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フリーダムファイターズ ~月と太陽への反逆者~  作者: 夢神 蒼茫
第一章  雷神娘と黒鉄の人形
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第二十一話 神の領域

 狂人は再び羽筆で空をなぞり、大気を震わせた。


「風よ」


 狂人(マッド)の声と共に強烈な風が吹き荒れ、周囲を吹き飛ばした。フリエス、フロン、二匹の蛇が風によって吹き飛ばされた。だが、フィーヨだけは背中を風で形作られた背もたれによって吹き飛ばされずにいた。

 狂人(マッド)はフィーヨの横に跪き、その顔をじっと見つめた。フィーヨは元々消耗していたところに先程の術式を使ったため、腕を動かすどころか話すことすらままならなくなっていた。虚ろな瞳でどうにか狂人(マッド)を見つめ、何かを喋っているのか、口が僅かに動いていた。

 思わずその顔に手を添えそうになり、狂人(マッド)は寸前で止めて手を引いた。手は出さないと愛娘と約束したのに、危うく破ってしまいそうになったからだ。


「やれやれ、ここにいては君のためにはならんな。いっそ、あの時の再現と洒落込むか」


 かつて、狂人(マッド)はフィーヨを誘拐したことがあった。全ての歯車を狂わせ、関係する者すべてを自分もろとも不幸と絶望に落とし込んだ忌まわしい事件であるが、今の狂人(マッド)にはそれは望むべきことであった。

 現在、西大陸は平穏そのものであった。かつての東大陸は戦乱の次ぐ戦乱で、大陸中が荒廃し、人心は乱れに乱れていた。それ故に、魔王復活と言う大事件も起き、それを静める意味で英雄達が誕生した。ならば、あの英雄達のような存在を作り出すには、再び混乱をまき散らす方がいいのでは、と狂人(マッド)は思い至っていた。

 もし、目の前の哀れな神の下僕を攫えば、フリエスと二匹の蛇は死に物狂いで追って来るであろう。その先々で騒動を引き起こし、それを着火点として混乱を徐々に広めていく。戦乱を呼び起こすのにはそれが最短であった。

 そして、肝心の魔王は復活させるまでもなく、もう目の前に存在する。あとは面白おかしく焚きつけるだけだ。

 偶然も重なっているが、状況は狂人(マッド)が思っている以上に好都合な事象が連なっていた。無論、呼び起こされた混乱の中で、自分が果てることも十分にあり得た。数々の秘術によって強化されてはいるが、だからと言って不滅の存在ではないからだ。どれほど強くなろうとも、狂人(マッド)はまだ“人”の領分の内側にいるのだ。

 そう考え終わると、目の前の女性を運び出そうと術式を発動させようとする瞬間、突如として巨大な影が差した。引き飛ばしたはずの蛇の片割れが、黄金色に輝く巨大な竜へと変じたからだ。ちょっとした屋敷はあろうかという巨躯で、何本もの角が生えた頭部は、狂人(マッド)に向けており、そのまま食らいつかんと思わせる程の威圧感を放っていた。


「ハッ! ようやく正体現したな、ルイングラム!」


 狂人(マッド)は嬉しそうに自分を見下ろす巨大な竜を見つめ、喜び勇んで立ち上がった。だが、その瞬間に思い切り勢いよく吹き飛ばされた。フリエスが作り出した風の砲弾が不意を突いて、狂人(マッド)に命中したからだ。

 狂人(マッド)は身をひるがえして、上手く着地したが、相手はすでに次の行動に移っていた。巨大な竜の口には魔力が収束され、今にもそれが打ち出されようとしていた。


「セラ!」


 フリエスはフィーヨに駆け寄りながら叫ぶと、セラは言い終わる前にすでに動いていた。フィーヨの前に立ち、狂人(マッド)との間に立ち塞がるように身構え。そして、自身の遺産を発動させた。


「虚空よ」


 身に付けていた腕輪から黒い霧のようなものが噴き出し、周囲を包み込んだ。フリエスはフィーヨを抱きかかえ、成すがままに黒い霧に包まれた。少し遅れて、フロンは兄の遺体を抱えながらそれに合流し、同じく黒い霧に包まれた。これから起こる激突にフィーヨやフロンが耐えられるか不安であったので、すべてをすり抜ける〈虚空の落とし穴(フォールスクレバス)〉を発動し、虚空へと逃れた。


「穿てぇ!」


 狂人(マッド)の言葉に大地が反応した。竜の足場の地面が隆起し、その巨躯を突き刺さんと槍のごとく伸びた。鉄よりも固い竜の鱗を突き破るのには威力が足りなかったが、足場を揺さぶって竜が放とうとしていた輝く吐息(ブレス)が目標から大きく反れることとなった。

 巨大な竜の口から放たれた吐息(ブレス)は光線となって飛び出し、少し離れた小高い丘に命中した。大爆発と共に轟音が響き渡り、丘は吹き飛び、巨大な穴へとその姿を変えた。


「くはは! 相変わらずでたらめな威力よな!」


 狂人(マッド)は吹き飛んだ丘を見ながら思わず叫んでしまった。幾度となく戦ってきた相手であったが、久方ぶりにその実力を目の当たりにして戦慄し、そして歓喜した。先程のセラとの対決も楽しかったが、やはり顔馴染みとの命のやり取りは格別であった。

 だが、懐かしむ隙すら与えてくれなかった。狂人(マッド)は突如として、心臓が握りつぶされる感覚に襲われ、危うく倒れかけた。すぐに羽筆を振るい、自分にとりついていた魔力を振り払った。

 その魔力を使っていた相手はもう片方の蛇であった。その両目は怪しく光り、狂人(マッド)を凝視していた。《真祖の心臓(トゥルーハート)》の技である〈心臓圧壊(ハートブレイク)〉を放ったのだ。


「目立つ竜を目くらましに、心臓潰しを二の矢で撃ち込んでくる連携とはな。君ら実は仲が良いのではないか?」


 狂人(マッド)は目の前の二体の怪物がかつて人間だったころを知っていた。敵対国同士であったため幾度も刃を交える間柄であった。フィーヨの件がなければ、ずっと争っていた可能性すらあったのだ。

 そんな間柄だからこそ、互いの次の一手を話し合うこともなく分かってしまうのだ。

 そうこうしているうちに、巨大な竜が元の蛇に戻り、黒い霧も晴れて皆がこちらの世界へと戻って来た。二匹の蛇は再びフィーヨに巻き付き、その状態のまま狂人(マッド)を威圧した。


「いやはや、少々からかい過ぎたな。そのお嬢さんに手を出すときは今後気を付けよう」


「手を出さないって言ったのに、手を出すからよ」


 フリエスは曲刀を抜き、切っ先を狂人(マッド)に向けた。同時に、空いている左手に雷をまとわせ、いつでも撃ち込めるように体勢を整えた。

 とはいえ、狂人(マッド)はすでにこれ以上の戦闘をするつもりもなく、首を横に振った。


「まあ、今日はこのくらいにしておこう。目的の物も手に入ったし、魔王とも仲良くなれたしな。なにより、旧交を温め直せてよかったわい」


「温め直したくなかったんだけどね」


 フリエスは虚ろな瞳のまま倒れているフィーヨをチラッと見て、再び視線を戻して狂人(マッド)を威圧し続けた。目の前のイラつく男をこの場で切り捨ててしまいたかったが、それでは結局逃げられてしまうことと同義であるので、無駄な労力と言えた。

 とにかく、魂を直接攻撃できる手段を強化しなくては話にならない。ミリィエが持って行ってしまった《心斬剣(マインドブレイカー)》を用意するのが一番であるが、どこに行ったのか分からない。仮に分かったとしても、素直に渡してくれるとは思えない。しかも、その遺産を自在を使いこなしたことがあるのは、蛇になっている二人だけだ。

 もしくは、かつての魔王達のように封印するという手段もあったが、どのみちフリエスにはそれができない。攻撃、それも電撃系に特化したスキル構成になっているので、封印を主目的とした術はほとんど持ち合わせていない。まして、長期間に及ぶ拘束の術式ともなると、現段階では手段がなかった。


(精神攻撃ってあたし、やるのもやられるのも苦手なのよね。《心斬剣(マインドブレイカー)》のこともあるから、魔女探しをやるのが一番なんだけど、どこにいるか分からないし・・・。封印する術式ともなると、結局父さんに相談する以外にないかな~)


 目の前の男を倒したいのは山々だが、それを成すための手札がない。どうやら旅の目的を切り替える必要がある、そうフリエスは感じざるを得なかった。どのみち、本来の目的であった手紙は燃え尽きてしまったし、ある意味で都合がよかった。


「ふむ、どうやら楽しい宴会をお開きにしてもよさそうじゃな。愛しき我が娘よ、またそのうち会いに来る。そのときには今度こそ酌でもしてくれ」


「酒杯が真っ赤な葡萄酒(ワイン)で溢れるわよ」


 フリエスはさっさとどっか行けと言わんばかりに手に持つ剣を何度か振った。とにかく、目の前の男と会話しているだけで不快な気分になる。倒す手段がないのに、あれこれちょっかいかけてくるなど、精神衛生上よろしくない。

 そんなフリエスの苛立ちを意地悪く笑いながら頷き、視線をフロンに向けた。


「いやはや、随分と待たせてしまったのう。色々とわき道にそれ過ぎたわい」


「そのようで」


 フロンとしては話に付いていくのがやっとで、情報を整理するのに苦労をしていた。

 分かっていることは、目の前の長身の魔術師は『アルコ師に成りすましていた魔女を騙った狂人(マッド)』だということだ。そして、アルコが考案した蒸留を始めとする技術やその他知識も目の前の男によって、東大陸から持ち込まれたのも間違いなかった。

 兄を焚きつけたのは許せないが、謀反を決断したのはあくまで兄自身であるので、その点で責めるわけにはいかなかった。また、もたらした数々の技術や知識は有用であり、国の発展に役立ったので、その功績自体は揺るぎようがない。なにより、自身も彼の生徒として教え込まれたことも多く、それは多いな助けとなった。

 つまり、現段階では敵対する理由がなかった。腹立たしい部分もあるが、それは功績の部分と相殺できてしまい、フロンとしては手を出しにくい状況なのだ。

 とはいえ、フリエスやフィーヨとは殺し合うほど深い因縁があるようで、今回の騒動の解決に尽力してくれたことだし、できれば力になりたいとも考えていた。実力としては何の助けにもならないが、資金提供や情報収集でならばどうにかできそうだとも考えた。


「さて、ワシはそろそろ引き上げるが、なにか頼んでおくことあるかな? 国王就任祝いと思ってなんでも注文してもらって構わんぞ」


「では、兄上を生き返らせてください」


 フロンはきっぱりと言い切った。フロンが望むものはそれしかなかったからだ。


「それは構わんが、ワシの術式ではコレチェロは屍人ゾンビとして蘇ってしまう。それでもよければ引き受けるぞ」


 その返答はフロンを失望させた。フィーヨがかつて死から蘇ったと聞いたのでもしやと思い要求したのだが、やはり蘇生の儀式は並大抵のものではないと思い知らされた。よくよく考えれば、フィーヨを蘇生させた時も、大帝国が資金や人員を優先的に割き、遺産を始めとする様々な道具を用意したうえで、数年がかりの成果として実を結んだのだ。そんな簡単にできるのであれば、誰も苦労はしない。


「では、『金の成る畑』はどうにかなりませんか?」


 フロンにとって兄が戻ってくるのが一番であったが、それは不可能だと知った。であれば、次に戻してほしいのは目の前の滅茶苦茶になった畑を元通りに戻すことだ。

 『金の成る畑』はレウマ国の葡萄酒(ワイン)造り発祥の地だ。この畑とそこの葡萄で作った酒を目指して、農家も酒職人も数百年の奮起を続けてきたのだ。それがあるとないとで、国民の士気が天地の差が出るのではないかと、フロンは心配でならなかった。


「よかろう。では、皆、畑から少し離れておれ」


 できるのか。あっさり答えた狂人(マッド)に対して皆が驚きの視線を送った。狂人(マッド)に促されるままに、全員が畑から少し距離を空けた。狂人(マッド)は畑の端に立ち、跪いて手を地面に突き刺した。すると、畑を丸々覆いつくす巨大な魔法陣が現れた。


「地の中を走る竜脈は魔力の大河。これを利用することにより、かつての統一国家は栄華を極めた。だが、その制御に失敗して全てを失うこととなった。ならば、いっその事、こうしてみてはどうかな、と」


 狂人(マッド)が羽筆を通じて魔力を込め始めると、たちまち地面が揺れ始めた。地震かと思うほどの激しい揺れで、初めてのことにフロンは驚き、よろめきながら倒れてしまった。

 その横でフィーヨに寄り添っていたフリエスは驚いた。揺れにではなく、地面の下を走る竜脈が揺れと同時に流れを変え始めたことに対してだ。魔力の流れを追っていたフリエスは、地中で起こる変動はあまりにも衝撃であった。


(そんな馬鹿な! 竜脈の流れを変える方法なんてあるはずない。あれは世界が・・・、大地がその形を成したと同時に生じたもの。かつての『魔導国』でさえ、竜脈の利用法は確立できても、流れそのものを作り変えるなんてできなかった。それができるとしたら、これは天地改変、間違いなく神の領域に踏み込んでる!)


 フリエスは竜脈を弄っている狂人(マッド)を凝視した。先程のセラとの戦いでもまだまだ本気を出していないのは分かっていたが、想像を超える次元に到達していることを見せつけられた。いくら遺産を使って強化されているとはいえ、明らかに異常なほど強力な術式だ。

 チラリとセラの方を見やると、この魔王も大満足と言った感じでニヤついていた。ご丁寧にすごいすごいと拍手までしている有様だ。狂人(マッド)が用意すると言っていた第二幕に期待を膨らませているようであった。

 そうこうしている内に竜脈の改変が終わり、狂人(マッド)は立ち上がった。土で汚れた手を払い、それから懐から袋を一つ取り出した。


「フロンよ、これを渡しておく。魔力をしっかり絞り出しておけ」


 狂人(マッド)は袋を放り投げ、フロンはそれを受け取った。中を確認すると、そこには色とりどりの宝石が入っており、全部で十二個あった。魔力を貯めておく何かしらの道具のようであったが、フリエスが見る限りではほぼカラと言っていいほど魔力が抜けていた。

 一つ取り出してじっくり見てみると、その宝石に見覚えがあった。自分の腰に帯びている剣の柄に取り付けられている飾りの宝石と瓜二つであった。


「あれ? これは我が家の家宝の・・・」


「ああ、似ていて当然じゃて。お主の剣にはまっておるのが精巧に作っておいた偽物で、袋の中の方が本物じゃ。十二伯爵家にはそれぞれ宝玉をあしらった宝剣が渡されていた。それが羽筆の封印を解く鍵になっておってな。これを用いていくつかの儀式を経て、封印が解除されるという仕組みじゃ。伯爵家当主を皆殺しにしたのも、これを強奪するのが目的でもあったのじゃ。コレチェロは報復、ワシは羽筆の入手、利害の一致というやつよのう。ちなみに、この鍵の宝石の件は“本物”のアルコが残していた文献より知り得たぞ」


「なるほど。して、この鍵の宝玉、その魔力を絞り出す意味は?」


 フロンは袋の中からとっかえ引っかえ宝石を掴んで確認し、見つめながら尋ねた。


「今しがた、竜脈の流れを変えて、魔力が吹き上がるようにしておいた。羽筆が埋まっていた頃は吸い上げていたものが、勝手に吹き上がるようになったというわけじゃ。しかし、それでは土地が魔力に溺れることになって、却って悪影響が出てしまう。で、その渡した宝石を畑の周りに祠でも立てて、そこに安置しておけ。余計な魔力を吸い上げるよう手を加えておいたから、畑が魔力に溺れることはなくなる。あとは定期的に魔力をどこかへ逃がしてやれば、かつての畑と同じようになるじゃろう」


「つまり、『金の成る畑』は“勝手に豊作になる畑”から“しっかり手入れすれば豊作になる畑”に変わったということですな?」


「うむ、そんなところじゃな。・・・しかしまあ、なんじゃな。フロンよ、お主、ほんと認識が早いのう」


 狂人(マッド)は研究や道楽に時間を費やす性格で、本来は教師などをやる性格ではなかった。しかし、身分の偽装のために柄にもなく教師をやることとなった。その中でも、フロンは群を抜いて優秀で、魔術師でないのを惜しんだほどだ。もし、魔術師としての訓練を積めば、あるいは自分の助手を務めれるくらいにはなれたかもしれないと今でも考えていた。


「おっと、それからもう一つ」


 狂人(マッド)は畑の方に向き直り、再び羽筆を振るい、畑に魔法陣を敷き直した。畑全面が天まで届くほどの光の柱を作り出し、あまりの眩さにその場の全員が目を塞いだ。

 そして、光が収まり、目を開けると、そこにはかつて広がっていた葡萄畑がそこにあった。先程まで木片しか残らぬ無残な姿を晒していたというのに、今目の前には葡萄の房が吊るされた木々が所狭しと並んでいた。

 その光景を目の当たりにした周囲の面々はあまりの事に驚いたが、フリエスの驚きは特に大きかった。今の術式は“空間”もしくは“時間”を操作したのは明白であり、自分はもとより父親ですら不可能な術式を見せつけられたからだ。


「愛娘よ、今のは〈時間回帰(タイムレヴォリューション)〉じゃ。羽筆を手にする前の畑に戻しておいた。葡萄を一から育てると時間がかかるが、これならじきに収穫できるからのう」


「あ、ありえない。ありえないわ!」


 フリエスは怯えてガタガタと震えだした。竜脈の改変だけでも十分すぎる異常事態であるのに、今度は時間の操作ときた。明らかに常軌を逸している。

 かつての大戦で、フリエスは数々の激戦を繰り広げてきた。英雄達も、魔王陣営も、様々な術や道具を用い、ときに知略を駆使し、相手を打ち滅ぼさんと死力を尽くしたものだ。その中には、神の力を得たフリエスですら目を見張るほどの道具や技術を何度も見せつけられた。

 だが、絶対不変のものがあり、それを犯すことは強大な力を持つ魔王すら不可能であった。それこそ、“時間の流れ”だ。過去から現在を経て未来へと繋がる、これだけは揺るぎない法則と考えられてきた。

 唯一の例外は、今、フリエスが抱きかかえているフィーヨだけだ。死という現在を否定し、生と言う過去を引っ張り出して定着させる、完全なる蘇生の成功例だ。

 例外があるならそれは掴めていない方程式が存在し、いずれは技術として確立できる、そうフリエスは父から聞かされていた。実際、《全てを知る者(グラント・ワイズマン)》も時間操作の研究をしていた時期もあったが、結局は時間と言う概念に干渉することはできなかった。せいぜい、時の流れを緩やかにして老化を少しばかり抑える程度で、しかも維持する魔力消費も尋常でないのですぐに切り上げてしまった。

 そこから、強大な魔力源を求めて、竜脈とそれを利用したかつての駅舎の発掘、研究にのめり込むようになっていったのだ。

 だが、目の前の魔術師はまるで、畑を耕して野菜を作りました、程度の感覚で不可能と思われた術式を披露してみせたのだ。実力があってその内容を認識できるだけに、フリエスは怯えざるを得なかったのだ。自分のように人に神の力を降ろしたのではなく、人のままで神の領域に踏み込んだと言えるからだ。

 狂人(マッド)の考えをそのまま受け取るのであれば、文字と言葉が人と神を隔てる壁であり、それを飛び越えることができる目の前の男は、どちらでもあるということだ。


「それを使えば、兄を戻せるのでは?」


 周囲が呆然とする中、声を出したのはフロンであった。あまりのことに誰も口をまともに動かせない中、サッと言いたいことを言ってしまえるフロンはある意味、目の前の魔術師と同じく人の身を超えているのかもしれない。

 フロンが尋ねた内容は至極単純だ。時間の回帰ができるのであれば、生きていた頃のコレチェロを呼び出せばいい。そうフロンは考えた。

 だが、狂人(マッド)はそれに対して首を横に振って否定した。


「残念ながら、植物と人間とでは魂に刻まれた情報量が違い過ぎる。回帰によって人の魂を呼び戻して定着させるのには、その膨大な情報を処理するための“何か”が必要じゃ。あいにく、こんな羽筆だけでは途中で負荷に耐え切れずに暴走するのがオチじゃろうて。故に、不可能を可能にして成功させた魔女には素直に感心しとる。まあ、有益な実験結果の情報や道具の数々を色々と奪ってやったがのう」


 かつての事を思い出し、狂人(マッド)は思わず笑ってしまった。

 ミリィエはヘルギィの要請により、フィーヨに対して蘇生実験を行っていたことを狂人(マッド)は知っていた。だが、成功する可能性は薄いと思い、あまり関心を示さずにいた。ところが、その予想に反して実験が成功したと聞き、ヘルギィが遠征に出かけた隙に研究所を襲撃し、フィーヨそのものを始め、実験の成果を強奪した。

 自身の研究所に戻り、その結果と自身の見解を照らし合わせ、新たな領域へと到達した。すなわち、“一定の条件下では過去への回帰は可能である”ということだ。

 方程式が組み上がってからは早かった。《雷葬の鎌》に宿る雷神の残留思念を回帰させて鮮明なる形を作り、〈分御魂(フィージョナル)〉で分離させ、〈輸魂(ソウルムービング)〉で育ててきた娘にその魂を乗せた。この日のために、雷神と相性のいい個体を作り上げていたのだ。

 こうして、誕生したのが女神フリエスであり、目の前の怯える少女であった。

 狂人(マッド)とセラは“神を倒す”という一点では共通しているが、やり方に差異があった。セラは自身を鍛え上げて強くなろうとしているのに対し、狂人(マッド)は自身の作品が神を超える姿を思い描いて作っていた。先程、この二人がやり合った時も、あくまで全力は出してはいなかった。羽筆の使い出を確かめるという意味合いが強く、本気で魔王を倒そうとは考えてもいなかったからだ。

 そう言う意味では、フリエスは最高の“作品”であった。能力は神のそれを乗せているので申し分なく、しかもまだまだ伸びしろが残っている。人に神の力を乗せるということが不安定さを生み、その不安定さこそ足りない何かを補おうとする原動力となり得た。

 “混血こそ種族の壁を破って能力の限界を超える方法”とかつてフロンに説いたこともあった。実際、目の前の自称魔王はそれを如実に表す存在だ。偶然の産物と言うにはあまりにも最高の素体と言わざるを得なかった。

 そして、フリエスは人と神の融合物であり、両者の壁を打ち砕く者となり得るのだ。


(今後の鍛え方次第では、さらに化けてくる可能性が大いにある。まったく、あの変態めが、温い鍛え方をしおってからに・・・)


 フリエスが手元を離れて十数年、小さな女神を育ててきたのは自分と同じく頭のネジが何本も吹っ飛んでいる魔術師であった。しかし、あの魔術師は女神の力を抑え込むように育て、あくまで人として鍛えた。まだまだ強くなる素養があったにも関わらず、それを抑制する育て方をしたかつての知己に、狂人(マッド)は憤りを覚えざるを得なかった。

 あるいは、今こそ、出来の悪い神を自分の手で鍛えるのもよいかもしれないと考えた。力は十分だが、精神面の脆さは目に余るひどさだ。それゆえに、手に持つ遺産が本来あるべき鎌の姿を取ることができないのかもしれないと思い至った。

 だが、それでは面白みに欠けることも同時に考えた。他人の手で鍛え上げて強くなるのは“道具”であって、“人”でも“神”でもない。意志を持つのであれば、それ自身の意思によって強くならねば道具へとなり下がる。それは狂人(マッド)の本意ではない。

 道具へとなり下がれば、横に立っている黒鉄(くろがね)の人形となんら変わりはない。道具ではなく、自我を備えた意志を持つ者として、己の思考と研鑽によって神を超えて欲しいのだ。


「さて、では、これにてお暇しようかのう。フロンよ、良き王となるがよい。お主ならば、まあ、大過なく国を治めれよう」


 狂人(マッド)の思わぬ激励に、フロンは恐縮せざるを得なかった。今、この国の混乱は兄と目の前の魔術師がもたらした策謀の共作によって生じたものだ。これを立て直すのを任されるのはなんとも複雑な心境であった。

 しかし、あれほどのことをやってのけた者から、大丈夫だと太鼓判を押されるのは決して悪い気分ではなかった。そう考えると、偽りの仮面を被っていたとはいえ、教師として自分を鍛えてくれた目の前の狂人(マッド)には礼を述べねばならなかった。

 フロンは無言で会釈し、それを以て礼とした。


「魔王殿も息災でな。遠くないうちに再会し、また一手、殺し合おうぞ」


「ああ。手品の種をこれでもかと延長で見せてくれたのだ。こちらとしては、いささか燃え足りないと言わざるを得ないが、楽しみを取っておくというのも一興かもしれんな。再会できる日を楽しみにしていよう」


 セラとしては今すぐにでも戦闘を再開して、神の領域に到達した者を屠ってみたかった。だが、狂人(マッド)はかなりの手の内を見せてしまっており、あちらが不利であるとも考えた。策を練り、術を構築し、陣に落とし込んでこそ、魔術師との対決である。相手の手札が見えている状況では興が殺がれ、危険を楽しむことができそうになかった。

 不本意だが珍しくも我慢したセラであった。


「フィーヨには特に言うべきことはないが・・・。両脇のお主らには言いたいことが山ほどあるわ。いい加減、その娘を独り立ちさせてやれ。お主らが付きっ切りでは、いつまでたってもその状態のままじゃ。時に突き放すことも優しさや思いやりなのじゃぞ」


 フィーヨはまだ意識がはっきりとは戻っておらず、フリエスに支えられながら空の彼方を眺めている状態であった。狂人(マッド)にとっては、蘇生を成功させた貴重な実験体であり、羽筆が手に入った今こそじっくりと調べてみたいとも考えていた。だが、両脇から威圧する二匹の赤い蛇がそれを許してくれそうもなかった。

 結局、どこまでも付き従って守り抜くということが、誓いなのか呪いなのかは分からないが、どうしても止められないようだ。


「あんたと話すことは何もない。口を開かずとっとと消えなさい」


 フリエスには取りつく島もなかった。最後に話しかけようとした狂人(マッド)の先手を打って、その口を塞いできた。

 狂人(マッド)としては手塩にかけて作り上げた“作品”との再会を喜び、このまま一晩でも二晩でも語り明かしたい気分であった。だが、愛娘はすっかり育ての親に感化されて不良娘になってしまい、自分に噛みついてくるようになってしまった。


(まあ、少々遅めの反抗期とでも思っておこう。確かそろそろ三十路だったと思うが)


 そう考えると、なんだか無性に笑えてきて、狂人(マッド)は思わず吹き出しそうになり、慌てて手で口をふさいだ。無論、フリエスがそれに対してさらに機嫌を損ねてしまったが。


「最後に一つ。私は皆に狂人(マッド)呼ばわりされておるが、ネイロウという名前がある。ちゃんとそちらの方で呼んでほしいのだがな。なにしろ、私はどこも狂ってはおらん、至極まっとうな一人の魔術師なのじゃからな」


「イカレは全員そう主張すんのよ!」


 フリエスはとうとう我慢できなくなり、右手を狂人(マッド)に向け、その手に電撃をまとわせた。


「イカレとは心外であるな。どこもおかしくないし、狂ってもおらんというのに・・・。お主の養父こそむしろじゃな・・・」


「とっとと失せろ!」


 フリエスの手から雷が飛び出し、狂人(マッド)に向かって電光が走った。しかし、それが命中することはなかった。寸前で、煙のごとく消えてしまい、同じく横に立っていた黒鉄(くろがね)のゴーレムともどもいなくなってしまったからだ。

 バチバチとフリエスの放つ雷の残骸だけが音を立て、ようやくのどかな田園風景が戻って来た。あれほどの激闘が嘘のように穏やかな日差しと風がその場にいる面々を包み込んだ。もちろん、あの激闘は嘘でも幻でもない。現実の出来事であったと、少し離れた所にある穴だらけの城館と、今や大穴となってしまった丘陵が物語っていた。

 すべてが片付いた。そう思うと、フロンは急に緊張感が抜けていき、その場にへたり込んでしまった。無論、これから行う後始末こそが自分にとっての本番であるということもしっていたので、気が重くなってくるのも同時に感じた。

 視線を横に向けると、兄コレチェロの遺体が横たわっていた。血と泥で汚れ、かつて自分と一緒に歩んできた兄の面影は薄れてきているような気がしてならなかった。

 だが、思い出に浸って立ち止まることなど、フロンには許されなかった。なにより、自分自身が覚悟を決めて歩む道が目の前にあるのだ。止まってはならない、そう自分に言い聞かせ、再び立ち上がった。

 そして、周囲を見渡すと、もはやそこには三人しか残っていなかった。少し離れた城館で宴が開かれていたころには、何人も、何十人も周囲に人がいたのだ。だが、襲撃事件から始まった騒動は、フロンを一人にしてしまった。そして、落ち延びた先でこの三人組と出会った。師と合流し、死んだと思っていた兄とも再会できた。黒鉄(くろがね)のゴーレムと戦い、次に師に化けた魔女とも戦い、魔女を騙った狂人(マッド)とも戦った。

 そして、最後の最後まで残ってくれたのは目の前の三人だけだ。

 魔王を自称するセラは上機嫌だ。出会って日も浅く、普段は大した表情を見せないからこそ、漂ってくる高揚感がフロンにはよく感じられた。強い相手と戦って強くなる、という曖昧な旅の目的であったが、戦うに値する者がようやく現れたのだ。人でありながら神の領域に踏み込んだ存在、魔王が拳を交えるのには不足ない相手である。もう頭の中は次なる再会のことでいっぱいだろう。

 フィーヨはまだ動けなかった。フリエスに支えられ上体は起こしていたが、とても自力で動けそうになかった。二匹の蛇が腕に巻き付きながら心配そうにその顔を覗き込んでいたが、それにも反応を示すことはなかった。外傷はなく、今は精神が疲労困憊で動けないのだと考え、何日かは安静に過ごしてもらおうと考えた。

 フリエスはフィーヨを心配してか表情自体は穏やかであったが、漂う雰囲気はピリピリしており、不機嫌なのを感じ取ることができた。激闘に次ぐ激闘で、終わったかと思ったら会いたくもない相手との再会だ。誰であっても嫌気はさすだろう。

 そんなフリエスに対し、フロンは跪き、その顔を近づけた。フリエスはそれをジッと見返してきたが、やはり落ち着きがない感じが見て取れた。思い出したくもない相手の事をどうにか忘れようと必死のようだ。

 フロンはそれのための治療薬を処方してあげるつもりでいた。


「さて、フリエス殿、今回の一件は一応表面的には片付きました。まずはそのことをお礼申し上げたい。色々とご助成いただき感謝の言葉もありません」


「まあ、別に改まって言う必要もないわよ。こっちもこっちの思惑で動いていたんだし、あとは払う物払ってくれたら“何も言わない”から」


 いきなりの口止め料の要求。こういう切り替えの早さはあるいは養父の薫陶か、フロンはそう思わずにはいられなかった。結局、嫌なことを忘れるのは、他の事で頭の中を埋め尽くして、余計なことを考えることのないよう、心の隙間を消してしまえばいいのだ。


「フリエス殿、フィーヨ殿の回復の件もありますし、もうしばらくご逗留願えませんか? 後始末もせねばなりませんし」


「ええ、そうね。追加料金さえ払っていただければ、なんでも引き受けますよ」


 話が早くて助かる、フロンは見た目に不釣り合いな冷徹さを持つ少女を見えそう思わずにはいられなかった。フリエス自身も叫び狂いたい、あるいは八つ当たりでもして気を晴らしたいであろうに、それを抑え込んでいるのも感じ取れた。あの狂人(マッド)が残した心のしこりは確実に、この小さな女神の精神を蝕んでいるようであった。


「事情を知っている人からすれば、かなりあくどいことをすることになると思います。それでもよろしいですか?」


「念を押さなくても大丈夫よ。もう一度言うけど、なんでも引き受けるわ。もちろん、追加で色々と貰うでしょうけど」


「まあ、そこはお手柔らかにお願いしますね」


 フロンとしては、提供できるものはできうる限り提供するつもりでいた。

 まずはなんと言っても、魔術師組合(ギルド)や冒険者組合(ギルド)への繋ぎだ。両組織は一応、国家の枠組みを超えて活動する組織であり、国家権力からは“建前の上”では独立している。しかし、なにかしらの事情で国家権力や貴族等と協力したり、あるいは裏で潰し合ったりするのも公然の秘密として存在していた。結局、幹部や各地の組合(ギルド)支部長の匙加減次第な部分が大きく、それらとの人脈がなによりも重要なのだ。

 その点、フロンはそれを持っていた。以前から何度もレウマ国の支部に顔を出していたこともあったが、東西大陸が繋がって以降は両組合(ギルド)がもたらす情報を買い取るなどしており、顔も名前も知れ渡っていた。これに国王と言う肩書さえ手に入ってしまえば、三人組の顔繫ぎと協力要請くらいはすぐにでもできるはずだ。

 そして、国としての情報も存在している。主に商人組合(ギルド)の物だ。とにかく、レウマ国は『酒造国』の二つ名で呼ばれるほどの名酒の産地であり、大陸中から買い付けに来るし、あるいは商人が商いのために方々を巡っているのだ。

 これらの組織の情報網を駆使すれば、神々の遺産(アーティファクト)の情報や、あるいは消え去ってしまった狂人(マッド)の情報も、闇雲に探すよりかは早く見つかる可能性があった。

 あとは、路銀の融通くらいであるが、これは問題にもならなかった。三人分の旅費くらい賄うなど造作もないからだ。

 忙しくなる。むしろ忙しくして何もかも忘れてしまいたい。そう思うフロンは立ち上がり、遥か彼方を見つめた。この国を守るために、どんな悪事であろうとも厭わないと、決意を新たにした。



               ~ 第二十二話に続く ~

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