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君へ続く道、あなたへ還る空。―3―

 葉子は千紗の新たな門出を認められないでいた。恐らく千紗にとってとても重大で、大事な決断だったのだろう。それでも、この街を去る直前まで自分に話してくれなかったことがどうしても不満なのだ。自分のエゴだとは分かっていても、友達なのだから、と思わずにはいられない。

 千紗はというとそんな不満の視線を気にも留めず、慣れない手つきで煙草に火を点けていた。最近の千紗は唐突な行動が多い。葉子はその不自然さに戸惑っていた。

「ねえ、なんで東京行くの?」

 もう何度ぶつけたかわからない質問を再度浴びせる。またそれ? といった様なそぶりを見せ、千紗は窓を開け煙を外に吐く。煙が宙に消える。

「あんたさっきからそればっか。何度答えたら気が済む訳?」

 怒っているような、呆れているような、独特の言い回し。すこし枯れたようなハスキーな声が、葉子は好きだった。

 それがもう聞けなくなると思うと――

「寂しいんだもん」

 手近な枕を抱く。本当は千紗をギュッと抱きしめたい。離れないでよと言いたい。でも今は千紗との壁を感じて、千紗の決断に何も言えなくて、それが出来ない。それが出来るのは多分……。

「根性の別れでもあるまいし、大げさだって」

 冬の空気が部屋中を満たす。身を切るような寒さは心まで、凍えさせるようだ。葉子が寒いと訴えかけるが、千紗はそれを無視し、仕方なく、毛布を深く被った。

 すると余計に、千紗と自分の距離が遠くなったような気がして、葉子は胸を押える。

「いつも一緒にいた友達が離れるのは、理由はどうあれ、寂しいよ。千紗ちゃんもそうでしょ?」

「あたしは……」

「ねえなんで? どうして東京にいくの? 理由を聞かせてよ」

 千紗の顔が曇る。困らせたい訳じゃない。怒りたい訳じゃない。ただ納得したい。ただそれだけなのに、私はいけないことをしているのだろうか? 自己満足がすぎるのだろうか? 自分で自分が嫌になる。友達だと、親友だと思っている相手に、なんて表情をさせてしまうのかと。それでも、思いはとめどなく湧きあがり、嗚咽と共に言葉になって溢れてしまう。

「そりゃ、いつまでも一緒に居れるなんて思ってないけど。一言掛けて欲しかった。こんな気持ちのまま、千紗ちゃんとお別れなんて、私嫌だよ」

 止まらない。

「煙草も、東京も、私も、圭成君の事も! 教えてほしいよ、友達だもん。知りたいと思うのは、駄目なのかなぁ」

「葉子……」

 なんて、嫌な子なのだろう、私は。なんて事を言ってしまっているのだろう、私は。とめどなく流れる涙がもう、気持ち悪くて仕方がない。

「そういやこうやってお互い、気持ちを吐露することなんて、一回もなかったね」

 いつの間にか千紗は煙草を消し、葉子の側でしゃがみこんでいた。葉子が顔をあげるとその顔をそっと抱きしめる千紗。

「ありがとう、葉子。それとごめんね。こんなにあたしの事思ってくれてたなんて、今まで気付かなかった」

 首を振る葉子。――違う、そうじゃない。謝りたいのは私の方なんだ、感謝したいのは私の方なんだ。でも、今言葉に出来ない。千紗の言葉に心は震え、嗚咽が止まらない。

 千紗が耳元で呟く。

「本当は誰にも、親にも言うつもりはなかったけど……葉子には言うよ。友達、だもんね」

 ありがとう、と小さく付け足して。千紗の顔を見るとうっすらと涙の跡が見えた。そして笑顔だった。

「あたしがここを離れる理由はね――」

「千紗ー!」

 その声が閉め忘れた窓の外から聞こえた途端、千紗表情から笑顔が消えた。苦しいような、嬉しいような、そんな色んな想いが混じったような、顔。

「ここを離れる理由、それがあいつよ」

 声の主は圭成だ。そしてそれが理由だという。葉子にはわからない。知る限り、圭成と千紗は幼馴染で、仲も悪くないし、彼氏彼女のように何をするにも一緒で、付き合ってもいないのにお互いの事を理解し合っていた。それなのに、圭成が理由でこの街を離れるというのは……。

「嫌いになったの?」

 葉子の言葉に、一瞬目を見開き、そして優しい笑顔に戻る。千紗の手が葉子の頭を軽く撫でた。

「これから、私は言いたくない事を言わなくてはいけない。支えてとは言わない。ただ、あたしの決意を聞いて欲しい」

 葉子には意味が分からない。それでも、千紗の真剣な表情を見たら、なにも言えない。小さく頷く葉子。それを確認した千紗は、大きく息を吐き、立ち上がった。

「千紗ー! いないのかー!」

「大声出さなくたって聞こえてるって」

「いたか、千紗。話がある。聞いてくれないか」

「はいはい、あたしも話があったからちょうどいいわ。まずは息を整えたらどう?」

 千紗の背中が震えている。葉子はその寂しげに震える千紗の後ろ姿を、見つめる事しか出来なかった。

「千紗、自分は……お前が世界で一番大事だ。この一生をかけてももう二度と巡り合えない、愛しい人だ。結婚してくれ、好きだ!」

 やっと追付いた吉明は言葉を失い、部屋の中で葉子は口元を覆った。冬の乾いた空気にどこまでも高らかに響き渡る圭成の告白。そんな中、一人冷えた視線で圭成を見つめ返す千紗。

「圭成さ、あたしがあんたに対して今までどう思ってたか、考えたことある?」

「いや、同じ想いであると勝手に思って、考えたことない。聞かせてくれ、お前の気持ちを」

 次の言葉を待つ圭成。息を呑む吉明と葉子。千紗が少しだけ振り返り、葉子の笑いかける。葉子が千紗の震えが止まっていることに気が付いたのはその時だった。

「今回の東京行き、あんたから離れたいから、誰にも話さなかったの。わかる? あんたへの答えは、ノー。……あんたなんて――大っ嫌い」

 言い終わる前に、会話はこれで終わりとでもいうように窓を閉める千紗。カーテンも閉められ、ゆらゆらと小さく揺れている。圭成はそれを眺め、ぼんやりとしている。吉明は声を掛けられないでいた。やがてゆっくりと視線を道に落とし、握り拳を作ったと思ったら、そのまま自分を殴った。吉明が止める隙もないぐらい一瞬の出来事だった。あまりの唐突な行動に、何度目かわからない、言葉を失う。

「自分が、こんなにも馬鹿だと思ったのは、心底馬鹿だと思ったのは、生まれて初めてだ」

 そういって走り出す圭成。吉明はもうなにがなんだかわからず、一度だけ千紗の閉めた窓の未だ小さく揺れているカーテンを確認した後、舌打ちをして圭成の後を追った。

 部屋の中では、泣き声だけが聞こえていた。葉子のものではない。千紗が、カーテンに包まって小さく蹲り、泣いている。葉子は毛布を剥ぎ、一連のやり取りを思い出していた。千紗と、圭成の言葉。千紗の笑顔と、震えていた背中。窓を閉めた後に聞こえた、圭成の独り言。そして泣き出した千紗。

「千紗ちゃん……」

 先ほど自分がそうされたように、千紗をカーテン越しに抱く葉子。千紗はすがるように葉子の背に手を回す。泣き声がより一層大きくなる。

「辛いね、嘘つくのって。あんな事言われたの初めてで、嬉しいのに、嬉しいのになぁ……」

 葉子にはまだわからない事がある。それでも、さっきまで感じていた距離感はないし、確信していることもある。これが親友の決めたことなら、私にできる事は背中を押してあげる事。

 


 きっとそれだけだ。

 

 それだけ、……なんだ。




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