本当と本音と存在証明と願い
僕の思いを、言葉を彼女に伝える。
「そうか」
帰ってきた言葉はたったそれだけだったけど。その音は柔らかかった。
彼女と会って、彼女に血を吸われた時には考えも想像もしなかった事がたくさん、たくさん、この短い間にあった。何回も泣いたし何回も彼女にされたのも含めて痛い事があった。でも、彼女に会えてよかったと思う。
「なんか不思議ですね。ダンジョンの崖から落ちて不思議なトンネルに入って、トンネルの先にあなたが眠っていて……。あの気になっていたのですが、どうしてあなたはあの場所にいたのですか?」
僕の言葉に彼女がぴくっとすると動かなくなった。
あっ、聞いちゃいけない事を聞いたかもしれない。蹴られる。もしくは影で叩かれる。
そう思ったが彼女はため息をついて、頃合かと小さく呟いた。
「なぁ、お主は自分が人間である事以外の記憶を無くしたら、いや、無かったらどうする」
それは、あまりにも急な質問だった。
「それは、どういうふうに?」
「そのままの通りじゃ。自分がどんな生物かは知っている。どんなふうに呼吸を、食事、睡眠を取るか。その生物の行動原理は知っている。ただ、その生物態の中で己が自身の証拠、個である証明、自身の性格や過去を成り立たせる記憶が失われていたら、無かったらどうする? 自身を表す名さえも忘れてしまったらどうする?」
僕は答えが出せなかった。言わなかった。ただ、彼女の言葉に静かに受け止めた。
彼女は黙っている僕を置いて、話を続ける。
「それが我じゃ。偉そうにしているが我には記憶も名も忘れてしまった。いや、そもそもそれさえもあったのか確証が無い。我には何もない。あるのは吸血鬼としての知識だけじゃ」
朝焼けの光を受けた彼女の青い瞳は瞬きをした。
「我はお主以上に何も持っていないんじゃ。我はただのわがままな吸血鬼じゃ」
それは違うと言おうとした唇を彼女の影が一筋の線となって、塞いだ。これは、黙っていろと言う事だろうか。
「じゃが、我は幸運な事に目の前には貧弱じゃが血は上手く利用しやすそうな気弱な者が倒れていた。その者は最初は失礼な事を考えたりいやいやじゃたが少しの間で従順で我に敬意を払うようになった。正直、バカで単純なアホかと思った」
あっ、僕ってそんなふうに思われていたんだ。悲しい。あと、言葉がシンプルでより心に刺さる。
「そんなアホが目の前で自分の毒で自分の人生に幕を下ろそうとした時、我は心底もったいないと思った。我がせっかく下僕として認め始めているのだから、我はまだ感謝を告げていないのだから、我のために動いてほしいと思ったのだから。吸血鬼の中で禁忌とされている呪術、魔法で生き返らせた。この世の理を覆した。それによって、お主は下僕であると同時に何も無い我にとっての最初の我である証明でありお主の存在が我を何かを持っている者にさせる」
彼女の言葉も内容もとても真剣そのものなのに僕は顔がにやける。ひどい奴だ。それでも僕は嬉しかった。
僕は彼女に必要とされている。
僕の存在が彼女の存在を証明をしている。
それは僕が求めていた物だ。
ずっと、誰かに必要とされたい。存在を認めてもらいたい。
それを彼女は叶えてくれた。
ああ、僕は何回も今まで思ったがこれからも彼女の言葉を聞いて思うのだろう。
彼女に出会えて、本当によかった。
「そんなお主に我からお願いがある。イヤじゃたら、断ればよい」
そうは言っているが彼女の声は少し震えていた。
彼女は細い腕を差し出す。
「どうか、我と一緒に我の記憶を取り戻すために動いてほしい。我のために足となり目となり盾となり刃になって欲しい。例え、お主の生が終わる瞬間が訪れても全く記憶が取り戻せなくても一緒にいてほしい。お主には我が必要じゃ」
腕は震えていた。彼女は堂々としていたが内心はそうでもない事を証明していた。
僕の次の行動は決まっている。
例え、彼女の声が腕が震えて、緊張していなくても僕の気持ちは彼女の願いを聞いてから決まっている。
僕は彼女の手を握り、彼女の手が痛まないようにだけどしっかり強く手を握る。
「僕はあなたがいる事で自分が存在できる。自分に価値が意味が生まれるんです。例え、下僕でなくても僕は同じ答えだった。どうか、僕にそのお願い叶えさせてください。僕はあなたの願いを叶えたいです」
そう答えると彼女はそうかと笑った。
僕も彼女につられて笑った。