第三十二話 ジーニアスVSシルバーホーク(後編)
---拳至視点---
「随分と腫れてきたな。 それとカットした傷口も広がりつつある。
とりあえずカットした傷口は応急処置でなんとかしてやる!
だがこれ以上、被弾して顔を腫らすと最悪TKO負けもあるぞ」
「勿論、分かってますよ。
でも奴も……ザイツェフも勝負に出て来ている状態です。
この状態で顔を腫らさないで勝つ事は不可能ですよ」
オレは肩で呼吸しながら、松島さんにそう返した。
すると松島さんはオレのカットした傷口を治療しながら呟いた。
「確かにそうだ。 だが残すは三ラウンドだ。
この三ラウンドの内、二つのラウンドでポイントを取れば、
お前の判定勝ちは固いだろう」
松島さんの言う事はある意味正しい。
地元開催だから判定勝負となればこちらが少し有利だろう。
だが判定狙いで今のザイツェフの勢いを止めるのは厳しい。
今の奴は乗りに乗っている。
だからこちらとしても全力で奴を迎え討つ。
「判定狙いでどうにかなる相手とは思えませんね。
向こうも必死だ、ならばこちらも妙な計算は止めて、
全力でぶつかるべきです。 そうでないと奴には勝てない!」
オレは自分の心情を素直に打ち明けた。
すると松島さんはオレの傷の治療を続けながら、こう漏らした。
「……ボクシングは所詮勝たければ意味がない。
特に世界タイトルマッチでは、勝ったという事実が大事だ。
お前のボクサーとしての矜持は俺も理解出来るよ。
だがセコンドとしては、選手を、ボクサーを勝たす。
それが俺の仕事だ。 だが戦うのはお前だ。 だから好きにしろ!」
「……ありがとうございます! でもオレは負けるつもりはないですよ」
「ああ、全力を出して来い。 だが傷口はすぐ開くぞ? それを忘れるな!」
オレは松島さんの言葉に「はい」と返事して椅子から立ち上がった。
それと同時に第十ラウンド開始のゴングが鳴った。
そしてオレは両手を高くして、ガードを固めながら前進する。
すると待ち構えていたように、ザイツェフの左フリッカージャブが飛んで来た。
オレはそれを上下左右にウィービングしながら回避する。
そして時折、左ジャブを打ち返すが、ザイツェフもそれを綺麗にブロックする。
やはり技術じゃ相手が一枚上だ。
ならばやはり活路を見いだすには接近戦しかない。
そうだな、この180秒にオレの全てをかけてみるか。
オレはそう思いながら、大きく深呼吸する。
「――せいっ!?」
オレはそう気勢を上げながら、前方に素早くステップインする。
それと同時にザイツェフは左ボディアッパーを放ってきた。
オレはそれを右肘でブロック。
ザイツェフの動きが一瞬固まった。
――チャンスだ。
オレはそう思うと同時に左ボディフックを放った。
左拳に確かな感触が伝わる。
綺麗な肝臓打ちが決まった。
ザイツェフの身体が僅かに九の字に曲がる。
そこから右のショートアッパーでザイツェフの顎の先端を狙う。
半瞬遅れて右拳に確かな感触が伝わり、ザイツェフが僅かにぐらいた。
オレはそこから左右のフックを繰り出した。
左、右、左、右、左右のフックの連打が決まる。
だがザイツェフも右ボディアッパーでオレの腹部を強打。
一瞬、息が詰まった。
だがオレはそこから左ストレートで顔面を狙うが、
それは右のグローブでパリーされた。
だがオレは下がらず、ひたすら接近戦を挑んだ。
するとザイツェフはステップを多用しながら距離を取る。
しかしオレもすぐにステップインして、再び懐を奪った。
ザイツェフが右のチョッピング・ライトを打ってきた。
オレはそれをダッキングで回避。
逆に左のショットアッパーでザイツェフの顎を強打。
だがザイツェフも左フックで応戦してきたが、
オレはそれを右手でブロックする。
そこからもう一度左のショットアッパーで応戦する。
左のショットアッパーが右脇腹に命中。
ザイツェフの動きが鈍った。
オレはそこから左フックでザイツェフの右側頭部を狙う。
オレの左拳がザイツェフのテンプルに当たったが、
ザイツェフは構わず右のショートストレートを打った。
ザイツェフの右がオレの顔面を捉えた。
オレは思わず後ろに下がったが、ザイツェフが立て続けに左フックを放ってきた。 ザイツェフの左フックがオレの右側頭部に命中。
だがオレはそれと同時に右のクロスを合わせた。
相打ちだったが、威力ではこちらが勝ったようだ。
オレはジンジンと響く頭部の痛みに耐えながら、
動きが鈍ったザイツェフに、左フックを放つ。
ザイツェフはそれをバックステップで回避。
そしてザイツェフは弧を描くような左フックを放ってきた。
オレはそれと同時にその左フックに合わせるように、オーバーハンドの右ストレートを全力で打った。 前に出る勢いを利用した右のジョルト・カウンターだ。
次の瞬間、右拳に強い衝撃が走った。
そして眼前のザイツェフは鼻から鮮血を流していた。
これは綺麗に決まったぜ、今の一撃で鼻が折れたかもな。
だがこちらも必死なんでな、だから手加減はしねえぜ!
そこからオレは八の字を描いて、左右のショットフックを連打した。
身体を何度もウィービングさせて、デンプシーロールの軌道を描く。
そして両拳に全力を篭めて、眼前の敵をひたすら殴り続けた。
「そこだ! 剣持、それで決めろ!」
青コーナーから松島さんがそう叫んだ。
勿論ですよ、ここで手を緩めるような真似はしないさ。
オレは更に左右のフックを連打、連打、連打する。
全てのパンチが命中したわけではないが、
ザイツェフは身体を左右に揺らして、グロッキー状態となった。
しかしオレは手を緩めない。
悪いな、ザイツェフ。
この攻撃でお前が再起不能になるかもしれないが、
こっちも本気でボクシングをやってるんでな。
だから悪いが手加減はしないぜ。
気が付けばザイツェフの顔が大きく腫れだした。
だがオレはそこから更に追い打ちをかけた。
ザイツェフの懐に入って、ひたすら左右のフックの連打を食らわせた。
しかしザイツェフは倒れない。
いや正確に云えば倒れる事が出来ない。
オレはザイツェフをロープに追い詰めていた。
そしてそこから怒濤のラッシュを繰り出した。
両拳の感覚がなくなってきた。
殴打すると同時に自分の拳も痛んだ。
だがオレは殴るのを止めなかった。
これは世界タイトルマッチなのだ。
だからレフェリーが試合を止めるまで、オレは手を止めない。
「ストップだ! 剣持、ストップだぁっ!!」
レフェリーが大声を上げて、こちらに割って入って来た。
「剣持、試合終了だ!!」
レフェリーは更にそう云った。
そしてレフェリーは両腕を交差させる。
すると青コーナーから味方のセコンド陣がこちらに向かって来た。
「やったな、剣持!」
「これでお前が世界チャンピオンだ!!」
と、本山会長や松島さんが大声で叫んでいた。
オレはイマイチ状況が掴めないまま、視線を鋭くして、周囲を見渡した。
すると周囲の観客がオレを観ながら大歓声を上げていた。
そしてオレはゆっくりと視線を青いキャンバスに倒れ込んだザイツェフに向けた。
するとキャンバスに倒れ込んだザイツェフの近くに青いタオルがあった。
……相手のセコンドがタオルを投げたのか?
つまりオレの……TKO勝ち……なのか?
そこでオレはようやく自分が勝利した事に気付いた。
だがそれと同時に安心したのか、身体の力が急に抜けた。
そして力なく前方に倒れ込んだ所を松島さんに抱き上げられた。
「剣持、もう試合は終わったんだ。 お前の勝ちだ。
お前が……世界チャンピオン……なんだ」
松島さんは声を詰まらせて、そう云った。
「……オレが世界チャンピオンなんですね」
「ああ、そうだ」
「……そっか、これで休んでいいんですね」
「ああ、但し勝利者インタヴューと記者会見はちゃんとするんだ」
「……分かりました」
オレはそう云って、もう一度気力を奮い立たせた。
周囲の観客の大歓声と拍手は止まらなかった。
そうか、オレは本当に世界チャンピオンになったんだな。
でも正直実感が沸かない。
だがこれでもう戦わなくていい。
そう思うと心の底からホッとした気分になった。
それから松島さんにグローブを外して貰ったが、
オレの両拳に巻かれたバンテージが真っ赤に染まっていた。
だが拳を握る事は出来たので、骨折はしてないようだ。
……じゃあ勝利者インタヴューでも受けるか。
でも頭がクラクラするから、何を言っていいか分からない。
だがいずれにせよ、これで世界チャンピオンになれた。
だから勝利者インタヴューくらいしっかりしないとな。
第10ラウンド2分21秒。
それが正式なKOタイムであった。
こうしてこの夜、オレは王様に――世界のチャンピオンとなった。