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第四十二話 ミックスアップ(後編)


---三人称視点---



「ああっと! アッカーマン、ダウンだぁっ!!

 これは効いている、アッカーマン! 立ってるのか!?」


 解説席の実況アナウンサーがそう叫ぶ中、

 アッカーマンはカウント・エイトまで休んでから、

 震える両足で強引に立ち上がった。


 だが見るからにダメージは深かった。

 そして試合再開と同時に拳至が一気に間合いを詰めた。

 拳至はこのチャンスを逃すまいと、

 左右のフックでアッカーマンを攻め立てた。


 アッカーマンは力強い左右のフックを受ける度に身体を震わせた。

 この窮地を脱するには、クリンチを仕掛けるべきであったが、

 アッカーマンの自尊心プライドがそれを許さなかった。


 それを悟った拳至もボディ中心の攻めに切り替えた。

 拳至のボディフックが決まる度に、

 アッカーマンは腰を落としかけるが、気力でそれを防いだ。

 そして防戦一方になった所で、第九ラウンドが終了。


 悠然と青コーナーに戻る拳至。

 対するアッカーマンは呼吸を荒くしながら赤コーナへ戻った。


「……大丈夫か!?」


 セコンドのグスタフが思わずそう叫んだ。

 するとアッカーマンは苦しげな表情で「ああ」と小さく頷いた。

 リング上でこんな苦しそうなカールを見るのは初めてだ。

 と、トレーナーのグスタフ・アーベントロートは思いながら、

 アッカーマンのマウスピースを外し、水でうがいをさせた。


「……カール、次のラウンドが正念場だ。

 恐らくケンモチは仕留めに来るだろう。

 だからここはプライドを捨てて、クリンチするんだ」


いやだ(ナイン)。 クリンチはしない!」


「カール、ここは妙なプライドは捨てるんだ」


いやだ(ナイン)。 俺は誇りを捨ててまで勝ちたくない。

 でもね、グスタフ。 俺はまだ負けるつもりはないよ?」


「……何か策があるのか?」


 と、グスタフ。


「ないよ。 だが俺にはゲルマン魂が残されている。

 苦しい展開となったが、俺はまだまだ戦えるぜ!」


「……そうか、ならばもう何も云うまい」


 グスタフはここにきて、アッカーマンを信じる事にした。

 結果的にこの決断が試合の勝敗を分ける事となった。

 一方の青コーナーはセコンド陣が明るい表情で拳至を迎えた。


「いいぞ、剣持! もう少しで勝てるぞ!」


 本山会長が笑顔でそう言った。

 だが拳至は表情を緩めず、真剣な表情で応じた。


「いえ、まだ油断は出来ません。

 一流のボクサーはここから持ち直しますから!」


「その通りだ。 いいか、剣持!

 次のラウンドが恐らく最後のチャンスだ。

 アッカーマンは次のラウンドを乗り越えたら、

 恐らく生き返るだろう。 だから顔面に左ジャブ。

 そしてボディに左フックとボディアッパーを叩き込め!」


 いつになく真剣な顔で松島がそう指示を出した。

 そして拳至も松島と同じ気持ちであった。

 

「はい、次のラウンドで必ず仕留めます」


「その意気だ! だから今はゆっくり休め!」


「はい」


 そして松島は拳至のマウスピースを水で洗った。

 それから本山会長と一緒に拳至の両肩を軽く揉んだ。

 本音を云えば、松島もかなりの興奮状態にあった。


 何せ勝てば四団体統一王者となるんだ。

 選手だけでなく、トレーナーとしてもそれは大変な偉業となる。

 だがだからこそ、冷静にならなくちゃ行けない。

 松島は必死に自分にそう言い聞かせた。


「……これで勝てば四団体統一王者なんスよね?」


「……ああ」


「まるで夢のようだ。 でも夢で終わらせるつもりはない。

 だから松島さん、次のラウンドはどんな事があっても

 タオルを投げないでくださいね?」


「……分かった」


「じゃあちょっくら本気出して来ますよ」


 拳至はそう言って、椅子から立ち上がった。

 その姿は実に悠然としていた。


 ――この男は本物だ。

 ――ならば俺もトレーナーとしてこの男を最大限にサポートする!


「自分が苦しい時は相手も苦しいんだ。

 さあ、最後の一踏ん張りだ、頑張って来い!」


「ええ、それじゃ行って来ます」


 そして第十ラウンド開始のゴングが鳴った。


---------


「ああっと! 剣持のラッシュだぁっ!

 アッカーマン、防戦一方だ。 いやここで打ち返した!」


 解説席の実況アナウンサーが興奮気味に叫んだ。

 また会場の観客もこの試合を賞賛すべく、大歓声を送る。

 だが次第に持ち直すアッカーマン。

 その前に仕留めようとラッシュする拳至。


 両者は闘志を奮い立たせて、

 自分の持てる力量と技量を最大限に奮う。

 だがやはり先程のダウンが効いているのか、

 試合の流れは徐々に拳至に傾いた。


 拳至は松島の教え通り、

 左ジャブを顔面に、左ボディフックとアッパーをボディに叩き込んだ。

 すると次第にアッカーマンの両ガードが下がり気味になる。


 ――まだだ、まだ終わりじゃない!


 だがアッカーマンにも意地があった。

 それはボクサーとして、誇り高きドイツ人としての矜持であった。

 彼は自分の為だけに戦っていない。


 彼は自分の試合で他者を勇気づけようとするタイプの王者。

 そして実際に多くの者が彼に勇気づけられていた。

 だからアッカーマンは絶対に試合を投げなかった。


 拳至のパンチを浴びながらも、

 時折、相打ち覚悟で拳至の顔面に左ジャブを叩き込んだ。

 だが拳至もすぐに打ち返す。


 激しい打撃戦が続いた。

 観客の興奮は最高潮に達して、

 両者を讃えるべく、大歓声を送った。


 だが拳至だけでなく、アッカーマンも驚異的な粘りを見せた。

 序盤こそ防戦一方であったが、徐々に相打ち、カウンターで

 左ジャブで拳至の顔面を強打する。


 すると拳至の左瞼が急に腫れだした。

 急速に拳至の左眼の視覚が奪われ始めた。

 そしてアッカーマンはその死角を突いて、

 カウンターを拳至に打ち込んだ。


 拳至は途中でレフェリーに呼び止められて、

 ドクターチェックを受けた。


「……とりあえず試合は再開させるけど、

 これ以上傷が広がるなら、試合を止めるよ?」


「……はい」


 拳至は呼吸を乱しながら、ドクターの指示に小さく頷いた。

 これで中間距離での打ち合いも厳しくなった。

 ならば最後の勝負をかけるべく、接近戦を挑むしかない!


 そして試合再開と同時に拳至がアッカーマンに接近する。

 アッカーマンも左ジャブを打ちながら、

 フットワークを生かして、接近戦を避けようとするが、

 拳至は左ジャブを被弾しながら、強引に距離を詰めた。


 そしてそこから狂ったように、左右のフックを振り回した。

 強引過ぎる攻めであったが、

 まだ両足が完璧ではないアッカーマンには有効な策であった。


 いや策ではなかった。

 兎に角、もう無我夢中で戦っていた。

 正直、試合の後の事など何も考えてなかった。


 ただ今この瞬間を全力で闘う!

 それだけが二人の支えであった。


「……凄いね、剣持は」


 観客席でこの死闘を見据えながら、来栖零慈がそう一言呟いた。

 すると彼の左隣に立っていた雪風健太郎も大きく頷いた。


「……ああ、マジでスゲエよ」


「……俺、この試合観に来て良かったよ」


「……オレもだよ」


 零慈に言葉に同調する健太郎。

 そして別の観客席では氷堂愛理が両眼を瞑りながら、祈っていた。


 ――お願い、神様!

 ――どうか拳至くんを無事な身体で返して!


 女性の立場からすれば、もう試合を観るのは辛かった。

 だが愛理はこの場から逃げ出さなかった。

 自分には到底理解できない世界がここにはあった。


 正直云ってそれを理解しようとは思わない。

 だが愛する者が全力で戦う姿を観ると、

 何ともいえない気持ちが彼女の胸中に駆け巡った。

 だから彼女は試合の勝敗より恋人の無事を祈った。


 しかし不思議な事にリング上の両者は晴れ晴れとした気分で戦っていた。

 勿論、勝つ為に全力で相手を殴っていた。

 だが不思議と憎しみの感情はなかった。

 それどころか、相手に対する敬意が深まっていく。


 ――ケンジ・ケンモチ。 キミは素晴らしいボクサーだ。

 ――心の底からキミを尊敬するよ。

 ――キミのようなおとこと戦えた事に感謝するよ。


 ――でも俺も負けるつもりはない。

 ――この身体が動くまで、最後まで戦う。


 アッカーマンはパンチを受けながらも、内心でそう思う。 

 だがそう思った瞬間には、パンチを打ち返していた。

 対する拳至も似たような感情を抱いていた。


 ――スゲエな、コイツ!

 ――オレはコイツと戦えた事を誇りに思うぜ。

 ――オレ、やっぱりボクシング好きだよ。


 ――これが最後の戦いになってもいい。

 ――オレはこの試合に全てをかける!


 そして両者は再び激しく打ち合った。

 徐々に拳至の左瞼が、アッカーマンの顔が腫れ上がる。

 レフェリーは両者の姿を見据えながら、様子を伺う。


 そろそろ試合を止めるべきか。

 だがその見極めが非常に難しい。

 何故ならこのような状態でも両者は、

 闘志が揺らぐことなく、全力で闘っていたからだ。


 ――見極めが非常に難しい試合だ。

 ――だがケンモチの左眼はそろそろ限界だ。

 ――止めるとしたら、彼の左眼が完全に視界を塞いだ時だ。


 そして第十ラウンドも残り一分を切った。

 アッカーマンの執拗な左ジャブによって、

 拳至の左瞼がドンドンと腫れていく。


 だが拳至は怯む事無く、果敢に前へ出た。

 そして左フック、左アッパーでアッカーマンのボディを強打。

 執拗なボディ攻撃でアッカーマンも疲労の極致にあった。

 既に肋骨の一本に皹が入っている状態だが、それでも彼は耐えた。


 ――もうそろそろ限界だ。

 ――ならばここはケンモチの左眼を潰して、TKO勝ちを狙う。


 ロープを背負いながらも、アッカーマンはカウンターチャンスを待った。

 しかし拳至の手数は減るどころか、増していった。

 殴打、殴打、殴打、ひたすら殴打。


 防戦一方となるアッカーマン。

 だが僅かの隙を突いて、左ストレートをカウンターで合わせた。

 それが見事に拳至の左眼にクリーンヒットする。


 ぶしゅっ!!

 という音と共に拳至の左瞼から鮮血が流れ落ちた。

 すると拳至も一瞬、腰を落としかけた。


 ――今だ!

 ――ここでボラードを叩き込む!


 アッカーマンは余力を振り絞って、

 渾身の力を篭めて、ボラードを放った。

 このパンチが命中すれば、試合はこの時点で終了したであろう。


 だがその前に拳至は軸足を左足から右足に切り替えた。

 つまり右構え型(オーソドックス)から左構え型(サウスポー)に切り替えた。

 これは高校二年生の選抜大会で雪風健太郎が使ったスイッチ戦法と同じだ。


 あの試合以降、拳至はスイッチ戦法の練習を密かに重ねていた。

 そしてこの追い詰められた土壇場で、その隠し技を実戦投入した。

 拳至は左構え型(サウスポー)からダッキングしてボラードを回避。


 逆に左ストレートをカウンター気味にアッカーマンの顔面に叩き込んだ。

 それと同時に軸足を右足から左足に変えて、また右構え型(オーソドックス)に戻った。


 ――これで終わりだぁぁぁっ!!


 そこから全体重を乗せて、右拳をアッカーマンの顎の先端(チン)に叩き込んだ。

 強烈なジョルト・ブロウが見事に決まり、アッカーマンの顎の先端(チン)が綺麗に割れた。

 そして殴られた衝撃で、後方に吹っ飛んで背中からキャンバスに倒れ込んだ。


 いつ試合を止めるか、悩んでいたレフェリーは慌ててカウントを数え始めた。

 だがまるで動かないアッカーマンの姿を見て、レフェリーは試合を止めた。

 それと同時に会場は興奮の坩堝と化した。

 青いコーナーから本山会長と松島がリングになだれ込んできた。


「やったな、剣持!」


「……本当に良く頑張った」


 本山会長と松島も涙を浮かべながら、そう云った。

 だが当の本人である拳至は何処か達観した表情であった。


 ――こりゃ左眼を完全にやられたな。

 ――全然見えねえよ。

 ――これ元に戻るのか?


 ――でもいいか。

 ――この試合が最後になっても。

 ――もうオレは全力を出し尽くしたよ。

 ――だから後悔はしてねえよ。


 その後、勝利者インタビューや記者会見があったが、

 拳至は何処か達観した表情で淡々とインタビューに応じていた。

 この試合で拳至は名実と共にライト級の四団体統一王者となった。


 だが試合から三週間後。

 拳至の左眼は網膜剥離と診断された。

 それにはジム関係者だけでなく、多くのファンも嘆いたが、

 当の本人は「――規定に従ってこのまま引退します!」

 と、だけ言い残して、リングを去る事にした。


 こうして拳至のプロボクサー生活に終止符が打たれた。

 結局、彼は最後まで誰にも負けなかった。


 ――成程、勝ち逃げというのも悪くねえな。

 ――今なら雪風(あの野郎)の気持ちも少し分かるな。

 ――まあこれで終わりなのは少し悔いが残るが、仕方あるまい。


 ――オレのボクサー人生はこれで終わりだ。

 ――だがオレの人生はまだまだこれからだぜ。


 そう思う拳至の表情は清々しくもあり、何処か寂しげであった。



 剣持拳至(聖拳ジム)【世界ライト級四団体統一タイトルマッチ】10ラウンド2分48秒KO勝ち



 最終戦績:【14戦14勝14KO勝ち】



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― 新着の感想 ―
[一言] ついに決着が付きましたね。 そして、最後まで剣持はKO勝ちですか... 流石ですね。 次回、最終話。
[良い点] 剣持見事に勝ちました! でもその代償は引退となり大きかったですね。 引退しても、ジムでは南条さんがあと1戦待っていそうですけどね!?といった期待をしてしまいます(笑) もしくは、選手の次は…
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