第二十四話 ジョルトカウンター
---剣持視点---
大学の後期授業が始まった。
だが南条さんはジムにもサークルにも顔を出さない日が続いた。
まあ無理もないか。
あそこまで完敗した上に初黒星だからな。
正直今は誰にも会いたくない気分だろう。
まあそのうちジムにもサークルにも顔を出すだろう。
だが南条さんには悪いが、彼が負けた事によって
オレに出番が回ってきたのは事実。
オレの当面の目標はWBL世界ライト級王者のマクシーム・M・ザイツェフだ。
他の主要三団体はドイツ人の天才ボクサー・カールハインツ・アッカーマンが三団体王者と君臨している為、まずはWBL世界ライト級王者ザイツェフからベルトを奪うのが当面の目標だ。 とはいえアッカーマン程ではないが、ザイツェフも天才と云って過言はないボクサーだ。
とりあえず聖拳ジムとしては、ザイツェフに照準を定めながら、
後一試合のテストマッチを挟んでから、オレをザイツェフに挑戦させるという青写真を描いている。 オレとしても南条さんのリベンジも兼ねて、ザイツェフに一泡吹かせたい気分だ。
だがその為にはこれまで以上に厳しい練習をしなくてはいけない。
なのでオレは大学の講義の日以外は全てジムワークに費やした。
松島さんの指導もいつも以上に厳しいが、オレは嘆くことなく自分の身体をいじめ抜いた。
「ハア、ハア、ハア」
オレはサンドバック打ちを終えて、スポーツタオルで顔を軽く拭いた。
すると松島さんがこちらに寄って来て、真面目な顔で一言漏らした。
「相変わらず良い動きだ。 だがそれだけではザイツェフには勝てん。
奴は攻防共に優れた天才だ。 特にパンチに対する反応速度がずば抜けている。
だから今のお前のフック主体のボクシングでは奴には勝てないだろう」
「……まあそうかもしれないですね。
……それでオレにどうしろ、というんですか?」
「まずはショートパンチを徹底して磨くんだ。
ザイツェフはショート連打に関してはお前や南条より上だ。
だから奴に対抗する為にショート連打の強化は必須項目だ。
だがそれだけでは奴には勝てん。 だからオレがお前に必殺パンチを伝授しよう!」
「えっ!?」
オレは思わず呆けた声を上げた。
まさか現実主義者の松島さんの口から「必殺パンチ」という言葉を聞くとはな。
「まあ必殺パンチというのは大袈裟かもしれんな。
でもこのパンチを磨けば、ザイツェフに肉迫する事も可能だろう」
「……それは興味深いですね。 それでどんなパンチなんですか?」
「とりあえず普通の右ストレートを打ってみろ!」
松島さんはそう言ってミットを構えた。
オレは言われた通りにミット目掛けて右ストレートを打った。
すると「パアン!」という音が周囲に響いた。
「……うむ、良い右だ。
ならばその右の威力を更に増す方法を教えてやろう」
「はい!」
「まず普通の右ストレートは腰の回転を生かして打つだろ?
ストレートだけでなく、フックも腰の回転が重要だ。
だが必ずしも回転させて、パンチを打つことが全てじゃない
回転を利かして強いパンチを打つ。 これが主目的だ。
だから強いパンチを打てるなら、必ずしも腰を回転させる必要はない。
この意味は分かるな?」
「ええ、まあ……」
ん? 松島さんは何が言いたいんだ?
イマイチ話の要領が掴めないな。
しかしここは真面目に松島さんの話を聞こう。
「では右ストレートを腰の回転を使わず、前に出る力を利用して打ってみろ!」
「え?」
え? 腰の回転を使わないで右ストレートを打てるのか?
どうするんだ? まあいいか、とりあえずやってみるか。
とりあえずオレは言われたままに右ストレートを打ってみた。
しかし自分でも分かるくらいに、異様にぎこちない打ち方でパンチを出した。
そして俺の右グローブは松島さんのミットの中で「ばす」という鈍い音を立てた。
「左ジャブを打つ時と同じように、前に出る力を利用して打つんだ!」
「……はい!」
前に出る力を利用して打つのか?
オレは左ジャブを打つような感じで、押し出すように右拳をミットに突き出した。
するとミットを叩く音が明らかに大きくなった。
「いいぞ、いい感じだ」
成る程。
……要領は理解したぜ。
でもこのパンチって確か……。
「これってジョルトブロウですよね?」
すると松島さんは感心したように「ほう」と漏らした。
「よく分かったな」
「まあオレも前にジョルトブロウがどんなものかと気になって、雑誌やネットの動画で調べた事があったので」
「このパンチの利点は、腰の回転がないかわりに通常の右ストレートより早くパンチを出す事が出来る。 よし前に出る力を利用しているから、パンチの威力もある。 但しパンチを標的に当てる時は、きっちりとナックルの部分を当てるんだ!」
「はい、でも確かにこのパンチと普通のストレートを使い分けられたら、
心強い武器になりますね。 微妙にタイミングをずらすだけでかなり使えそうですね」
「ああ、そのパンチでカウンターで打てるようにするんだ。 所謂ジョルトカウンターってやつさ。 お前は左ボディフックから繋ぐパンチは非常に上手いが、右から返すコンビネーションが少ない。 だがこのパンチを覚えるだけで、攻撃の幅も随分と増える。 そしてザイツェフに勝つ為にはこれくらいは出来ないと話にならん。 奴はトップアマ出身者だから技術勝負じゃ正直、勝ち目がない。 オレもあの南条があそこまで完敗するとは思わなかった」
「……」
それはオレも同感だ。
正直、南条さんならライト級の世界のベルトを巻けると信じていた。
だが現実は違った。
あの南条さんがあそこまで一方的に負かす男。
マクシーム・M・ザイツェフ。
多分この男に勝てるボクサーは日本人には居ないだろう。
戦前から長い歴史のある日本ボクシング界の中でもライト級の世界王者になった
日本人はたった三人。 改めてこの階級の層の厚さを思い知らされた。
ならば階級を下げるか?
……それは嫌だな。
このままザイツェフと戦わずして、転級するのは賢い選択肢と思うが、
オレはそれを好まない。 そう、オレは奴に勝ちたい。
とはいえ現時点のオレでは奴に勝つのは厳しいだろう。
奴はアマチュアボクシングのトップエリート出身。
しかもアマチュアボクシングの強豪国ロシアの出身。
恐らく小さい頃から、身体をいじめ抜いて技術を磨いてきたのであろう。
奴はライト級で世界選手権を金メダル、五輪を銀メダルという実績を残している。
オレも一応高校五冠王者だが、ザイツェフに比べたらオレの実績など比較の対象にすらならん。
しかし何故だろう。
今のオレの心境としては、この男に勝って世界のベルトを巻きたいという気持ちが強い。
南条さんの雪辱戦という側面もあるが、理由はそれだけではない。
なんというかザイツェフはオレが今まで出会った人間の中で一番強い。
それも力任せのボクシングではなく、攻防共に優れたハイレベルなボクシングだ。
正直これからどんだけ練習してもこの男に勝てないかもしれない。
でもそれでもオレはザイツェフと戦いたい。
こう思うようになったのは、オレが一人前のプロボクサーになった証か?
強い奴と戦いたい。
ただ単純で純粋な動機。
しかし今のオレじゃ奴に勝てない。
それはオレ自身が一番分っている。
「松島さん、今まで以上に厳しい指導をお願いします。
オレは本気でザイツェフに勝ちたい、でもオレ一人の力では無理です。
それとオレも奴の試合映像や動画を観て、対抗策を研究するので、
松島さんも同様に奴の試合映像や動画を観てもらえますか?」
「ああ、構わんさ。
というか既に奴の試合映像や動画は観ているよ」
「そうなんですか?」
すると松島さんは「ああ」と頷いた。
「お前ならザイツェフと戦いたい、と云うと思ったからな。
そして俺自身、自分の育てたボクサーで奴に勝ちたい、
という気持ちだ。 だからこれまで以上に厳しい練習をするぞ!」
「はい。宜しくお願いします!!」
「ああ、南条のリベンジも兼ねた試合だ。
俺がお前に秘められた潜在能力を完全に引き出してやる。
だからお前もやみくもに練習するだけでなく、
頭を使ってボクシングをしろ! そうでないとザイツェフには勝てない!」
「はい!!」
……なんか燃えてきたぜ。
正直現時点で奴に勝てるとは思わない。
だが世界戦が決まるまで、まだ時間的余裕はあるだろう。
だからその準備期間の間に、徹底的に自分を追い込む。
まずはジョルトを完全に自分のものにしないとな。
そして理想はジョルトカウンターでザイツェフを迎え討つ。
兎に角、勝つ為にありとあらゆる手を尽すぜ。
……待っていろよ、マクシーム・M・ザイツェフ。
お前を倒すのは、この剣持拳至だ!!