第5話
視界一面に黒紫の、夜の色が舞い降りてきた。
消毒液のにおいが鼻をつく。
首筋にひやりと冷たいものが当たる−−おそらく、何らかの刃物だろう。
赤みの強い紫の瞳に射抜かれて、私は、動くことができなかった。
背中に冷たい汗が伝うのが、自分でも分かり、私は、喘ぐように息をする。
刹那の瞬間が永遠にすら思えた。
−−が、次の瞬間、殿下は慌てた様子で私から離れていってしまって、私は少し残念な気分で、自分の身を起こし、今までベッドに押し付けられていた上半身をベッドからおろす。
端麗な顔を片手で覆った彼が呻いたのが聞こえて、私は慌てた。
「殿下!お背中の傷はっ……」
「だ、大丈夫です……少しひきつれて痛かっただけなので……」
「な、なら良かったです……」
……気付いてしまった。
今この人、上半身は包帯巻いてるだけで服着てないよ!
治療受けてたら当然かもしれないけど!
正直、身内の男性の肌すらろくに見たことのない私には刺激が強過ぎる。貴族は身内にも肌をさらすことはほとんどないし、ここに来るまでずっと第三王女に仕えていた私は男性の着替えを手伝ったこともないから、当然と言えば当然なのだけれど。
殿下って意外にたくましい体をして−−って、ああああ何考えてるの私!
真っ赤になった顔を隠すべく俯く。と、何を勘違いしたのか、殿下の困ったような声が謝ってきた。
「すいません、醜いものを見せてしまって……」
……何でしょうか、今の発言。
壮大なイヤミですか?
「……殿下、それ本当にそう思って言っているんですか?ご自分が醜いと?」
「え……だって俺の顔は醜いと噂になっているのは知ってますし……俺の顔を見たリリアナ嬢は顔を逸らしてしまいましたし、よほど醜いのでは?」
「殿下、鏡見てください。何年自分の顔見てらっしゃらないんですか」
「え……っと、多分十五年くらい……」
なにそれすごい。
……十五年鏡で自分の顔を見てないって、どんな人間なのよ!
私はメイド服のポケットをまさぐって、小さな手鏡を殿下に渡した。
「それで自分の顔をじっくり見て下さい!どこが醜いんですか!」
「……綺麗な鏡ですね」
言うと、殿下は物珍しげに鏡の観察を始めてしまった。
……本当に、この人は!!
私は鏡を観察する殿下の手を掴んで、鏡に殿下の顔を映す。
「ほら、全然醜くないじゃないですか!」
「……そうなんですか?」
「そうですよ!」
「……父上にも王妃さまにも、全く似ていませんが……」
「隔世遺伝でしょう!何代か前の国王陛下によく似ていらっしゃいます!目や髪の色も!」
「……九代前の十代目国王、アルベルト陛下ですか?」
「はい!」
怒鳴ったら息が切れた……
荒い息をしている私に、殿下が不思議そうに尋ねてくる。
「そういえば、あなたはなんでここに居たんですか?あと、俺はなんでベッドに寝てるんでしょうか?」
……ああ、もう!
本当に、ほんっっとうに、この人はっ!!
‡ ‡ ‡
とりあえず、私が殿下が倒れているのを発見した経緯を手短に説明すると、ベッドに横になった(私が横にならせた)殿下は申し訳なさげに謝ってくれた。
……そうだ、殿下が倒れてたせいで忘れてたけど、私、殿下と第六師団長との関係を調べたかったんだった。
もういいや、本人に直接問いただしちゃおう。
さりげなさを装って切り出す。
「そういえば殿下、その背中の傷はどうなさったんですか?」
あ、殿下の肩がびくんってした。
……この人、意外に分かりやすい人だよね……
「ちょっと見ただけですけど、なんか刀傷っぽいですよね」
「……」
……目をそらされた。
「でも、この塔って意外に警備厳重ですし、賊が入ってくるとか、そういう事があったら、普通にもっと大騒ぎになってますよね。」
困ってるのが手に取るように分かる。
「さっき私を取り押さえた手口の鮮やかさから考えても、殿下はかなり腕が立ちそうですし。」
あ、眉間にしわ寄ってる。
美形はこういう顔も絵になるのね……
「そういえば、騎士団の第六師団長さんも、背中に怪我をしたそうですよね。第二王女さまを不埒者から守って、負傷なさったとか。」
ちょっと…ていうかだいぶ焦ってる感じ。
言い訳考えてるのかな?
「第六師団長さんは仮面をしてることで有名ですよね。素顔を絶対に晒さない。なんだか、殿下と似てますよね」
殿下に口を挟む隙を与えないように、私は、たたみかけるように言う。
「……殿下は、王立騎士団の第六師団長ですよね?」