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宇宙孤児の秘密  作者: 冴木雅行
第2章 二つの反乱
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B-11.自己愛が自己を破滅に導く

 ミカイル・トラバーツは、気がつくと、士官用の一室と思われるベッドの上に横たわっていた。右足に意識を集中させる。予想していた鈍痛は来なかった。ゆっくりと動かしてみる。右ふくらはぎの側面に一瞬鋭い痛みが走る。あの場面を思い出し、怒りと屈辱に顔を歪めた。


(宇宙孤児ごときに……)

トラバーツは奥歯に力を込める。彼の思いはそこに集約されていた。


 そもそもトラバーツの世界には対等な他者は存在しない。上官に背くことはないが、上官であっても心の中ではバカにしている。上官とて家柄を言えば、自分にかなうことはないのだ。いずれ顎でこき使うことになるだろう。トラバーツにとって、それは確定的事実であり、疑うことなど考えもしなかった。彼は自分がやがて宇宙艦隊のトップになることは当然であり、そこに努力が必要とも考えていなかった。したがって、彼の職責は、部下が支えるべきものであり、彼はそれを監督し、叱咤することと考えていた。

 

 トラバーツか、あるいはその部下が有能であればそれでも仕事は回る。残念なことに、そうはならなかった。彼は、部下の能力に嫉妬するのだ。少しでも有能さが見られれば配置換えを上申する。彼が公益通報にかからなかったのは、ひとえに他の部下を煽動してその有能な部下をいじめるだけの能力すらなく、叱咤しようと対峙することさえためらう臆病さ故であった。彼が大尉になれたのは、部下や上官に迷惑をかけ倒しても彼自身の精神的健康は崩れず、その地位に一定期間居座り続けたという証しに他ならなかった。

 

 こうしてトラバーツは、密かに(いや公然となのであるが本人が気づかなかっただけだが、)鼻つまみもの扱いされていた。そんな彼も辺境であるマジェッタ方面分艦隊に着任になったことが運命を変えたのである。分艦隊司令のウェクスラー少佐と憲兵隊長シャダック上級大尉という欲深い守旧派の中堅どころが彼に目をつけたのだ。家柄しかないトラバーツなど扱うのは彼らには簡単だった。まず、彼らは徹底的にトラバーツを褒め称え、おだてた。次に、そんな彼が辺境へと飛ばされてきたことを彼に替わって怒った。こうして彼自身は明確に意識していなかった不遇感を煽り、それを上層部に対する敵意へと巧みに誘導したのである。ニュートラルに全ての他者を蔑んでいた彼が、上層部と上層部に優遇される宇宙孤児を特に憎むようになるのに時間は要らなかった。


 トラバーツは、自分が誘導されているとは夢にも思わなかった。それどころか守旧派の二人を自分のことを理解してくれる同志であると認識したのである。こうしてトラバーツは、祖父や父から受け継いだコネクションを彼らのために用いるようになった。その見返りに金銭や性的サービスなどの饗応を受けたが、自分が特別と認識している彼は、それが背信行為であると思うわけがなかった。彼にとっては、彼のためにとるに足りないルールなどねじ曲げてしかるべきと思っていたのである。


 宇宙孤児の少女を手込めにしようとしたのも、トラバーツは、まさか自分が咎められるなどとは思いもよらなかったことなのである。


――――――――――

 

 壁面に備え付けられたディスプレイに光が指した。通信の合図である。ディスプレイは、すぐに像を結ぶ。


『お久しぶりですね、トラバーツ大尉』

結んだ像が言葉を発する。存在感のある声である。マリアからであった。

「……マリーベルくんではないか」

トラバーツは起きぬけの意識のはっきりしない頭で、ディスプレイに映る美しい女性に見とれていたが、やがて彼の記憶がその名前を探し当てた。

『ご気分はいかがですか?』

マリアは、嘲笑と分かるような表情で尋ねる。

「良いわけないだろう! というか、なぜ君がいる? 何があったか説明しろ。施設内通信をするぐらいなら、なぜ君が直接来ない?」

『このくらいのことで取り乱されるとは。ウィレム・トラバーツ元帥が御覧になったら何とおっしゃるでしょう』

マリアは話をはぐらかす。しかも、挑発的なやり方である。

「貴様…… 私は銃撃を受けたんだぞ! 成り上がり者の娘の分際で、この俺をバカにしやがって! 痛っ!」

トラバーツは立っていれば地団太を踏んでいるところだろう。しかし、今はベッドから立ちあがることすらできない。辛うじて腕をベッドに叩きつけることで怒りを表現する。その一発がベッドの縁に当たり、ものすごい痛みを感じた。

『醜態もここまで来ると、一つの才能だわ。……さて、ミカイル・トラバーツ』

痛烈な独り言をつぶやいた後、マリアの声色が変わる。

「じ、上官を、よ、呼びしゅてにしやがって」

トラバーツはあまりの怒りに上手く発音できなかった。

『トレンス准尉が、貴官を銃撃し、その後宇宙艦隊に対する反乱を計画した件については、本職が憲兵隊特別部隊長の権限で身柄を預かっている』

「そ、そうか。よくやってくれた。……マリーベルくんは私を救助に来たというわけだな」

トラバーツは、振り上げたこぶしを振りおろす先を見失いトーンダウンする。

『それとは別に、宇宙艦隊司令部特別臨時捜査官の権限で貴官の身柄を拘束させていただいた』

マリアはトラバーツの質問を無視して淡々と告げる。

「な?!」

『理由は、その文書に書いてあるとおり。強姦未遂並びに収賄、機密漏えいの各種容疑。近々尋問をするので、覚悟をしておかれることです』

「こ、拘束される理由がないぞ」

『まず、その文書に目を通されることです。拘束する理由はその文書で十分です。それが事実か否かは、尋問にてお聞きします。……余計なことはなさらない方が身のためですのでご忠告申し上げます。では失礼』


 ディスプレイが消える。トラバーツは、枕元の仮想ディスプレイを起動し、マリアの言う文書に目を通す。トラバーツのギョロ目が忙しなく左右に動く。文書が頭に入ってこないのか、何度も何度も目を通す。やがて、トラバーツは小刻みに震えだした。怒りではなく恐怖からだった。被疑事実として挙げられているものがすべて真実だったからである。


 トラバーツは、右足が痛むのも忘れてベッドから降り、部屋の中を右足を引きずりながらぐるぐる歩き回る。考えれば考えるほど、マリアへの怒りが湧いてくるばかりだった。完全に八つ当たりであるが、トラバーツにとっては、トラバーツほどの重要人物を拘束すること自体が間違ったことなのである。ただ、自己愛ゆえに性格の歪んだトラバーツも知的能力に問題があるわけではないので、ここで上手く逃げたりすることができなければまずいことになるというのは分かっている。右足に痛みを感じ、ベッドに倒れこんでしまう。仮想ディスプレイのコンソールが目に入った。


(マリーベルを言い含めれば何とかなるかもしれない)


 結局、トラバーツは最も絶望的な方法しか考えつかなかった。仮想ディスプレイを起動する。通信アプリケーションを開く。限定的であるが施設内通信は生きている様子だった。そこで、トラバーツはふと自分が監督役としてここ第三惑星衛星基地でやっていたことを思い出した。


 トラバーツは、何やら文書を作成し、おそらくマリアがいるであろう第三惑星衛星基地の司令室あてに送信した。


――――――――――――

―――――――――――― 


 ウェクスラ―少佐は、自室で仮眠を取っていた。もちろん、勤務時間中である。そこに通信が入る。その丸々と太った身体を面倒臭そうに起こし、仮想ディスプレイを起動する。下品な髭のシャダック上級大尉からだった。

『お休み中、申し訳ありません。至急、お耳に入れたいことが』

「……何だ?」

『実は、ミカイル・トラバーツから機密文書通信が来ました』

「ほう。第三惑星で動きがあったようだな」

『ええ……何とあのトラバーツ大尉が、マリア・フォーゲルトの身柄を押さえたとのことです』

「何?! あの金持ちのボンボンが? 何かの間違いではないのか?」

『いえ、ちゃんと本人署名があり、我々しかしらない暗号化がなされています。それに、ならず者部隊の中にスパイを潜りこませていますので、裏付けは取れています。まあ、トラバーツが積極的に活躍したわけではなさそうです』

「そうか。面白いことになったな」

『ええ、では今後の計画を立てましょう』

「ああ、後で私の執務室に来たまえ」

『了解しました。では』


 通信が切れる。仮想ディスプレイの光が消え、その向こうにあった鏡に映ったウェクスラ―の顔には、下品な笑顔が浮かんでいた。

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