A-6.予想外のスペック
ショーンは、エレナを駐留艦隊の指揮所に案内すべく廊下に立ちつくしていた。バル大佐の部屋を出てからとうに20分は経っている。エレナは、取りあえずの準備をしたいと自室に戻っていた。ショーンは焦れてくる。3時間後には艦隊を出発させたい。準備は指示しているが、戦争はスピードが命である。兵は神速を尊ぶというのは古今東西不変の原則なのだ。
エレナが廊下をあわただしく走ってきた。大きなボストンバッグを抱えて。高いヒールの靴をはいて。遅い、とにかく走るのが遅い。ショーンは再度ため息をつき、荷物を持とうとエレナの方に向かう。エレナがやっぱりつんのめる。ボストンバッグの重さで盛大に前へ飛んだ。見事なヘッドスライディングだった。
「ごめんなさい……」
ショーンはエレナを助け起こす。本日二度目である。
「いえ。……少佐、鼻血、出てます」
ショーンはできるだけエレナを見ないようにして、ハンカチを渡した。見ればまた吹き出してしまいそうになる。
「やっぱり失礼です!」
鼻声でエレナは言った。
その場を収め、何とか指揮所に向かう。あと2時間半である。時間がないので、取りあえず道々説明をする。
「自己紹介が遅れました。私は、駐留艦隊所属のショーン・ヒルガ少尉です。艦隊の運営全般を担当しています。分からないことがあれば私にお聞きください」
「ショーン・ヒルガ? ……ええ?! あの、英雄ショーン?!」
「ええ。まあ、そんな風に言われることもあります。ただ……」
「遠慮無用」と言いかけたが、エレナは頭を抱えてブツブツ言っている。
「ドウシヨウドウシヨウ…… キャーワタシ、タスケオコサレチャッタ。シカモ、ニカイモ…… ソレニ、ハナヂマデミラレテ……」
「どうかなさいましたか? 少佐?」
「ひゃい! えっ? 私? ……私、あなたのファンです」
「……はあ、ありがとうございます」
ショーンはこんなセリフをたまに聞くが、その度にそんなこと言われて自分にどうしろというのかと思う。
「あの…… 一つだけ聞いてもいいですか?」
エレナはふと立ち止まってうつむきながら聞いた。
「はい、何でしょう?」
よくある質問である。軍の広報活動としては、マスコミへの露出が少ない方だったと聞いているが、それでも度々こういうことを言われる。
「……妹さんとは、一線越えちゃいました?」
ショーンは、質問が理解できずに一瞬固まり、質問の意味が理解できると、無視して先を急ぐことにした。
「待ってくださいよ! 私、妄想で夜も眠れないんですからー」
(ダメだ、コイツ。脳みそが腐ってやがる)
ショーンは、駐留艦隊の初陣を前にして暗澹たる気持ちになった。
とにかくエレナがしつこく食いついてきたので、ショーンは一線を越えていないこと、そもそも妹にそんな感情はないことを説明した。何でこんなことを説明せねばならないのかと世の中の理不尽さを思う。エレナは「イモウトモエハ……」「ツギノドウジンシハ……」などと意味のわからないつぶやきを発していたが、無視する。
「……何か既に疲れましたが、今から上級軍曹たちとブリーフィングをして、2時間後には出立します」
「はい」
エレナは何やらホクホク顔である。
「それで、少佐には艦隊指揮を取ってもらわねばなりません」
「どうすればいいでしょう? 私、何も分かりませんけど」
「私のプランに従っていただければ、それで構いません。ただ……」
ショーンは立ち止まって、エレナを見据えて力を込めて言った。
「人の命がかかっていることをお忘れなく」
「……分かりました」
意外にも、エレナはショーンを力強く見返した。
――――――――――――
これも意外だったが、ブリーフィングでエレナは、ほとんど完璧に艦隊司令を演じきった。ショーンがしたことは、現場を邪魔しないという印象を与えるようにとの留意事項を伝えただけであったにもかかわらず。
エレナは、上級軍曹たちの批判的な視線を受けながら、堂々と挨拶をした。
「初めまして。今回の作戦に当たり、艦隊司令の任を受けたエレナ・シェーステッド少佐です。皆さんの3ヶ月間にわたる厳しい訓練については、ヒルガ少尉から報告を受けています。ここまで錬度の高い艦隊を築いた皆さんに敬意を表します」
エレナは一呼吸置いた。
「私には従軍経験もなく、経験と言えば惑星出身者ながら長期間の宇宙滞在に耐えられていることぐらいです。ですから、作戦の現場指揮はヒルガ少尉に一任し、この作戦中、ヒルガ少尉の命令を私の命令とします。以上、何か質問は?」
上級軍曹たちは、安堵の表情を浮かべる。それを見計らい、エレナはショーンに後を譲った。抜群のタイミングである。
「司令がおっしゃったとおり、私が皆さんの実戦指揮を取らせていただきます。作戦概要を説明する前に、私からこの作戦の原則を伝えておきます。これまで3ヶ月間、最高の訓練を兵たちに施していただきました。心から感謝申し上げます。今の我が艦隊は、全てがそろっています。だからこそ、こんなテロリスト相手の作戦で人材を失ってはならない。それを肝に銘じてもらいたい。我が艦隊の活躍はまだ先にある。よろしいか?」
「は!」
5人の上級軍曹は声をそろえた。
「では、作戦概要を説明しますが、既に皆さんがそれぞれ乗艦する艦のAIに、それぞれの作戦行動を入力してありますので、それに従ってもらいたい。今回は、特殊任務訓練のCパターンの応用です」
「Cパターン…… とすれば、どこかの部隊に危険が及びますな」
最年長のキース・エヴァーツがつぶやく。
「そのとおりです。で、どの部隊が担当するかを決めたい」
ショーンは、5人の上級軍曹を見回す。
「少尉、それ俺にやらせてくれないか?」
ツェザーリ・ケンジットが手を上げる。最初のブリーフィングでふざけた態度を取った若手の上級軍曹である。
「確かに、ツェザーリの部隊は、錬度も士気も申し分ない。Cパターンの訓練も他の部隊よりも経験していると思います」
キット・ロウズがダンディな声で言う。
「私は、指揮官が若さゆえに無茶をしないか心配だわ」
自分も若手であることを棚に上げてレナ・バードが言う。
「その点については、訓練過程を見れば心配ないと思います。最初のブリーフィングで少尉に指摘されてから反省したんじゃないかしら」
ジリー・ミルトンが落ち着いた声で言う。
和気藹々と意見を述べ合う上級軍曹たち。批判的意見を述べてもそれが消化できるようになっている。幾度となくブリーフィングを経てきた結果である。
「皆、意見をありがとう。では、ツェザーリ、君の部隊に最も危険な任務を任せることにします。」
「は!」
「だが、決して無理をするな。万が一、失敗しても命を粗末にするな。私にはその時の策もある。私は、将来的に君に艦隊を率いるようになってもらいたいのだ。いいね?」
「……肝に銘じます」
ツェザーリは、一瞬顔を伏せた後、そう述べた。
ショーンは、エレナを見る。エレナはうなずいて言葉を継ぐ。
「では、これでブリーフィングを終了します。出立は1時間後から順次行ってください。今のブリーフィングの模様を部下に伝えるのを忘れないように。では解散!」
皆、立ち上がり敬礼を返す。出陣の心地よい緊張感が漲っていた。
――――――――――
「しかし、あなたは何者ですか?」
ショーンは、皆が退出してから思わずエレナに問う。
「……失礼しちゃうわね」
「いえいえ、褒めているんですよ。失礼ながら、まさかこんなに立派に司令官の役をこなされるとは思ってもみませんでしたので」
「本当に失礼ね。私は秘書課長をしていたのよ。環境を整えるのが仕事。そう思えば、司令官もそうじゃない?」
エレナは頬をふくらまして答える。およそ三十路前後とは思えない仕草である。だが、ショーンは、エレナが課長級を務められる優秀さを備えていることに素直に驚いていた。全く見ず知らずの部署でそれまでの経験を応用できるのは、稀有なことである。
「でも、今の英雄ショーンの雄姿が録画できなくて残念だわ。……ショーン×ツェザーリ、いや、ツェザーリ×ショーンか……」
なんだかおぞましい単語が聞こえてきて、ショーンは身ぶるいをした。