「女の勘と言うものは時に恐ろしいものですね」
◆◇◆
翌日。高く上がった太陽も次第に西に向けて傾き始め、人々を追いかける影もだんだん長く伸びてきた。
そんな夕暮れ時の騎士団訓練所では、一際気合の入った雄叫びがこだましていた。
「でりゃああああぁっ!!」
訓練所全体にまで響き渡る程の叫び声と共に、稽古相手に容赦なく手にした双剣を振るう。
何度か手合せを行っていたが、雄叫びの主──ユトナの気迫に根負けしたのか、休憩したいと申し出るなりユトナから逃げるようにその場から立ち去ってしまった。
1人取り残されたユトナはそこで漸く疲労が蓄積している事に気づき、肩で呼吸をしつつ額を伝う汗を拭った。
「はぁっ、はぁっ…チッ」
そんな彼女の口から零れ落ちるのは、苛立ちを吐き出すかのような舌打ち。
傍から見れば今のユトナは熱心に訓練に打ち込む模範的な姿に見えようが、その中に苛立ちと、そしてそれを発散するかのように剣を振るっているように感じられて。
彼女が発する気迫の籠った叫び声も、心に巣食ったもやもやを何とか晴らそうと、まるで八つ当たりにも見えなくもない。
「くそっ…何なんだよアイツ。だーもうっ、考えただけでもムカつくっ」
ユトナの苛立ちの元凶とも思える長い髪の男性の姿が、ふと彼女の脳裏に浮かぶ。
一体彼は何を考えているのか…どうして自分にあんな事を言ったのか分からず、代わりに苛立ちばかりが募っていく。
「本当勝手なヤツ…もうオレはいらねーってか」
吐き捨てるようにそう呟きつつ、自分は彼にとって一体何なのだろうという自嘲めいた疑問が浮かんでは消える。
向こうが自分をいらないというのなら、もう二度と彼の前に現れるものか。
そんな意地にも似た感情を抱くユトナの脳裏には、再び1人の男性の姿が映り込む。
「助けて欲しいっつったって絶対行かねーからな!」
まるで様々な邪念を振り払うように、自分に言い聞かせるように。
そう言い切ると、再び訓練を始めようと鞘に納めた武器を手に取った。
◆◇◆
「ふむ…大分情報も集まってきましたね」
所変わって、此処は花街。
ほとんどの店は閉まっているが、そろそろ営業を始めようと忙しなくなり始める時刻だ。
それもあって通りは人通りも少なく、また客の姿もまばら。
そんな中、集めた情報に再度ざっと目を通しているロゼルタの姿があった。
彼はあれからずっと花街に留まりあれこれと事件について情報を集めていたようだ。
走り書きのメモに目を通していたロゼルタであったが、どうやら考えに行き詰ってしまったようで眉間に皺を寄せながら苛立った様子で髪を掻き上げた。
「ふぅ、少し気分転換でもしましょうかね。ユトナ、少し休憩でもしに……あ」
言いかけて、はたと口を噤むロゼルタ。
いつも傍に居るのが当たり前くらいになっていた少女の姿は、もう其処にはいなかった。
それもその筈、彼女を自分の傍から遠ざけたのは紛れもなく自分自身。
いつの間にか傍に居るのが当たり前になってしまって、彼女が居ない事をすっかり忘れてしまうなんて我ながら情けない…とロゼルタは内心自嘲してみせる。
馬鹿馬鹿しい、そう心の中で吐き捨てるものの、ユトナが居ないと改めて認識するなり心がざわめいて仕方ないのは何故だろう。
ロゼルタは小さく首を傾げつつ、きっと考えが行き詰っているから疲れているのだろう…という結論に至った。
頭をリフレッシュする為に休憩でもするか、と思い立ったロゼルタの背後から、鈴の鳴るような可憐な声が投げかけられた。
「お兄さん! こんな所でどうしたの?」
「おや…リナリアさんではないですか。奇遇ですね」
「ふふ、運命かもしれないわよ?」
「だとしたら素晴らしいですね」
ロゼルタは思わず声の主──リナリアへと視線をずらす。
仕事中ではなく完全なプライベート時に声をかけたようだが、それでも華やかなワンピースを身に纏いいつもと変わらず艶やかな雰囲気を纏っている。
「何してるの? アタシも混ぜてくれると嬉しいな」
「ええ…事件について色々調べている所ですよ」
「あら、お兄さん随分熱心なのね。何か分かったの?」
興味を持ったらしいリナリアがロゼルタの隣にいつの間にか回り込むとひょいとメモを覗き込んでみせる。
ロゼルタは一つ頷いてから、
「犯行場所は何れも込み入った路地裏で、被害者は様々。金品を奪われた際に怪我をした被害者も居るそうです。あとは…そうですね、この街の裏路地は迷路のように入り組んでいると聞きましたが」
「そうねぇ…裏路地は近道になる事もあるから便利だし、アタシ達みたいにこの街に慣れてる人達はよく使うわね。でも、土地勘のない人は迷うかも」
「成程、それでしたら犯人はこの街を熟知している者なのかもしれませんね。犯人は被害者の死角から襲い掛かっているし、何処に身を隠せる場所があるか…諸々知っていなければ難しいでしょう。自分が道に迷うという間抜けな事さえしでかす可能性もある訳ですし」
「犯人が…? 物騒な話ね、早く捕まらないかしら。いきなり男に襲われたら抵抗なんて出来ないし怖いわ」
「此処に住んでいる方々には怖い思いをさせてしまっていますからね…。早く何とかしなければ」
「ふふ、そんなのアナタが気にする事じゃないのに。案外真面目なのね」
「そうですね…ですが、これが私に与えられた使命ですから」
「……? 何の事? アナタ、時折不思議な事言うのね」
ロゼルタの言葉の真意を汲み取れず、不思議そうに首を傾げるリナリア。
しかし、ロゼルタと言えば作り笑いを口元に浮かべ曖昧にその真意を誤魔化そうとしていた。
「……、それでは、失礼しますね」
「あ、待ってよ~! アタシも一緒に行っていい?」
リナリアの申し出に意外そうに一瞬目を見開くロゼルタ。
しかし、次いで浮かべた表情は何処か浮かなく、どう返答すべきか考えあぐねているようにも見えて。
「いえ…申し訳ありません、今は1人で居たいので…」
不意にロゼルタの脳裏に浮かんだのは1人の少女の姿。
彼自身、何故この場にいない少女の姿が思い浮かんだのか皆目見当もつかないが、彼女をわざわざ退けたのにも関わらず、他の誰かと行動を共にする気にもならなかった。
「え…? どうして?」
「これは私が勝手にしている事ですから、誰かの手を煩わせる訳にはいきませんよ。申し訳ありません」
当たり障りのない返答をすれば、再び作り笑いを浮かべるロゼルタ。
本音をその作り笑いの奥にひた隠しにしたまま。
すると、ロゼルタからの返答が気に入らなかったのか、リナリアの眉が不機嫌そうに歪む。
「本当は…誰か一緒に居たい人がいるの?」
「まさか。それは有り得ません。何故そう思うのです?」
「何か寂しそうな…遠い目をしてたから。その人の事見てたのかなって」
「私が…?」
青天の霹靂、と言わんばかりに鳩が豆鉄砲食らったような表情を浮かべるロゼルタ。
まさか、リナリアがそんな言葉を投げかけるとは思いもよらなかったから。
けれど、彼女の言葉を完全に否定する事も出来なくて。
流石、様々な男性と関わりがある娼婦と言うべきか、なかなかに鋭い。
「……、私には何とも申し上げられません。ただ…女の勘と言うものは時に恐ろしいものですね」
「……っ」
のらりくらりとはぐらかすロゼルタに、人知れず歯噛みするリナリア。
縋るような眼差しがロゼルタを捉えて離さない。
「アタシじゃ…駄目なの?」
「…私には何とも。リナリアさん…これからどちらへ? 其処までご一緒しましょう」
やはりその真意を胸の奥底に隠したまま。
またしてもはぐらかすような返答に、リナリアは不意に何か吹っ切れたようにこう切り出した。
「これから仕事なの。お店まで付き合って」
「畏まりました」
にっこりと魔性の女のような妖艶さと刺のような鋭さを併せ持った笑みを浮かべつつ、リナリアはロゼルタを伴い歩を進めた。