A-5.非常に非情な人選
『マスター』
ミミは、ショーンを呼ぶ。少し緊張した声である。ホログラミング・フィギュアのミミは、栗色の髪を後ろで束ねた、いわゆるポニーテールにしている。先日、ショーンが褒めて以来、好んでこの髪型で登場する。
「どうしたの?ミミ」
『300隻ほどの艦隊がメディット星系からこちらと逆方向に飛び立ちました』
10光年ほど離れた星系での動きは、いくらミミといえども観測できない。ミドリの技術を応用してショーンが設計し、ミミが作り、ベルタが名付けた「スパブイ」の効果である。ちなみに、ネーミングは、「スパイ」と「ブイ」と「スーパーブイ」をかけたものだとベルタは自信満々に言っていたが、ベルタのネーミングセンスの悪さは意外だった。もちろん、ショーンは表情にすらそれを出さず、自己保身のためにそのネーミングを褒めちぎった。
スパブイは、成層圏に浮かぶブイのような観測機器であり、もの自体が小さく、レーダー透過性と超光速通信を備えた超小型スパイ衛星のようなものである。ショーンが着任早々、補給基地に立ち寄ったメディット星系所属の商船の外壁に、相当数のスパブイを成層圏につくと同時に外れてまき散らすようひそかに取り付けたのである。その後も、ショーンはこれを繰り返し、今ではメディット星系の主惑星メディナ・ポリスの成層圏上を無数のスパブイが浮かんでいる。どんな戦であれ情報を制することが重要なのはいつの時代も変わらない、だから、ショーンは褒められることをしているのだが、ショーン自身は犯罪すれすれの行為が板についてきた自分にいささか気落ちしていた。こうして重要な情報が得られれば、少しは気が楽になるようだ。
「それは、メディット政府の正規の艦隊かな?」
『どうやら違うようです。宇宙軍のデータベースと照合しても所属先不明と出ます』
「予測進路はどうなってるかな?」
『メディット星系第5惑星辺りで反時計回り90度方向を目指して大きく弧を描くように進み、星系外で超光速航行に移る予定です』
スパブイのいくつかがその艦隊に引っ掛かって張り付いたのだろう。そうでなければここまでの情報は得られない。
「ということは、こっちに来る可能性があるね」
『はい。最短でこちらにくると計算した場合には、およそ30時間後に当補給基地が所属不明艦隊の射程圏内に入ります』
「30時間か。……あ、そうだ、ミミ?」
『何でしょう? マスター』
「もしかしてメディット星系の宙域警備隊がこっちに向かってたりしない?」
『広域策敵します。……完了しました。マスター、ちょうどここから1光日の距離に500隻程度の船団が待機しています』
「やっぱりか…」
『どういうことですか?マスター』
「いや、メディット政府が揺さぶりをかけに来たんだなって思ってね。ミミ、所属不明の艦隊がテロリストであることを想定して、最も効率的で効果的な戦術を検討してくれる?」
『はい! マスター』
以前は、一度通常PAIモードに戻って、再度ショーンを呼び出していたミミであるが、最近は、ホログラミング・フィギュアを展開したままにすることが多い。たいてい、ミミが「ナウ・ローディングの歌」や「ちょっと待ってねの歌」などを歌いながら踊ったりしている。その愛らしさにショーンはニヤニヤしたりするのだが、もし誰かが部屋の前で聞き耳を立てていたり、急に上級軍曹の誰かが部屋に入ってきたりすれば、ヤバい。社会人としての生命を絶たれる事態である。しかし、ショーンは、まあいいかと思ってそのままにしている。いつの時代もかわいいは正義なのだ。
――――――――――
ショーンは、ミミの用意したデータと作戦概要をまとめ、バル大佐のもとへ向かった。艦隊のことを任されているとはいえ、少尉に艦隊を動かす権限はない。今回の作戦を実行するためには、艦隊司令官を用意してもらわなければならない。
「失礼します」
ショーンがバル大佐の執務室に入ると、バル大佐の机は大量の書類に埋もれていた。ショーンが着任あいさつに訪れた時も、このような状態だったので、これがデフォルトなのだろう。
「ああ、ヒルガ少尉。御苦労」
バル大佐は書類にサインをしながら言った。ショーンを見たのは一瞬である。
「実は、緊急通信にて報告書を上げましたとおり、所属不明の艦隊が当補給基地に接近中です。300隻の艦隊なので、それなりの火力もあると考えます。場合によっては一戦交えざるを得ないかもしれません」
「それは、物騒だな。なんとか穏便にはいかんのかね?まったく軍人という奴は、すぐに壊したがる。それがどれだけ経済的な損失を生むか分かっていない」
バルは、ようやくショーンを見て言ったが、発言の後半は完全に独り言になっていき、表情も困った事態であることを現わすかのように眉が下がっていく。言っては悪いが、情けない表情である。
「もちろん、経済的損失はできる限り少ないに越したことはありません。最終的には穏便に済ませるにしても、危機管理は必要です。軍隊は、何もドンパチやるだけが使い方ではありませんので、その点をお考えいただければ」
官僚には、それを聞けば大人しくなる言葉がある。これは、マリアの母親から教わったことだ。
「なるほど、危機管理な…… 分かった。そもそも艦隊の運用は君に任せてある。最悪の事態を想定して君の立てた作戦を許可するが、できる限り穏便に済ませてほしい」
「大佐、そのお言葉はたいへんありがたいのですが、残念ながら私には艦隊を指揮する権限がありません。ですので、佐官クラスの方を臨時司令に任命していただきたいのです」
「まったく、軍隊という奴は。……そうだな、シェーステッド君、私の執務室まで来たまえ」
バル大佐は、ブツブツ文句を言いつつも、受話器をとって誰かを呼びつけた。
2、3分後、執務室のドアが叩かれた。通常のノックを「コン、コン」と表現すると、今のノックは「ココン、コ、ドガッ」だった。ショーンは、3音目は一体何なのだろうかとドアを振り返った。そろーっと入ってきた女性を見るや、ショーンは吹き出しそうになった。額にきれいに、それは見事にドアノブの痕がついていた。どうやったらつくのだろうか?
「し、失礼しま、うきゃ!」
部屋に入るやヒールを踏み外してつんのめる。思わず、ショーンが支える格好になった。
「あ、ありがとうございます」
小さいが意外にも張りのある凛とした声だった。しかし、感心したのもつかの間、目があった瞬間、ショーンはこらえきれずブッと吹き出した。鍵穴までくっきり痕の付いた額に目がいったのである。
「失礼しました」
ショーンは謝る。謝りながらも、笑いが口許に残る。
「人の顔を見て笑うだなんて無礼千万です!」
「いや、本当に失礼しました」
ショーンは平謝りに徹し、彼女を助け起こす。違和感がある。彼女を立たせたつもりなのに彼女の頭は、ショーンの顎よりも下にあったのだ。ヒールが片方脱げたことも災いしたのだろう。
「シェーステッド君、本当に君は落ち着き…ブグッ、ブハハハハ!」
書類から顔を上げて、額にドアノブの烙印が押された彼女を見て、一瞬書類に目を戻しかけたが、もう一度彼女を見て、バル大佐は遠慮なく大笑いした。
ショーンもつられて再び笑いそうになったが、辛うじてこらえた。
「はあ、君は本当に1日1回は面白いドジをするな。」
ひとしきり大笑いした後、バル大佐はとどめの一言を放った。ドアノブの彼女は暗く落ち込む。
「まあいい。それで、シェーステッド君、君は軍の階級では何だ?」
「はい。ええと、少佐だったと思います」
「少佐ですか?!」
ショーンは素で質問をしてしまう。
「そうですよ。あなたは少尉ですね。どうです! 上官に向かってさっきの態度はあんまりではありませんか?」
「こら、シェーステッド君、少し黙りたまえ」
「はい……」
シュンとなるドアノブ女。小動物っぽさを感じる。そう言えば髪の色もハムスターぽい。
「彼女は、エレナ・シェーステッド。彼女はこう見えて惑星連盟職員のそこそこ古株でね。我が部局の秘書課長をやってもらっている。課長級だから少佐になったということだ」
「ええ。それは分かりました。……大佐、まさか」
「ああ、察しが良いね。そのとおりだ」
ショーンは血の気が引く。もちろん誰でもいいのだが、この人選はあんまりだろう。艦隊指揮にドジっ子(もはや「子」ではないが)は要らない。
「しかし……」
ショーンは抵抗を試みる。
「30時間後なんだろ?彼女以外にするなら相当時間がかかるよ」
「……致し方ありません」
バル大佐は大きくうなずき、エレナに向きなおる。
「エレナ・シェーステッド少佐、貴官に当補給基地駐留艦隊司令を命ずる」
「は、はい! ……はい?」
「詳しくは、ヒルガ少尉に聞きたまえ。では、二人ともさがっていいぞ」
バル大佐は二人を置いて再び大量の書類仕事に戻った。二人してバル大佐の執務室を退出する。ショーンは、久しぶりに天を仰いで大きなため息をついた。