第二十七話 新月の夜 父と母
時は少し遡って日没直後の『金の成る畑』。
この畑は数百年もの間、枯れることのない葡萄畑が存在し、『酒造国』レウマの酒造り発祥の地として知られていた。ここの葡萄で作る酒は極上の味わいがあり、大陸一の美酒と名高いレウマ産の葡萄酒の中でも最上級とされ、高額で取引されていた。
その正体は東西の大陸に跨る統一国家『魔導国』時代の家庭菜園で、地中を流れる魔力の大河“竜脈”を利用していた特殊な畑であったのだ。竜脈から吸い上げられていた魔力が葡萄に活力を与え、数百年も最高の葡萄を実らせ続けていたのだ。
しかし、王位を巡る先頃の騒動に乗じてネイロウが、この畑に備え付けられていた神々の遺産《妖精の羽筆》を抜き取り、悠久の畑もついに枯れ果てることとなった。
撤退するのに際して、ネイロウは竜脈の流れを変え、羽筆なしでも魔力が満ちるように改良したため、現在、畑は何事もなかったかのように葡萄の畑も元の姿を見せていた。
そして、その畑の一角に三人の人影があった。一人は座して描いた魔法陣に魔力を注ぎ込み、意識を集中させていた。他の二人はそれをジッと見守っている状態であった。
魔法陣を操っているのはフリエス、それを見守っているのがセラとフロンであった。
新月の夜、魔力の波長が最も安定する時間であり、魔力量よりも安定性が求められる儀式には最適な状況であった。フリエスはそれを利用して、遥か彼方にある東大陸への通信を試みていた。
かつて存在した『魔導国』においては竜脈を利用することで隆盛を極め、その最大の利用方法は『竜脈の駅舎』と呼ばれる施設であった。これは地中に流れる竜脈と連動し、駅舎と呼ばれる建物で制御し、別の駅舎に移動することができた。つまり、〈瞬間移動〉の術式を誰でも簡単に利用できるようにしたもので、それによって広大な領域を統治していたのだ。
フリエスの養父である《全てを知る者》トゥルマースは駅舎の研究を行っており、ほぼ解析を終えているのだが、使用するための魔力源の制御ができなかった。『魔導国』においては量産された《妖精の羽筆》を利用し、羽筆を用いて竜脈から魔力を吸い上げつつ、移動先などの制御を行っていたのだ。
そのため、駅舎の完全復活はまだまだ課題が多かったが、逆に言えば、魔力源とその制御さえできれば使用が可能ということでもあった。
現在、フリエスが行っている儀式はそれのためであった。竜脈は大地の下に広がっており、強弱の違いこそあれ、どこにでも存在していた。つまり、竜脈を辿ればどこにでも繋がっており、かつての駅舎はこれを辿って移動していたとも言えた。
「魔法陣への魔力充填完了。続いて、魔法陣を竜脈へと接続、・・・完了。探索開始」
フリエスは自分の意識を竜脈に落とし、養父が同じく儀式を行っているであろう竜脈の出口を探しているのだ。目印は二つ。一つはトゥルマースが所持している神々の遺産。もう一つは竜脈の出口となる場所だ。
神々の遺産は独特の魔力を帯びているので、見つけるの難しくはない。また、竜脈の強く作用する場所は限られており、フリエスは東大陸にある竜脈の特異点と成り得る力場を全部覚えていた。つまり、いくつかの候補のある場所から、遺産の魔力がある場所にトゥルマースがいるということだ。それをフリエスは探っているのだ。
「・・・、あ、いた。クレーナ村近くの駅舎跡か」
フリエスが伸ばしていた意識の触手は大陸を遮る海をも超え、ついに父親の居場所を突き止めた。
クレーナ村は白鳥が村長を務める東大陸の西海岸にある村だ。クレーナ湖という汽水湖の側にあり、湖で採れる魚介類で生計を立てている小さな村であるが、その村長である白鳥は今や海運業を支配する大陸屈指の実力者であり、肩書と実力が一番不釣り合いな人とも言われている。人ですらないのだが。
「魔力同調、ヨシ。通信回線接続、ヨシ。安定性、ヨシ。・・・繋げるわよ」
フリエスは竜脈から持続的に魔力を吸い上げて魔法陣に注ぎ込んだ。竜脈は魔力の流れそのものであり、それを利用すれば大規模な術式や儀式を執り行うことができた。
フリエスによる魔法陣の調整が終わり、陣内に人影がいくつか浮かんできた。
「おお、映った映った。無事に繋がったな」
浮かび上がってきた人影から、フリエスには懐かしい声が聞こえてきた。他の誰でもない、フリエスの父トゥルマースだ。収まりの悪いボサボサの黒髪に、少し痩せこけた顔、変わらぬ姿にフリエスは思わず笑みがこぼれた。
「あ、父さん、久しぶり~。元気だった?」
フリエスは映像に向かって手を振りながら話しかけた。割と軽く流しているが、『魔導国』崩壊後では初の“大陸間長距離通信”が行われたのである。学のある人間が知れば、ひっくり返るような出来事なのだが、二人はそんなことよりも、互いの再会の方をこそ喜んでいた。
トゥルマースもまた娘に向かって手を振った。
「はっはっは、久しいな、フリエス。と言っても、まだ半年も経っとらんぞ」
大声で豪快に笑う姿はただの中年オヤジにしか見えないが、これでもトゥルマースは東大陸において最強の魔術師であり最高の賢者でもあるのだ。《全てを知る者》の二つ名はその実力あってのものだ。
「え、そうだっけ? もう一年くらいは経ってるものと思ってたわ」
なにしろ、レウマ国の騒動もあってここ最近はあまりにも濃すぎる時間を過ごしてきたのだ。少しばかり時間の感覚が狂っていたのかもしれない。
とはいえ、相変わらずの慣れ親しんだ軽い口調を聞き、言い表せない安堵を覚え、最近の心労が一気に吹っ飛んだ。
「セラ、フロンさん、私の肩を掴んで。あっちに映像送るから」
促されるままに二人はフリエスの肩を掴んだ。すると、ぼやけていた映像がはっきりと見えるようになり、まるでそこにいるかのように一人の魔術師の姿が現れた。
「おお、これは凄い。駅舎の話を聞いてはいましたが、実際に体験してみると、また違った感動がありますな」
フロンは素直に感心しつつ、目の前のトゥルマースに手を伸ばした。当然、映像であるので、その手はすり抜けてしまい、この場にはいないことを確認した。以前から話に聞いていたが、コレは映像だけだ。だが、それでも会ったこともない遥か彼方の人々と映像を交わして会話できるとは、それだけでも驚嘆に値した。
そして、フロンは改めて姿勢を正し、トゥルマースに挨拶をした。
「東の大陸にて、その名を轟かせる大賢者トゥルマース殿、お初にお目にかかります。私は西大陸にありますレウマ国の国王フロン=トゥーレグ=ドン=レウマと申します。以後よろしくお願いします、“義父上”」
「おお、これはご丁寧に、フロン王。・・・いささか破天荒な娘でご迷惑をかけることがあるやもしれませんが、よろしくお願いいたします」
手短だが看過できぬ内容の挨拶であった。フリエスは慌てて二人の会話に割って入った。
「待った待った! え、何? なんでそんなにさり気なく、すんなり馴染んでるの!?」
「何と言われても、婿殿が挨拶に来たというわけであろう? 父として、それを歓待しているだけではないか」
父娘の間には、なにか強烈な隔たりがあった。こういうネタにはすぐに飛びつく性格だとは知っているが、やはりちゃんと否定しておかねばと、フリエスはトゥルマースとフロンを交互に睨みつけた。
「私は結婚なんてしません。父さんも、フロンの冗談に乗らないでください!」
「冗談ではないのですが?」
「だそうだぞ、我が愛娘よ」
今会ったばかりだというのに、妙に息ぴったりな二人である。フリエスは強烈な脱力感に襲われたが、精神を乱してしまうと、せっかく接続した通信術式が途切れかねないので、深呼吸で落ち着かせた。
「真面目でよさそうな青年ではないか。三十過ぎてまで独り身な娘を、父としては心配していたのだ。相手は王様だぞ? こんな良縁もう望めんだろうに」
「良縁なのは認めますが、互いの相性やら愛情やらは考慮されないので!?」
「王侯貴族の婚儀なんぞ、恋愛感情を間に挟むものではない。それぞれの所属する組織、門地が利を得るかどうかなのだぞ」
父の回答にはフリエスも納得せざるを得なかった。貴族社会では、門閥の利益のため、政略結婚を行うのが当たり前なのだ。互いの家や組織が結びついて利益共同体となる、その証としての婚儀というわけだ。特に珍しくもない、貴族社会の常識だ。
旅仲間のフィーヨの場合は、政治的思惑と恋愛感情が合致した結果、最高の状態を奇跡的に作り出した。こちらの方が例外中の例外なのである。
では、自分とフロンが結婚した場合の互いの利はどうであろうか?
まず、東西交流という点では、互いの大陸の者同志が引っ付くというのは、喧伝する上でも話題を呼ぶことができる。しかも、片方は国王で、もう片方は自身は英雄、その家族は大国の重鎮(引退済)ということで、人々の注目を浴びることとなる。
また、今使用しているような、大陸間通信や駅舎の復活を成し遂げれば、さらに莫大な富が流れ込んでくるのは必定と言えた。
つまり、政略的には婚儀を結ぶべきであり、個人の感情で言えば、フリエスとフロンは好き合っている。問題なのは“友人”としての好きと、“想い人”としての好きという、大きな隔たりがある点であった。
(まあ、ネイロウのことを話してないから、こういうお気楽なやりとりになるか)
そう思うと、フリエスは気が楽になった。遠く離れていようとも、父はやはり父のままだと改めて思い知り、自然と笑みがこぼれた。
その父たるトゥルマースがいきなり蹴飛ばされて画面外に吹き飛ばされた。そして、今度はその蹴りをお見舞いした女性が映し出された。それほど手入れされていない長め黒髪は後ろで髪留めにより束ねられ、目元等に皺ができ始めていることから、それなりに齢を重ねた人物だと分かる。しかし、その体からは隠しきれない気が放たれており、見る者が見れば達人級以上の腕の持ち主だとすぐにでもわかるであろう。
「フリエス、久しいな。元気そうでなによりだ」
「母さんもいらしてたんですね。そちらもお変わりないようでなによりです」
フリエスは母の登場に喜び、笑顔のまま会釈した。
フリエスの養母ヘルヴォリンは《剣の舞姫》の二つ名で知られる剣士であり、そして将軍であった。大戦の際は類まれなる剣技と戦闘指揮によって武功を重ね、他の追随を許さぬほどの敵の屍山を築いた。平和な時代となっても往時の感覚を忘れぬように鍛錬は積んでいるようで、映像越しからでも伺える覇気を携えた顔立ちがそれを物語っていた。
「先程の続きだが、父さんと母さんが結婚した時も、こっちはともかく母さんは愛情なんて一欠片もなかったぞ。それが今では仲睦まじく、二児まで儲けてだな・・・」
画面外からトゥルマースの声が飛んできて、その返しとしてヘルヴォリンの拳が飛んだ。父の情けない悲鳴が耳に突き刺さったが、いつもの事なので無視することにした。
父がボケて、母が突っ込む。長年続けてきたお約束のようなものであり、フリエスだけでなく、画面のあちら側からも笑いが起こっているようであった。
「母さん、まだそちらに何人か来てらっしゃるので?」
「ああ。数名と一羽と一体、待機中だ。おい、地面と口づけしている暇があったら、さっさと魔力調整して、全員映るように設定を変更しておけ」
一羽と言われた時点で、白鳥がいるのは確定した。そもそも、現在トゥルマースが使用している竜脈の特異点はクレーナ湖の湖畔にあるのだ。クレーナ村の村長である白鳥がいるのは、ある意味当然と言えた。
また、一体ということは、人間以外の誰かがいるということだ。フリエスの予想ではかつての相棒である《白鱗の竜姫》ではないかと考えた。
「さて、フロン王よ、一つお尋ねしてもよろしいか?」
「なんなりとお尋ねください、“義母上”」
フロンの言葉にヘルヴォリンは眉をひそめた。
これは好機だとフリエスは考えた。ヘルヴォリンは冗談を言わない。真面目が服を着て歩いているような性格だ。おふざけな対応をすると、途端に機嫌が悪くなる。ヘルヴォリンが戯れるのは夫であるトゥルマースに対してだけであり、それを許せるほどには親密とも言えるが、それ以外の人間にはどこまで真面目で真っすぐな対応に終始する。それゆえに、フロンが父に対しての同じ対応をすると、ヘルヴォリンには逆効果となる。
そのままフロンの横っ面にでも喝を入れてくれれば最高だ。浮かれた気分から覚めて、フロンも少しはかつてのように落ち着くであろう。
「フロン王、殿方が姫君に捧げる最も大切なものとは何か?」
「無論、“誠実さ”でございます」
即答であった。目を輝かせながら真っすぐヘルヴォリンを見つめる迷いのない回答に、フリエスは驚いた。飾り立てる言葉もなく、ただただ一言。実直な母にはこれはかなりの好印象となる。あとは内容の問題である。
そして、ヘルヴォリンの回答はまず頷きから始まった。
「うむ、合格だ。そこのアホ魔術師と違って、真面目で誠実な青年ではないか。くれぐれも娘のことはお任せしましたぞ」
「嘘ぉぉぉん」
まさかの一発合格。ヘルヴォリンからの承認がこうもあっさり出るとは予想だにしていなかったフリエスは混乱し、自分の肩に捕まっているフロンをゆっくりと見返した。
「フロンさん、何か魔術でも使った!?」
「ええ、“誠実な対応”という魔術を行使いたしました。これから家族となる方々なのですから、むしろ当然では?」
「いやいやいやいや。何枚猫の毛皮被ってんのよ!?」
フロンの対応は確かに礼節に則り、初対面の相手への対応としては及第点だ。しかも、相手の性格を瞬時に読み取り、相手の望む回答を即答できる洞察力と思考力は見事としか言いようがない。そのうえ、トゥルマースとヘルヴォリン、性格が真逆な夫婦に対して、どちらに対しても合格点を貰えるように、態度や素振りを切り替えまでやったのだ。
(やばい。フロンさんがこの半月でいい意味でも悪い意味でも覚醒しちゃってる。この社交術と洞察力は脅威だわ。腹黒い本性を隠すため、誠実な青年に擬態させてる演技力も含めて)
出会った当初とは立場が入れ替わってしまったと、フリエスは痛感した。あの当時、フロンは逃げるのに必死で焦っていたし、そんな初心な青年をフリエスは父親伝授の口上でからかっていた。
だが、修羅場を切り抜けたことにより、フロンは大きく成長、もしくは潜んでいた本性が表に出てきて、彼を変えてしまった。そして、その変わってしまったフロンは、フリエスの心を触手で絡み取るかのように迫り、ズカズカと土足で入り込んできた。
宴の夜のように明確な拒絶をすればいいのだが、それすら飛び越えてさらににじり寄ってくるのが、今のフロンであった。押しの強さに、フリエスは防戦一方だ。見た目相応の不安定な少女の心を持つ者と、鋼の精神を手にした王様、獲物と捕食者が逆転した。
(もしかして、これもあいつの仕込みか!?)
あいつとは、フリエスがこの世で最も嫌いな存在であるネイロウ、フリエスに雷神の力を降ろし、娘呼ばわりする狂人の魔術師だ。
ネイロウはアルコというレウマ国の宮廷魔術師に化けていたとはいえ、フロンを鍛え上げたのは間違いなくネイロウなのだ。つまり、フロンがこういう本性を持ち、それを鍛えていたということは、諸悪の根源はあの狂人ということになる。
フリエスとしては、面白くもないことでもあったが、さすがにそれは穿ちすぎかと考え直し、気を落ち着けてから母親に向き直した。
「待って待って、母さん! 落ち着いて聞いて! とにかく騙されないで! この人が誠実だったのは半月前のことよ!」
フリエスと出会った当初のフロンは真面目で誠実な青年であったのは間違いなかった。しかし、この半月の間に状況が二転三転した挙句、その腹黒い策謀を実行したのは、間違いなくこの“誠実な”青年なのだ。少なくとも、表面的にはこれまでと変わっていない。
だが、裏の事情を知る人にとっては、かつてのフロンと今のフロンは別人としか思えないほどに悪辣で狡猾な策士に変貌を遂げていた。
「“義母上”、これはいわゆる照れ隠しというものにございます。そう、好いた相手には、今一つ素直になれないと申しましょうか、そういう類のもの。年相応の可愛らしいものではございませんか」
「娘はもう三十路だがな」
「ハハッ、見た目相応ということでございます。御二方には、よくぞここまでご立派な御息女をお育てになられたと感心いたしております。魔術の腕前もさることながら、広く見聞されたであろう豊富な知識、さらには卓越した剣術までもと感服いたしました」
捲し立てるように語るフロンであったが、フリエスはますますまずいと思うようになった。映像越しの母親の顔が明らかに緩んできているからだ。
行動に対して相応な評価を下されて褒められる。これを嬉しく思わない人間はいない。フロンはそれを付いて、二人の養育や修行について賞賛し、娘を立派に育て上げたと褒めたのだ。これを喜ばない親はいない。
(ああ、まずい。母さん、何を顔緩めてんのよ。柄にもない。もっといつもみたいにビシッとして、お願いだから! このままじゃ、既成事実化されかねない)
とにかく流れを断ち切らなければとフリエスは考えたが、フロンは一向にその隙を生じさせず、次から次へと言葉巧みに相手の心へ好印象という名の毒を落とし込んでいった。気付いたころには、目の前の青年は婿殿に変わっているという寸法だ。
「それは素晴らしいことですわ。是非にも直接お会い申し上げたいところです」
ヘルヴォリンは完全に堕ちていた。歴戦の勇者は、いまやただの一人の母親として、目の前の婿候補に相対していた。しかも、負け戦の様相を呈しており、完全に丸め込まれていた。
なお、負け戦なのはフリエスも同様であった。すでに外堀は埋められ、城壁は突破され、本城に迫られている状態だ。
「いえいえ、こちらからお伺いいたしますよ。例の“竜脈の駅舎”が繋がりましたらば、我が国自慢の美酒を抱えて参上いたします」
フロンの何気ない一言であったが、フリエスはここに逆転の勝機を見出した。
「父さん父さん、ちょっといい?」
フリエスは二人の会話に割って入って、父を呼び出した。そして、すぐに横からトゥルマースの顔が覗き込むように現れた。
「なんだ、我が娘よ」
「“竜脈の駅舎”って、魔力源さえどうにかできれば使用可能だって言ってたじゃないですか。それなら、こっちが今使っている場所はどうかしら? 多分、これまでのどの特異点よりも条件のいい場所だと思うんだけど」
駅舎の研究はトゥルマースが現在優先して行っている事業である。これについての質問ならば確実に乗ってくるはず、そうフリエスは踏んだ。しかも、レウマ国の特異点を巻き込むことにより、フロンも自然と話題逸らしに乗らざるを得ない状況を生み出した。
「うむ、詳しく調べてみないと細かな点は分からんが、現在の接続状況ならば、おそらくは可能なはずだ。よくこの短期間で随分と状態のいいのを見つけたと感心するよ」
見つけたのではなく、作り変えたと知れば驚くであろうが、その点は伏せておき、話題を拡充させていくことにした。
「なら、本格的に事業としてやろうよ。船で移動するより、格段に速いし便利よ」
「まあ、色々と運び込まないといけない資材も多いし、大仕事になるな。だが、その前に確認しなければならんことがある。フロン王よ、そちらの領域内に竜脈の特異点があるようだが、そこを何かに利用したりはしていませんか? そうであるならば、そこを更地にして、駅舎を建造することになるが、問題ないですか?」
先程のにこやかな笑みはなく、トゥルマースは魔術師として、研究者として、大真面目に尋ねた。なにしろ、先方の返答によっては事業が進むか止まるかが決まるからだ。
「問題大有りです」
フロンはきっぱりと答えた。『金の成る畑』はレウマ国における象徴的な場所であり、それを王命で潰せなどとは口が裂けても言えなかった。
とはいえ、そこは王として国益にかなうならば、これまでの慣習にも手を出そうと考えているフロンである。すぐに全力で頭を働かせ、駅舎を築いた際の益と害を思案した。
まず、利益となる部分であるが、何と言っても、東大陸との接続により、実質的に大陸間交易の独占権や通行権を得るに等しく、莫大な富をもたらすというものだ。『金の成る畑』も王の財布になるくらいの富をもたらすが、大陸間交易を独占的に行えるとなると、その比ではない。間違いなく、大量の富と人が流れ込んでくるだろう。
次に、害悪の部分は、『酒造国』としての誇りを投げ捨てることだ。『金のなる畑』を目標点として酒造りに勤しんできたのがレウマ国なのだ。その象徴を完全に放棄するということは、国民の士気を下げることに繋がりかねない。
なにより危ういのは、莫大な富をもたらす点だ。現在、レウマ国が周辺諸国と良好な関係を保っているのは、占領する利益よりも占領したことによる害悪が上回っているからだ。酒造りにしか興味のない弱小国に他の国々に反感を買ってまでわざわざ手を出すよりかは、交易によって利益を得た方がいいと周囲全部が考えているからだ。
取るに足らない国、その評価があるからこそ存在が許されていると言ってもよい。
しかし、『酒造国』としての価値が落ちた上に、大陸間独占交易権なる新たな金脈が見いだされると話は変わってくる。その利益や影響力を考えれば、レウマ国の吸収合併を目論む国が出てきても不思議でなく、戦争の呼び水になりかねない。そして、他国の蠢動を許した場合、それに対する異議申し立てができるほど、レウマ国の軍事力は強くない。
もし、それに対する打開策があるとすれば、一つはフリエスとフロンの婚儀を成立させることである。フリエス自身の実力もさることながら、駅舎の整備名目にトゥルマースから何人も腕のいい魔術師を借り受ける交渉ができることだ。これだけでも、国家としての軍事力は増大するといってもよい。
これに加えて、フィーヨを介してスヴァ帝国との間に軍事同盟を結ぶことだ。帝国軍を領域内に常駐させ、その軍事力を防衛に使わせてもらう。大国の軍隊が常駐しているだけでも、抑止力としてはかなり強い。現在竜脈を介して繋がっているクレーナ村は帝国の域内にある。つまり、レウマ・スヴァの二国で大陸間の移動を支配できるので、帝国としても利益は大きく、同盟の話にも乗ってくる可能性は高い。
フリエスとの婚儀とスヴァ帝国との軍事同盟、この二つが駅舎建設の最低条件だ。
だが、フロンはそれを否定し、危険極まると判断した。
現在、東西交流が始まったばかりであり、そんな時期にいきなり軍事同盟、常駐軍となると、東大陸からの侵略と見なされかねず、自身とレウマ国が裏切りの代名詞となりかねない危険をはらんでいた。フロンとしては自分に悪名が降り注ぐことに何も感じてはいないが、愛する祖国の名に傷がつくのは避けたかった。
誤解が誤解を生み、大陸間戦争にでも発展してはたまったものではない。
(あるいは、それが狙いだったのか)
ネイロウが去り際にやけに親切にしてくれたのは、混乱の発起点に成り得ると考えて、天地改変してまで『金のなる畑』を復活させたのではないかと、フロンは思い至った。目先の利益を追いかけて、結果、大戦争など、目も当てられぬ惨劇となろう。
フロンの結論としては、利益は大きいがそれ以上の災厄を呼び込む可能性が高い、ということで落ち着いた。なにより、自身が即位して半月も経っておらず、足場固めすら不十分な状態でやるにしては、あまりにも博打に過ぎて時期尚早であった。
「申し訳ないが、この場所は我が国の宝。いかに利があろうとも、迂闊に触れることは国王ですら禁忌なのです。申し訳ないが、ここは諦めていただきたい」
フロンとしては己の欲望と国益の双方を満たせるいい計画と考えたが、それでも不安材料や不確定要素が多すぎ、諦めざるを得なかった。もちろん、決定権は領主たる自分に帰するものであり、強引に進めることもできたが、欲望に目が眩んで舵取りを誤ることは、後事を託した兄に会わせる顔がなくなる。それだけは決してできなかった。
「それならば致し方あるまい。フリエス、残念ではあるが、そこは諦めて、次の候補地を探すとしよう。引き続き、調査を続けてくれ」
トゥルマースの要請に、フリエスは無言で頷いた。そして、心の中で安堵した。フロンも政治絡みの話で真面目な面が前面に出てしまい、先程の流れが切れてしまったからだ。
フリエスとしては、次の話題に移っておこうと口を開こうとしたが、先に口が動いたのは、トゥルマースであった。
「先程から押し黙っている自称魔王よ、娘には手を出してはおらんだろうな?」
「ちょっと、父さん!」
フリエスはせっかく変わった流れを、また妙な方向に動かそうとする父に抗議の声を上げたが、すでに遅かった。
「手も出しているし、口も出している。なんなら、足も出しているぞ。ついでに腰もな」
セラの言葉に嘘はない。毎月一度、月が光に満たされる夜、満月という名の邪神の眼が輝くとき、セラは正気を失って暴走する。その際にフリエスは魔王を飼うことの対価を自身の体で支払っていた。ある時は性欲のはけ口として小さな体を貪られ、ある時は食欲を満たすために体中の血を吸われ、ある時は大狼の姿で見境なしに暴れ回り、その牙で腕を嚙み千切られ、前足で踏みつぶされた。
正直に言えば、こんな関係は終わらせたいと思っているが、放し飼いにしては西大陸に災厄を振りまくことになるし、用心棒としては間違いなく最強であるから手放せない。現に、ネイロウに捕まらずに済んだのは、他ならぬセラの存在があったからだ。
「ふむ。吸血鬼でもある君には、口を出されるのが一番困りものなのだが、まあいいか」
「いいの!? 娘がぞんざいに扱われてもいいの!?」
今更ではあるが、セラの暴走についてはトゥルマースが一番理解しているとも言えた。この暴走を取り除こうと、一番セラの体を調べたのはトゥルマース自身であるからだ。だが、魂に刻まれた邪神の刻印は何を試しても取り除くことができなかった。邪神の呪いを解くことができるのは邪神だけ、トゥルマースが散々調べ上げた末の結論であった。
一応、邪神の目をごまかす手段はある。魔王すら封印するムドール家の秘技である“氷の棺”を用いれば、暴走することなく満月の夜をすり抜けることはできた。しかし、棺を使えるのはトゥルマースただ一人であり、セラに付きっ切りになることは様々な研究を抱えているためにできなかった。
「フリエスよ、こう言っては何だが、モテモテというやつよな。三十過ぎて、いよいよ春が到来したということか。父としては安堵できる状況だ」
「父さん、こいつが魔王だっての忘れてない?」
フリエスとしては断固抗議すべき発言であった。確かに、セラとは色々と複雑な関係ではあったが、恋人だとか伴侶だとかは一切考えたこともなかった。あくまで、飼い主と番犬、これ以上でも以下でもなかった。
「いやな、《英雄王》の花嫁が無理だったのなら、魔王の花嫁でもいいかな、と」
「絶対お断りします。ていうか、あの人に比べられる人にまだ会ったことないし」
フリエスは憧れの人と魔王を比べられて少し不機嫌になった。フリエスが嫁に行こうと考えたただ一人の男性であり、あれを上回れる人物が現れるとも思っていなかった。いくら娘の行く末に不安があるとはいえ、魔王に嫁げとはいくらなんでもあんまりであった。
「ふむふむ。つまり、私とセラ殿は恋敵というわけですな!」
「フロンよ、勘違いするな。俺はこいつのことを餌としか見とらん。言ってみれば捕食者としての視点だ」
「ハッハッハッ、では、同じ立場ということではありませんか!」
またしても聞き捨てならない会話がフリエスの耳に突き刺さり、二人の首根っこでも掴んで黙らせようかと考えた。
しかし、こういう“ノリ”もたまにはいかと考え直し、表情を引きつらせながらも笑うことにした。この国での騒動で色々あったし、後始末も面倒かつ人には迂闊に話せないことばかりをやっていたのだ。
笑える時には笑おう。そうでもしないと潰されてしまいそうだと、フリエスはこのバカバカしいやり取りを笑って流すことにした。
~ 第二十八話に続く ~




