第九話 プロの洗礼
---三人称視点---
「ラスト三十!!」
リングサイドでチーフトレーナーの松島がそう叫んだ。
すると剣持拳至は更に前に出て、スパーリングパートナーのライト級日本9位の駒沢に左右のフックの連打を浴びせた。
駒沢もプロの意地を見せるべく、両腕を挙げてガードを高くするが、剣持の猛攻の前に防戦一方になる。 なんとかパンチを打ち返すが、剣持はそれを短い動作で回避。
逆にパンチを打ち終わり際を狙って、左フックを駒沢のボディに打ち込む。
そこでラウンド終了のブザーが鳴った。
「よし、そこまでだ。 駒沢はもうリングを降りろ!」
「は、ハアハァ……は、はいっ……」
「剣持は……お前、まだスパーがしたいか?」
「はい、まだまだ行けますよ!」
剣持は松島の言葉に大きな声でそう答えた。
既に今日だけで、八回戦の鹿島、ライト級日本9位の駒沢を相手に4ラウンドのスパーリングを行っていた。
――練習初日でA級ボクサーをここまで圧倒するとは大したものだ。
――だがここで褒めたら、コイツは増長する可能性がある。
――なので俺はここは徹底的に厳しく行く。
――よし、荒療治になるが、南条をぶつけよう。
松島は内心でそう思いながら「南条!」と大きな声で叫んだ。
すると鏡の前でシャドーしていた青年が「はい!」と返事した。
「南条、今から剣持とスパーだ!」
「……はい」
「剣持も文句はないよな?」
「ええ、問題ないですよ」
と、会話を交わしながらも剣持は一瞬考え込んだ。
南条って確かライト級の日本タイトルと東洋タイトルを同時に保持するライト級の日本の期待のホープだとよな?
おい、おい、おい。
俺は今日が初練習だぜ? 流石に少し相手が強すぎないか?
……あるいは最初の練習でオレの鼻っ柱を折るつもりか?
だが逃げるのは性に合わん、ここは受けて立つぜ、と思う剣持。
「南条、2ラウンドだけ相手にしてやれ!」
「はい!!」
「プロのチャンピオンの力を教えてやれ!」
「分かりました」
そう云って南条は赤いヘッドギアとノーファールカップをつけて、リングに上がった。
身長はオレと同じくらいだな。顔もなかなかのイケメンだな。
ま、オレほどじゃないけどな。 と、思いながら剣持は南条とグローブを合わせた。
「……よろしくな、剣持くん」
「……こちらこそ」
そして互いにコーナーに戻り、ラウンドの開始のブザーが鳴った。
南条はアップライトスタイル気味にガードを固めて、リング中央へ向かう。
対する剣持もガードを固めて、すり足で前へ進む。
――ならプロのチャンピオンの力を見せて貰うぜ、南条さん!!
剣持はそう思いながら、素早く左ジャブを連打した。
南条はそれを右手で軽くパーリングして弾いた。
更に剣持が左ジャブを連打。 しかし南条は身軽な動きでそれを回避。
逆に左ジャブを剣持の顔面に叩き込んだ。
一発、二発、三発と南条の左ジャブが剣持の顔面を捉えた。
基本に忠実だが、まるで無駄がないお手本のような綺麗な軌道の左ジャブ。
しかし剣持も意地を見せる。
南条の左ジャブをヘッドスリップで躱して、懐に入り込んで、左アッパーで南条の顎を狙う。 しかし南条はそれをスウェイバックで回避。 そして逆に左フックで剣持の右側頭部を強打。 ぐらつく剣持。
「おい、おい、南条さん、容赦ねえな!」
「まあアレだろ? プロの洗礼ってやつじゃね?」
「まあそうだろうな。 でもアイツ――剣持の動きも悪くねえぞ」
「ああ、新人にしちゃ上出来だ。 流石は高校五冠王。 だが相手はプロのチャンピオン。 アマとプロの差は大きいぜ」
と、二人の戦いを見ながら、周囲のギャラリーが言葉を交わす。
それを耳に挟みながら、剣持は闘志を奮い立たせた。
――確かに流石はプロのチャンピオンだ。
――このオレの攻撃をいとも簡単に外しやがる!
――でも安心したぜ。
――オレより強い奴が居てよ、ふふふっ……なんか燃えてきたぜ。
――やっぱこうじゃねえとな! 強い奴と戦ってこそのボクシングよ!
剣持はそう胸中で強く念じながら、破壊力ある左右のフックを豪快に振り回した。 南条は両手をガードを上げて、剣持の左右のフックを防御したが、ガードする度に腕がビリビリと痺れる。 更に剣持は強引に左右のフックを叩きつけた、
「――剣持! ジャブだ、ジャブ! 左ジャブを忘れているぞ!!」
と、リングサイドの松島トレーナーがそう叫んだ。
剣持としてもそれは分かっていた。
だが今は自分の力がどれだけプロのチャンピオンに通用するか、試したかった。
だから多少強引だが、左右のフックで南条を攻め立てた。
剣持は左、右、左、右と素早く拳を交互に振り回した。
ガードする南条の両腕に強烈な衝撃が走る。
だが剣持はガードの上から、ひたすら猛ラッシュを浴びせる。
乱打、乱打、乱打、乱打、ひたすら乱打。
だがこれ程、鋭く荒々しい左右のフックの連打は滅多にお目に掛けられない。
しかし南条は何度もパンチを受けながらも、
クリーンヒットは一度も許していなかった。
そして次第に必要最低限の動きで剣持の左右のフックを防ぎ、躱す。
――流石だぜ! ならこれはどうだ!!
剣持は飛び込みながら、左ボディフックで南条の右脇腹を狙った。
このリバーブロウを喰らえば、南条と云えど一瞬は動きが止まる筈だ。
と思った矢先に、剣持の左拳に鈍い衝撃が走った。
「!?」
南条は右肘で剣持の左ボディフックを綺麗にブロックしていた。
それはエルボーブロックという高等技術だ。
肘を強打した事により、剣持は一瞬怯んだ。
そして南条はその一瞬の隙を逃さなかった。
南条は次の瞬間、閃光のような右ストレートを剣持の顎の先端に叩き込んだ。
強烈な衝撃が剣持の全身に走った。
剣持の顔が天井に向いた。
そこから南条は左フックで剣持の右側頭部を強打。
更に返しの右フックで左側頭部も強打。
最早、剣持は完全にグロッキー状態。
だが南条は手を緩めなかった。
そしてそこから内側に身体を捻り、左ストレートを放った。
南条の左ストレートが再び剣持の顎の先端を捉えた。
すると剣持はもんどり打って、背中からキャンバスに倒れ込んだ。
それと同時にラウンド終了のブザーが鳴った。
しかしそのブザーを聞いても、剣持は立ち上がる気配を見せなかった。
剣持の聖拳ジムでの初日の練習は、屈辱の1ラウンド失神KO負けという
結果に終わった。 まさにこれこそがプロの洗礼だった。