第七話 入門交渉
「ファイトマネーを現金払い?
ああ、いいよ。 というかウチは基本的に現金払いだよ。
それ以外の条件はあるかい?」
と、本山会長はさも当然かのようにそう答えた。
……意外だな。
こうもあっさりと要求が通るとはな。
だがこちらとしては、大助かりだ。
今回の入門交渉の前に、
暮林さんにもプロボクシング界の情報を収集してもらったが、
ファイトマネーを現金払してくれるジムはかなり少ない。
世界王者を何人も輩出したジムでも、チケット払いが当たり前だったりする。
また余談だが、かなり昔のプロボクサーがチケットを捌くために、
電話帳の一番上から順番に電話していって、根気強く売ったという逸話も聞いた。
まあこれに関しては、売った方が凄いと思う。
少なくともオレには真似できないし、したいとも思わない。
……まあいい、では次の条件を言おうか。
「オレも基本的にジムの方針には従うつもりですが、
大学の試験期間前は試合を組まないでいただきたい。
またその際、ジムの練習を休むことがあると思います」
「うん、全然問題ないよ。 分かった、君の言うとおりにするよ」
「ありがとうございます」
これも思ったより、あっさり通ったな。
でもこれはこれでかなり重要な事柄だ。
せっかく苦労して入った国立大だ、やっぱり卒業したいからな。
んじゃ次は――
「それとジムの指導方針には従うつもりですが、
途中で担当トレーナーを替えたい場合は替えてよろしいでしょうか?」
「ん? ああ、いいよ。 それも問題ないよ」
……これまたあっさり決まったな。
でもこれはこれで重要だ。
ボクサーやトレーナーもやはり人間だ。
だから指導方針や性格面で合わないケースは多々とある。
だがジムによっては、担当トレーナーを簡単には変更できなかったりする。
オレはそう思いながら、ちらりと松島さんの方を向いた。
松島さんは両手を顎の前で組みながら、じっとこちらを見ていた。
オレ自身はこの松島さんに指導してもらうつもりだ。
だがまだ松島さんの指導方針や性格はよく分かってない。
実際いざ組んでみりゃ二人の性格が合わない場合もあり得る。
だから事前にこういう条件をつけておくべきだ。
「……他にはまだあるかな?」
本山会長がこちらを観察するように見ながら、そう言った。
う~ん、まあ条件としてはこれぐらいでいい。
でも一応、念の為にもう一つの条件を言っておくか。
「そうですね、今すぐというわけじゃないですが、
将来的には海外で練習、また試合をしたいと思ってます。
この条件に関しては、ある程度、実績を残したボクサーになってからでいいです」
「うむ、分かった。 それも覚えておくよ。
それでまだ条件はあるのかい?」
「……いえオレが出す条件はこれくらいです」
「そうか、ならここまで話した通りの条件で
君とプロ契約を結びたいのだけど、いいかな?」
「はい、暮林さん。 判子を……」
「はい、拳至くん」
そしてオレは聖拳ジム側が出した契約書に、
一通り目を通してから、自分の名前の署名と判子を押した。
これで入門交渉は終わりだ。
「ではこれで君は正式に我が聖拳ジムのボクサーとなった。
剣持くん、君には期待しているよ。 君なら世界を狙える」
と、本山会長。
「……どうもッス!」
「とりあえず君の担当トレーナーはこちらの松島くんに
任せるつもりだが、異論はないかね?」
「はい」
「そうか、ならしばらく二人で頑張ってくれ。
松島くん、君からも何か一言、頼むよ」
すると松島さんはオレの顔をしばらく凝視する。
なんというか鋭さもありながら、落ち着いた感じの目つきだ。
こういう目をした人間とは、初めてあった気がする。
「よろしくな、チーフトレーナーの松島だ」
「よろしくお願いします」
松島さんは両手を口の前で組みながら、
憮然とした表情で自己紹介をする。
なんというか淡泊な人だな。
でもこの松島さんは日本ボクシング界の名伯楽として有名なのだ。
育てた世界王者は五人以上、トレーナーの栄誉を称える『エディ賞』を
三度も受賞している。 だが普段の松島さんはとても厳しいとの評判だ。
「一つだけ聞いていいか?」
「……はい、何でしょうか?」
「お前は本気でプロボクシングをやっていくつもりか?
あるいはその覚悟はあるのか? それを聞かせて欲しい」
成る程、確かにその辺りは重要な問題だよな。
覚悟があれば良いというわけではないが、
プロボクサーになるのに、まったくやる気がなかったり、
腰掛け気分だと色々と問題あるしな。
多分、松島さんはそういう選手は指導したくないのだろう。
何となく分かる。 だからオレは素直に自分の意見を打ち明けた。
「もちろんやるからには、本気でやるつもりです! オレも遊びでボクシングやってきたわけじゃありません。 そしてプロでやるからには、世界の頂点を目指します。 ですからご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします!」
オレはそう言ってソファから立ち上がって、松島さんに一礼した。
すると松島さんは少し険しい表情で「うむ」と頷いた。
そしてその鋭い相貌でこちらを見据えながら、こう云った。
「俺は古いタイプの人間だ。 だからあまり喋るのは得意じゃない。
だがお前の熱意は受け取った。 だから共に世界の頂点を目指そう!」
「はい!!」
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そして一通りの挨拶を終えたオレと暮林さんはジムから外に出た。
とりあえず明日、オレの記者会見を行う事が決定した。
記者会見か~、これは迂闊な事は云えないな。
高校時代は好き放題やってきたが、
オレももう少しで19歳、そろそろ社会の空気と同調する時期だと思う。
それに後で揚げ足取られるような発言も控えるべきだ。
というわけでこれからはメディアの対応にも細心の注意を払うつもりだ。
「拳至くん、キミも成長したねえ~」
暮林さんがジムの近くの喫煙所の前で煙草を吸いながら、そう云った。
「どういう風にですか?」
「ん~、なんか少しは周囲に気を使うようになったかな?
それとさっきの受け答えも良かったよ、ウン」
「まあオレももう少しで大学生ですからね~。
流石に少しは性格とか変えるつもりですよ」
「ま、それでいいと思うよ。 孤高の人気取った痛い人は、大学じゃ放置プレイだからね」
……少し棘のある言い方だな。
でも今までが今までだったからな。
ここは反論せず、素直になろう。
「はい、大学は大学でエンジョイしたいと思います」
「うん、うん、それがいいよ。 大学は大学で楽しい所だからね。 拳至くん、キミの活躍を楽しみにしているよ。 じゃあ俺はもう行くよ」
「はい、色々手伝って頂き、ありがとうございました」
オレはそう云って、綺麗な姿勢でお辞儀した。
だが暮林さんはこちらに一度も振り替えず、そのまま何処かに消えて行った。
まあ暮林さんには随分世話になったからな。
多分、親父からオレの話相手になるように云われてたんだろうが、
オレとしては、それ込みでも暮林さんの事が好きだった。
だがこれ以上、剣持家絡みの人間に甘えるつもりはない。
少なくとも、この大学四年間は自力で生きて行くつもりだ。
とりあえずは明日の記者会見、その後はプロテスト。
そしてプロデビュー。 やることは山ほどある。
とにかくなんというか燃えてきたぜ。
オレはそう思いながら、帰りの電車に乗り、
電車の窓から東京ドームを一望した。
いつかはあそこで試合をしたいものだぜ。
だがそうなるのは、まだまだ先、あるいは夢で終わるかもしれん。
とりあえずオレのしばらくの職場は、
プロボクシングの聖地・後楽園ホールだ。
――よし、燃えてきたぜ。
――オレは必ず世界チャンピオンになる!!




