マチェールの文字は何色
感情には色がある。
ゆえに、それを文字にすることで見える景色がある。
そんな言葉の面白さと、読むことの楽しさ。
それを題材に一本書いてみました。
雪が降り始めた。
高台から見下ろす街は、白く染まっている。
そこへ、ゆっくりとだが雪が降り始めた。
画材が濡れないかと気にしながら、筆を手に取る。
イーゼル越しに景色を眺めて、画材に色を足していく。
「何か足りないんだよね。」
ぼそりと呟くと、白い息がのぼって消えた。
私が油絵を始めたのは、ものの去年のこと。
高校に入学したのをきっかけに、思い切って美術部に入部した。
その中でも、私がひかれたのは油絵だった。
少ない色を混ぜ合わせて描いていく世界に心を躍らせたものだ。
頭に浮かんでいる何かが形になっていく。
その過程が私には楽しかったのだ。
だから、こうして時折気に入ったものを見ながら修練に励んでいた。
だが、最近はどうにも納得いくものが出来上がらない。
スランプといえばそれまでだが、若干の焦りがあるのもまた事実だった。
それに、何より感じていることがあった。
「何か足りないんだよな・・・。」
再び呟くと、突然背後に影が差した。
「ん?」
振り返ると、紺色のコートを着た少女が、傘を片手に私の絵をのぞき込んでいる。
髪が長く綺麗な人だった。
多分、私より年上だろうその人はじっと私の絵を凝視している。
「あ、あの・・・?」
「色、かな?」
「は?」
唐突の出来事に、私は固まっていた。
マチェールの文字は何色
道具を片付けて、女性と並んで歩く。
彼女は後藤田千佳先輩というらしい。
私と同じ高校であり、三年生ということだった。
雪はだいぶ酷くなっている。
私は、後藤田先輩と並んで歩いた。
「で、なんですか。急に。色が足りないって、雪景色を書いてれば白くなるのは当たり前じゃないですか。」
「ごめんね、突然。最初は、思いつめた顔していたからもしかして飛び降りる気なのかと思って。」
「そんなのに見えますかね?」
私がそういうと、後藤田先輩は声を立てて笑った。
少しからかわれていたのかもしれない。
「私、書道をやってるんだけどね。書道って色があるんだよね。」
「え?それこそ黒一色じゃ。」
意表を突くような発言に私は驚き、思わず先輩の方を見てしまう。
授業でやったことは当然あるが、直しを入れられた時の赤以外は黒しか見たことがない。
そういえば、書道部の顧問の先生は変わり者だと聞かされたことがあった。
もしかして、いろいろな色の墨で書いているのだろうか。
私は、色とりどりの墨で皆が楽しそうに字を書く書道部を想像してみた。
「奇妙なんですね、書道部・・・。」
「ん?ああ、違うよ。例えば、そうだな。」
後藤田先輩は、肩から下げていた鞄を開いて中を覗き込む。
暫くして、中から一枚の紙を取り出した。
『冬野』
達筆な文字でそう書かれていた。
「これを見て、どんなものを思い浮かべる?」
「え?えっと・・・雪原ですかね。真っ白な。」
私の返事を聞いて、後藤田先輩はにっこりと笑った。
「ね?」
「え?」
「ほら、白って出てきたでしょう?」
「は、はあ・・・。」
丁寧に半紙をカバンの中に戻す。
わかるような、わからないような。
私は、じっと後藤田先輩を見つめた。
「今のは、ちょっと簡単すぎたかもね。私は、全部の言葉には色があるって思うんだ。」
「ふ、深いですね。」
「そうかな。でもほら、例えば現代文の授業で小説を読むと何となく色がでてこない?言葉に感情が宿って、それが色を見せるんだってそう思うんだ。」
今までの授業を思い返してみる。
真面目に受けていた記憶なんてないな・・・。
何一つ、読まされた小説は思い浮かばなかった。
「それは、心の中の風景であって、それが文字を通じて色を見せるんだって思うの。だから、あなたもマチェールに心の風景を描いてみるといいかもしれないわよ。」
「心の風景・・・。」
呟いてみるが浮かんでくるわけではない。
腕組みして唸る。
ぽんと後藤田先輩が肩をたたいた。
「大丈夫。今はわからなくても、いずれわかるから。」
「は、はあ・・・。」
なんと返していいかわからず、私はただ後藤田先輩を見つめていた。
小さく唸る。
目の前に現代文の教科書を広げて眺める。
そこに見えるのは白い紙、黒い文字。
言葉の感情が色を見せるか・・・。
何度読み返しても、そんなものは見えない。
「むむむ・・・。」
それこそ、穴が開くくらいじっと教科書を睨んでみる。
だが、そこにあるのはやはり白と黒でしかない。
「あのさ。早季。」
「んん?」
頬杖をついていた私は、急に声をかけられて驚いて体を跳ねさせる。
横を見ると、机に手をつくようにして友人の高瀬歩美がこちらをじっと見ている。
その顔は、不思議な生き物を観察しているようだ。
「さっきからさ。何やってるの?」
「んっ?」
歩美だけではない。
周囲の生徒が、不思議そうに私を見ている。
ようやく私は我に返った。
「んんっ!?」
「なにやってんだか。」
背中を向けるようにして、歩美は私の机の上に腰を下ろす。
他の生徒たちも、それぞれの日常に戻っていく。
「あーいやさ。ちょっと考え事してて。」
「考え事ね。ふふっ。」
「何?」
「ああ、いやごめん。似合わないって思って。」
「似合わないかな。」
頬を膨らませるようにして言う。
頬杖をついたまま、私はまた教科書に視線を落とす。
「そういうのなしにさ。早季は一直線なイメージだった。」
「どういうイメージ?」
歩美は悪戯っぽく笑った。
「まあ、それはさておき。相談になら乗るよ。」
「あー。いや、大丈夫。ちょっと、先輩に色々言われてさ。」
文字の色だとか、そんなことは恥ずかしくて聞けない。
「先輩?部活の?」
「いや、違うんだけどさ。」
「部外者が何を言っても早季には関係ないと思う。」
真剣な顔で歩美は言う。
どうやら、誤解されているようだ。
多分、他の部活の先輩が私の作品に文句をつけたと思ったのだろう。
慌てて私は両手を振ってそれを遮る。
「待った待った!歩美、誤解してるよ。そうじゃなくてさ、最近スランプっていうか、だからアドバイスもらっただけで。」
「そうか、ごめん。誤解してた。でも、私はそれだけ早季がはつらつと一生懸命打ち込んできたってことは評価してる。」
「あはは。それは、なんとなくわかった。」
「それで、その先輩はなんて?」
薄く笑みを浮かべて言う彼女。
なんだか誘導されている気がする・・・。
とはいえ、ここまで話しておいて何も言わないのもどうかと思う。
「えっとさ。文字には色があって。そんな感じで、心の色を出してみろって。」
「・・・・・。」
歩美は黙って口元に手を当てて考え込んでいる。
ちょっと、説明の仕方が悪かったかな・・・。
どうしようかと考えていると、歩美は私の手元に視線をやった。
「それで、さっきから教科書を読んでたの。」
「まあね。でも、さっぱり見えなくてさ。」
「あの勉強嫌いの早季が真面目に勉強しているのかと思って、みんな驚いてたよ。」
「私の評価、どうなってるの。みんなの中で・・・。」
あはは、と声を立てて歩美は笑う。
それから、身を乗り出して私の手元をのぞき込む。
今の単元でやっている文章を、じっと歩美は見ていた。
「どうかな?」
「ごめん。ちょっと見えない。」
机からぴょんと跳んで降りると、近くの席に置いてあった歩美の鞄からスマホを取り出す。
目にも止まらない速さで、彼女はそれを操作する。
歩美はパソコンや携帯などの電子機器には妙に強い。
「来た。」
少しして、歩美の携帯が鳴る。
私は、肩口からそれをのぞき込んだ。
彼女は、じっとディスプレイを見つめている。
くせっけのないショートヘア越しにのぞこうとするが、中々見えない。
「早季。今日暇?」
「え?うん。」
急に歩美はこちらを振り返る。
驚いて一歩下がりつつも、私は頷いた。
「わかった。実は、知り合いに詳しそうな人がいるから。放課後、会ってみない?」
「ええ?唐突だな。」
「保障はするよ。」
「うーん。まあ、歩美がそこまで言うならいいっか。」
「ありがとう。放課後、空けておいてね。」
鞄にスマホを押し込んで、彼女は自分の席に戻っていく。
その瞬間、予鈴が鳴り響いた。
まるで、彼女はそれをわかっていたかのようだ。
ちょっと不思議な感じのある子だが、やっぱり頼りがいのある友人だ。
何か、いい手掛かりになるかもしれない。
期待を胸に、私は自分の席に戻るのであった。
『書道って色があるんだよ。』
後藤田先輩は、空を見上げるようにして呟く。
その横顔は、自信に満ちていた。
こんなにいい顔をするんだ。
なんていうか、美人だな。
「私にも、見えますかね。」
何も言わずに、後藤田先輩は私に微笑みかける。
「早季。」
誰かが私を呼んだ気がした。
立ち止まって背後を振り返る。
誰も見当たらない。
後藤田先輩は、立ち止まってこちらを見ていた。
「早季。」
また呼ばれた。
あれ?
もう一度辺りをじっくりと見つめる。
その瞬間、頭に鈍い痛みが走る。
「痛っ!ご、後藤田先輩、痛いです!」
急に周囲の景色がはっきりとしてくる。
ここは、教室だ・・・。
「何寝ぼけてるの。もう、お昼休みだけど。」
はっとなって、時計を見る。
もう、お昼か。
目の前には、広げられた白紙のノート。
そして、顔を隠すように置いておいた英語の教科書がある。
「そうか、お昼か。いやあ、よく寝た。」
「よくそんなに寝ていられるものね。」
「英語は特に。先生の声を聞いてたら、不思議と眠くなるんだよね。」
あはは、と笑いながらお弁当を広げる。
歩美は呆れた様子で、私の前に座った。
「先生、もう何も言う気も起きないって、起こしもしないで出ていったわよ。」
「極めればそれもまた特技だってね。」
「反省の色、ないね。」
冷たい視線で、歩美はこちらを見ている。
もはや、笑って受け流す以外ない。
お箸をくわえて、私は声を立てて笑った。
ため息をついて、袋から歩美はパンとお茶を取り出す。
「栄養、偏るよ。お弁当分けてあげようか?」
「大丈夫。食事に時間をかけるの、あまり好きじゃないから。」
パンをちぎって、手早く口の中に放り込んでいく。
私は、ご飯を口に運んでもぐもぐと口を動かした。
「歩美はせっかちだな。もっとゆっくり構えないと、人生損だよ。」
「スランプの人が言う言葉じゃないと思うわよ。」
「うへえ。そうでした。私は、今スランプです。」
かぼちゃのコロッケにお箸を入れながら舌を出す。
歩美は、ストローを刺した紅茶のパックに手を伸ばす。
すでに、二つのパンの袋が空になっている。
相変わらずの早食いっぷりに感心する。
「おーい。隠塚。」
クラスメートが急に私を呼ぶ。
口に含んだばかりのコロッケを飲み下して、その場に立ち上がる。
「はーい。」
手を挙げて返事をすると、男子は入り口の方を指さす。
「客だぞ。」
入り口の方で、ワイシャツ姿の男子が軽く手を挙げている。
部長の澤田英人先輩だ。
「あれ?部長!」
「悪いな、隠塚。ちょっと、いいか?」
席を立って、私は廊下へ出る。
昼休みとあってか、人通りも多い。
「はい、なんです?部長。」
「お前、ちょっと放課後残れないか?」
「え?それって、今日ですよね。」
「実は、画材が届いたから美術室に運びたくてさ。人手がいるんだ。」
どうしようかな・・・。
今日は、一応歩美との約束があるしな。
とはいえ、画材運び程度ならそんなに時間は取らないのではないか。
さっさと終わらせれば合流できると思って頷こうとした時、すっと歩美が割り込んでくる。
「悪いけど、部長。今日は、早季と約束があるから。」
「え?いや、でもそんなに時間取らせないぜ。」
「画材運びなら、人手より男手を集めるべきだと思う。女子に頼るのは感心できない。」
「き、厳しいな。相変わらずだな、高瀬は。」
「あ、あはは。すいません、部長。歩美も、悪気はないんで許してください。」
まあまあ、と仲を取り持つ。
最も、部長が歩美にあれこれ叱られるのは今に始まったことではない。
去年からの恒例行事だ。
「わかったわかった。仕方ない。クラスの友人、引っ張ってくか。」
頭を掻きながら、部長は頷く。
「あ、あはは。そういえば、部長。部長の学年に、後藤田先輩っているの知ってますか?」
「後藤田?ああ。知ってるよ。それがどうした?」
さりげなく話題を変える。
頭を掻いていた部長は、きょとんとこちらを見ている。
「そうですか。知ってるんですか。ええ!知ってるんですか?」
「何驚いてるんだ?お前から聞いたんだろう。」
「あ、いえ。すいません。」
話題を逸らすために適当に言ったので、正直この返答は予想していなかった。
一クラス四十人前後が七クラス。
同学年だからと言って、全員のことがわかるわけではないと思っていたので思わず声を上げてしまった。
「そういえば、早季。さっき後藤田先輩がどうとか言ってたけど、アドバイスもらった先輩?」
「ああ、うん。そうなんだ。」
「後藤田から?まさかとは思うが、隠塚。お前、寝返ったのか?」
そういえば、書道なんだっけ。
慌てて私は両手を振った。
「まさか。浮気とかしないですから!」
「お前、書道部に寝返るのだけは許さんからな。」
「あれ?部長。もしかしてライバルなんですか?」
「当たり前だろう。文字一つでいろんなものが表現されてたまるか。そういうのは、俺たち美術部がするものだ!」
拳に力を込めて、部長が言う。
まあ、そうではあるのかもしれないが、何もそこまでライバル視しなくても。
「それで、部長。その後藤田先輩って、どんな人?」
「まあ、真面目な奴でできる奴だぞ。学力もあるし、スポーツもできるみたいな。」
「あ、わかります。完璧超人って奴ですね。」
ぽんと一つ手を打つ。
すると、二人は小さくため息をついた。
「隠塚。お前な。」
「まあまあ。ちなみに、先輩は文字の色って見えますか?」
「なんだそりゃ。大方、後藤田に言われたんだろう。あるわけないだろ、そんなの。」
ないないと、片手をあげてひらひらと振って見せる。
ふうっと、歩美はため息をついた。
「まあ、部長はあてにしてなかった。大丈夫、早季。放課後の人はもっと頼りになるから。」
「ぬおっ!!」
歩美の言葉がぐさりと心に刺さったのか、部長が悲鳴を上げる。
がっくりと項垂れて、部長は背中を向ける。
「隠塚・・・帰る・・・。」
「あ、は、はい部長!お疲れ様です。」
どんよりとしながら去っていく部長の背中に手を振る。
ふうっと、歩美は隣でため息をつく。
「もうちょっと、優しくしてあげればいいのに。」
「そんなに弱い人じゃないから、これぐらいがちょうどいい。」
歩美は歩美なりに、部長のことを考えてくれているのかもしれない。
そうっかと呟いて私は、小さく笑った。
見た目は冷たくても、内面はとても暖かいのが歩美だ。
「ん?」
一瞬、何かが見えた気がして、私はじっと歩美を見た。
「何?」
「あ、いや。気のせいかな。」
「ならいいよ。それより、放課後忘れないでね。」
「うん。」
軽く手を挙げて、歩美は教室の中へ戻っていく。
その背中に、私は視線を向けた。
さっき見えたのは、やっぱり気のせいだったのだろうか。
うーむ、やっぱりわからない。
諦めて、私も教室へと戻っていった。
ようやく一日が終わった。
歩美と一緒に学校を出ると、通りで私は大きく伸びをした。
「いやあ、よく寝たね。」
「早季、いつだって寝てるだけでしょ。」
「そうとも言うね。」
「追試になっても面倒みれないよ。」
「いや、それは困るな。」
歩美しか友達がいないというわけではないが、歩美ほど教えるのが上手な友達はいない。
ましてや、面倒見のいい世話焼きな歩美だからこそ助かることはいくらでもあるのだ。
鞄を片手に、歩美は足早に歩いていく。
彼女の歩調はいつでも速い。
足元は真っ白だというのに、彼女はそれをものともせずに進む。
「あ、歩美速いって。」
「ん?あ、そうか。ごめん。」
大分間が空いていることに気づいて、歩美は足を止める。
「大体、どこいくの?」
「そうだね。もうすぐかな。」
大通りを抜けて繁華街に入る。
デパートを中心に、いつも買い物客で賑わうそこは、今も大勢の人でごった返している。
「新商品入荷か・・・。」
「余計なものに目移りしてると、またお金なくなるよ。」
「うっ。」
よく、画材などを買い足すときに余計なものを購入しては懐をさみしくするのが私の性だ。
歩美に指摘されて、自重しますと視線を逸らす。
「ほら、こっち。」
「え?」
デパートとビルの合間の通路に歩美は入っていく。
今更だが、危ないお店とかじゃないだろうかと不安になる。
どうも、歩美はミステリアスというか、読めないところがある。
交友関係も結構不透明なところが多いしな。
私もその後ろに続いて路地に入る。
車が通れる余裕などない裏道だが、しっかりと除雪はしてあった。
塾などが入っている雑居ビルがいくつか並んでいる。
その後ろを通っていくと、通りを抜けた先に木造の小さな家屋があった。
「なにここ?今時木造?」
身をかがめるようにして、窓際に近づいて中を覗き込む。
薄暗い中はよく見えない。
「知り合いの店でね。入って。」
無遠慮に歩美は横開きの戸を開く。
風除室になっているようで、その奥に木製のドアがある。
ドアに手をかけて、体重をかけるようにしてそれを開く。
重たそうだな、と思いながら中を覗き込む。
カフェだろうか。
正面にカウンターがあり、左右に円形のテーブルが二つほど置いてある。
あんまり広い間取りではない。
ベルが鳴って、私たちのことを告げる。
「憲さん。連れてきた。」
歩美が声を上げる。
すると、カウンターの奥から暖簾を押し上げるようにして初老の男性が顔を出した。
「いらっしゃい。とりあえず、座って。何か出すよ。」
柔和な笑みを浮かべてそう言うと、憲さんと呼ばれた男性は奥へ引っ込む。
カウンターの椅子を引いて、歩美は腰を下ろす。
それから、隣の席を勧められて私はそこに腰を下ろした。
「なんのお店?どういう知り合い?」
「ちょっとした付き合いのある人で、占い師なんだ。」
「占い師?」
となると、ここは占いのお店なのだろうか。
周囲を見渡してみる。
明かりの入らない窓。
薄暗い空間には、それらしいものはない。
ただ、古めかしい蓄音機などが置いてある程度の空間は、占いのお店には見えない。
「うーむ。」
「はい、二人とも。」
目の前に紅茶が出される。
花柄の白いおしゃれなカップに、琥珀色の暖かいお茶がはいっている。
「ああ、ありがとうございます!」
おいしそうであるのと同時に、センスを感じる。
だが、それでは喫茶店ではないだろうか。
「本当に占い師?」
「まあね。見えないかもしれないけど。このお店、結構人気あるんだ。混むときはかなり混むから、その時はここで好きに飲み食いして待ってる人が大半かな。」
「混むのこのお店!?」
思わず大声をあげてしまう。
しまったと思い、憲さんのほうを見るが、いつの間にか彼はいなくなっている。
まあね、と言って歩美は小さく笑った。
とてもではないが信じられない。
急にあたりに明かりがともる。
小さな電球が、橙色に光る。
どうにも落ち着かず、周囲を見渡してしまう。
ここは落ち着こう。
出されたカップに口をつけて、暖かいお茶を流し込む。
体の内側から暖かくなっていくような感覚と同時に、心が落ち着いてくる。
香りも味もかなりのものだ。
「ふう。いいお茶だね。」
「フォションのアールグレイですよ。」
「へ?フォション?アールグレイ?」
「フランス産の紅茶ってこと。」
「はあ。」
馴染みのない単語であるため、一瞬きょとんとしてしまう。
もしかして、結構高いお茶だったりするのだろうか。
お代とか大丈夫かな・・・。
カップに口をつけながら、私はふとそんなことを思った。
「とりあえず、こちら占い師の浅井憲太郎さん。憲さん。こちら、友人の隠塚早季。」
「どうも。噂は高瀬さんに聞いてます。」
「あ、どうも。」
柔和な笑みを浮かべて頭を下げる憲さんに倣って私も慌てて頭を下げる。
「それで、歩美。私はどうすればいい?お代とかどうしたらいいの?」
「ちょっと落ち着いて。そこは大丈夫だから。」
「それよりも、色をお探しとか。」
「え?はい。そうです。」
憲さんに突然声をかけられて、私は背筋を伸ばして返事をする。
「色というのは、感情などを表します。また、そこに深層心理が現れたりもするんですよ。」
「は、はあ。」
憲さんは、カウンターの下から色のついたパレットを取り出した。
様々な色がそこに盛ってある。
木製のパレットは、かなりいい品であることがわかる。
「わあ。いいパレットですね。これ、いい!」
「早季。」
「あ、はい。すいません。」
歩美に肘で突かれて、咳払いして落ち着きを取り戻す。
「試してみましょう。この中から惹かれる色を選んでください。」
「え?はい。ええっと・・・。」
気持ちの惹かれる色か・・・。
パレットの上に並べられた絵の具をじっと見つめる。
あ、いい絵の具使ってるなこれ。
伸びとか乗りとかがよさそうだ。
「早季。関係ないこと考えてるでしょ。」
「なんでわかるの!?」
カップを片手に、歩美は冷たい視線を向けている。
なぜ見抜かれたのかと、彼女の方を見てしまう。
ふうっと小さくため息をついて、カップを口元に運ぶ歩美。
「顔に出てる。」
「うへ。厳しいですな。」
「ほら、早く選んであげて。」
そうだったと、憲さんの方に向き直る。
さっきからパレットを手に、柔和な笑顔を浮かべてこちらを見ている。
あまり待たせると悪い。
「そうだな。イエローグリーンでお願いします。」
「イエローグリーンですね。この色を選ぶときは、今抱える問題に対してバランスを取りたいと思っているときですよ。」
「バランスですか。」
「今日のあなたはとても親身な気分になっているようです。近くにいる人たちと楽しくおしゃべりして、充実した時間を過ごすことができるでしょう。
なにかいま、不安を抱えている人は、信頼できる人に相談を持ちかけると、的確なアドバイスをしてもらえそうです。
また今日は、いつもならなかなかひとりではできないことも、人の協力を得て達成することができるでしょう。こんな感じです。」
「はあ。なるほど。」
「こんな感じで、色には感情があるんですよ。例えばこれ。」
パレットを指して、憲さんは続ける。
彼の指は、ダークレッドを指さしている。
「これは、強い欲望を示します。他にも、色から受ける印象もあるでしょう?例えば、赤は怒りであるとか。」
「あー。なんかわかる気がします。」
頷いて、私はカップに口をつける。
憲さんは、柔和な笑みを浮かべたまま続けた。
「そうでしょう。ですから、色に感情があるんです。」
「となると、逆もまた然りか・・・。」
感情から色が出る。
それを、文字で示すことによってそこから受ける印象がある。
もしかすると、後藤田先輩はそう言いたかったのかもしれない。
「わかった気がする!」
「そうですか。それはよかった。」
憲さんはうれしそうな顔で頷く。
頬杖を突く歩美も、小さく笑みを浮かべた。
「よかった。」
「そこで、歩美。ちょっと協力してほしいんだけど。」
「何?」
さっき昼休みに見えかかったもの。
歩美に協力してもらえれば形にできるかもしれない。
そう考えていたのだ。
雪が降り始めた。
高台から見下ろす街は、白く染まっている。
そこへ、ゆっくりとだが雪が降り始めた。
ガードレールの手前で、歩美はこちらに背を向けるようにして立っている。
あの後、私が頼んだこと。
この間書いていた絵に、加わってほしいということだった。
歩美は最初嫌がったが、憲さんの後押しもあって協力してくれることになった。
同じ景色。
それを見ているはずなのに、そこから見えるものは変わっていた。
絵の具を用意して、私の心の内に現れた景色をそこへ足していく。
マチェールに描いていく。
ふっと背後に人の気配を感じた。
振り返ると、後藤田先輩が覗き込んでいる。
「よかった。見えたみたいね。」
「はい、後藤田先輩!」
後藤田先輩は嬉しそうに笑顔を見せた。
淡いオレンジ色。
彼女の中から溢れてくる優しさを表現したつもりだ。
「いや、奥が深いですね。書道も美術も。」
「そうね。だから、私は書道が好きなの。」
「私も油絵好きですよ。」
「よかった。」
私も笑顔になる。
この風景は、感謝の色。
心強い友人への感謝の文字が、私の心のマチェールに現れたのだ。
「今の気持ちも、それからあの子の気持ちも大切にしてあげてね。」
「はい、後藤田先輩。」
そして、あなたにも。
多くの出会いと支えに、私は心からの感謝を示すのだった。
完
高校時代、現代文の読解などは妙に強かった作者なりの感想です。
一度読んだ文章に、色のイメージが定着する。
あとは、その色と合致するものを選んでいけば自然と点数が取れるという今にしてみれば変な能力がありました。
そういう、イメージする力というのもまた一つの武器なのかなと思ったりもします。
かといって、この文章に色があるかといえば怪しいですが・・・。
最後まで読んでいただいた皆様、本当にありがとうございました。