呪いの掲示板
言霊、という言葉がある。
古来より、言葉には魂が宿るとされてきた。
喜び、哀しみ、怒り、嬉しさ、希望あるいは絶望。人々は、さまざまな感情を乗せてきた。
それは時には形を成し、現象となり、妖怪や神と呼ばれたこともあるだろう。姿なき怪異を、生み出してきたのだろう。
そうして、都市伝説と言われるものもまた然り。
ヒトからヒトへ。
口伝となり、伝わっていく。伝染し、伝播していく。
情報社会となった現代、それは加速度的に進行していく。媒体を通して、拡散されていく。百年前と比べれば、言わずもがな。それだけに、眉唾も多くなるが、真作もまた――増えていく。
これは、そんなひとつ。
とある掲示板に関わる話だ。
はじめに、警告しておく。
これは、あまりにも強すぎる呪いなのだ。
なにしろ念の強大さが、半端ではない。それそものではなく、ただ語るだけでも――その影響は、少なからずあるだろう。
だから、この文章を読んでいる貴方。
今ここで、ブラウザを閉じることをお奨めする。
この先を読み続けたその結果、どのような精神的損害――いや、侵害を受けようとも、わたしは一切の責任を取ることはできない。
ならばなぜ、この文章を書くのか。
責められても、罵られても当然だ。
謝罪するしかいない。
ああ、それでも――
書かずには、いられないのだ。
この胸の淀みを、吐き出さずにはいられないのだ。
恐らく、わたしはきっともう、呪われてしまっている。
だから、こうやってキーボードを叩くしか選択肢はないのだ。
それでは、続けよう。
読み始めてしまった貴方――こうなっては、もう腹をくくっていただこう。
運が悪かったと、諦めていただこう。
その目で、呪いの形を見取るといい。
その結末を、見届ける覚悟とともに。
さあ、読み進めてくれたまえ。
◇
俺が、そのことを知ったのは数日前だ。
呪いの掲示板。
聞いた時は、鼻で笑っていた。
よくある噂話。根も葉もないデマに違いない。まったくもって、くだらない。
本気になどしていなかった。
そのはずだった。
そうに、違いなかった。
「…………」
いや、もしかしたら――心のどこかで、勘付いていたのかもしれない。
だからこそ、殊更に、その不安を吹き飛ばしたかったのかもしれない。
防衛本能が騒ぎ、それに近づくことを警告していたに違いない。
だが、俺はその掲示板を探すことにした。
心の声に逆らってでも、俺はネットを探索することにした。
なぜか?
友人のYが、変わってしまったのだ。
以前より、少なからず兆候はあったが、その掲示板に出入りするようになってから、明らかに様子がおかしくなっていった。
自分は孤独だと嘆き、そうでないと見なした人間を憎悪する。おぞましい怒りと、怨嗟の言葉を撒き散らす。
その形相は、まるで鬼か悪魔のようだった。
俺は――Yを救いたかった。
長い付き合いの友人だ。
放っては置けない。
だから、その掲示板を探すことにしたのだ。
原因を突き止めて、Yを助けたいと思ったのだ。
「……こ、こいつは!」
くだんの掲示板。
それが、今。
俺のパソコンの画面に広がっている。
あっさりと見つかった。その身近さに、戦慄する。
ほとんど真っ黒いページに、文字の羅列。ただそれだけの、無味乾燥なページ、なのだが――
その、文字に込められた、文章に籠められた――感情が、どうしようもなく伸し掛かってくるのだ。激情が、襲い掛かってくるのだ。
「こいつは、やばい……」
俺は、瞠目した。
喉が渇き、手が震える。
念そのものが、重みをともなった流動食のように、口から喉を通って、胃にまで注ぎ込まれていくよう。
あるいは――
姿の見えない巨大な手が、心臓をがっしりとわしづかみにしてくるようだった。
形を持った怨念だ。
恐ろしい化け物か何かと向かい合っているような錯覚。
弱気になれば、取って食われる。ひるめば、すぐさま命取り。
俺は、萎えそうになる心を叱咤した。
――独りは、寂しい。
独りは、辛い。
独りは、哀しい。
ああ、だから――
憎いのだ。
どうしようもなく、羨ましいのだ。
どこまでも、嫉妬するのだ。
全身全霊。呪うのだ。
恨み尽くしてでも、尚恨むのだ。
憎い。
憎い。
憎い。
憎い、憎い。
憎い、憎い、憎い、にくい、にくい、憎い、憎い、憎い、にくい、にくい、ニクイにくいニクイニクイニクイいいイイイ……!ニクイにくいニクイニクイニクイいいイイイイイイ……っ!
「ぐ、ううっ!」
その奔流に、俺は流されまいと踏ん張る。
歯を食いしばり、心を奮い立たせる!
「……く、くそったれ」
流されない、流されて、飲まれて――呑まれて、たまるものか!
だって。
俺には――嫁がいる。
独りじゃない。
そう、独りじゃないんだ。
「…………っ!」
決して触れ合うことはできず、言葉も交わせず、違う世界に存在しているけれども――心できっとつながっている愛する嫁がいるのだ!
だから、絶対に、独りじゃない!
俺は、こんな呪いに屈するわけにはいかないのだ!
心を強く持て!
もっと勇気を振り絞れ!
負けない。
負けない。
負けないのだ。
「……!」
心の中で、幾度も嫁の名前を叫ぶ。
掠れるまで、叫び散らす。
そうすると――
少しづつ、その戒めがゆるんでいく。
化け物が、ひるんだ。
今だ!
勝機を見逃してはならない。
「……ぐ、ぐおおおっ!」
力を入れて、拳を振り上げる。
憎い。
憎い。
憎い。「ま――」
憎い。
「――け、る……ものかああっ!」
見えない相手に、殴りかかる。力を込めた、必殺の一撃だ!
おぞましい化け物の顔面を打ち砕く。愛と正義が、勝利する。
(脳内のイメージです)
「…………く、はあっ」
息が苦しい。
思い出した呼吸は、このうえもなく乱れている。
だけど、耐えた。
耐えることができた。
俺の意識は、持っていかれずにすんだ。
やはり最後に、愛は勝つのだ。
「……ふう」
安堵の息を漏らして、傍らに飾ってあった美少女フィギュアに、満足そうに微笑みかける。
彼女は十年前からはまり続けている、アニメのヒロインキャラクターだ。金髪ツインテールに、細身の身体、スタイリッシュな黒マント。武骨な、しかし洗練された長大な武器がかっこいい。
今でも変わらず、俺の嫁だ。
これからもずっと、俺の嫁だ。
俺はもう一度ため息を付くと、リビングに向かった。
冷蔵庫を開けて、冷えてあったペットボトルのコーラを取り出す。
蓋をあけて、一口二口。
ゆっくりと飲む。
身体に染み渡っていく。
火照った意識に、心地いい。
俺は、心を落ち着けた。
「――ようし」
頬を叩いて、気合を入れる。
俺は、家を飛び出した。
このままではないけない。
Yの目を覚ますのだ。
呪いの掲示板。怨念に満ちた伏魔殿。
その魔手から、友人を救い出すのだ。
あいつにだって、嫁はいる。
その想いを、思い出させるのだ。ちょうど俺が持っているフィギュアと親友のヒロインが、あいつにとって変わらない嫁のはずだった。栗色の髪のツインテール。白く純白な服。黄金の槍が、さっそうとしている――そんな嫁。
その想いを、思い出させてやればいい。
「さあ、今行くぞっ」
俺は、使命感に突き動かされるまま――友人の家に走るのだ!
◇
その男が放り出したままのパソコンの画面――
そこには、こう記されている。
――クリスマスくたばれ!
モテなくて悪いかっ!
……俺たちはただ、ひっそりと生きていたいんだ。多くは望まない。静かに、放っておいてくれ。
カップルどもに血の粛清を!
哀と切なさと、空腹の感情。
独り身の恨みと哀しみを、思い知れ!
哀と嫉妬の名の元に――勇者たちよ、立ち上がれ!
おい、まだ7月だよ! 諦めるなよ!
……おや、誰か来たようだ? うわ、おい……やめ、ぐああ
※7月7日の活動報告『呪いの掲示板、その後』にて詳細。