第9話
ちゅんちゅんちゅん……
小鳥の鳴く声が聞こえる。私は上体を起こそうとして……
あ、あれ?何か、私の体に絡みついて……
ぱっと目を開けると、目の前に殿下の顔があった。
………
…………
……………
………………え?
ちょっと待ったあぁああぁあ!
私は必死で昨夜の記憶を思い出す。
ええと、昨夜は、確か……陽も沈んだ頃にガーファンクル様がいらして……色々お話して、ガーファンクル様が帰ったあとに、殿下がふさぎ込んでしまって、お慰めして……
泣き疲れて眠ってしまった殿下の腕が外れなくて、悪戦苦闘してるうちにだんだん眠くなってきて、そのまま眠っちゃったんだ……!!
と、いうことは……
そろそろと体を見下ろすと、寝乱れてしわだらけになったメイド服が。
おまけに化粧も落とし損ねた。
しかも、お風呂入ってない……!!
「さ、最悪……」
小声で呟いたつもりだったのだが、その声に反応して、殿下がもぞりと動く。
「ん……リリアナ嬢……?」
「も、申し訳ありません、寝てしまったみたいでっ……す、すぐに離れますので……」
「……離れないで下さい……」
「!?」
ぐっ、と先ほどまでより強く抱き寄せられる。
って、首筋に顔がっ……お風呂入ってないのに!
「殿下、駄目です!わ、私、お風呂入ってないですし……」
「大丈夫ですよ、いい匂いがします……。」
「においを嗅がないで下さい……っ!」
寝ぼけてますよね?
これ完璧に寝ぼけてますよね!?
以前(首筋にナイフ突きつけられたとき)も思ったけど、殿下ってひょっとして物凄く寝起きの悪い人なんですか!?
一人であわあわしながら、なんとか殿下の腕の中から抜け出そうとする。
しかし、離れようとすればするほど腕の拘束が強くなるのだ。
ど、どうしよう……!?
「おーい、サフィー起きて…………」
勢いよく部屋に飛び込んできたガーファンクル様と、目が合った。
視線が交わったのは一瞬。
「……えーと、お邪魔しました?」
「お邪魔じゃありません何か多大な勘違いをしないでください!殿下はいい加減寝ぼけてないで起きてくださいいぃいぃぃ!!」
私の悲鳴は、一階で働いていた下働きの方々のところまで届いていたらしい……
‡ ‡ ‡
「リリアナ嬢、本当に申し訳ありませんでした……」
「……いえ、お風呂も貸してもらっちゃいましたし、こちらこそ大騒ぎしてすいませんでした……」
微妙な空気が漂っている。
あの後、完全に目が覚めた殿下は狼狽して変な事を言い出すわ、それを面白がったガーファンクル様がからかい半分で場を引っ掻き回すわで、何がなにやら分からない状態になってしまった。
とりあえず私は塔のお風呂を貸してもらい(化粧は断念)、メイド服をなんとか見られる状態にして(お風呂の蒸気に少しだけ当ててシワを伸ばした)、殿下の部屋へ戻り、昨夜泣いたせいで赤く腫れた殿下の目元を冷やしているうちに、先ほどのような会話になったのだ。
き、気まずい……
「それはそうと、サフィー、昨夜の件なんだけどさ。」
「……何ですか?」
「サフィーの正体がバレるのはどうにもならないから一旦置いておくとして、少なくともその後流れる噂とか微妙な空気とか、そういうのを緩和する策を俺なりに考えてみた。」
この人、ちゃんと色々考えてる人なんだ、と思ったが、心の中に押し込めておく。
「それで、その策なんだけど、メイドのお嬢さん……いや、オルデンベルク伯爵令嬢の協力が要るんだよね。」
「は、はい!?」
私が協力!?
うわぁ、なんだかいやな予感がひしひしと……
でも、何だか断れない空気が漂っている。
……あーもう、しょうがない!ちょっと嫌な目にあうぐらいなら我慢しよう!
「……どういう策なんですか?」
「お、乗り気?」
「乗り気ではないですけど、仕える主のためですから」
「ふーん、まあ、こういう策なんだけどさ……」
‡ ‡ ‡
「じゃ、当日、演技よろしくねー」
「分かりました……」
「はいはい……」
策というかなんというか……
まったく、あの人は!
「……すいません、俺の事情に巻き込んでしまって……」
「大丈夫ですよあれくらい。なんとか我慢しますから。」
遅い朝食の手配をしながら、殿下を安心させるように明るい声で言う。
私はメイドなんだからそんなに恐縮しなくてもいいのに、この人はものすごく心苦しそうな顔をする。
この人は、もうちょっと傲慢でも許されるだろうに。
「……殿下、私はあなたを厭わしく思ったりしませんから、そんなに恐縮しなくてもいいんですよ」
「……」
「大丈夫ですよ、ちゃんと殿下が好きですから。」
「好き、ですか?」
「ええ」
「……俺も、リリアナ嬢が好きです。」
「ありがとうございます」
にっこり笑って返すと、にゅっと殿下の腕が伸びてきた。
私は体のバランスを崩して、ベッドに座る殿下の膝の上にくずおれる。
「で、殿下!?」
「リリアナ嬢……」
殿下の綺麗な顔が近づいてきて……
……あれ?
これってキスされる感じですか?
慌てて逃げようとしたが、腰と頭を押さえている殿下の手はちっとも緩まない。
え、ちょっ、待っ……!
きゃーーーーっ!!
−−僅かにかさついた熱い唇が、私のそれと、重なる。
そのまま、何度も触れるだけのキスをされて、解放される頃には殿下の唇の熱が私の唇に移ってしまっていた。
「……俺の顔を綺麗だと言ってくれた時から、好きでした」
「だ、だからといっていきなりキスって……!」
私の言った【好き】と、殿下の【好き】は、意味が微妙に違ったようだ……
うう、初めてだったのに!
「嫌、でしたか?……俺のこと、嫌いに、なりました……?」
「……嫌じゃなかったですし、嫌いにもなってませんよ!」
そう。それが大問題なのだ。
嫌じゃなかった。
普通、ただ親愛の意味で好きなだけの相手にキスをされたら、嫌なはずなのに。
これって、私が殿下のことを、親愛の意味で【好き】じゃなくて、その、愛してる、って意味で【好き】って、こと……!?
そ、そういえば、いつだったかにアリアが『キスが嫌じゃなかったら、それは相手が好きだってことよ!』とか言ってたかもっ……
わ、私、殿下がそういう意味で好きだったの……!?
顔を赤くしたり青くしたりして、呆然としている私の頬に、殿下のキスが降ってくる。
「……何を考えているんですか?」
「……」
言えない。
まさか、たった今自分の気持ちを確認しただなんて、言えない。
目をそらすと、耳にふっと息を吹きかけられた。
「……!?」
「今は、俺のことだけ、見てて下さい……」
それから一日中、私が殿下に何をされたのかは、とても言えない……
急展開ですいません……