第三十八話 英姿颯爽(えいしさっそう)
---三人称視点---
調印式、記者会見、そして計量を終えた9月21日の試合当日。
拳至陣営もアッカーマン陣営も妙に落ち着いた雰囲気で試合を迎えようとしていた。
両者共に調整は完璧。
後はリングに上がるのみ。
そのような状態で両者共に控え室のモニターで前座試合を観ていた。
その姿はまさに英姿颯爽としていた。
そうした中、観客の一人に雪風健太郎の姿があった。
「うおっ……マジで凄い雰囲気だな」
健太郎は共に試合を観に来た友人の来栖零慈にそう告げた。
すると零慈もいつになく緊張した表情で相槌を打つ。
「う、うん。 国内初の四団体統一戦だからね。
報道陣の数も半端じゃないね」
「あ、ああ。 客席も満席状態だからな。
だから早い段階で席に座っておこうぜ」
「うん、でもせっかくだから健太郎は剣持に挨拶してきたら?」
「えっ? 挨拶っ!?」
「うん、高校時代のライバルじゃん。 一声ぐらい掛けておきなよ」
「い、いや……今の剣持は歴とした世界チャンピオンだぜ?
お、オレの事なんかもう覚えてねえだろうさ……」
「いや多分、健太郎の事は覚えているよ。
まあせっかくだし、ダメ元で行ってみれば?
もうこういう機会も滅多にないだろうしさ」
「そ、そうだな……」
そして健太郎は零慈に言われるまま、
「高校時代の友人なんですけど、チャンピオンに一声掛けたいんですが……」
と、係員に伝えた。
すると係員は「ちょっと待ってね」と言ってから、
インカムで何やら話し込む。
「……ちなみに君の名前は?」
「ゆ、雪風です、雪風健太郎です」
と、告げると係員はまたインカムで何やらやり取りする。
すると三分ほど、待たされた後に――
「ああ、チャンピオンが会ってもいい、ってさ。
でもあまり長い時間はかけないでね。
じゃあこの先の奥の部屋がチャンピオンの控え室だから」
「あ、ありがとうございます!」
健太郎はそう答えると少し重い足取りで控え室へ向かう。
そして控え室につくなり「コンコン」と控えのドアをノックした。
するとドアが開き、チーフトレーナーの松島が現れた。
「……君が雪風君か?」
「は、はい」
「本来ならこういう来客は拒むのだが、
チャンピオンが「会いたい」と言ったらから、
特別に許可するよ。 でもあまり時間は取らないで欲しい」
「も、もちろんです」
「じゃあ中に入って!」
健太郎は松島に言われて控え室の中に入った。
なんだかイメージしていたより普通の控え室だ。
と、思っていたら聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「……雪風なのか?」
健太郎は咄嗟に声の聞こえた方向に視線を向けた。
すると控え室のベンチに腰掛けた黒いガウン姿の拳至と視線が合った。
「よ、よう……お久しぶり」
「ああ、久しぶりだな。
でもまさかお前がこうして激励に来てくれるとはな」
「い、いやオレも躊躇ったんだよ。
でも来栖に……友人にせっかくだから会って来い、
って言われてね。 だから来てみたい、みたいな感じ?」
「成程ね、でお前はもうボクシングしてないのか?」
「あ、ああ。 高校できっぱり辞めたよ。
今は就職も決まって、卒論とバイト三昧の日々だよ」
「そうか、ちなみに何処に就職したんだ?」
「ああ、大手出版社だよ」
「へえ、出版社か。 就職先としては悪くないな」
「そ、そうかな?」
「成程、こうして見るとお前も随分とソフトな感じになったな。
今ではすっかり好青年って感じだぜ?」
「そ、そうか?」
「ああ、このオレに勝ち逃げして楽しいキャンパスライフ送ってたんだな」
拳至は少し意地悪い言い方でそう返す。
すると健太郎も少し困った表情になった。
「え? それ未だに気にしてるのか?」
「当たり前だ。 今でもお前に負けた試合の夢を時々観るからな」
「……マジで?」
「大真面目な話さ。 だからオレにリベンジする機会を与えろ!」
「いやそれは流石に無理!」
「……冗談だよ、本気に取るな」
拳至はそう言って微笑を浮かべた。
すると健太郎も釣られて、苦笑いを浮かべる。
「でも何というかこうしてオレに会いに来てくれて少し嬉しいぜ。
ちゃんとオレの事を覚えてたんだな」
「いや流石に無敗の世界チャンピオンの事は気になるよ。
むしろ剣持の方こそオレを覚えていてくれたんだな、という感じ?」
「お前のその人を食った感じのキャラは忘れがたいさ。
しかし高校卒業からもう四年経つのか。
お互い少しは大人になった、みたいだな」
「い、いやオレはどうだろう? あ、あはは」
健太郎はそう言って左手で頭の後ろを掻いた。
「雪風」
「ん? 何だよ……」
「今日はお前に会えて良かったよ。
だから今夜の試合はいつも以上に頑張るぜ」
「お、おう! 勝って四団体統一王者になれよ!」
「剣持、そろそろ南条の試合が始まるぞ。
雪風……君だったな。 悪いがそろそろ出てもらえないか?」
と、松島が事務的にそう言う。
すると健太郎も場の空気を読んで「はい」と答えて踵を返した。
「……リラックスできたようだな」と、松島。
「ええ、お陰様で。 それじゃ南条さんの試合を観ながら
軽くウォ―ムアップします」
「ああ」
そして拳至はベンチから立ち、軽くシャドウボクシングを始めた。
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一方、カールハインツ・アッカーマン陣営も試合に向けて万全の準備を整えていた。
アッカーマンはウォ―ムアップも軽く済ませて、
ベンチに座りながら、ぼんやりと控え室のモニターを見据えていた。
最初はさして興味ない感じであったが、
ラウンドが進むにつれて、モニターに視線が釘付けになった。
「この日本人のボクサーもなかなか良い選手だな」
アッカーマンは思ったままの感想も述べた。
するとチーフトレーナーのグスタフ・アーベントロートも「ああ」と同調する。
「イサム・ナンジョウだ。 ケンモチと同じジムのボクサーだよ。
昨年にあのザイツェフに負けたが、階級を一つ下に落として
世界のベルトを獲ったらしい。 攻防共に優れた良い選手だよ」
「ああ、全体的に穴がないボクサーだな。
ボクシング自体も基本に忠実だが、バランスの良い選手だな」
「うむ、まあアジア圏では一つ頭の抜けた存在だな」
「ああ」
アッカーマンとグスタフはモニターを観ながら、そう言葉を交わす。
するとその時、控え室のドアが「コンコン」と控えめにノックされた。
「ん?」
「誰か来たようだな。 俺が見て来るよ」
「ああ、頼む」
そしてグスタフが控え室のドアを開くと、
そこにはアッカーマンの友人であるヘルマン・アルムスターが立っていた。
「こんばんは、カール」
「おお、ヘルマン。 わざわざ日本まで試合を観に来てくれたのか!」
アッカーマンの表情が思わず和らいだ。
すると黒いスーツの上に白衣をまとったヘルマンも笑顔を浮かべた。
「いや残念ながら違うよ。 学会が日本であってね。 それで日本へ来たのだよ。 でも君の試合に合わせて、スケジュールを調整した感じだよ」
「そうか、でも来てもらえて嬉しいよ」
「それで調子の方はどうだい?」
「ああ、完璧だよ」
「そうか、なら安心して試合を観れそうだ」
「ああ、最高のファイトを見せるよ」
「……カール」
ヘルマンは真顔になって、アッカーマンを見据えた。
「……何だ?」
「今はどんな気持ちでリングに上がろうとしてるんだい?」
ヘルマンの問いにアッカーマンはしばし沈思黙考する。
そして考えがまとまるなり、ぽつりぽつりと語り出した。
「そうだな、今でも俺のファイトで周囲の者を勇気づけたいという
気持ちはあるが、それ以上に今は今日の相手と全力に戦いたい」
「そうか、今夜の相手はそんなに強いのかい?」
「ああ、持って生まれたボクシングセンスは、俺に勝るとも劣らない。 だからそういう最高の敵を倒して、周囲だけでなく自分自身も勇気づけたい」
「……それは試合が楽しみだね。
じゃあ僕はそろそろ行くよ」
「ああ、じゃあな。 ヘルマン」
「うん、カール。 またね」
そしてヘルマンが部屋を出ると、室内はまた静寂に包まれた。
アッカーマンはまたモニターに視線を向けた。
すると既に試合が終わっていた。
5ラウンド1分56秒。
チャンピオンである南条が指名挑戦者を圧倒的な力でKO勝ちして初防衛に成功。
「ほう、初防衛戦で5ラウンドKO勝ちか。
このナンジョウというボクサーももっと伸びるかもな」
「……そうかもな。
グスタフ、しばらく瞑想するから、時間が来たら起こしてくれ」
「ああ、分かった」
それからアッカーマンは両眼を瞑り、瞑想状態に入った。
心身共に最高の状態。
それは拳至も同じであった。
――この試合に勝って四団体統一王者になる。
――だがケンモチは俺と同様に天才。
――その天才に勝つ事によって、俺はまた成長出来る。
――だから今夜の試合はいつも以上に力を入れるぜ!