第六十八話 ラバーマッチ(前編)
翌朝の決勝戦。
昨夜はよく眠れたし、体調も万全だ。
計量と検診も問題なくパスして後は試合を待つばかり。
「雪風、バンテージきつくないか?」
「いえこれくらいで問題ないです」
俺は選手控室の長椅子に座り、忍監督にバンテージを
巻いてもらった。 監督だけでなく新島や香取も
雑用係りとして、俺についていてくれている。
「今はフライ級の試合だな」
「そうか、もう少しだな」
俺と香取は何気ない会話を交わした。
するとその時、控室のドアが控えめに開かれた。
「こんにちは!」
爽やかな感じの聞き覚えのある美声。
声の聞こえた方向に視線を向けると、
来栖を先頭に里香、苗場さんがゆっくりと入室してきた。
「おう、来栖。 激励に来てくれたのか?」
「うん、試合前に皆で健太郎の顔を見たくてね! ねえ、里香」
「う、うん。 健太郎、頑張ってね」
「あいよ、任せておけ!」
「ゆ、雪風くん、優勝できるといいね!」
「うん、苗場さん。 わざわざありがとうね」
美少女JKが二人も現れて、むさ苦しい控室も活気づいた。
まあ一部の他の階級の選手が――
「あ? こいつ、なに女なんか呼んでるの?」
みたいな非難の視線を浴びせてきたが、構いやしない。
しかしこの三人の顔を見ると、なんか癒されるわぁ。
「そういや健太郎、今日の相手とはリターンマッチなんだね」
「まあな、というか正確に言えばラバーマッチさ」
「ラバーマッチ? 何それ?」と、首を傾げる里香。
「ボクシングでは、同一選手の三度目の戦いを、ラバーマッチというんだ。
まあアマチュアでは結構あるが、プロでは珍しいからな」
「ふうん、そうなんだ」
そう言う里香はさして興味がなさそうだ。
すると再び控室のドアが控えめに開いた。
「よう、雪風。 元気そうじゃねえか」
「た、武澤さん!?」
俺は予想外の訪問者に驚いた声を出した。
すると武澤さんはにっかりと笑いながら、こう言った。
「ん? もしかしてこの娘達は雪風の友達?」
「え、ええ……」
「ほう、雪風も隅に置けねえじゃねえか」
「い、いえ……それより武澤さんがわざわざ群馬まで
応援に来てくれたのは、意外です」
「ホントは時田さんも誘ったんだけどな。
『俺はプロのトレーナーだ、高校生の試合などいちいち観ねえよ』
と一蹴されてしまったよ」
「あははは、時田さんらしいですね」
俺は武澤さんの言葉に曖昧に笑った。
すると武澤さんは少し真面目な表情になり、こう告げた。
「今日の相手、強いんだって?
でもお前なら勝てる可能性は十分あると思うよ。
お前の右ストレートは当たれば、ぶっ倒せる威力だからな」
「……まあ武澤さんにそう言われると、少し自信が出てきました」
「そうか、とにかく俺は良い試合を期待しているよ。
じゃあおっさんはもう去るよ。 雪風、頑張れよ!」
「はい!」
そう言って武澤さんは控室から出た。
すると忍監督が来栖達をちらりと見てこう告げた。
「そろそろ試合だから、悪いけど君達も出てもらえないか?」
「はい、分かりました。 じゃあね、健太郎」と、来栖。
「健太郎、優勝してね!」と、里香が微笑を浮かべる。
「雪風くん、あまり無理しないでね! でも勝って欲しいわ」
「ああ、苗場さん。 俺なりに頑張るよ」
三人はそう言って、ゆっくりと部屋を出ていった。
すると大会の役員が駆けつけて来てこう言った。
「雪風選手、時間が来ましたので、リングインしてください!」
「はい!」
「じゃあ、雪風! 行くぞ!」
俺は忍監督の言葉に無言で頷いて、リングへと向かった。
決勝戦ということもあり、観客席は八割以上埋まっていた。
なんか大学関係者やプロジムの関係者がいつもより多い気がする。
まあそれはいい。 俺は俺の為に勝利を目指すぜ。
そしてリングのロープをくぐってリングインした。
剣持が赤コーナーなので、俺は青コーナー側だった。
一瞬剣持と目が合ったが、奴は無表情で俺を見据えていた。
野郎も気合十分で感じだな。 いいだろう、敵にとって不足なしだ!
そしてレフリーが試合前の注意をして、試合開始のゴングが鳴った。
さあ、剣持。 これがラバーマッチだな。
てめえとは一勝一敗だから、勝って勝ち越させてもらうぜ。
俺はゆっくりと滑るようにコーナーを出たが、
剣持は小刻みにステップを刻みながら、ゆっくりと間合いを詰めてきた。
とりあえず左ジャブで様子を見るか。
俺は一発、二発、三発と左ジャブを連打。
だが剣持は全部右手で軽くパーリングする。
逆に左ジャブを打ってきたが、俺も同様に右手で弾いた。
そこから中間距離で、お互いに左の差し合いをする。
大半はガードなり、回避したがそれでもたまには
被弾したが、俺も剣持も慌てることなく、更に左ジャブを出す。
う~ん、思ったより剣持が慎重だな。
もっと強引に来ると思っていたから、なんか調子が狂うぜ。
しゃあねえ、ここはあえて剣持に手数を出させてみるか。
俺は左ジャブを打った後に、少しばかり左ガードを下げてみた。
すると狙いすましたように剣持の右が飛んできた。
かかったな、剣持。
俺はウィービングで剣持の右を外すなり、
左フックで剣持の右脇腹を強打。
決まった、と思ったが僅かの差で剣持に右肘でブロックされた。
逆に剣持が左フックで俺の右側頭部を狙ってきたが、
それはスウェイバックで回避、逆に左ジャブを剣持の顔面に命中させた。
更に左ジャブを連打、連打、五月雨のように連打。
全弾当てることは無理だったが、それでも何発かは綺麗に決まった。
そして剣持が打ち返してくる前には、足を使って距離を取る。
所謂、ヒットアンドアウェイ戦法だ。
すると剣持はやや焦れた表情になりながら、
ガードを高くしながら、摺り足で間合いを詰めてきた。
どうにも剣持の動きが固い、というか慎重だな。
これでは計画通りにいかない。
ならばここはこちらから打って出てみるか。
俺はガードを固めて前方の剣持を見据えた。
その端正な顔は様子を見るようにこちらを凝視している。
俺は覚悟を決めて前へ出た。
二人の身体が接近した。
俺はいきなり左右のワンツーパンチを前方に突き出した。
そのワンツーパンチを剣持は、ガードを固めて受け止める。
俺は更にワンツーパンチを連打する。
回転力のあるワンツーを受けるたびに、剣持の身体が揺れた。
そこから俺は身体を外側に捻り、渾身の力を込めて右フックを打ち込んだ。
剣持はスウェイバックで、
そのフックを鼻先かすらせながら、ギリギリで躱す。
その反動で俺の体が右側に流れた。
そこから剣持は狙いすましたような左フックをダブルで繰り出す。
俺は打ち込まれる左フックをダッキングで躱して、
そこから突き上げるように左右のショートアッパーで剣持の顎を打ち抜いた。
左、右、左、右とアッパーが決まる。
剣持の腰がわずかに落ちかける。
剣持はそれを両足のふんばりで耐え、
バランスを持ち直して、右フックを振るい、
つづいて左フックを見舞った。
だがその両方とも俺は余裕をもって躱す。
その時、剣持の表情がわずかに歪む。
俺はその隙を逃さなかった。
俺は頭を振りながらステップインして、剣持の懐に入りこんだ。
それと同時に剣持が右アッパーをカウンター気味に放った。
ちっ、こいつの反応速度はやはり並じゃねえ!
だが俺もお前の試合の動画は飽きる程、観たから攻撃パターンは読めるぜ!
俺はその右アッパーを両手でブロックする。
ガード越しにも破壊力ある衝撃で俺の体が揺れた。
だが俺は両足を踏ん張ってその衝撃に耐える。
フックだけでなく、他のパンチも磨きがかかってるな。
流石、高校四冠王。 ならばこれはどうだ!
俺は渾身の力を込めて、左ボディフックを剣持のリバーに向けて放った。
そのパンチが命中すると、剣持の身体が九の字に曲がった。
そこから俺はワンツー、そして左右のフックを繰り出した。
連打、連打、連打、とにかく手を出し続けた。
大半はガードされたが、時折は綺麗に相手の急所を打ち抜いた。
だが剣持も負けじと、左ボディフックから左右のフックを連打で
放ってきた。 よし、よし、そうだ、その調子で左右のフックを出すんだ。
俺はその左右のフックをガード主体でブロックするが、
相手の打ち終わりに合わせて、左ジャブで剣持の顔面を強打する。
そして時折、バックステップして距離を取るが、
剣持が素早くステップインして、距離を詰めてくる。
その突進を左ジャブで食い止める。
サイドステップやバックステップ、あるいはサークリングを
繰り返して、剣持に左右のフックを出させながら、
的確に左ジャブをバシバシと顔面に打ち込んでいく。
すると剣持もやや落ち着きを取り戻して、
左ジャブで牽制してきたが、
それに対してオレは左ジャブを相打ちカウンターで返す。
お互いのジャブが顔面に命中するが、すぐに体勢を戻す。
そこからまた左ジャブ、あるいは左ジャブで相打ちカウンターを狙う。
夏にも使った戦法だが、予想以上に剣持が警戒している。
まあこの相打ちカウンターは諸刃の剣だが、
やる方もやられる方も精神的に疲弊するからな。
とにかく少しでも剣持に肉体的にも精神的にもダメージを与える。
こいつは心身ともに優れたボクサーだが、まだ俺と同じ高校生。
故にボクサーとしてはまだ発展途上だ。
いや技術面では既に完成品に近い部分があるが、
精神面に関しては、まだまだ完成には程遠い。
聞くところによると、剣持は生まれながらの金持ち。
故にこういうピンチや逆境には、意外と弱いのかもしれないな。
対するこちらは只の庶民、それに心が山猫レベルの凡人。
凡人が天才に勝つには、ありとあらゆる手を尽くす必要がある。
だから俺はこの試合に勝つ為には、虚栄心も自尊心も捨てる。
それが俺には出来て、剣持には出来ない強みだ。
剣持は高校四冠王、故に結果だけでなく、試合内容も求められる立場だ。
故に俺のようになりふり構わないで戦うことはできない。
ならばこちらとしては、ありとあらゆる手で剣持を揺さぶるぜ。
俺はそう思いながら、じわりじわりと摺り足で前に出た。
すると剣持が同様に摺り足で前へ出てきたが、
それと同時に1ラウンド終了のゴングが鳴った。
「チッ!」
剣持は聞こえよがしに盛大に舌打ちをした。
おっ? ムカついてる? 苛立っている?
いいねえ、もっとムカつけ、好きなだけムカつけ。
だが公平な目で見ても、今のラウンドは俺の方がポイントを稼いだろう。
残り二ラウンド6分。
俺は勝つ為には、手段は選ばないぜ。
剣持、残り6分間、俺にとことん付き合ってもらうぜ。
俺はそう思いながら、
少し口の端を持ち上げて自分のコーナーへと戻った。
次回の更新は2020年10月1日(木)の予定です。




