第十三話 初デート
「剣持選手、デビュー戦初回KO勝ちおめでとうございます」
「高校五冠の実績通りプロ転向第一戦目は素晴らしいKO勝ちでしたね」
と、控え室に戻るなり、記者達の質問攻めにあった。
まあオレとしては当然の結果だと思っているが、メディアの前だ。
ここは謙虚な態度で無難な返答を返しておくか。
「剣持くん、今後の目標を聞かせてよ」
まあ記者が望む言葉は「必ず世界チャンピオンになります」だろうが、
オレの階級のライト級は激戦区。 そう簡単に世界王者にはなれやしねえ。
だからここで馬鹿正直に答えるのは愚策だ。
「そうですね、まずは一戦一戦確実に勝っていきたいですね。
世界のライト級は皆さんがご存じのように激戦区です。
だからまずは目の前の試合に集中して、結果を出していきたいです」
そんな問答を二十分くらい繰り返して、控え室がようやく静かになった。
ふう、なんか試合よりインタビューの方が疲れるな。
だがメディアに嫌われると、アスリートは色々と損をする。
だから今後もメディアの対応は愛想良くしないとな。
「いやぁ~、剣持くん。 百点満点のインタビューだったよ」
と、黒スーツ姿のマネージャーの松下さんがそう言った。
「これも仕事のうちですからね」
「うんうん、名チャンピオンになるにはファンにもメディアにも愛されないとね。
剣持くん、今日はもうゆっくり休んでいいよ」
「ああ、今日はゆっくり休め。 飯も食っていいぞ」と、松島さん。
「はい、お気遣いありがとうございます!」
「剣持くん、帰りはボクが送ろう――ん?」
そう言って松島が言葉を詰まらせた。
オレは気になったので、松島さんの方へ視線を向けた。
すると控え室の入り口に氷堂愛理が立っていた。
「……お邪魔でしょうか?」
「い、いえ……キミは剣持くんの友達かな?」
「まあそうですね。 私は氷堂愛理という者です。
剣持くん、この後、時間はあるかしら?」
「え?」
愛理の唐突な問いにオレは思わず呆けた声を上げてしまった。
すると愛理は小さく嘆息して、こう付け加えた。
「……忙しいのかしら? なら帰るけど?」
「い、いやそんな事ないぞ。 暇、暇、めっちゃ暇!」
「そう、ならこの後一緒に食事でもどう?」
「あ、ああ……行くよ。 それじゃ松下さん、松島さん。 お先に失礼します」
「う、うん。 剣持くん、お疲れさま!」
「ああ、だが剣持。 その前に着替えたらどうだ?」
松島の言葉にオレは思わず「あっ!」と声を漏らした。
そういえばそうだ、まだ私服に着替えてなかった。
すると愛理が「ふっ」と小さく笑った。
「じゃあ剣持くん、私は入り口で待ってるわ。
疲れてるでしょうから、そんなに急がなくていいわよ」
「い、いや大丈夫だ。 疲れてないさ!」
「そう、なら早くしてね」
「ああ」
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オレは私服に着替えてから、入り口で愛理と合流した。
すると彼女は「一緒に食事でもどう?」と言ったのでオレは「ああ」と頷いた。
それから駐車場まで移動して、氷堂家の自家用車の運転手に少し離れた場所にある高級ホテルまで送ってもらった。
どうやら彼女は大学生になった今でも実家暮らしのようだ。
まあ氷堂家は日本でも有数の氷堂財閥の長女だからな。
そりゃ親としても変な虫がつかないように大事に育てるだろう。
ん? 冷静に考えるとオレがその変な虫か。
なにせ剣持一族と氷堂家は不倶戴天の敵だからな。
だがそれがどうした?
オレは彼女と一緒に居たいから居る。 ただそれだけさ。
そしてオレ達は高級ホテルのレストランで食事を済ませた後、愛理が「少しバーへ行かない?」と言ったので、ホテルのバーへ移動した。 落ち着いた大人の雰囲気が漂う静かでほの暗い照明のバーだ。
オレ達は隅っこのテーブル席に座って、オレと愛理はペリエを注文した。
「なんだ、キミは酒を飲まないのかい?」
「ええ、だって私はまだ未成年よ?
でも雰囲気くらいは味わいたいじゃない」
「それもそうだな」
「ええ、それじゃ乾杯しましょう」
「あ、ああ……」
そう言ってオレと愛理はグラスを合わせた。
「しかし剣持くん、本当にプロボクサーになったのね。
よくご両親に反対されなかったわね?」
「それがさ、オレもプロ入りは考えてなかったんだが、親父はむしろオレのプロ入りに賛成気味だったんだよな。 なんか大学4年と大学院の2年の合計6年で世界王者になれ!とか言われたよ」
「へえ、やはり剣持家の人間ね。 言う事が普通の父親とは違うわね」
「まったくだぜ。 まあおかげでこうしてプロになれたわけだがな」
「でも剣持くんが東京へ来たのは意外だったわ。
それもお父さんの薦めなの?」
オレは愛理の問いに「いや」と答えて、小さく首を振った。
「それはオレ自身の意思さ。 それにオレは元々東京の人間だろ?
だから貴重な大学生活は東京で過ごしたかったのさ」
「ふうん、そうなんだ。 ところで大学生活はどう?」
「ああ、順調だよ。 サークルにも入ったよ」
すると愛理は少し意外そうな表情をした。
「へえ、意外~。 ボクシングで忙しいから、サークルは入らないと思ってた」
「オレも一応は大学生だからな。 キャンパスライフってやつを最低限は味わいたいさ」
「ちなみに何のサークルに入ったの?」
「……ボードゲーム同好会だよ」
「へえ~、それも意外だわ。 こういっちゃなんだけどアナタには似合わないサークルね」
「いや実はジムの先輩も同じサークルに入っててさ。 そこからなし崩し的に入った感じ」
「へえ、その人もプロボクサーなのよね?」
「ああ、そうだよ。 ついでに言えば現役の日本&東洋チャンピオンさ」
「へえ、それは凄い……のかしら?」
「まあ少なくとも今のオレよりは凄いな。 でキミはサークルに入ったのかい?」
「う~ん、それが悩み中なのよ。 一応、テニスサークルとかにも見学してみたけど、どうにも肌に合わなくてね。 だから入るなら文化系のサークルになると思うわ」
「そうか」
「うん、サークルよりバイトの方が興味あるかも? なんか周囲の人はバイトしてるし、私も塾講師や家庭教師をしてみようかな、とか思ってる」
ほう、塾講師と家庭教師か。
確かに愛理はそういうバイトに向いてそうだな。
「剣持くんは……バイトする時間なさそうね」
「今はな。 でも夏休みに入ったらバイトするつもりだよ」
「へえ、どんなバイトするつもりなの?」
「う~ん、別になんでもいいよ。 あ、でも多分肉体労働になりそう」
「へえ、天下の剣持コンツェルンのご子息がバイトするとは意外だわ」
「いや何のいうか金を自分で稼ぐことも大事だが、社会勉強もしたい、って感じかな?」
すると愛理は「ふうん」と言いながら、その切れ長の瞳を少し細めた。
「やっぱりアナタ、少し変わってるわね」
「ん? そうか?」
「うん、こう言っちゃなんだけど、私もアナタもお金には不自由しない立場でしょ?
それをプロボクサーという過酷な道を選んだ上で、バイトまでするのって少し珍しいと思う」
まあ愛理の言わんとすることも分かる。
実際、一年前のオレなら地道にバイトするという考えはなかっただろう。
だがいざ大学生になってみると、周囲の者はほぼバイトしている状況だ。
なのでオレもバイトしたいという心境になった、みたいだ。
「かもしれんな。 だが二十代前半と言えば貴重な時間だ。 それに加え、厳しい受験戦争を勝ち抜いたのだから、この貴重な大学生活を楽しむのは普通のことだと思う。 だがオレはこういう時期だからこそ、自分しか出来ない事がしたい」
「……それがプロボクシングって訳?」
「まあそうだな。 とはいえ大学生活を全て犠牲にしてボクシングをしたいとは思わん」
「ふうん、その辺複雑なのね」
「ああ、結構複雑だな」
オレは嘘偽りない気持ちを素直に打ち明けた。
すると愛理はその綺麗な口元に微笑を浮かべた。
「じゃあ、時々はこうしてデートに誘ってもいいかしら?」
「え?」
オレは予想外の言葉に呆けた声を上げてしまった。
そして半瞬程、遅れてから「も、もちろんいいさ!」と返した。
「そう、ならいいわ。 じゃあ私は今夜はこれで帰るわ。
またメールなり、電話して頂戴!」
「あ、ああ……というか途中まで送るよ」
「けっこうよ。 じゃあ、剣持くん、今日は楽しかったわ」
「ああ、オレもだよ」
「うん、じゃあおやすみなさい、それと初勝利おめでとう!」
そう言って愛理は二人分の料金を払って、店を後にした。
オレはその後ろ姿を見ながら、ペリエの入ったグラスに口をつけた。
……なかなか悪くない感じだったな。
というか地味に今夜が愛理との初デートだったんだよな。
まあ彼女相手にしつこくしたら、嫌われるのは明白だな。
だからメールも電話もウザがれない程度にするべきだ。
そしてオレもグラスに入ったペリエを半分くらい残して、店を後にした。