第十七話 決戦はクリスマス(後編)
---三人称視点---
12月25日。
所謂、世間はクリスマス。
サークル仲間でもある藤城と瓜生も今夜は拳至の試合の応援には来てない。
だが今宵の拳至はそんな事を気にする素振りも見せずに、後楽園ホールのリングで戦おうとしていた。
検診、軽量共に無事に終えた拳至は対戦相手の徳川幸彦と軽い挨拶を交わした。
徳川は口調こそ丁寧であったが、その目は笑ってなかった。
――お前にだけは絶対負けない!
という心の声が今にも聞こえてきそうであった。
だが拳至は特に煽り返すような真似はせず、
「お互いに頑張りましょう」
と、無難な受け答えをした。
だが拳至とて遊びでプロボクサーになった訳ではない。
今夜挑む日本タイトル王座決定もあくまで通過点のつもりだ。
故に今夜の試合も必ず勝つ、と気合いを入れ直す拳至。
「ふむ、タイトル初挑戦だというのに落ちているな」
と、チーフトレーナーの松島が感心した口調でそう云う。
「オレは所詮セミファイナルですからね。
それにオレの目標はもっと先にあります。
だから今夜の試合もいつも通りにやるだけですよ」
「うむ、その心意気は良し!
だが徳川も良いボクサーだぞ? 油断だけはするなよ?
それと奴の頭突きには注意しろ!」
「はい」
松島の言葉に拳至は大きな声でそう答えた。
そしてそこからベンチに座り、松島にバンテージを巻いてもらった。
すると急にこの選手控え室に良い匂いが漂った。
拳至はその匂いがする方向に視線を向けた。
すると両手で花束を持った氷堂愛理が控え室の入り口で立っていた。
愛理は白い清楚なブラウスの上に黒いカーディガンを羽織り、
白いフレアスカートと黒のハイニーソというのファッション。
「剣持くん、こんばんは」
「ああ、約束通り来てくれたんだな」
と、少し照れ笑いをする拳至。
「はい、これグロリオサの花束。 花言葉は『栄光』と『勇敢』よ。
これもあなたに似合う花言葉ね」
「あ、ああ……いつも悪いな」
拳至はそう言って花束を受け取り、近くのベンチの上に置いた。
愛理が選手控え室に入ってきたことにより、場の空気がまた変わった。
愛理の見た目はまさに深窓の令嬢といった風貌だ。
こんなむさ苦しい所に居ると場違い感が凄かった。
彼女もそれを悟ったようで――
「じゃあ挨拶は終わったから、わたしはそろそろ観客席へ行くわね」
「あ、ああ……」
と、愛理は踵を返して部屋を後にした。
彼女が去った後も控え室内に甘い香水の匂いが漂った。
周囲の他のジムの選手とトレーナーも突然の来訪者に戸惑っていた。
だが三分もすれば、また控え室内に独特の緊張感が蘇った。
「剣持、身体を冷やすな。 軽くウォームアップしておけ!」
「はい!」
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「赤コーナー、日本ライト級1位~、16戦14勝(10KO勝ち)1敗1分け、
133ポンド~、霊宝ジム所属、徳川幸彦」
「徳川ぁ~、頑張れ!!」
「アマエリートなんかに負けるなよ!!」
アナウンスされた徳川は銀色のガウン姿で観客の歓声に右手を上げて応えた。
「青コーナー、青コーナー、日本ライト級3位~、
134ポンド~、4戦4勝4KO、聖拳ジム所属~、剣持拳至」
拳至もリングアナに紹介されるなり、軽く右手を上げた。
すると観客席の観客達が歓声を上げた。
「剣持~、また豪快なKOを期待しているぜ!」
「剣持く~ん、頑張って!」
そして試合前のアナウンスと注意事項が順調に終わり、
両選手共に自分のコーナーへと戻った。
「いいか、徳川は今までの相手とは違う!
序盤は手を出しながら、様子を見ろ!
そして奴の頭突きには注意しろ!」
「はい」
松島の指示に拳至は素直に頷いた。
自信家の拳至も流石に初の日本タイトルマッチで少し緊張していた。
だがその視界に愛理の姿が映ると、急に冷静になった。
――彼女の前で醜態を晒すわけにはいかねえ。
――よし、今日の試合も必ず勝つ!
そして試合開始のゴングが鳴った。
拳至はゴングが鳴るなり、全力で赤コーナー目掛けてダッシュした。
両者の距離が一気に詰まる。
そこから拳至は高速でワンツーパンチを繰り出した。
不意を突かれた徳川はそのワンツーを見事に貰った。
たまらず徳川の腰が崩れかけた。
だが徳川も意地を見せて、態勢を立て直す。
しかし拳至からすれば絶好のチャンス。
そしてそのチャンスを逃すほど彼も甘くはない。
拳至はそこからワンツー、左のダブルフックで徳川を攻め立てた。
徳川はコーナーを背にしながらも、フットワークでコーナーから脱出する。
本来ならここで間を取りたいところだが、拳至がそれを許さない。
ボクシングの基本中の基本。
拳至は徳川の顔面に左ジャブの連打を叩き込んだ。
そこからノーモーションで右を放った。
鈍い感触が拳至の右拳に伝わる。
するとその右を喰らった徳川が左膝をマットについた。
「ダウンッ、ニュートラルコーナーへ!!」
拳至はレフェリーがそう宣告するなり、青コーナーへ戻った。
すると青コーナーサイドで松島が少し驚いた表情をしていた。
まあトレーナーの指示を無視したわけではない。
ただ拳至の第六勘的な何かが「攻めろ!」と心の中で囁いたのだ。
とはいえ相手は日本ランク1位、ここで油断するのは少々危険だ。
そして徳川はカウント8で立ち上がった。
徳川も気力を振り絞り、ファイティングポーズを取った。
ダメージは深そうだが、その目は死んでなかった。
するとレフェリーは「ファイト!」と試合の続行を告げた。
そして試合再開と同時に拳至は全力でマットを蹴る。
両者の距離が詰まるなり、拳至は左ジャブを連打。
素早いジャブが徳川の顔面にヒット。
しかし徳川も踏ん張りながら、左ジャブで応戦。
拳至はそれを右手でパーリングして、逆にまた左ジャブを打ち込んだ。
またしても拳至の左ジャブが命中。
ぐらつく徳川。
そこで拳至がオーバーハンド気味の右で徳川の顎を打ち抜いた。
その衝撃で徳川は後ろに大きく反った。
――チャンスだ、行くぜ!
そう思い拳至は果敢に前に出た。
すると徳川が強引に頭から突っ込んできた。
――そう来る事は想定済みだぜ!
拳至は強引な頭突きをヘッドスリップで回避。
そしてがら空きになった徳川の右脇腹に左ボディフックを叩き込んだ。
――是が非でも勝とうとするアンタの姿勢は嫌いじゃない。
――だがオレ相手に頭突きしてきたことは後悔させてやるぜ。
強烈なリバーブロウが決まり、徳川は大きく喘いだ。
そこから拳至は左右のフックで徳川を攻め立てる。
拳至の左右のフックの連打が面白いように決まり、
徳川が右に、左に大きく身体を揺らした。
そして拳至は渾身の力を篭めた右フックで徳川の左側頭部を強打。
するととうとう限界を超えた徳川はキャンバスに尻餅をついた。
「――ダウン! ニュートラルコーナーへ!!」
そう云われるなり、拳至は青コーナーへ戻る。
すると青コーナーで待つ松島も僅かに口の端を持ち上げた。
そしてレフェリーのカウントが進み、
カウント8を過ぎたところで赤コーナーからタオルが放り込まれた。
これによって拳至の勝利が確定した。
正式なKOタイムは1ラウンド2分58秒であった。
そして拳至は勝利者コールを受けて、その腰に黒いチャンピオンベルトを巻いた。
「……まさか1ラウンドで勝つとはな。
あの徳川相手に大した奴だ。 まあ今日は素直に勝利を喜ぶがいいさ」
「はい!」
そして拳至は多くの観客の歓声を浴びながら、リング上から観客に手を振る。
こうして拳至はプロ5戦目にして、日本タイトルの奪取に成功。
ライト級としては、異例の出世速度だ。
だが本人はこの結果に満足する事無く、更に高見を目指す事を決意した。
剣持拳至(聖拳ジム)【日本ライト級タイトルマッチ】1ラウンド2分58秒TKO勝ち
【5戦5勝5KO勝ち】