第三十三話 王者と元王者
---三人称視点---
デビュー当時から世界チャンピオンを宿命ずけられた男。
剣持拳至は初挑戦で世界の頂点を極め、
満員の両国国技館は大興奮の坩堝と化した。
新たなヒーローの誕生に観衆は沸き返り、
万歳コールが鳴り響く中、ヒーローインタビューが始まった。
「剣持選手、初の世界挑戦で見事な勝利おめでとうございます!」
「ありがとうございます!」
中年の男性インタビュアーがそう言って、新チャンピオンにマイクを向けた。
すると新チャンピオン――剣持拳至は軽く深呼吸してから、インタビューに答えた。
「それでは新王者になった今のお気持ちをお聞かせください」
「そうですね。 まず今日勝てた事で色々な重圧から解放されました。 初挑戦でライト級の世界王座を掴めたのは、自分一人の力じゃありません。 この試合を興行してくれた本山会長、そして松島チーフトレーナーを初めとしたトレーナー、セコンド陣の皆さん。 それと何よりこの場に来て頂いたファンの皆様。それらの支えがあって、今こうして自分は世界のベルトを巻く事が出来ました!」
それは拳至の嘘偽りない本音であった。
ライト級は世界の競合がひしめき合う伝統の階級。
だから拳至はまず自国開催を行えた事に感謝する。
正直、海外での試合だったら、
今夜のように戦えたか、どうかも分からない。
「……この階級ではジムの先輩である南条選手が同じ相手に挑戦して敗れましたが、その事は意識していたでしょうか?」
やや意地の悪い質問と言えなくもない。
だが拳至は特に気にした素振りも見せず、淡々と質問に答えた。
「勿論、意識していましたよ。 同じ相手に同じ会場ですからね。 まあ南条さんの分も頑張るという気持ちもあり、日頃のジムワークや減量も想像以上に頑張れて、それで調整が上手くいった面もありますね。 またジムの後輩として、先輩の仇を取れた事は自分の大きな自信に繋がると思います」
「そうですか、では今後の目標を聞かせてください」
「そうですね、とりあえず今はゆっくり静養したいです。 そして身体に異常がなければ、早い段階でジムワークを再開したいと思います。 ライト級は人気の階級ですからね。 自分が休んでいるうちに同じ階級の世界ランカー達が自分の首を狙ってますからね。 だから今まで以上に自分を追い込んで初防衛戦に挑みたいです!」
「そうですか、――剣持チャンピオン! おめでとうございます!」
「……ありがとうございました」
そして拍手が鳴り止まない中、拳至は松島に抱えられてリングを降りた。
その後の記者会見も無難にこなして、その後、病院へと向かった。
両拳の状態が気になっていたが、幸い骨折はしてなかった。
だが思った以上に拳を痛めており、ジムワークの再開は最短でも一ヶ月後。
と、医者に告げられたが、拳至は素直に「はい」と頷いた。
今になって激闘が終わった実感がようやく沸いてきた。
すると身体の痛みやダメージで妙に身体が重く感じ始めた。
そこからはタクシーで自室に帰り、寝間着に着替えて寝床に就いた。
そしてベッドに寝転びながら、スマホの画面に視線を移す。
想像以上に色んなメッセージやメールが届いていたが、
拳至は自分の彼女である愛理のメッセージを真っ先に確認した。
彼女のメッセージは極めて簡素だった。
>拳至くん、おめでとう。
それに対して拳至は「ありがとう!」と返した。
だが身体のダメージに加えて睡魔が彼を襲う。
だから最後に――
>とりあえず身体は大丈夫だ。
>明日また連絡するよ
と、メッセージを送ってから、スマホの電源を落とした。
そしてそのまま身体の疲れを癒やすように泥のように眠った。
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一方の敗者であるザイツェフは、日本の病院に数日間、入院する事になった。
そして医者の診断の結果、左頬骨骨折、鼻骨骨折、更には肋骨も二本骨折。
という全身怪我だらけの上に、世界のベルトを失うという結果に終わった。
そしてザイツェフは退院して、すぐに米国行きの飛行機に乗った。
行きはファーストクラスであったが、帰りはビジネスクラスどころか、
エコノミークラスであったが、これが世界戦で負けた王者の末路である。
だが当の本人は憑き物が落ちたような表情であった。
その隣に座るトレーナーのジョセフ・L・クロフォードは憮然とした表情だ。
「全く帰りはエコノミーかよ。
ホント、ボクシングは天国と地獄の世界だな」
「すまない、ジョセフ。 全てオレのせいだ……」
「……お前一人のせいじゃないさ。
お前を止められなかった俺にも責任はある」
「……その結果、TKO負けだ。 返す言葉もないよ」
「……まあ身体や脳波に異常がなかったから良いさ。
でもこれで分かっただろ? ボクシングは勝たないと意味がない。
特に世界チャンピオンはな、負けたら只の人になるからな」
「ああ、でも不思議と悪い気はしないよ」
「……そうか、なら良かったよ」
「でもオレはメイントレーナーであるアンタの言葉を無視した。
その結果、ベルトも奪われた。 だから……」
するとジョセフはザイツェフの座席に視線を向けた。
「俺はお前と契約解除するつもりはないさ。
まあお前がどうしても嫌だ、と云ったら話は別だが……」
「いやオレはまた一緒にアンタと戦いたいよ」
「そうか、俺も同じ気持ちだよ」
「なら……」
「ああ、怪我が治ったらカムバック戦に向けて全力でサポートするよ」
「ジョセフ、ありがとう」
「よせよ、俺とお前の仲じゃねえか?
まあ今度はもっと勝ちやすい相手を選ぼうぜ。
ケンモチは日本人だが信じられない強さだった。
俺も奴があそこまで強いとは思わなかったよ……」
「ああ、奴は本当に強かった……」
「まあしばらくは静養することだな。
そして怪我が治ったらカムバック、でいいんだな?」
「ああ、またアンタの元で戦いたい」
「そうか、ならまた俺が鍛えてやさ。
大丈夫だ、お前には才能がある。 それは俺が保証する。
だが今後のマッチメイクは慎重にやらねばな」
「……ああ」
二人はそう言葉を交わすと、再び無言になった。
そしてザイツェフは狭い座席で眠りについた。
寝心地は悪かったが、疲れていていたのでぐっすりと眠れた。
それから十数時間後。
ザイツェフ達はジェネラル・エドワード・ローレンス・ローガン国際空港に到着した。
「じゃあな、マクーシャ。 しばらくはボクシングを忘れてゆっくり静養しろよ」
「ああ、ジョセフ。 色々とありがとう」
「じゃあまた会おうぜ」
そう云ってジョセフは空港のタクシー乗り場でタクシーに乗って行った。
ザイツェフもやや遅れてタクシーに乗り込んで、自宅へと戻った。
そして自宅のマンションに到着。
それからマンションの玄関でオートロックを解除して、エレベータに乗り込んだ。
そして自室に戻ったが、部屋の鍵は開いていた。
「……ただいま」
そう言って部屋に入るザイツェフ。
すると部屋の奥から「お帰りなさい」という声が聞こえてきた。
ザイツェフはトランクケースを玄関に置いたまま、部屋の奥へ向かった。
すると部屋の奥には彼の恋人のイーナが立っていた。
「おかえりなさい、マクーシャ」
「……ただいま、イーナ」
「……待っていてくれたんだね」
「ええ」
「ゴメン、イーナ。 オレはもうチャンピオンじゃなくなった」
「うん、知ってるわ」
「そうなのか」
「うん」
イーナの言葉に返事を窮するザイツェフ。
だが彼は何処か吹っ切れた感じで恋人に本心を告げた。
「でも怪我が治り次第また頑張るよ」
「ええ、でも無理はしないでね?
私は今のままでも充分幸せだから……
ところでマクーシャ、一つ聞いていいかしら?」
「……何だい?」
「リングで何か良い事があったのかしら?
なんかアナタの表情がとても柔らかくなった気がするのよ」
「……そうかもしれない」
「そうなの?」
「ああ、世界最強の男と戦って何処か吹っ切れたのかもしれん。
なんというか色々一人で抱え込んでいたのが馬鹿らしくなった。
だからオレは今後もボクシングを続けるよ。
必ず世界チャンピオンに返り咲いて、キミを幸せにするよ」
「そう、でも良かったわ」
「……何がだい?」
「マクーシャ、自分じゃ気が付いてないかもしれないけど、
今のアナタはごく自然に笑ってるのよ」
「……そうなのか?」
ザイツェフはそう云って、近くの姿見鏡で自分の顔を見てみた。
するとイーナが指摘したとおりに、僅かな笑みを浮かべた自分の姿があった。
「……本当だ」
「ね? マクーシャ、アナタもちゃんと笑えるのよ」
「……みたいだな」
「じゃあとりあえず着替えなさいよ。
お腹空いているなら、何か作るわよ?」
「いや腹は減ってない、ただオレの傍にずっと居てくれ」
「……うん、じゃあそうする」
二人はそう言葉を交わして、身を寄せ合った。
長らく過去の呪縛に囚われていたザイツェフであったが、
拳至との一戦を交えたことにより何処か気持ちが吹っ切れた。
だがザイツェフもプロボクサーの一人。
いずれはまた戦場――リングへ戻るであろう。
だが今、この瞬間はお互いの肌温もりを感じたまま恋人と寄り添っていた。