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第六十六話 敗者と勝者



 ……完敗だ。

 財前武士は控室の長椅子に腰掛けながら、沈痛な表情で項垂れていた。

 医務室で簡単な治療は受けたが、この後、念の為病院へ行く予定だ。

 


「財前、大丈夫か?」


「福山田監督、少し頭がぼうっとしますが一応大丈夫ですよ」


「そうか、でも念の為に病院へは行くぞ」


「はい、ところで監督。 奴――雪風が最後に打ったパンチが何か分かりますか?」


「ん? 俺の所からは死角になってたからな。

 何だ? 奴はなにか変わったパンチでも打ったのか?」


「ええ、なんか少し変わったモーションで打った右ストレートでした。

 喰らった瞬間、軽く意識が飛びましたよ」


 すると福山田監督は「う~ん」と唸った。


「どうやら奴は思った以上に良いボクサーのようだな。

 俺もお前も少し剣持にばかり気が取られていたのかもしれん。

 だがまだインターハイも国体もある。 だからそう気を落とすな」


「……ええ」


 その時、控室のドアががちゃりと開いた。

 それと同時に室内に柑橘系の香水の匂いが漂った。

 栗色のストレートのロングヘアに黒いブラウスに

 黒のプリーツスカートという姿の妙齢の美人――財前貴美が弟に近づいた。

 そして胸の前で両腕を組み、やや見下ろす形でこう告げた。


「……残念だったわね、武士」


「う、うん。 ごめんね、姉さん。 醜態を晒して……」


 すると貴美は小さく首を左右に振った。


「いえ醜態とは思ってないわ。 ただやはり雪風は並みのボクサーでは

 なかったようね。 武士、彼が打った最後のパンチが何だか分かる?」


「……い、いや姉さんには分かるの?」


「ええ、多分あれはジョルトブロウの一種よ。

 でもそれだけじゃないわ。 パンチがインパクトする瞬間に

 少し内側に回転をかけていたような気がするわ」


「……そうか、流石は姉さんだ」


 と、財前は力なく笑った。


「まあ今回に関しては、相手が一枚上手のようだったようね。

 でも気落ちする必要はないわ。 彼は――雪風は強かった。

 それで武士、今後はどうするつもり?」


「……今後?」


「このままボクシングを続けるか、あるいはボクシングを辞めて

 ピアノに専念するか、あなたの好きな方を選びなさい」


 姉のこの言葉は少し意外であった。

 普段は異様に厳しいが、今回は妙に優しい。

 とはいえその優しさに甘えるつもりはない。

 だから財前は少し真顔になり、素直な気持ちを打ち明けた。


「そうだね、ボクはボクシングを高校で辞めるつもりだ。

 大学は東京の音大へ行くよ。 でもね、最後の公式戦が

 終わるまでは、ボクシング部に在籍するつもりだよ。

 もちろん合唱部の練習もちゃんとやるよ。 これがボクの素直な気持ちさ」


 すると貴美は満足そうに微笑みながら、弟に優しく語りかけた。


「そう、ならあなたの好きになさい。 それとこれからはもうわたしは

 あなたのやる事に一々口出しするのを止めるわ。

 わたしもあなたもそろそろ弟離れ、姉離れする時期なのかもね……」


「……姉さん」


「じゃあ武士、この後ちゃんと病院へ行きなさいよ。

 ではわたしはもう行くわ。 福山田監督、失礼致します」


「いえいえ、お疲れ様でした」



「……武士」


「何?」


「……さようなら!」


「……姉さん、さようなら」


 そう言葉を交わして、貴美は控室から出て行った。

 その後ろ姿を目で追いながら、財前はこう思った。


 ――そうだな、ボクも後、数年もすれば成人する。

 ――いつまでも姉に頼っているようじゃ男として半人前だ。

 ――だからこれから自分一人の足で歩いて行こう。



 と、思いながら口の端を持ち上げる財前。 

 すると福山田監督は財前の左肩に自分の右手をポンと置いた。


「じゃあ財前、そろそろ病院へ行くか?」


「はい!」


 そして財前は荷物を学校指定のスポーツバックに詰めて、

 無造作に背負いながら、福山田監督の後を追うのであった。



 リング上では男子ミドル級の準決勝の第一試合が行われていたが、

 観客席のパイプ椅子に座る剣持拳至は興味なさげに試合を観ていた。

 一応は顕聖学園けんせいがくえんのボクシング部の部活仲間が

 試合に出るから、表向きは応援しているふりはしているが彼の興味は別にあった。


 それは先程行われた男子ライト級の準決勝の第二試合に関してだ。

 

 雪風があいつ――財前だっけ?を倒したパンチが妙に気になる。

 暇潰しがてら、高みの見物を気取って二人の試合を観ていたが、

 全体的に見てなかなか高レベルの試合だった。

 とはいえ自分の牙城を崩すには至らない。


 そう思っていた矢先に雪風が財前をワンパンでKO。

 まあ奴はパンチ力あるから、そういう結果になる可能性も

 考えていたが、最後に放ったパンチがどうにも気になる。

 一瞬の出来事だったから、

 記憶が曖昧だが少し変わったモーションで打った右であった。


 野郎――雪風の奴、もしかしてこの大会用に編み出したパンチなのか?

 だがそれはそれで構わない。

 少なくとも奴が何かサンデーパンチを編み出したのは事実。

 しかし一度観れば充分だ。


 少なくとも自分なら本番で喰らうような真似はしない。

 本当に良いボクサーは初見で相手のサンデーパンチを見切るからな。

 と、剣持が一人思い更けていると近くから声が聞こえてきた。


「……くん、……もちくん」


「ん?」


 条件反射的に声のする方向へ視線を向ける剣持。

 するとそこには妙に既視感がある美少女が立っていた。

 艶のある黒髪の前髪を綺麗に切りそろえたロングヘア。

 整った顔立ち。 知性と冷気を帯びた切れ長の瞳。

 そしてつるりとしたおでこが良い感じでチャームポイントになっている。



「……あら? わたしの事を忘れたのかしら?」


「……もしかして氷堂……愛理か?」


 剣持は眼前の美少女にそう問われて、自信なさげにそう答えた。

 すると眼前の美少女は、にこりと笑ってこう告げた。


「あら、覚えていてくれたの? 光栄だわ」


「あ、ああ……まさかこんな所で会うとはな」


「偶然じゃないわよ。 わたし、個人的に興味があって

 この大会を観に来てるのよ」


「そうか、アンタ……氷堂はボクシングに興味があるのか?」


「いえ、ボクシング自体は然程、興味がないわ。

 興味があるのは剣持くん、あなた。 それとあなたの明日の対戦相手よ」


「……明日の対戦相手? もしかして雪風を知ってるのか?」


「ええ、知っているわ。 というかわたしも帝政学院の生徒なのよ。

 まあ彼は普通科で、わたしは特進科だけどね」


 なる程、言われてみれば納得だ。

 帝政学院は東京都の私立の共学校の中では上位に位置する。

 というかもし自分がずっと東京に住んでいたら、

 帝政学院に進学していただろう。


「なる程ね、しかしお前さん。 綺麗になったな」


「っ!?」


 氷堂は剣持の予想外の言葉に少し頬を赤くした。

 でもそれを悟られたくないのか、あえて憎まれ口で返答する。


「へ、へえ~。 あなたも成長したわね。 お世辞も上手くなったのね」


「お世辞じゃねえよ、俺は思ったまま言ったまでだ」


「っ!?」


 またしても予想外の言葉に胸をきゅんとさせる氷堂。

 しかし氷堂は理性を働かせて、それにぐっと耐えた。


「……どうかしたのか?」


「い、いえ何でもないわ」


「しかしこうしてアンタと再会するとはなあ。

 懐かしい、というより妙な気分だ」


「ええ、それはわたしも同じよ」


「それで俺に何か用かい?」


「いえ久しぶりにあなたと会話してみたくなったのよ」


「そうか、じゃあ一つ聞いていいかい?」


「何かしら?」


「奴――雪風は学校でどんな感じなんだ?」


 少し意外な質問だったので、しばらく黙考する氷堂。

 そしてやや探りを入れるようにこう答えた。


「そうね、なんか変な人ね。 ちょっと、いやだいぶ変わってる男子ね。

 でもなんでもそこそこにこなすタイプの人だわ」


「そうか、なんとなく俺のイメージ通りの答えだな」


「……剣持くんも雪風くんを意識してるの?」


「まあな、野郎には昨年の夏に初黒星をつけられたからな。

 だから明日の決勝戦は良い雪辱の機会と思ってるぜ」


「そう、なら明日の決勝戦は見逃せないわね」


「ああ、派手なRSC勝ちを見せてやるよ」


「期待しているわ。 それじゃわたしはこれ――」


「あ、ちょっと待ってくれ!」


「……何かしら?」


「良かったらラインのID交換しないか?」


 少し意外な申し出だった。

 なので氷堂は真意を探るべく、こう問うた。


「別にいいけど、あなた。 わたしとラインしたいの?」


「あ、ああ……ダメか?」


「別に駄目じゃないわよ。 了解、ID交換しましょ!」


「あ、ああ」


 そして二人は手際よくラインのIDを交換した。

 試しにテスト送信してみたが、無事相手にメッセージが届いた。


「じゃあ、もう用はないわね? 今度こそ行くわよ?」


「……この際だからメールや携帯番号も交換しないか?」


「それは駄目!」


 と、氷堂はきっぱりと拒否した。

 すると剣持はやや動揺した感じでこう言った。


「え? 何でだよ?」


「わたし、そんなに軽い女じゃないから!

 でもラインくらいならしてあげるわよ。

 だけどあんまりしつこくメッセ送らないでよね。

 そういう時は即ブロックするから!」


「あ、ああ……分かったよ」


「じゃあね、剣持くん。 またね!」


「ああ、またな!」


 そう言って氷堂は踵を返した。

 剣持はその後ろ姿を目でしばらく追った。

 まさかこんなところで彼女と再会するとはな。

 しかし随分と綺麗になったな。


 まあ小学生の頃から飛び抜けて可愛かったが、

 歳を重ねて、更にその美しさに磨きがかかった感じだ。

 彼女がどういうつもりでボクシングを観に来ているかは分からない。

 だが彼女の前で醜態を晒すわけにはいかない。


 ――悪いな、雪風。

 ――明日の試合は勝たせてもらうぜ。

 ――初恋の人の前で負ける訳にはいかないからな。


 剣持はそう決心を固めて、口の端を持ち上げた。

 だが次の瞬間、彼女にどんなメッセージを送れば

 いいかと頭を悩ませた。 天才などと言われているが

 彼もまた十七歳の思春期の少年なのであった。




次回の更新は2020年9月29日(火)の予定です。



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