6.勝者と敗者は紙一重
ゲーム内の5時間は、現実の10分強である。
あと10分間、僕の艦隊に攻撃をさせなければ僕の勝ちだ。しかし、敵は、極めて優秀な艦隊指揮をするマリアである。5時間あれば逆転も可能かもしれない。
『マスター』
ミミの声が脳内に響く。報告モードではない。
『どうした?』
『あの年増は、すぐに小惑星帯を抜けてくると思うの。』
『どうしてそう思うんだい?』
『計算してみたけど、今いる位置から戦略級兵器を使えば一発で抜けられるよ。』
戦略級兵器、特殊砲とも言うが、主に重量級、それも旗艦レベルの艦にしか備え付けられていないものである。威力は強大だが、エネルギーの充填効率が悪く、艦隊戦で使用することはほとんどない。充填している間に、相手が射程距離外まで逃げることができるからだ。いわゆる攻城用兵器と言える。
『ああ、なるほど。マリアの旗艦は、半分よりも前にいたんだ。後方で足止めされててもおかしくないのに…何というか、戦いの勘みたいなものなのかもなあ。そうだ、ミミ。敵が小惑星帯のどの部分から抜けてくるか計算できる?』
『もうしてあるよ、マスター』
ディスプレイには、3つの選択肢が示されている。まだ動けるマリア艦隊が現在いると推定される場所から、仰角15度、俯角20度、俯角30度にまっすぐ来た地点が○で示されている。最短はまっすぐなのだがまっすぐだとまたペナルティを食らう恐れがあるので、マリアは上か下に角度をつけて撃つはずだ。そして、この3つの角度以外に向けて撃った時には輸送艦が配置されているので、マリアの負けが確定する。
さて、ここからは確率の問題ではなく、心理学の問題である。
当然角度の浅いものが最短になるので、普通に考えれば上に来る。ただ、これまでのマリアが通ってきたトンネルは、左右に振られはするものの緩やかな登りになっている。レーダーでトンネルの構造が確認できないので、これまで通ってきた道を頼りに予測するしかない。とすれば、マリアの立場に立てば、少々遠回りになっても、俯角30度の出口に特殊砲を撃つのが妥当と思われた。
『僕は、一番下から来ると思うけど、ミミはどう思う?』
『ミミは、一番上から来ると思う。』
『どうして、そう思うの?』
『うーん、わかんないけど、あの年増はそうする気がする』
『……ミミが、気がするって言うのは、初めてだね。』
『うん。人が選択する確率からいえば、一番下だと思うんだけど、これまであの年増のアーカイブを見ていてそんな気がするの。なんかうまく説明できなくてごめんなさい、マスター』
PAIが勘に頼るのは正直びっくりしたが、自分の常識に従うか、戦術アーカイブを詳細に記憶し、分析しているミミに従うか。結局、僕はミミに運命を委ねてみることにした。自分は戦術のプロではないのだ。それに、失敗しても次善策はある。
『じゃあ、本隊を4つの分艦隊に分けて、一番上の出口にちょうど火力が集中するように配置。あと、工作艦を縦陣にして、本隊と一番下の出口の間、小惑星帯から30光秒の位置に移動』
『はい!マスター!』
この会話の後すぐに、一番下の出口から高出力のエネルギー波が噴き出た。しかし、最大戦速で殺到してくるはずの艦隊がやってこない。僕は待つ。でも来ない。有利なはずの僕が、追い込まれているような気分になる。艦隊を動かしたくなった。
『マスター。下の出口は、あの作戦で防げるよ。大丈夫だよ』
ミミの声。これがなければ、僕は艦隊を動かしていたと思う。
少し冷静さを取り戻した僕は、時間を無駄にはできないはずのマリアが焦らしているのだ。何か策があるのだろうと思い、待つことにした。そして、ようやく艦隊らしき集団が下の出口に姿を現わしたその時、一番上の出口からエネルギー波が噴き出たのだ。僕が工作艦と本隊を分けていなければ、おそらく後背を突かれ危機に瀕していただろう。ミミと意見が食い違っていなかったら、その瞬間に負けが決定していたのだ。
下の出口から出てきた艦隊は機動力重視の部隊編成だった。こちら側の空間に出るや、上の出口にいる我が本隊に向かって、楔形陣を組みながら突撃してくる。反応が早い。
『ミミ、工作艦に号令を。下の艦隊をよく狙って。』
『はい、マスター』
ミミの指示で、工作艦が一斉に最大速度で小惑星帯に向かって前進を開始する。工作艦はそれぞれ大きな惑星の残骸を曳航していた。工作艦が加速する。工作艦は敵地近辺での任務を帯びることがある。それゆえ、加速と小回りの利きは艦隊一である。
『今だ!切り離せ』
最大速度に至った瞬間に、曳航していた惑星の残骸を切り離す。惑星の残骸は慣性の法則に従って、亜光速で飛んでいく。下の出口から出てきたマリア艦隊の横っ腹に向かって。1500もの工作艦が一斉に大きな質量の物体を放ったのだ。密集隊形を取りつつあった分艦隊は、側面からの攻撃をよけきれなかった。装甲の薄い巡洋艦はひとたまりもなく、吹っ飛ばされる。吹っ飛ばされた巡洋艦がほかの巡洋艦を巻き込んで、小惑星帯に衝突する。爆発が起き、爆風で制御を失った艦に別の巡洋艦が突っ込む。この攻撃は、連鎖的な事故を生み、分艦隊はそれに飲み込まれる形で行動不能に追い込まれた。
ちょうどそのとき、火力重視の艦隊が上の出口に殺到した。まさに間一髪である。
「撃て!」
僕が、艦隊指揮官のような号令をかけるとは思ってもみなかった。勢いで言ってしまった。
ミミが計算した通り、上の出口がちょうどクロス・ファイヤー・ポイントに当たり、集中した火力が、戦艦の厚い装甲を撃ち抜く。しかし、マリア艦隊は退かない。味方の屍を乗り越えて、果敢にも死地を切り開こうとする。こちらも気を抜けない。
現実の時間で、ゲーム終了まであと1分となった。
そのとき、下の出口からマリア艦隊の旗艦が出てきたのだ。戦略級兵器のエネルギー充填を終えた状態で。主砲がこちらを向いた。
「撃て!」
マリアが号令をかけた直後、時間切れ終了の合図が出された。
僕は間一髪で勝者になった。しかし、ゲームでなければ死んでいたのはこっちだろう。
そして、この瞬間から、僕はマリアにつきまとわれる破目になったのだ。試合に勝って、勝負に負けるとは、まさにこういうことを言うのだろうか。
僕は、マリアとの因縁を思い出し、深いため息を一つついた。
拙いお話を読んでいただきありがとうございました。