第二十九話 考察
レウマ国で起こった騒動、それを裏から操っていたネイロウの暗躍、奪われた遺産、フリエスが淡々と語るその内容は全員にとって衝撃であり、沈黙がその場を支配した。
その沈黙を破ったのは、意外なことにグランであった。グランは皮肉や冗談をこれでもかと四六時中飛ばし、どちらかというと軽いちゃらけた性格であったが、今は不機嫌さを隠そうともせず、足元にあった小石を蹴飛ばして、その不快感を表していた。
また、この点ではアールヴも同様らしく、腰に帯びていた剣に自然と手が伸びており、もし目の前になにかしらの的でもあれば、怒りに任せて切りつけていたのではないかと思うほど、普段の存在感のなさとは打って変わって怒りを滾らせた雰囲気をまとっていた。
そもそも、ネイロウに受けた損害で言えば、スヴァ帝国が一番大きいのだ。結果としてだが、ヘルギィが死ぬきっかけになったのは、ネイロウがフィーヨを誘拐したことに起因しており、あの事件さえなければ、今でも皇帝はヘルギィのままであったかもしれないのだ。帝国の重臣たる二人が怒りを露わにするのも無理からぬことであった。
「確かに大事だな。フリエス、お前が増援を求めるのも当然だ」
トゥルマースが苦悶の表情を浮かべるフリエスに微笑みかけ、同時に心配するなと言って聞かせた。なにしろ、この居並ぶ英雄達の中でも、ネイロウとの戦闘経験が飛び抜けて多いのは、他ならぬこの大魔術師だからだ。思考の方向性に差異はあれど、どちらも冠絶する知恵者にして魔術師である。しかも、その手にはどちらも神々の遺産が握られている。全力でぶつかり合ったらどうなるか、正直なところフリエスですら予想がつかない。
「それで、父さん、あいつへの対策とかはどうするの?」
「強いて言うなら、特に何かする必要もない、だな」
その返答はフリエスのみならず、周囲の面々も驚かせた。大賢者の発言にしては、あまりにも無為無策であったからだ。
「父さん、いくらなんでもひどすぎやしませんか?」
「うむ、少し言い方が悪かったな。するな、ではなく、できない、と言うべきだった。まあ単純に言うと、フリエス、あいつの研究所なり拠点なりの位置は把握しているのか?」
そんなものは知るはずもなかった。無論フリエスもただ手をこまねいただけでなく、ネイロウがアルコとして過ごしていた場所、例えば隠居先の邸宅であったり、私塾を開いていた館であったり、最近力を入れていた蒸留酒の醸造所まで、徹底的に調べ尽くした。だが、ネイロウに繋がる手掛かりは紙切れ一枚も発見できず、完全にアルコになりきって、余計な資料の一切を残していなかったのだ。
「私も何度かあいつと戦っているが、あいつの所有する施設に立ち入ったことはない。探してはいるが、未だに見つけたことはない。本当に隠すのが上手いのだよ、あいつは」
「フィーヨさんを誘拐したときのは?」
「あれはあいつがわざと呼び込んだだけだ。無論、侵入者全員を片付けるつもりあったから、死ぬのは予定外であっただろうし、おかげで研究資料はごっそりいただけたがな」
この件に関してはトゥルマースにとって、ネイロウの研究に触れた最初の機会であった。なにやら色々と実験をしては外で実地検証をしたり、その都度トゥルマースとぶつかるようなことが発生していたが、具体的な研究内容はよく分かっていなかった。
しかし、その資料を読んで気付いたことは、魂と竜脈について研究していたことであった。さらに存在が不明な点が多い邪神についてかなり深いところまで考察が進んでおり、深淵を覗き込む錯覚に襲われたほどよく完成された邪神の研究資料であった。
「つまり、だ。あいつを叩けるのは、あいつが巣穴から出てきた時か、もしくは招待されて裏をかける好機があるときだけだ。フィーヨ誘拐のときは、ヘルギィの隠し玉に気付かずに招き入れてしまったことが失敗だろうからな」
トゥルマースの視線の先にはフィーヨに巻き付く蛇がいた。ヘルギィの魂が宿っている蛇だ。ヘルギィも結果として死ぬこととなったが、ネイロウを一時的とはいえ殺すことに成功し、その資料から何をしようとしていたのかを推察できる材料を提供できた、という点では計り知れない功績を立てていた。
「それで、大魔術師よ、あの狂人は何をしようとしているのかね?」
質問してきたのはそのヘルギィであった。ネイロウは死んだと思って、誰も狂人の研究を顧みなくなり打ち捨てられていたのだが、生きて活動を再開したとなれば話は変わってくる。そして、その内容を一番理解しているのは、目の前の大魔術師だけなのだ。
トゥルマースは空を見上げた。今日は月に光がない新月だ。つまり、月に宿る邪神の魂が眠る瞬間であり、今日この日だけはその目を気にしなくてよいのだ。
「ならば、話そう。あやつの研究資料から見た上での推察であるが、おそらくは邪神の復活、それが目的だろう」
再び場が沈黙に支配された。目の前の大魔術師の発言があまりにも衝撃的な内容であり、それを理解するのに時間を要したからだ。
「邪神の復活、そう思える根拠はなんだ?」
今度はセラがトゥルマースに訊ねてきた。なにしろ、この面々の中では唯一の魔族であり、邪神に最も近しい存在であるからだ。無論、邪神などはセラにとっては疫病神以外の何者でもなく、ぶっ飛ばしてやりたい相手の筆頭なのだ。その正体にせまれる話となると、興味を持たないわけがなかった。
「あいつの資料のところどころに、邪神の名前を知っているのではないか、と思われる箇所がいくつもあった。つまり、あいつは人の身でありながら邪神に帰依したのか、あるいは話すことでもできたのか、どちらかを達成できたのだろう。ただ、フィーヨの神術を浴びて無事であったから、邪神の眷属になったというのは考えにくい。あくまで、人の体と心を保持したまま、邪神に近づける何かに気付いたのであろう。・・・というのが私の推察だ」
「なるほど、理解した。そして、利用できることもな」
セラとしては納得かつ満足できるトゥルマースの回答に思わず握り拳を作った。セラは邪神の洗礼を受けずに満月の夜を乗り越える方法を探っていた。もし、邪神を引きずり下ろす方法があるのであれば、邪神を殴り飛ばしてふざけた悪戯を止めさせることもできるのではと考えた。無論、自分と邪神どっちが強いかは直接当人に会ってみないことには判断できないし、謎に包まれた存在と会話できるのであればそれを推し量ることも可能だ。
今夜この話を聞き、セラの中でネイロウの存在は完全に最優先事項として心に刻まれた。早く再開したいなあ、それがセラの想いだ。
「さらに推察を続けるが・・・、その前に、フィーヨにエレナカーラ、神官である二人に訊ねるが、神術を行使する際はどのような手順で行う?」
今更なんだと二人は思ったが、ネイロウの真相に近づけるならばと真面目に答えた。
「まず、信仰する神の御名を唱え、讃えます。自らがその信徒であると告白し、その奇跡の力を分けてもらえるようにお願いします」
「そうそう。そのための供物は定期的に捧げてるし、奉仕も忘れてないわ。神の御名、信仰心と供物、あとは僅かばかりの魔力、神術を使う条件はこんなとこね」
神術を使う者にとってはごく当たり前の話であり、ここにいる面々にも特に変わったことなど何もない一般的なことであった。それでもあえてトゥルマースが尋ねてきたのは何か裏があり、それが口から飛び出すのを待った。
「そう、神術を使うのには、それらが必須なのだ。だが、邪神にはそれを行うことができない。なぜなら、邪神には“眼”はあっても“口”はなく、誰にも語りかけることなどできないからだ。つまり、“名前”が消された邪神は、地上に信徒とも言うべき魔族がいくらいようとも、その神術を使えるように“繋がる”ことができないのだ。眼で脅しかけて自陣に引き込むのがせいぜいであろうよ」
トゥルマースの言葉は理路整然としており、誰しもが理解できた。同時に、強烈な恐怖心が生まれ、誰しもが不安の色を隠せないでいた。
「なるほど。名前を知っているのであれば呼びかけられるし、意思疎通を図って繋がることができる。繋がっていれば供物を捧げれば、邪神の秘術を降ろしてくれるかもしれない。つまりあいつが使える〈輸魂〉や〈分御魂〉も、元を辿れば邪神の御業である、と?」
セラの問いにトゥルマースは無言で頷いた。無論、確たる証拠があるわけではない。だが、今までのネイロウに関わる事象や言動、研究資料からそれが一番しっくりくる推察であり、それゆえに披露したのだ。実際、全員の意見を聞いてみたが、トゥルマースの推論を越える説得力のある意見は出なった。
「ただ、気になるのは、フィーヨさんの神術を食らってもやり過ごせたってこと。邪神の信徒となり、邪神の神術が使えるようになったと仮定した場合、絶対に魂が穢れちゃうと思うんだけど、実際は邪神の眷属特効の一撃を食らいながら平然としていた」
フリエスとしては、その点が余りにも不自然かつ怪しいと思っていた。これにも議論が交わされたが、結局は情報不足で詰め切ることができなかった。
「結局のところ、本人を捕まえて吐かせる以外にないということですね」
フィーヨとしてはあの狂人と再会した挙句、捕縛して尋問するなどしたくもなかったが、それでも今夜聞いた話は魅力的な部分がいくつもあった。もし、ネイロウが邪神の御業を元に〈輸魂〉を完成させたということであれば、それを自分が使うことも可能性としては存在していた。そして、ヘルギィとルイングラムの魂を解放するのには、この術式こそ最適なのではないか、と考えるようになっていた。
そうなってくると、会いたくもない狂人が、最優先で会わねばならない人物へと変じることとなり、フィーヨを複雑な気分にさせていた。
「とはいえ、奴が出てきたとしても、対処ができないのが現状だ。殺すことはできる。だが、魂となって逃げられては意味がない。捕縛する術がいる」
ルイングラムのこの発言こそ、最も悩ましい問題であった。フリエスら西大陸にいる顔ぶれだけでも、ネイロウに勝つことはできる。だが、殺したところで意味をなさない相手なので、捕縛という手段を取らざるを得ない。しかも、魂だけで移動可能であるから、物理的な捕縛は無意味であり、魂ごと縛り上げねばならない。
しかし、それを行えるのは、この英雄達の中ではトゥルマース一人だけだ。あとは、行方知れずのミリィエくらいであった。
「私がそっちに行くのは無理だぞ」
「分かってますよ、父さん。そっちもそっちで色々忙しそうですしね」
フリエスとしては父と共闘できる方が嬉しいのだが、それをやるとかつて押収したネイロウの研究資料を解読できる人物がいなくなる。つまり、トゥルマースに西大陸へ来てもらえるとすれば、ネイロウの狙いを完全に掴んだときだけだ。それまでは、とにかく資料からの追跡をしてもらうしかない。
「やれやれ。こんなことなら、あいつの資料を封印なんてしなきゃよかった」
「まあ、急ぎで取り組める状況じゃなかったですしね。大戦の真っただ中でしたから。その後も後始末で時間潰されて、平和な中でも色々とありましたからね。そういえば、あいつの資料は今どこに?」
「あれは『学芸国』カメンバラド共和国の魔術師組合本部の大図書館にあるよ。特別禁書指定して、厳重に封印してある。しばらくこもることになるから、来月の定期連絡は“あそこ”に接続してもらうことになるかな」
『学芸国』は首都であるカメンバラドとその周辺の農村部のみを領土とする小さな国であるが、東大陸においては最大の学術都市であり、学者や魔術師が多く集まっていた。大陸に存在するすべての国家と永久同盟を結んだ全面同盟国家であり、小さいながらも最も安全な国であった。そのためにこの国には大陸最大の大学から様々な研究機関、魔術師組合の本部まで置かれており、学を求める者はカメンバラドの門をくぐるとも謡われていた。
先頃亡くなった《学術大統領》はこの国の大統領で、建国以来初めて大学の学長が大統領に選ばれたことからそう呼ばれていた。実際の戦闘には一切参加しなかったものの、魔族に関する研究や道具の開発に力を注ぎ、他の英雄達を支えてきた。
そして、トゥルマースの言う“あそこ”とは、領内にある小さな山のことで、その中には巨大な三角錐の形を成した地下遺跡があり、『埋没せし三角錐』と呼ばれていた。地表部の小さな山は遺跡全体からすればほんの頭の部分が突き出ている程度で、その地下には広大な迷宮が広がっていた。
そここそ、魔王が封印されていた場所であり、最後の決戦地ともなった場所だ。
「あそこに接続するのやだなぁ。なんか出てこないよね? 吹っ飛ばされた魔王とかに繋がったりしないよね?」
フリエスとしては苦い記憶のある場所だ。圧倒的な力を持つ魔王相手に、ひたすら責め苦を受け続けた場所だからだ。自身の攻撃が一切通用しないのに、相手は次々と一撃で死にかねない攻撃を放ってきた。あの戦いに比べれば、先頃の黒鉄のゴーレムとの戦いなど、子供の御遊戯に等しい。
「大丈夫だ。ちゃんと浄化してるし、竜脈の流れも安定している」
「ならいいけど。んじゃ、来月はそこに繋ぐようにします。まあ、ここ以外の接続に適した場所が見つかればですけど。最悪、ここに戻ってくることになるかも」
フリエスの言葉にフロンがにんまりと笑ってきた。いつでもどうぞお越しくださいと、言わんばかりの表情だ。麗しの女神と会えるのであれば、歓迎しない手はないからだ。
フリエスとしてはここを拠点とし、周辺の探索をするのも悪くはなかったが、戦力の増強が急務である以上、いるかどうか分からないミリィエの捜索と、どこにいるのか分からないルークの捜索をしなければならなかった。そうなると、レウマ国とその周辺国だけでは範囲が狭すぎて、見つける可能性は難しいと言わざるを得ない。
「まあ、それならば、見つけるではなく、呼び出すのはどうでしょうか?」
そう提案してきたのはフロンであった。
「具体的にはどうやって?」
「冒険者組合や魔術師組合を利用します。あそこには各支部ごとに掲示板がありますから、こちらが探していることを書き込んでいくのです。付き合いのある国でしたらば、早馬を飛ばして捜索依頼をその国の支部に出せれます。闇雲に探して入れ違いになった、というよりかはマシかと」
提案としては悪くなかった。実際、大陸中に支部があるこの二つの組合から情報を得るのは必須であるし、同時に神々の遺産の情報も集めたいので、やはり加入は早めに済ませておくのが得策なようだとフリエスは判断した。
「父さん、今の提案はどう?」
「理に適ったものだと思うぞ。さすが婿殿」
「いやいやいやいやいや」
フリエスとしては全力で拒否したい言葉であったが、フロンは満足そうに何度も頷いていた。トゥルマースの方は娘をからかって楽しんでいるのか、ニヤリと笑うだけであった。
「では、誓いの指輪を」
などと言い放ち、フロンは懐から小箱を取り出した。蓋が開け放たれると、そこには一対の指輪が入っており、赤い宝石が意味ありげな輝きを放っていた。
「フロンさん、冗談がすぎるのでは!?」
「もちろん冗談ですが、指輪の魔力について聞けば納得ですよ。これは《伝言者》と呼ば出る術具で、指輪に声を吹き込んで空に投げると、鳥に変化してもう片方の指輪の下へ飛んでいき、吹き込んだ言葉を伝えてくれるのです。遠出する商人が取引の情報をいち早く店に伝えるのに使っているのです。フリエス殿が一つ持ち、私が対となる物を持っておきましょう。で、先程の話に戻りますが、組合の掲示板に『二十士各人、レウマにて雷神が待つ』とでも書き込んでおきましょう。なにか情報を掴みましたら、すぐに私がこの指輪を使って、そちらにお伝えします」
フロンの提案と説明はまっとうであり、フリエスも異論はなかった。すぐにこういう提案をして、しかもすでに小道具すら用意しているあたり、フロンの先読みや準備の良さはさすがと言わざるを得なかった。
「では、さっそく」
そう言って、フロンはフリエスの左手を優しく掴み、薬指にはめようとした。フリエスは慌てて指を曲げ、人差し指だけ突き出す格好にした。
「おや、そこにはめろということですかな?」
「フィーヨさん、この指輪に解呪の術式を浴びせといて。今のフロンさんなら、妙な呪いでも仕込みかねないわ」
「ひどい言いようだ。まあ、構わずはめてしまいますが」
フロンはフリエスがフィーヨの方を振り向いているうちにさっさとはめてしまった。はめ込んだ人差し指に対して、指輪は大きすぎたが、そこは魔法の道具である。輪が小さくなり、フリエスの指にぴったりな大きさに変わった。
「愛や絆よりも、道を選ばれますか」
「進むべき道を指し示し、今はひたすら前に向かって進むだけですよ」
フリエスにとってフロンの好意は嬉しいが、同時に煩わしくもあった。枕を高くして眠るには、あの狂人をどうにかしないことには始まらなかった。ゆっくりできるとすれば、そのあとであろうし、今はこういう色恋沙汰の事など一切考えたくもなかった。
もちろん、フロンもそんなことは十分に分かっているので、本気半分冗談半分で対応してきたが、さすがにこれ以上は嫌がられそうなので今回は辞めることにした。
だが、その前に宣言しておかねばならないこともあった。
「まあ、それはさておき、次はフリエス教団の創設といきましょうか。麗しの女神殿を讃える神殿を作り、讃美歌を捧げ、その神々しいお姿を皆で讃えましょうぞ」
フロンはやたら大仰に天を仰ぎ見て、雷神へと祈りを捧げた。なお、その祈るべき雷神は目の前で大口開けて呆然としているのだが、周囲はお構いなしだ。なぜかフロンの悪乗りに乗ってきて、両親を除く全員が雷神を讃えた。
「フリフリ万歳なのだ~。祝福あれなのだ~」
「あんたも止めなさい。私に祈ってもご利益ないわよ」
フリエスは呆れ返って頭を掻きむしりながら、かつての相棒たる白竜を窘めた。基本、竜は神を崇めない。なぜなら、竜王は神に匹敵する力を有しており、その竜王は自分達の目の前にいるからだ。いちいち神を祈ることなどしないのだ。
だが、そんな浮かれ気味な周囲の喧騒とは裏腹に、父トゥルマースは顎に手を当て、深い思考の渦に沈み込んでいるかのようであった。周囲が一切見えず、聞こえず、ただ何かを集中的に考えている時に見せる表情だ。
そして、結論に至ったのか、軽く自分の頭を叩いて気分を入れ替えた。
「迂闊だったな。当たり前すぎて、却って失念していた。《全てを知る者》の二つ名を返上せねばならんわ」
トゥルマースは先程のちゃらけた態度の一切を消し去り、フリエスを見つめてきた。こういうときのトゥルマースは突飛なことをいきなり言い放つが、そのどれもが“悪い方“に当たることを、フリエスは今までの経験から学んでいた。
「フリエス、お前は神の力を降ろしている。それは間違いない。だが、雷神フリエスを祀る神殿を見たことがあるか?」
フリエスの全身から力が抜けるような、強烈な脱力感に襲われた。全身の血が抜き取られたかと勘違いするほどの衝撃が駆け巡った。
「・・・、今の今まで見たことがない!?」
今更ながらにフリエスは衝撃を受けた。東大陸を旅して回ったが、どこにも自分と同名の女神を祀る神殿や祠を見たことがなかった。昔の遺跡の中にも、それと思しきものもなかった。西大陸の人々に至っては、雷神フリエスの存在すら知らなったのだ。
「神ならば、神殿があってしかるべきだ。なにしろ、神殿とは神がこの世に留まるための仮の宿りなのだからな。そして、神殿を持たぬ神があと二柱いる」
「邪神と至高神・・・、ですね」
邪神はそもそも名前すら消された存在であり、その全容を把握している者などいない。ただ、月という名の眼が地上を見下ろしているだけで、遥かな高みに存在する邪神は、降りてくることも語りかけることもない。ただ見つめるだけ。それゆえに、神殿を建てて崇め立てる邪神を迎え入れようとするようなことを魔族であってもしないのだ。
そして、至高神イアも神殿を持たない。イアは太陽にその魂を移し、今も地上を暖かな日差しをもって見守っている。イアは神殿を持たないのは、魂が太陽に同化しているため、降りて来れないので、語りかけても話が返ってくることがないからだ。一応、他の神殿にもおまけ程度に祀られてはいるが、専門の神殿を建立されたことはない。
雷神、邪神、至高神、この三者の共通点は二つ。神殿を持たず、体系化された教団を持っていないこと。そして、他の神々が見ていない創世神話の最後に関わっていること、だ。
「自分の教団なんて気恥ずかしくて考えてませんでしたが、言われてみれば、妙と言えば妙ですよね。西大陸では存在すらしなくなっているようですし」
「そこが妙だ。邪神の名前は長い歴史の中で消されたと考えていい。だが、雷神は存在すら消されているとはどういう意味だ? 東大陸でも神殿がないのは、消される過程だったのか? あるいは、もっと何か別の・・・」
次から次へと疑問が浮かんできて、もはや二人の頭の中では収拾が付かなくなってきていた。それは周りの面々も同様のようで、お互いの顔を見つめ合っては、思考が追いついていないのか混乱する一方であった。
「フロン王、あなたの発言だが、どこで着想された?」
「自分で考え付いた結論ですよ。まあ、出発点はアルコ師とのやり取りですが。・・・ああ、中身はネイロウですか、あのときは」
その言葉でトゥルマースはピンときた。フロンは無意識に思考誘導され、結果として教団創設などという途方もない結論に到達すると、ネイロウは予測していたのだ。
ではなぜ? となると、答えは出てこない。神の力が信仰心で増すというのであれば、教団創設はフリエスの強化に繋がる。わざわざフリエスを強化する意味とはなにか、そこを掴むことができない。情報が少なすぎるのだ。
「フリエス、今夜はここまでとしよう。そろそろ夜明けだしな。あのイカレがお前を使って何かをさせようとしていることまでは思考が進んだ。だが、そこから先の判断をするには、情報が少なすぎる。やはり、あいつの研究資料をじっくり見直す必要がありそうだ」
「分かりました。吉報をお待ちします」
フリエスとしては早く答えが知りたかった。言い表せない何かによって、嘔吐しそうなくらい気持ち悪かったのだ。とにかく、ネイロウのやることに一貫性を見いだせない。精神を揺さぶってこちらを追い詰めたかと思えば、逆にこちらを強化するように誘導してきたり、やることなすことブレにブレて気持ち悪いのだ。
フリエスが悩んでいると、白鳥が進み出てきた。フリエスを思考の渦から呼び起こすために大声で鳴いたあと、再び周囲を見回した。
「では、今夜の総ざらいといくぞ。まず、ヴァニラを西大陸へ送り出す。その際には吾輩の恋文を持ち、天使殿の所へ届けてくれ。船には使節も同乗させて、沿岸諸都市と明確な交易規範を作るように促していく。フリエス、そちらの西大陸での行動はそちらの判断に任せるが、早めにルークと合流できるようにな。で、トゥルマース殿は図書館で資料あさりで、他はいつも通り。次の集会はカメンバラドにて行う、と。これでよいな?」
白鳥は周囲を見回して確認を促したが、異論は出なかった。ネイロウの登場と意味深な行動の数々に謎は深まる一方ではあったが、情報共有できた意義は大きかった。それとなしに警戒しつつ、情報収集もできるようになったからだ。
「では、今夜はこれにて。皆さんの協力に感謝します」
フリエスは頭を下げ、礼を述べた。そして、顔を上げてからはにこやかな笑みで手を振ると、あちらからも手を振られ、そして、映像は薄れていった。手を振る皆は笑顔だ。父親だけはまだ考え事をしているのか、渋い顔をしながらの別れとなった。
映像は消えてなくなり、足元の魔法陣もその光を失った。余韻の残るさよならの声が耳に残ったが、それも消えてなくなり、ただ静寂だけが残った。
~ 第三十話に続く ~




