第三十二話 無駄に高スペック
「あなたには、この議事録の文章をワード文書で
書き写してもらいたいのよ。 できるかしら?」
と、試すような目つきで俺を見る氷堂。
議事録ってあれか。 会議内容を文字でまとめた記録だよな?
この機種はwin10か。 うん、Macじゃねえなら大丈夫だ。
とりあえず俺は椅子に座り、机の上のノートパソコンの電源を入れた。
「議事録って分かるかしら?」
「ああ、会議の内容の文字による記録文書みたいなもんだろ?」
「へえ、意外。 分かるのね」
と、くすりと笑う氷堂。
う~ん、これはアレのようだな。
試すとかいうより、単なる俺に対する嫌がらせのつもりだろう。
どうせこの女はボクシング部員なんて脳味噌筋肉。
パソコンなんて触った事もないでしょ?
とか思っているんだろう。
だが残念。
最近のプロやアマのボクシングジムはネットにも対応している。
ジムによっては、なかなか高レベルのホームページを持ってたりする。
というか我が帝政ボクシング部のホームページもそこそこ良い出来だ。
更に加えるならば、その作成を俺が一部手伝ってたりする。
なのでワード文章で文字を書き写す作業なら、片手でも出来る。
俺はパソコンが立ち上がるなり、高速でワード文書を開いた。
かたかたかた。
そして高速でブラインドタッチしながら、文字を打ち込む。
「えっ? あなた、ブラインドタッチできるの?」
あからさまに驚く氷堂。
なんすか、その眼?
まるで原始人がパソコン使えたみたいな反応はやめて欲しいね。
こう見えて、俺は中一からパソコンをいじってるからな。
ワードだけでなく、オフィスソフトはそれなりに使えたりする。
でもそういう反応は嫌いじゃないぜ、氷堂さんよ~。
「ん? いや常識っしょ? ふふん♪」
俺は鼻歌交じりにそう答えた。
「そ、そう。 意外にやるわね……」
少し悔しそうな氷堂。
いいね、その表情。
苦悶の表情の美人ってのも悪くないね。
かたかたかたかた。
俺は更に高速でタイピング、速く速く、もっと速く打つ。
そして二分後には、全ての文字を打ち込めた。
だがこれで安心しない。
文字の入力ミスがないか、一分くらいかけて入念にチェック。
こういう女は必ず上げ足を取ってくるからな。
だからそんなミスはしないぜ。
「……できたっス。 これでいいっスか?」
「ええ、今確認するわ」
と、俺の横から氷堂がパソコンを覗き込む。
というかちょっと近いんですけど~、
いやあ俺はいいんスけど、後で「セクハラだわ!」
とか言って逆切れしないでくださいよ、姐さん。
「へえ、フォントも見やすいし、これで問題ないわ。
ところで聞いていい? 何処でパソコンの使い方を覚えたの?」
なんすか、その質問は?
そんなに意外っスか? でも不思議と悪くない気分だ。
「いやあ、ウチの親父がパソコン好きでね。
だから中一の頃から、親父のお下がりのノートパソコンを
貰って、勝手にいじってたら覚えた、みたいな感じだよ」
「へえ、ちなみにお父様のご職業は?」
「ん? ああ、確か出版社の編集員だったと思う。
いや実のところ俺もよく知らないんだけどね」
「何よ、それ? でもあなた見かけによらず無駄に高スペックね。
でも少し気にいったわ。 ついでに他の書類の書き写しも
お願いしていいかしら?」
なんか先程までとは、氷堂の雰囲気が違うな。
もう意趣返しする、という感じでもなさそうだ。
多分単純に俺に仕事を任せたいのだろう。
俺も美人の願いは極力叶えたい。 (変態)紳士だからな。
だから俺は二つ返事で引き受けた。
「いいっスよ」
「だから同級生なのに無理に敬語を使わなくていいわ」
「そうだね、了解!」
そう言って氷堂は新たに五枚の書類を手渡してきた。
五枚かあ。 少し多めだが、これくらいなら問題ない。
そういう訳で、再びパソコンの前で格闘。
「雪風先輩! 苗場先輩を保健室に連れていきましたよ。
どうやら神経性の胃痛らしいです。 少し休んだら――
へ? 雪風先輩がブラインドタッチしているっ!?」
な、なんだよ、竜胆。 お前まで大袈裟に驚くなよ?
というか少し失礼だぞ。 まあ俺は寛大だから気にしないがな。
「おう、竜胆。 お疲れさん」
「ええ、お疲れ様。 というか雪風先輩ってパソコン使えるんですか?」
「……俺がパソコン使えたら、そんなにおかしいか?」
ちょっとむっときたので、口調も自然と刺々しくなる。
「い、いえ……でも意外だったので! というか先輩って
実は高スペックですよね。 学業成績も良い方、ボクシングは強い。
おまけにパソコンまで使える。 もしかして先輩って凄い人?」
悪意はねえんだろうが、地味に失礼な事を言ってるな。
こう見えてラノベ以外の小説も読むし、歴史も近代史には
かなり強いんだぜ? なにせ中二の頃に小説投稿サイトで
熱血ボクシング小説を書いてたこともあるんだぜ?
まあブクマ3件しか入らなかったけど。
「逆に聞くが竜胆はパソコン使えないのか?」
「私は全然です。 スマホに特化している感じです」
まあある意味最近の女子高生らしいな。
「そうか。 でもワードとエクセル、ついでにパワポぐらいは
使い方を覚えておいても、損はねえと思うぞ?」
「あ、ワードとエクセルは聞いた事あります。
でもパワポはありません」
「実は竜胆って脳筋系女子高生?」
「な、なんですか? その失礼な言い方は!?」
「いや竜胆も俺がパソコン使える事にすんげえ
驚いてただろ? だからちょっと意地悪してみた」
「あははは、雪風先輩って面白い~」
楽しそうにけらけらと笑う竜胆。
だが次の瞬間に弛緩した空気を引き締めるように――
「そこ! 無駄話をしない!!
雪風くんもさっさと仕事して頂戴!!」
と、氷堂が俺達を叱責した。
「す、すみませんっ!!」
「……了解、仕事に集中するね」
すると氷堂はこちらを見ながら「ふん」と鼻を鳴らした。
なんだ、何で急に不機嫌になったんだ?
あの程度のお喋りくらい、いいっしょ?
とも言える雰囲気でもないな。 ……仕事に集中しよう。
五分後。
とりあえず書類の文書は全部綺麗に書き写した。
三分くらいかけて、ミスがないか入念にチェック。
うん、問題ないな。 完璧だ。
「氷堂さん~、全部終わりました」
「そう、なら確認するわ」
再び氷堂が俺の隣に立ちパソコンを覗き込む。
「ええ、問題ないわ。 これでいいわよ」
「そう、んじゃ今日はこれくらいで終わりでいいかな?」
教室にある壁掛け時計を見ると、既に夕方の五時を過ぎていた。
なんかこのまだだと延々と仕事を任されそうだからな。
きりのいいところで撤退するぜ。
「そうね、今日はこれくらいで終わりましょうか。
明日もよろしくお願いします。 お疲れ様でした」
氷堂がそう号令をかけるなり、文実メンバーが口々に
お疲れ様と言って、席を離れていく。
「んじゃ苗場さん、竜胆。 良かったら途中まで一緒に帰らない?」
「うん、いいよ」
「同じく!」
そう言って俺達も教室を後にしようとしたが――
「ちょっと待って」
と、氷堂に呼び止められた。
俺は声がした方向に視線を向けた。
すると氷堂が胸の前で両腕を組みながら、こちらを見ていた。
「ん? まだ何か用があるの?」
「雪風くん、今は右手を怪我して、部活にも出てないのよね?」
「うん、そうだけどそれがどうしたの?」
「だったら時々でいいから、文実の仕事を手伝ってもらえないかしら?
もちろん基本的にクラスの出し物の方を優先していいわ。
でも時々でいいから、手伝ってもらえると私としても助かるわ」
まあ部活の方はまだ本格的な練習はできない状態だが、
俺としては、苗場さんに余計な仕事が押し付けられないかで
手伝ってるだけだからなあ。 でも氷堂みたいな才女に
こういう風に頼られるのは、やはり悪い気分はしない。
「うん、まあ時々ならいいよ」
「そう、ありがとう。 ならさっきの暴言は許してあげるわ」
ん? 暴言? ああ洗濯板発言か。
まだ気にしてたのね。 ならここは素直に謝っておくわ。
「いや俺も調子こいて、酷い事を言って悪かったよ。
確かに人の身体的特徴を馬鹿にするのは、良くないね。 ごめん」
すると氷堂はその切れ長の目をぱちくりさせて、驚いた。
「……意外だわ。 そんなに素直に謝るなんて」
「いや悪いことをしたら、謝るべきっしょ?」
「あなた、少し変わってるわね」
「そう?」
「ええ、普通の男子とは少し違う」
それは誉め言葉なのか?
でも氷堂が俺に対して、何らかの興味を抱いたんだろう。
それはある意味光栄なことだが、それと同時ある種の負担になる。
この才女に認められる為には、常に実績を示す必要がある。
この氷堂愛理という少女は、恐らく他人だけでなく自分にも厳しい。
でなければこの進学校である帝政学院で、
常に学年一位の座には君臨できない。
恐らく陰でかなり努力してるのだろう。
だから氷堂は無自覚のうちに、他人にもそれ相応の能力を求める。
今日一日会っただけの印象だが、そう大きくは外れてないだろう。
だが俺としては、そこまでして氷堂と仲良くなりたいとは思わない。
俺の第一目標はあくまで苗場さんの負担を減らす事だ。
というわけで氷堂は程よい距離を置くつもりだ。
「自分ではよく分かんないなぁ~? それに多分買いかぶりだよ?」
「……まあいいわ。 じゃあ時々は文実の仕事を手伝ってね。
雪風くん、それじゃあ、さようなら」
「うん、またね」
「お疲れ様」「失礼します」
そう言うと氷堂は踵を返して、この場から去った。
なんというかアレだな。
うん、あの女マジで『明日の翔』の黒木葉子に似てるわ。
笑えるくらい高慢なところとか、そっくりだ。
でも漫画では葉子みたいなキャラも嫌いじゃないが、
現実だと付き合うのは、結構疲れるな。
現に苗場さんが緊張気味の表情だ。
「ゆ、雪風君って本当に度胸あるわね。
あの氷堂さん相手にそこまで堂々できるのって凄い。
私なんかあの眼で睨まれただけで、胃が痛くなるわ」
「私もですよ~。 なんかあの人は私達とは色々レベルが
違う感じじゃないですか? でも氷堂先輩なんか雪風先輩に
興味を持ったみたいですよ?」
「あ、それは私も感じた」
「ですよね?」と、竜胆。
まあ俺自身少しそう思ったけどな。
しかし今の生活基盤は失いたくない。
なので俺はこの話題を変えるべく、こう言った。
「二人とも喉が渇いてないか? 俺が奢るぜ?」
「いいの?」
「いいんですか?」
「ああ」
そして俺は二人に校内の自販機のジュースを奢った。
すると彼女達も氷堂のことを忘れて、
何気ない日常会話で盛り上がった。
そうそう、これでいいんだよ。
俺はそんなに大きく望まない。
財閥だか、財団だかのご令嬢と山猫が釣り合うわけがない。
俺は今の環境で十分幸せだからな。
それを壊すつもりはない。
これが今の俺の偽りのない本音さ。
次回の更新は2020年5月27日(水)の予定です。