第十五話 すれ違う想い
キーンコーンカーンコーン。
「チャイムが鳴りましたので、午前の授業はここまでです」
二年四組の担任の英語教諭である飛鳥先生がそう言って、
午前中の授業が終了。
夏休みだと言うのに、部活に所属してない生徒の大半が
この夏期講習に参加していた。
かくいう神宮寺里香もその一人であった。
本心を言えば彼女も遊びたかった。
高二の夏といえば、女子高生にとって特別な時期だ。
女子カーストから外れた高校生活を送っているが、
やはり本音を言えば里香も彼氏が欲しかった。
だが残念ながら、それはなかなか叶わない。
何故なら彼女が恋焦がれる少年は、今は部活に夢中だ。
いや部活がなくとも、彼相手では満足な恋愛などはできそうにない。
見た目もそこそこ良く、頭もそこそこ良い。
運動神経もそこそこ良い。
なのに彼――雪風健太郎は女心というものをまるで理解していない。
もう一人の友人である来栖零慈が言うように
「恋愛偏差値13」レベルの男だ。
しかし彼には悪意はない。
なんというかやんちゃ坊主が高校生になった感じだ。
だからあの動物園デートでも自分を助けてくれた後に
軽くしかってくれたのだと思う。
普通の男子なら適当にあしらうだろう。
だが彼は女子相手にも本当に言うべき事は言う。
彼女は健太郎のそういう部分に惹かれたのだ。
だがあの男は意外にモテる。
本人はまったく自覚ないが、
彼は口さえ開かなければそこそこ良い男だ。
あの幼馴染の女生徒やあの後輩の女子だけでなく、
健太郎の事を褒める女子もそこそこ居る。
ただしそれは彼とあんまり面識のない三年生や一年生に限られる。
実情を知る二年生からは珍獣、
あるいはアンタッチャブルな扱いだ。
なにせ年頃の女子高生と遊ぶと言うのに、
女の子が行きたい所より、
自分の行きたい所を優先する男なのだ。
しかも動物園、いや動物園が悪いとは言わない。
実際に行ってみれば、結構楽しかった。
でもあくまで結構である。
でも本音を言えば、やはりディティニ―ランドに行きたかった。
これに関しては零慈も否定気味だったのは、気に食わない。
おまけに動物園に行きたい理由が「山猫を観たい」だ。
一体どういう神経をしてるんだろうか?
思い出したら、少しムカついてきた。
だが山猫を観て、無邪気にはしゃぐ彼の顔を見ると何故か許せた。
なんというか彼は――雪風健太郎はあまり自分を飾らない。
高校生と言えば何かと自分と他人を比べる時期だ。
勉強、スポーツ、容姿、恋愛。
里香自身も中学の途中までは、それに異様に拘った。
イケてる、可愛いは絶対的な正義。
ダサい、可愛くない、ブス、キモい。
それは女子にとって禁句だし、
自身がそうならないように懸命に自分磨きに専念した。
そういうわけで中学時代の里香は女子グループの
カースト最上位に居た。 当時はそれを鼻にかけていた。
しかしそれもあっさり崩壊。 理由は実にくだらない。
同じ女子グループの女の子が好きな男子が
里香の事を好きという事で、色々トラブルが発生。
正直あの件に関しては、あまり思い出したくない。
そして中三の夏には里香はクラスで孤立した。
でもそれはある意味彼女の転機となった。
元々、学業成績は良かったので、
夏から帝政の入試まで徹底的に勉強した。
その甲斐もあって、見事に合格。
今度こそはトラブルを起こす事無く華の高校生活を送るんだ。
と思って入学したが、里香が想像していた以上に
帝政の女生徒は真面目な子が多かった。
周囲の女子と里香とはあまり会話が合わなかった。
後、里香の外見的イメージから好奇な目で見る男子が多く、
わりと鬱陶しかった。 入学直後に何度か同学年や
上級生の男子から告白されたが、全て丁寧にお断りした。
なんだが想像していた高校生活と違う事に、
里香は軽い苛立ちを覚えた。
そんな時に出会ったのが、雪風健太郎と来栖零慈である。
実は言うと最初は単純に来栖零慈の容姿に惹かれた。
だから健太郎とは、
零慈の友人として仲良くしてたにすぎない。
だが来栖零慈は異様なナルシストであった。
また本人はそれを隠そうともしなかった。
だがそれでも零慈の容姿は魅力的だった。
でも自分と話している彼の目は笑ってなかった。
彼は自分に心を開いていない。 いや自分だけじゃない。
殆どの人間に心を開いていない。 でもコミュ力は高く、
トークスキルは高いので、誰とも揉める事がなく
一歩距離を置いた人間関係を構築できていた。
だがその零慈が唯一心を開いていたのが、
友人である雪風健太郎だ。
最初の頃、里香にはそれが理解できなかった。
確かに健太郎はそこそこイケている男子だ。
容姿はそこそこ良い。 頭もそこそこ良い。
運動神経もそこそこ良い。
よく知らないが、ボクシングは結構強いらしい。
でもそれ以外はてんで駄目だ。
まず空気が読めない、というか読もうとすらしない。
後、基本的に我儘。 ノリと勢いだけで生きている。
そのくせ興味ある事への拘りは無駄に凄い。
なんというか勘違い系男子の典型例だ。
里香は最初そう思っていた。
だから率直に零慈にこう訊いてみた。
「ねえ、零慈は健太郎の何処が気にいったの?」
すると零慈は微笑を浮かべて、こう答えた。
「そうだねえ。 ありのままの姿で居るところかな?」
思わず「は?」と言いそうになったが、なんとか堪えた。
ありのままというか、
小学生みたいな男子が乗りだけで騒いでるだけじゃん。
しかしそれを口にすると、
零慈との関係に罅が入るのは明白だった。
だから納得がいかなかったが、
零慈の言葉を辛抱強く訊いた。
その会話内容は今でも覚えている。
「俺達、高校生くらいの男女って
基本的に自分と他人を比べるよね?」
「う、うん。 まあ……そうだよね」
「でもなんというか健太郎はそういう
他人の視線を気にしないんだ」
「いや……それ周囲の空気を読めてないだけじゃない?」
「ああ、俺も最初はそう思ったよ。
でも健太郎はあれで意外と気が回る男だよ」
「……そうかな?」
「まあ確かに結構分かりづらいけど、深く付き合えば、
きっと里香にも健太郎の良さが分かるよ」
「ふうん」
みたいな会話を交わしたが、正直半信半疑だった。
でもよくよく注意深く観察してみると、
そういう部分は確かにあった。
実のところ零慈は母子家庭で、
彼の家の経済事情はあまり良くない。
だから彼はちゃんと学校の許可を取って、
放課後にアルバイトをしている。
自分の小遣い銭と大学へ行く為の学費は、
自分で稼ぎたいとの事である。
だから里香もそうほいほい零慈を遊びに誘う事は無理だった。
そして健太郎もそれらの問題に関しては、
神経を使って発言をしていた。
同情するわけでもなく、零慈の行動を肯定も否定もしなかった。
ただこう一言だけ告げた。
「まあ俺も部活あるし、そこそこ忙しいけど、
暇な時は一緒に遊ぼうぜ」
それを零慈は「ああ、そうだな」とだけ答えて、
微笑を浮かべた。
相手を受け入れながらも、
自分の意見や価値観は押し付けず、ただ見守る。
なる程、こういうのが男の友情ってやつか、
と里香はある種の感銘を受けた。
自分が中学の頃は、男は女が絡めば、
女は男が絡めば友情など一瞬で壊れた。
裏切られた時はやっぱり傷ついた。
だから里香はそれ以降、他人と距離を置いて付き合っていた。
でもこの二人なら自分を曝け出しても、受け入れてくれる。
そう思って、里香は少しずつ健太郎や零慈に心を開いていった。
すると健太郎と零慈も前より距離を詰めて、
自分と付き合うようになった気がする。
その時、里香は感じた。
――ああ、結局私は自分が傷つくのが、怖くて臆病になったんだ。
――だから少し斜に構えた態度で周りと接していたんだ。
――でも一人はやっぱり寂しい。 だからこの二人に近づいた。
――そういう面倒くさい自分はあまり好きじゃない。
――でもこの二人はそれを受け入れてくれる。
――うん、だからこの二人とはもっと仲良くしたい。
そして零慈に誘われて、健太郎の試合の応援に付き合った。
本音を言えばあまりボクシングに興味なかった。
スポーツとはいえ殴り合いを見るのは、
あまり好きじゃなかった。
だから冷やかし半分で健太郎の試合を観たが、
リング上の彼はとても輝いていた。
素人の自分が見てもわかるくらい、彼は強かった。
周囲のボクシング関係者らしきおじさん達が――
「ありゃあ、凄い右を持ってるなあ。
うちの大学に欲しいかも」
「ああ、顔も悪くないし、メディア受けも良さそうだな」
「剣持といい、この世代は粒ぞろいだな」
みたいな事を言ってて、素直に驚いた。
――ええっ!? 健太郎ってそんなに凄かったの!?
それが里香の率直な感想だった。
正直何処かで彼を甘く見ていた。
しかし当の本人は――
「おお、来栖と里香も観に来てくれたのか。 嬉しいぜ!」
と、無邪気な笑顔で笑った。
普通の男子なら少しは自慢するだろうが、
健太郎にはそういう部分はなかった。
自分の勝利よりも自分を応援にしにきた友人に喜ぶ。
この時、里香は確かに零慈の言う通りかもしれないと思った。
里香が健太郎に興味を抱いたのは、その頃からかもしれない。
そして一年が過ぎた。
三人は仲良く同じ文系進学コースを選んで、
同じクラスになった。
今では三人は本当に仲良しだ。
お互いの言わんとする事や求める事が阿吽の呼吸で分かる。
いや健太郎に関しては、時々分からない。
今の彼の思考は全てボクシングに注がれているようだった。
少なくとも大会が終わるまでは、そうであろう。
「ふう」
里香は食べ終えた弁当箱を鞄にしまってから、ため息をついた。
すると向こうの方から、零慈がやってきた。
「里香、どうしたの? ため息なんかついて」
「いや夏休みなのに退屈だなあ~って思っただけ」
「まあこう毎日毎日夏期講習があると、そう思うよね」
「ほんとそれ!」
「あははは、ご機嫌斜めだね。 ん?」
「ん? 零慈、どうしたの?」
「いやここから校庭見てみたら、健太郎が凄い速さで走っている」
「え? どこ、どこ?」
「ほら、あそこ」
零慈が指さす方向に視線を向けると、
確かに健太郎の姿があった。
夏場だというのに、上下に黒いジャージを着て、
全速力で校庭を走っている。
「うわああ、凄いなあ。 健太郎、気合入ってるなあ」
「……ボクシングってそんなに面白いかな?」
「さあ、どうだろ?
ただ健太郎は借りを返したい奴が居るみたいだよ」
「ふうん、なんか漫画みたい。 健太郎っぽい理由ね」
「里香。 まだ二十分くらい休みあるし、
ちょっと健太郎に会ってきたら?」
「……そうね。 ちょっと行ってくるわ」
正直会っても何を話していいか分からない。
でも最近は健太郎と話してない。
だからとりあえず彼に会ってみたい。
という自分の気持ちに素直になり、
里香は教室を出て、校庭目指して速足で歩き始めた。
里香が校庭についた時、
校庭の南側のグラウンドで健太郎が仰向けで倒れていた。
全身汗だらけだ。 心配になって駆け寄る里香。
「ちょ、ちょっと健太郎! だ、大丈夫!?」
「ハアハアハァ……」
「……ホントに大丈夫?」
「……ピンクか」
「え? 何……ってあんたまさかっ!?」
健太郎は地面に仰向けの状態。
そして里香のスカートは通常より短い。
そしてピンクという単語。
結論、健太郎が里香のスカートの中を覗いた。
「ちょ、ちょっとアンタ!
どさくさに紛れて何を覗いてんのよ!?」
当然ブチ切れる里香。
しかし健太郎は涼しい顔でこう言った。
「覗いたわけじゃねえ。 勝手に見えただけさ」
「し、死ね! マジで死ね!」
里香は顔を真っ赤にしながら、
右足で健太郎の腹を踏もうとした。
しかし健太郎はごろりと素早く寝がえりを打ち、
里香の攻撃を回避。
そして地面から起き上がって、「甘いぜ」と叫んだ。
「な、なっ!? 逃げるな! ちゃんと罰を受けなさいよ。
というか無駄に凄い動きしてんじゃないわよ!?」
「ハハハッ……俺はボクサーだからな。
これくらいの動きは朝飯前よ」
なんだか頭痛がしてきた。 一体何なんだろう、この男は。
本当にどうしようもない。
「……で? 里香、俺になんか用か?」
「しれっと話題を変えるな! 私はまだ許してないわよ!」
「何を?」
「だ、だから私のスカートの中、
覗いた……ああっ! もういい」
「もういいんだな。 じゃあそんな事より楽しい話しようぜ」
「そんな事より!?」
里香はくわっと両目を開いて、健太郎を睨みつけた。
すると流石の健太郎も少し気まずそうな表情で視線を反らした。
「わ、悪かったよ? そ、そんなに怒るなよ?」
「零慈に言ったら、殺すからね」
「わかった、わかった。 で真面目な話、何か用か?」
「いや最近健太郎と喋ってないし、ちょっと話そうと思ったの」
「そうか。 悪いな、最近部活で忙しくてな」
「試合はいつから始まるの?」
「日曜日に開会式があって、その翌日の月曜日からだよ」
「ふうん、会場は神奈川なのよね?」
「おう! 横浜の横浜中央体育館が会場だぜ」
「零慈も来週はシフト空けてるらしいから、二人で応援に行くよ」
「マジ! 嬉しいね!」
「……最近の健太郎はマジで頑張ってるもん。
だからその頑張っている姿を目に焼きつけておきたいの」
それは傍から見ていても分かる。
でも自分には応援以外何もしてあげられない。
だから健太郎が一生懸命に戦う姿くらいは、生で観ておきたい。
「そうか。 里香、ありがとうな」
「ううん、私にはこれくらいしかできないもん」
「里香」
健太郎が珍しく真顔でそう里香の名を呼んだ。
「何?」
「今度の大会、優勝は無理かもしれないが、
俺は本気で戦うよ。 どうしても勝ちたい奴が居るんだ。
でも大会さえ終われば、俺も夏期講習に参加するし、
また三人で遊ぼうや」
「……うん、分かった」
そう言う健太郎の顔は妙に凛々しかった。
どうしてずっとこんな感じでいられないんだろうか?
そうすればもっと女受けも良くなるであろう。 でもまあいいか。
これが素の健太郎だし、
常にカッコいい健太郎はなんかキャラ的に違う気がする。
「じゃあ、午後の授業もあるから、私はもう教室に戻るね」
「ああ、しっかり勉強しろよ!」
「五月蠅いわね。 アンタは親かよ!」
里香はそう言いながら、踵を返した。
里香の後姿をしばらく目で追う健太郎。
そして誰に聞かせるわけでもなく、こう呟いた。
「里香。 俺の戦う姿をよく見ててくれよ。 俺、本気を出すから!」
そして迎えた日曜日。
いよいよインターハイの開幕である。
この日の為に健太郎達は練習に励んできた。
それぞれが異なる思いを秘めながらも、目指す目標は同じ優勝。
戦いの幕が今静かにあがろうとしていた。
次回の更新は2020年5月4日(月)の予定です。