何とも言えない気持ち悪さを感じざるを得なかった。
「で、フィーヨさん、これからのことなんですが、西大陸の魔術師組合と冒険者組合、どちらにも加盟しておくことにしました。あたしは魔術師組合の方へ行きます。フロンさんの紹介とムドール家の名前さえあれば、まあ、それなりの待遇を期待できると思う」
ムドールの名は東西どちらの大陸にも存在し、枝分かれしてあちこちに分家が乱立している状況だ。しかし、本家ともなるとその格は他の追随を許さぬほどに高く、魔術師の一門としては間違いなく頂点に存在すると言ってもいい。
ただし、フリエスはムドール家の養子であって血は繋がっておらず、どこまで通用するかは分からないが、それならそれで実力を示せばいいだけのことだ。雷神の力があれば、そこいらの魔術師など草でも毟るかのように蹴散らせる。それをもって、好待遇を迫ればいい。
「フリエスが魔術師組合ということは、私は冒険者組合へ行けばいいのですか?」
「うん、そっちはフィーヨさんに任せます。二つの組合は相互に連携し合ってるようなので、同一の集団に混ぜこぜになっていても問題ないそうです。とにかく、双方の組織から高い評価を得ていけば、得られる情報も増えますし」
フリエスの提案に異論はなかったので、フィーヨは頷いて応じた。
とにかく必要なのは、情報を集めることだ。ネイロウの居場所でも見つけることができれば最高だが、それはさすがに望み薄である。しかし、それ以外にも、神々の遺産に関する情報、ルークやミリィエ等の合流したい面々の足取り、西大陸の英雄級の腕利きの情報、欲しい情報はいくらでもあったが、なかなか手にするのは難しい。
しかし、大陸中に情報網が敷き詰められているこの二つの組合ならば、なにかしらの情報を得られる可能性は高く、それを利用しない手はなかった。
(そして、もう一つはこいつをどうにかしないと)
フリエスは身に付けている首飾りを握り締めた。雷神の力が宿る《雷葬の鎌》だ。フリエスの力の源であり、神々すら消し去る最強の武器。しかし、これを全力で振るうことを、フリエスは未だにできないままであった。
今後の戦いを見据えると、これをただの術法増幅器などではなく、神殺しの武器として使えるようになっておく必要になってくる。なにしろ、相手は神の領域に踏み込んだ人間である。力も技術も、どれだけあっても困ることはない。
この問題に対し、フロンは信仰力による力の上乗せを提案してきた。神の力の源が人々の信仰であるならば、祀られていない神に力など存在しないことになり、神殿も祠もなく拝む者がいないフリエスは、最も弱い神と定義づけられる。それを補う意味でも、フリエス教団の設立というわけだ。
話としては筋が通っているし、感情を抜きにするのであれば、大いにアリだとフリエスは考えていた。ただ、気になるのは父親の渋い顔だ。別れ際のフロンの提案に対して、何かに気付いたのか、ずっと考え事をしている様子であった。ああいい顔をした父は、後でとんでもない理論や作戦を言い出すのがお約束であり、それを聞いてからでも遅くはないとも考えていた。
時間を稼ぐ手段はある。セラだ。魔王を自称するこの男こそ、こちらの最高戦力ともいえる存在だ。ネイロウがちょっかいをかけてきても退けることができる唯一の対抗策だ。魔王にすがる女神というのも、なんとも格好の悪いことではあるが、ネイロウの虜になることを考えると、まだマシな選択であると言わざるを得ない。餌を要求されても、すべてを貪り食うようなマネはしないからだ。
やるべきことはまだまだある。だが、今は徹夜明けなのでささやかな休息が欲しいところであった。
「まあ、今日はここまでにしておきましょうか、夜が明けたばかりでアレだけど」
「そうですわね。軽く食事でもしてから、少し横になりましょうか」
女神に元皇帝、偉そうな肩書を持つ二人は揃ってあくびをしてしまい、そして笑いあった。本来はのどかな旅路のはずが、一人の狂人の登場でとんでもない方向に動かされてしまった。しかし、二人にはそれを退けて成すべきことが同時に見えていた。
「それでは、館に戻りましょうか。ささやかな朝食と参りましょう。それとも、湯浴みでもなさいますか? 女神殿がよければ、寝所もご一緒に」
「いえ、結構です。てか、フロンさん、本気で変わりすぎでしょ。半月前のフロンさんを返してよ、まったく・・・」
フロンに案内されるままに、フリエスは彼の屋敷へと一緒に向かった。ここまで変わる必要はないかもしれないが、それでも変えていかなくてはならないものも多い。この饒舌な雷神フリエスの信徒なのか恋人志望なのか判断に悩む王様も、変わるべくして変わってしまったのだ。変わり方が想像以上に妙な方向に飛んで行っただけだ。
そんな二人のやり取りを、少し離れて後を歩くフィーヨは微笑ましく見守っていた。種族の壁が存在することは重々承知しているが、それすら飛び越えてしまう情熱というものは確かに存在する。白鳥も天使に恋をして、数百年閉ざされた世界の壁をぶち抜いてしまったように、人が神に信仰以外の感情を抱いて悪いわけがない。ならば、このまま事の成り行きを見守っていても問題はないはずだ。
朝日が差し込める夜明けでありながら、いささか騒々しい朝の散歩を楽しみながら、すべての始まりである『金のなる畑』を横目に館へと三人は向かった。
こうして、ゴーレム軍団の襲撃から始まった『酒造国』レウマの事件は終わりを告げた。数多くの宿題が出されたが、その解決はこれからの話である。
その行く末がどうなるかは誰も知らないが、至高神の神力を表す太陽はそれをどこまでも見つめている。
~ 第一部 終 ~
これにて第一部『雷神娘と黒鉄の人形』はおしまいとなります。
長らくのご愛読、感謝でいっぱいです。
引き続き、第二部『雷神娘と不死者の祭典』をお楽しみください。
ヾ(*´∀`*)ノ




