「いつかオマエ全国民にボコられちまえっ!」
「……おや? そろそろお香が切れそうですね」
「あら残念。それじゃあ今日は此処まで、ね」
外は夜の女王が支配する世界。
常闇に包まれてすっかりと静まり返り、普通の人ならばとっくに眠りについている時間だ。
街の表通りも昼間ならば大勢の人達で賑わっているのだが、今の時刻となれば人通りはほとんど無い。
しかし、そんな中唯一夜に一番輝く場所がある。
それは煌びやかで妖艶な女性達が彩る街、花街だ。
むしろ夜がすっかり更けてから一段と賑わいを見せており、それは花街の一角に佇む娼館もそれは同じ。
娼館のとある一室ではお香が焚かれているようで、鼻を擽るのは芳しい香り。
その部屋に居るのは一組の男女で、男がそろそろお香が切れそうなのに気づくとその声に反応した女がゆっくりとベッドから起き上がった。
「ふふ、延長も大歓迎だけど…どうする?」
「それは嬉しい申し出ですねぇ。ですが延長料金も高額そうですし、またの機会にしますよ」
「え~釣れないわねぇ。まぁいいわ、じゃあまたのご来店をお待ちしております~なんてね」
2人の会話から、どうやらこの男女は客と娼婦の関係らしい。
そんな軽口を交わしながらも、男の方もいつの間にやらベッドから起き上がるとさっさと身支度を整えている。
男が身動ぎをする度に紫色の長い髪がさらりと揺らめいた。
「あら、もう帰るの?」
「もう時間ですからね。貴方に迷惑をかける訳にも参りませんし」
「そんな気を回さなくてもいいのに~。アナタとなら何時まで居たって構わないわよ」
「ふふ、お気遣いありがとうございます」
「もう~そんなんじゃないのに」
あくまで一線を保ちつつ受け答えをする男に対し、そんな男の態度に気づいたのか不満そうに口を尖らせる女。
女のそんな内心に気づいていないのかそれとも気づいていてわざと素知らぬふりをしているのか、男は薄く口元に笑みを浮かべたまま帰り支度を止めようとはしない。
そんな男を横目で見やりつつ、何か思い出したらしい女が服をまさぐり何やら探している様子。
立ち上がり部屋を出ようとした男にそれをすっと差し出した。
「これは…?」
「プレゼント。アナタの綺麗な髪に似合うんじゃないかと思って」
「…これも料金のうちに含まれるのです?」
「違うわよ~あくまでアタシのサービス。だから受け取ってくれると嬉しいな」
男の双眸──右目に眼帯をつけているので、正確に言えば隻眼だが──はつい先程受け取った小さな紙包みへと向けられる。
最初は不思議そうにそれを見つめていたが、やがてにっこりと穏やかな微笑みを浮かべれば、
「…ありがとうございます。大事にしますよ」
◆◇◆
「……それ、何だよ?」
「……ん?」
それから数日後。
打って変わって今は和やかな昼下がり、花街はゆったりとした時間が流れている。
例に漏れずフェルナント国王子ロゼルタは城を抜け出してこっそり花街へ繰り出しており、カフェでまったりとアフタヌーンティを楽しんでいたのだが。
いつもの如く彼を探しに来たユトナに見つけられてしまい、折角の1人の時間を台無しにされて不満げな様子。
しかしユトナはそんなのお構いなし、ずけずけとロゼルタの隣の席に座り込んだのだが、ふとロゼルタの髪に気になる所でもあったのか思わずそちらを指差した。
指差されるのに気づいてロゼルタは無意識のうちに自分の頭──高く結い上げた髪の結び目辺りを押さえる。
恐らくユトナが指摘したのは彼の髪型ではなく、髪を結うのに使用している髪留めであろう。
ゴムに小さな硝子玉がついている、何ともお洒落な髪留めだ。
「見れば分かるでしょう、髪留めですよ」
「ンな事は知ってるっつーの。そーじゃなくて、何でそんなんつけてんだって聞いてんだよ」
「ああ、貰い物ですよ。折角だからつけているだけです」
「貰い物…? 誰に貰ったんだよ?」
「先日お会いした娼婦ですよ」
「え…? じゃあ女の人って事か?」
「流石に男の娼婦は居ませんよ」
「ま、まぁそりゃそーだけど…」
「……? 何故そこでそんなに拘るのです?」
「べっ、別に拘ってなんかねーよ!」
──チクリ。
ユトナの胸の奥を、小さな針が突くような感覚に襲われる。
けれど、ユトナ自身何故そんな痛みを伴うのか全く分からず、結局はただの勘違いと判断したようだ。
「そうですか? それなら良いですが…。彼女もなかなか抜け目ない。細やかな気配りをする事で客を離さないようにしているのでしょうね」
「はぁ? 何だそりゃ?」
「娼婦が客に贈り物をしたり、それらしい素振りを見せたり…客をその気にさせる技ですよ。客がいなくなってしまっては商売あがったりですからね」
「そーかなぁ…それだけでわざわざプレゼントなんかするか?」
「ええ、そういうものです。貴方もまだまだ駆け引きを理解していないようですね」
「何だよ駆け引きって。娼館ってそんな事もすんのか? つーか、娼館って何する所なんだよ?」
「……、それを私に聞きますか…。今度自分の目で確かめてきたら如何です?」
「何で教えてくんねーんだよ!? うわーあやしー絶対何かやましい事してんだろ!」
結局はのらりくらりと返答をはぐらかされ、望んだ答えを得られなかったユトナは不満そうに頬を膨らませてみせる。
…と、むくれるユトナの視界に映り込むのは口元に僅かな微笑みを湛えその仮面の奥底に感情をひた隠しにするロゼルタの姿。
いつもの彼とは違い、眼鏡を外して代わりに右目に眼帯を装着し、服装もいつもよりも大分ラフなシャツを着ている。
その格好に、ユトナは思わず首を傾げた。
「つーか何だよそのカッコは? それに眼鏡かけなくていいのかよそれじゃあよく見えねーんじゃねーか?」
「ああ、それでしたらご心配なく。元々伊達眼鏡ですから。それとこの服装は変装の為です」
「はぁ? 何でわざわざ眼鏡かけんのか意味わかんねぇ…。大体、変装も城抜け出す為だろ? 何でそこまでして花街に行くんだよ?」
「城では寛げないでしょう。それに、城に居るよりよっぽど民の姿を目の当たりに出来ますから。社会勉強ですよ」
「社会勉強って…モノは言い様だよな。オマエはホント口先だけは上手いっつーか…」
「褒めて頂き光栄ですよ」
「全くもって1ミリも褒めてねーよ!」
ユトナの力の限り放たれたツッコミが炸裂する。
しかし、ロゼルタといえは全く堪えている様子はなく、むしろ涼しげな表情を浮かべるばかり。
その様子がさらにユトナの癇に障ったのか、怒りの雄叫びが辺りにこだました。
「いつかオマエ全国民にボコられちまえっ!」