第三十九話 偵察戦
---三人称視点---
両国の国家斉唱も終わり、試合開始のゴングが鳴った。
両コーナーから選手がリングの中央に向かって行く。
まずは拳至が左ジャブを連打するが、それは軽くパーリングされた。
そこからアッカーマンが左ジャブで拳至の顔面を狙うが、
拳至も右手で綺麗にパーリングして防御する。
そこから両者はリングを時計回りにサークリングして、
お互いに左ジャブを出すが、決定打には至らない。
気持ちの上では拳至とアッカーマンも前へ出て打ち合いたかったが、
両者のトレーナーがそれを許さなかった。
ボクシングの世界タイトルマッチは1ラウンド3分で合計12ラウンドの長丁場。
時間に換算すれば三十六分間だが、
ボクシングという競技においてはこの三十六分間は異様に長い。
端から観ていれば「もっと打ち合え」と思われる事も多いが、
いざボクシングを経験してみれば、三十六分どころか、三分でも長く感じる。
ボクシングは基本的に無酸素運動のスポーツ。
とにかく体力が必要で長時間戦うのが厳しい競技だ。
拳至もアッカーマンもそれをよく熟知していた。
故にこの試合の序盤は観戦客及び視聴者には少し退屈な偵察戦となった。
とりあえず左ジャブを突いて、右ストレート、左右のフックを出して、
相手との距離と間合いを計る。
とはいえポイントはしっかり取っておきたい。
だから両陣営のトレーナーは一ラウンドの二分までは偵察戦に徹して、
残り一分で攻め込んでポイントを取るという戦術を選んだ。
そしてリング上のボクサー達もその指示に忠実に従った。
だが残り一分を切ると、果敢に前へ出てパンチを繰り出した。
拳至は鬱憤を晴らすように、左ジャブから右ストレート、左フックと
パンチに強弱をつけてアッカーマンを狙い打つ。
対するアッカーマンは何処までも冷静であった。
拳至の攻撃に対しても、けして慌てる事無く、
注意深く拳至の動きを見ながら、必要最低限の動きでパンチを躱し、防いだ。
――左右のフックは強力だな。
――左ジャブもレベルが高い。
――だがこの程度なら躱せる。
アッカーマンは内心でそう思いながら、それを現実のものとした。
最初こそブロッキングなどの防御技術を使っていたが、
拳至の動きに慣れてくると、スウェイバックやウィービング、ダッキングなどで
拳至のパンチを躱し、逆に左ジャブを拳至の顔面に叩き込んだ。
そして左ジャブから右ストレート、左フックと繋ぎ、
教科書通りのボクシングで着実にポイントを奪っていった。
気が付けば第三ラウンドが終わり、双方共に自分のコーナーに戻った。
ここまでは全ラウンドのポイントをアッカーマンが着実に奪っていた。
偵察戦の中でも随所随所では的確にパンチを打ち込み、
手数でもパンチのヒット数でも拳至を上回った。
「……相手は想像以上に巧いな」
「はい、向こうも偵察している感じですが、
所々で的確にパンチを打ち込んでポイントを奪ってます。
松島さん、このままだとこちらが分が悪いです。
だから四ラウンドからは攻めさせてください」
「……いいだろう。
確かにポイントの奪い合いではこちらが不利だ。
奴はアマチュアエリート上がりの天才ボクサー。
強烈な右のボラードも凄いが、全体的にボクシングのレベルが高い。
お前も技術はあるが、奴はかなりのテクニシャンだ」
「はい、恐らく序盤の三ラウンドは相手に全部ポイントを
取られたと思います。 このまま探り合いしていてもジリ貧です。
ならばここからは多少強引でも攻め込みたいです」
「ああ、分かった。 但し奴のカウンターには要注意だ。
特にボラードには最大限に警戒するんだ!」
「……分かってます」
やや空気が重苦しい青コーナー側。
一方の赤コーナー側は選手、トレーナー共に随分とリラックスしていた。
「どうやら相手も偵察戦しているようだな。
まあ地元開催の試合だからな。
序盤は手堅く来るだろうと思っていたが、流石はカールだ。
着実にポイントを積み上げたな」
アッカーマンのチーフ・トレーナーであるグスタフ・アーベントロートはそう云って微笑を浮かべた。
だがアッカーマンは無表情のまま、ポツり、ポツりとここまでの印象を述べ始めた。
「思いの他、相手の動き異が固い上に慎重だ。
まあ世界戦は12ラウンドの長期戦だからね。
だから序盤は様子見を見て来るだろうと思ったが、
生憎、技術では俺の方が何枚も上手だ」
「ああ、カール。 お前さん相手に技術勝負で勝てる
ボクサーはそうは居まい。 奴も……ケンモチもそれなりのテクニシャンだが、
君相手では勝負にならないさ。 で今後はどう動きたい?」
「そうだな、偵察にも少し飽きてきた所だ。
だからもう少し攻め込みながら様子を見たいと思う」
「いいだろう、ならばボラードも解禁するよ。
ボラードを当たられそうなら、当てても構わんよ」
「グスタフ、ありがとう。
だがボラードはあまり打たないようにするよ」
「……何でだい?」
「奴も俺のサンデーパンチがボラードという事は百も承知だろう。
恐らく奴も最大限の注意を払っているだろう。
だから奴にはあまりボラードは見せないでおきたい。
優秀なボクサーなら二、三度見ればタイミングを掴むからな」
「……気にし過ぎな気もするが、
お前さんがそう思うならそうしておけ」
「ああ、そうするよ」
そして第四ラウンド開始のゴングが鳴った。
双方共にガードを固めながら、リングの中央に向かう。
すると射程圏内に入るなり、拳至が左ジャブを連打した。
鋭くて速い左ジャブの連打。
だがアッカーマンは無表情のまま、パーリングで左ジャブを払い続ける。
そしてパンチの打ち終わりを狙って、逆に左ジャブを繰り出した。
すると次の瞬間、頭に鈍い衝撃が走った。
だが自分の左拳にも感触はあった。
――成程、相打ちで打ってきたか。
僅か数秒でその事実に気付くアッカーマン。
そしてもう一度、拳至が相打ち狙いの左ジャブを繰り出してきたが、
今後は右手で綺麗にブロックした。
だが拳至はそこから左フックの連打を繰り出した。
一撃目が綺麗に肝臓に入り、アッカーマンも軽く嘔吐いた。
しかし二発目の右側頭部狙いの左フックはダッキングで回避。
逆に左ボディアッパーで拳至の腹部を強打。
拳至も思わず嘔吐いたが、すぐに態勢を立て直す。
そこからは拳至が左フックを主体に攻めて来た。
拳至は徹底してアッカーマンの肝臓を狙い続けたが、
アッカーマンも腕や肘を使って、拳至の左拳を防いだ。
しかし拳至もそれで引くことはなく、
また相打ち狙いで左ジャブを放ち、アッカーマンの顔面を強打。
そして時折、オーバーハンド気味の右を放ち、
ガードするアッカーマンの左グローブを痺れさせた。
一進一退の攻防が続くなか、第四ラウンドが終了。
このラウンドは拳至がポイントの奪取に成功。
だがアッカーマンは慌てる素振りも見せずに静かに赤コーナーへ戻った。
――どうやらケンモチは俺が想像していた以上に強いな。
――だが俺は誰が相手であろうが負けるつもりはない。
――よし、もう偵察戦は終わりだ。
――次のラウンドから本格的に攻めてやる!!