零漆 災いの兆し
姉上が伊勢へ向かう日が来た。
天地家当主としての化粧ではなく、一般人として目立たぬ化粧で扮した姉上を対面した。
「万治郎。一週間の間、相模を頼む」
「ええ、この國は俺が守り通します」
お互いにそれ以上の言葉を交わすこと無くその場を去る。
そして、俺は空いた当主の席に座す。
「風魔之衆、前へ」
『はっ』
俺の一言で数十人の風魔忍者が姿を表し、膝を付いた。
それを確認して、俺は声を張って告げる。
「これより相模には無法者が蔓延る。火付けや盗賊が暴れまわり、人殺しや暴行魔が民を傷付ける」
これは確信だ。分家の者たちは必ず、姉上の失脚を狙って兵を放つ。
だから、その対策は行った。
後は兵を捉えて親玉を引き摺りだすだけだ。
「敵は油断を突く為、当主の帰還前日に事を起こす。だが、突発的に現れる暴徒もいるだろう」
父の影にすがり続ける時代錯誤の連中。
話を聞かずに否定する能無し共。
「領民に危害を加えた者は躊躇わず斬れ。そして、その者たちの口を割り、元締を必ず見つけ出すのだ」
~ ~ ~ ~ ~
「あ~、疲れました....」
「何じゃ、彼奴が本家に戻ってから、まだ三日目じゃぞ」
「だって、所長がやってた荒事と魔術関係の仕事を私たちで熟してるんですよ?」
「妾は別に疲れておらぬがな」
所長が居なくなって三日目、私たちは詰み上がる仕事に手をこまねいていた。
「灯様は魔術師だからいいじゃないですか。私は元々くノ一ですよ、得意なのは諜報で戦闘じゃありません」
「なら、彼奴も魔術師じゃ。ほれ、弱音を吐く前に奴らを撒くぞ」
「は~い、ではお先に」
体を人の姿から蜘蛛の姿へ変え、空を飛ぶ。
灯様の様子を見れば、上手く追手を惑わせて路地を抜けていた。
「今日の依頼完了っ!」
帰ったら何を食べようか。事務所を出ていくときに所長がくれた臨時賞与には余裕がある。
ッ....ショートケーキが食べたい。近くの洋食屋がそんな名前の洋菓子が売られていたはず。
「今日の間食決定!」
「桜菓っ、いつまで浮かんでおるつもりじゃ、早う此方に降りてこぬか!」
「あっ、ご、ごめんなさい!」
急いで人の姿に戻ろうとした時、上空を所長が通り過ぎた。
「灯様、所長が見えましたよ!」
「妾にも見えておった。奴はいつも空を飛んでおるな」
「仕方ないですよ、あれが一番わかりやすいですから」
所長の術素量は無尽蔵だ。私だったら五分も持たない魔術を一日中行使している。
「じゃが、彼奴は考え込むと加減を忘れる。姉姑の帰還まで冷静であればよいが」
「ですね、本気の時の所長って怖いですから」
空に吹き飛ばされている人々を眺めてそう思った。
~ ~ ~ ~ ~
「次は何処だ」
『江の島の神社だ』
「分かった。皆、上に飛ばした者は後十分もすれば落ちてくる。その後の処理はこの町の警察官が対処せよ」
「畏まりました!」
その声を聞いてその場を去る。
「江の島での揉め事は何だ」
『國外から義賊を名乗る者の襲撃有。とのことだ』
「外にも情報が洩れている。何処かに意図して情報を流している奴がいるなッ....」
『落ち着きたまえ、万司郎君。君が捕らえた者たちは私の元へ送られる。情報は必ず絞り出すから、頭を冷やしたまえ』
「あゝ、全員残らず口を割れ。裏にいる人間は全て引きずり出す」
國を脅かす逆族は全て根絶やしにする。一つ残らず。
「来たぞ、天地の家紋だ!」
「何ッ、まだ十分も経ってねえぞ。あの爺法螺吹かしたな....」
「相模藩当主代理、天地万司郎だ。神妙に縄につけ」
『おっと、これはこれは。破天荒雷の実働隊が水神の神社に何の用だろうか』
破天荒雷の下っ端か。
「将吉、海辺に警官と魔術師は何人いる」
『もう用意は出来ているよ、どちらも十人だ』
「俺らの正体を知ってんなら話は早え、雷落ちる前にとっとと消えな」
「はぁ、本当に馬鹿ばかりの連中だ」
抱稻に隅立て稻妻の紋。それらを身に着ける者たちは上空に飛ばす。
急激な高度上昇でほとんどの人間が意識を飛ばす。
その中で珍しく意識を保つ男を捕まえ、問い詰める。
「お前らの親玉は誰だ」
「ふん、知ったところでお前らにはどうしようもない」
「そうか、なら試してみるか」
男の口を押え、手のひらから大量の水を放出する。
「お前が口を割るか、お前が溺れ死ぬか。どちらが先かな」
「ん゛ーーッ!!」
「さあ、俺の魔術は永遠だ。お前の体はどれ位膨らむ、前の男は死んでからも膨れて丸太の様になったが、お前はどうだ」
男の藻掻きを無視して水を流し込む。腹は妊婦の様に膨れ、肺も膨らみ肋骨を押し出している。
男の意識が飛びかけた瞬間、体内の水を一気に掻き出す。
「さあ、もう一度聞く。お前らを雇った者たちは誰だ」
「ッオゲェ、ゴハッ。い、稲田凄簡だ。ら、ら雷神八柱の一人で雷を操....」
「俺は雇った人間と言ったんだ。そいつ等に指示を出した連中の名前が知りたいんだよ」
男の左目頭に指を添え、大量の水を噴出することで眼球を抉り出す。
「アァっ、お、俺の目が....」
「さっさと言え、次は右目だ」
右目頭に指を押し当てて凄む。
「戸塚、戸塚の屋敷だっ。凄簡様はそこに呼び出されていた!」
「そうか、ならお前は用済みだ」
男を浮かせていた魔術を解き、海に捨てる。
『万司郎君、私を置き去りにされては困る。あの男は?』
「ただの下っ端だ。何の情報も吐かなかった」
『君自らか、あの男も災難だね』
「次は何処だ」
戸塚の屋鋪。恐らく耄碌した老害共が茶会を開いてる隠居所で間違いないだろう。
必ず、必ずだ。必ず....
~ ~ ~ ~ ~
天地淡裹の帰還まで残り三日となった。
未だに破天荒雷による大きな事故は起きていない。
『次は何処だ』
「朝比奈町の屋敷で火鼠が沸いている。とのことだ」
始めは感情的だった万司郎も、淡々と問題を解決するようになった。
恐ろしいくらいに正確に、心など持っていないかと思う程冷静に。
『ただの下っ端だ。何の情報も吐かなかった』
あれは嘘だ。あの男の口を割れば、破天荒雷の幹部や能力、幹部を雇った分家の所在地について吐いた。
何を隠しているんだ、万司郎。私に隠し事など出来ない。
絶対に貴様の秘密は暴く。この国を脅かす危険分子ならば、お前は必ず殺す。
~ ~ ~ ~ ~
草木も眠る丑三つ時。小田原の城下町に怪しく忍ぶ影あり。
右足に抱稻に隅立て稻妻の紋を彫り込んだ男、稲田凄簡。
そして、それに付き従う忍衆。
「皆の者、かかれ」
その一言で忍たちは動き出し、音も無く闇を駆ける。
そのうちの一人が民家に到着し、家主の枕元へと向かう。
「お命頂戴」
天地淡裹の帰還前日、小田原の城下町に悲鳴が木霊した。