君へ続く道、あなたへ還る空。―5―完結
そして日々はゆるゆると過ぎていく。自宅に籠ったまま出てこない圭成とは対照的に、千紗は一人暮らしの準備を進めてていた。はたから見れば悩みを抱えているように見えないがしかし、その行動こそ寂しさを紛らわせるためのものだと吉明と葉子は知っていた。
四人の心はすれ違ったままだ。それはやはり、四人の中心人物の不在に所以するのだろう。だが、誰もがどうやって元通りに戻せるのか、その術を知らない。
そして、ついに千紗の旅立ちの時が来た。
やっと桜が芽吹き始めた北国から、桜の散った、東京へ。
汽笛の音が乾いた空に響く。人々の喧騒は汽笛にかき消され空に散るが、すぐに元に戻る。
千紗と葉子、吉明は駅のホーム後方に集まり、世間話をしていた。三人にとってはいつもの光景だ。千紗達の通う高校へはこの路線を使うしかなく、千紗達にとってはこのポジションは定位置なのだ。違うのは、一人の不在と千紗の行く場所。千紗の傍らには大きな鞄が二つ。車輪が付いたものと、肩掛けのボストンバッグ。それだけでも、彼女はこれからとても遠くへ行くのだとわかる。葉子はそれらが視界に入らないよう、吉明の影に隠れ、空を見上げた。
「東京でも、星とか見れるのかな」
千紗は苦笑する。
「何言ってるの、当たり前じゃない」
「じゃあ俺たちが不意に見上げた星空を、お前も見てるかもしれないってことだな」
「そうね、空は繋がってるんだから。でもま、こっちに比べ、東京じゃ星はあんまり見えないみたいだけど」
「お月様なら、絶対見れる。私、毎日見上げて千紗ちゃんも見上げてるって思う事にする」
「可愛い子だね全く。これから離れると思うと、寂しくなるよ」
そう言って千紗は言葉を切った。葉子は既に泣きそうだ。もらい泣きしそうになるのをぐっと堪え、吉明は話を振る。
「そういや、こっちには帰ってくるのか」
「大学卒業して、あたしが納得するまであっちで生活したらね」
「なんだ、納得いくまでって?」
腹に裏拳が炸裂する。見れば葉子が涙目のまま頬を膨らませていた。
「こら、女の子の秘密を聞くもんじゃないぞ」
「じゃあお前には聞いていいんだな」
「何を生意気な!」
「全くあんたらはこんな時まで。馬鹿やってないで少しは名残惜しみなさいよ、次いつ帰ってくるかわからないって言ってるのに」
「――だから馬鹿やってんじゃねえか」
誰も口を開けない。葉子はとうとう泣き出した。涙腺が熱くなるのを感じ、吉明は自分がこんなにも涙もろいのかと初めて知った。涙を流さないよう空を見上げれば、そこには小さな桜の花びらが舞っていた。そして不在の人物を思った。いくら振られたからとはいえ、お前はここに来ないつもりなのか、と。
「ありがと、二人とも」
「間もなく、東京、品川行発車致します。ご出発の方は、乗車になりましてお待ちください~。えー間もなく……」
小さな千紗の声はアナウンスにかき消される。ばつが悪そうに笑いだす千紗につられ、葉子も吉明も笑い出した。ひとしきり笑った後、笑った涙か悲しみの涙かわからないものを拭い、千紗は葉子を見、吉明を見て、
「じゃ、行ってきます!」
と言った。別離でなく、旅立ちの言葉を。
「おう」
「遊びに行くからね……またね、千紗ちゃん」
だから、二人はせめて元気よく、気持ちよく旅立てるよう、大声で返した。
重い荷物を引き摺り、列車に乗り込む千紗。やがて、列車が出発のため汽笛を鳴らし、ドアを閉め――
「この列車! 出発させん!!」
れなかった。一人の馬鹿が線路に立ち、汽笛に負けない大声を張り上げ、列車の行く手を阻んだ。
三人は三人、頭を抱える。そんじょそこらの馬鹿ではないことはわかっていたが、ここまで馬鹿だとは誰しも思っていなかった。そんな馬鹿な事をする知り合いは三人の知り合いで一人しかいない。
「圭成! あの馬鹿!」
それぞれ違った言い回しで叫んだ。圭成は集まってきた駅職員に囲まれ、もみくちゃになっていた。彼の行動は誰にも理解できず、当然の措置である。その状態で、また叫ぶ。
「この列車には、自分の愛する人が乗っている! 最後の言葉を伝えるまで、自分はここをてこでも動かん!」
千紗は頭痛のする思いだった。出発前からこの東京行、一番の壁は、圭成だと確信していた。先日の告白で、その障害を取り除いたと思ったのが間違いだった。
「ちょっとこの荷物見てて。あの馬鹿ぶっ飛ばしてくる」
千紗は荷物を葉子らに預け、腹を決めて先頭車両へ走り出す。葉子らもそのまま待っている訳にもいかず重い荷物を引き摺って千紗を追いかけた。
「おいそこの馬鹿! ぶっ飛ばしてやるからこっちこい!」
千紗はその小さな体からは想像もできない怒号をあげ、圭成を睨みつける。その怒号に、圭成を取り押さえていた駅員達は竦み上がった。本来なら立場上障害は即刻排除しなければならない。だが、圭成はもとより、息を切らし肩で息をするこの少女のあまりの剣幕に気後れしてしまった。
「千紗、ぶっ飛ばされたくないから、ここでいい」
「あんたは良くてもあたしが良くない!」
「自分はお前が好きだ、大好きだ、愛している! これだけはなにがあろうと譲れないし、お前が嫌いだと言おうと気持ちが変わることもない! 天地神明森羅万象に誓って言おう! 自分は河野千紗を愛していると!」
恥も外聞もない。そして周知の事実のなる千紗と圭成の関係。
追付いた葉子と吉明は、ついに始まったと心で笑った。そうだ。この四人は、圭成がいてこその関係なのだ。そして、恥も外聞も体裁もなにも。圭成には関係ない。あいつの心にあるのは一つ。千紗が好きだという思いだけなんだ。
「だからなんだっていうのさ! そんなこと言ったってもう遅いのよ! あたしは東京へ行く! あんたの気持ちに応えられない! あたしはあんたが大き――」
「自分の気持ちに嘘を吐くな千紗! お前の本心はこの自分が、圭成という男が好きなのだろう! 胸を張って叫べ、自分が好きだと、愛していると! さぁ!!」
周りの人間が息をのむ。そして全員が思った。こいつは正真正銘の馬鹿だ、と。
「だ、だまれこのアホ馬鹿野郎!! 人の気も知らないで勝手ばっかり言ってふざけんな! いや、ふざけるのも大概にしろ!!」
「今の今まで自分がふざけたことなんて一度でもあるか! さぁ言え! 自分の事が好きだと!」
「こんなとこで言えるか馬鹿ー!!」
その言葉に、ついに葉子は噴き出した。つられて吉明。そしてその笑いはホームにいた全ての人に伝染していく。そして堰を切ったように大爆笑が巻き起こった。圭成を取り押さえていた駅職員も腹を抱え笑い出す。状況がいまいち飲み込めない千紗は訳もわからず周りを見回す。圭成はそんな千紗を黙って見つめ返してた。
「よ、葉子? なんでみんな笑ってるの?」
腹を抱え、震えながら今にも倒れこみそうになっている葉子に千紗は聞いた。葉子は今度こそ、笑い涙とわかるそれを拭いながら、震える声で千紗に答える。
「だって千紗ちゃん、今の好きだって言ってるようなもんじゃん」
「なっ」
「だな、そんなに耳まで赤くして、告白以外のなにものでもないじゃないか」
吉明が言葉を継ぐ。千紗はキッと睨むが、吉明に至っては笑い転げていて、既に目も合わせられない。そして追い打ちのように、圭成の叫びが続く。
「千紗! ちゃんと言葉にしないと伝わらない想いもあるぞ! 言え! さぁどんと来い!!」
もうなにがなんだかわからない、というのが千紗の胸中だろう。圭成の言葉に反応し、より一層笑い声が大きくなった。この街の住人はみんな頭がおかしくなったのか、これじゃ自分だけが馬鹿みたいだ。深いため息を吐いたあと、意を決する千紗。
千紗は深呼吸した。そして人生で一番の大声を――
「好きに決まってんだろーこんの馬鹿が!!」
と、乾いた空に大きく響かせた。一瞬の静寂の後、拍手が聞こえた。見れば、葉子が、吉明が、千紗達に関係のない全ての人々が、千紗と圭成に向けて笑顔と拍手を向けている。
「ありがとう千紗。その言葉だけで十分だ」
圭成を見れば、圭成は泣いていた。なるほど、言葉にしないと伝わらない想い、か。と千紗も泣きたい気持ちを抑え、圭成を見つめる。
「その強さがあれば、お前はどこだってやっていける。地に足着けて、しっかり行って来い、東京に」
拍手は止まらない。涙も止まらない。
「圭……成」
「それと言っておくことがある。空は、つながってるんじゃない。一つなんだ。みんな空の下だ。見上げれば、みんなその下にいる。星が見えなくても、雨が降っていても同じだ。だから大丈夫、お前は一人じゃない。誰にも負けんな、自分にも、自身にも。頑張れよ、愛する君よ」
拍手は止まらない。涙は、……止めた。
「えー少々のトラブルはございましたが、運転再開でございます。どなた様も大切な物お忘れなきよう、細心の注意を払って乗車ください。なおこの列車は五分遅れでの発車となります。皆様の温かい思いありがとうございます、それでは出発までもう間もなくとなります。どなた様も大切な物……」
アナウンスが駅のホームに流れる。そして、滞りなく列車は今度こそ、出発した。
列車の窓からすべての人が手を振り、ホームに残る人たちも同様に手を振った。大切な者との別れを惜しむためではない、旅立ちの合図。圭成らは、顔も出さない千紗に手を振っていた。吉明と葉子は無二の友人に。圭成は大切な、愛しの人に。列車が小さくなっても、見えなくなっても、ずっとずっと。
「ったくどこの青春ドラマだよ」
「圭成君、千紗ちゃんの気持ち、気付いてたの?」
「まあな。長い付き合いだ。あいつの考えている事なんて、全部わかる」
「その割には、千紗の事で、悩んだりしていたような気がするが?」
悪戯っぽく聞いてみる。手を振るのを止め、圭成は列車に背を向け歩き出した。吉明と葉子はその後を追う。
「気のせいだ……ああそれと」
足を止める圭成。何事かとそれに倣う吉明。そのすぐ真後ろに居た葉子は吉明の背中にぶつかり転んだ。
「吉明、今度から千紗を千紗と呼ぶのを止めろ。河野さんと呼べ」
「……河野さん」
納得したような面持ちで、また歩き出す圭成。吉明は頭を掻きため息を漏らす。そして未だに転んだままの友人のために手を差し伸べた。すると、葉子が小さく笑っているのに気付く。
「どうした?」
「いやね、ちょっと似てるなーって。私も千紗ちゃんに言われたことあるんだ」
「なにを?」
手を取り起き上がる葉子。ありがとうと小さく言ったかと思うと、そのまま圭成の背を追い駆け出した。
「圭成君を呼び捨てで呼ばないでって!」
ガタンガタンと列車が音を立てて進む。千紗は窓に顔を向け、外を眺めていた。本当は顔まで出して手を振りたかった。でも恥ずかしくてできなかった。思い出すだけで、顔から火が出そうだと、千紗は思う。
「……なぁにがお前は一人じゃない、だよ全くあの馬鹿は」
ぶつぶつと文句は言うが、顔は赤いままだ。
「馬鹿……本当、馬鹿なんだから」
でも、もう迷わない。あやふやな気持ちもない。ずっと暗闇に支配されていた心内が、今は澄み切った青空のようだ。
一人で、でもみんなの気持ちと一つに。私はこれから、東京で暮らそう。そして帰ってきたら、最初にあの人に会いに行こう。胸を張って、まっすぐに見つめて、そして、こう言うんだ。
――私もあなたを愛しています――
と。
いつか言の葉に、この気持ちを乗せて。あなたに還る、この空の下で。
読了ありがとうございます。―5―に関しては今までと違い、少し長めになりましたが、いかがだったでしょうか?
実は僕が小説を、短いとはいえ完結させるのは、これで二つ目のことです。ほかには脚本しか手掛けておりません。ですので、読みにくい点や、この表現わからんちん。というようなこともさぞ多かったことでしょう、それはひとえに僕の力不足のなせる業です。申し訳ない。
そして何を隠そう、僕、ファンタジー物が書きたいんですよ、ええバリバリの剣と魔法の西洋ファンタジー。恋愛もの書いてると楽しいんですが、僕が書きたいのは伝奇や魑魅魍魎の跋扈する異世界ものなのです! 信じて!
とはいえ、設定やらなんやらはすごい詰めいているのですが、僕の実力じゃかけないという……くそ歯がゆいぜ! 圭成みたいになりたい!
話がそれました。なにか表現の方法の指摘や、差支えなければ感想など送っていただけると嬉しいです。咽び泣いて五体投地です。嘘です五体投地はしません。泣くだけです。
次回は、同じくオーディオドラマとして作品ができている『水玉はじけて、輝くひかり』です。こちらも同じく現代恋愛もの。書いてて寂しくなるのは、皆さんと僕との秘密です。
それでは、あとがきまでしっかりお読みくださいましてありがとうございます。こんな僕の書く作品ですが、よろしければまた足を運んでくださいまし!
最後にもう一度。ここまでお読みくださって、ありがとうございました!