第1話
メイドの朝は早い。
朝の四時。目を覚ました私は手早く身支度を整える。
髪型をいつもの引っ詰めにして、服のボタンは首もとまできっちり留める。
最後にエプロンのリボンが綺麗な蝶結びになっているのを鏡で確認する。うん、上出来。
今日から新しい主に仕えるのだから、ちゃんとしなきゃ。
満足げに鏡に向かって笑む私に、同室のメイドが話し掛けてきた。
「リリアナ、こんな時間に起きて、よくピンピンしてるわよねー……伯爵家令嬢のくせにぃ……あたし眠くて死にそう……ふぁあ-……」
「親がダメだと子どもはしっかりするものよ。私の両親、放っておくと使用人に騙されそうな人で、散々苦労したんだから。ほら、エプロンのリボンが縦結びになってるわよ、アリア。」
のそのそと髪型を整えている彼女のリボンを結び直してやると、まだ目が覚めきっていないような声でありがとうと言われた。……大丈夫なんだろうか、この子。
早めの朝食をとるために、アリアと一緒に使用人のための食堂に向かって歩いていると、アリア同様眠そうなメイド達とすれ違う。
食堂へ入り適当な席に座ると、近くの席にいたメイドが話し掛けてきた。
「おはよーリリアナ……うう、ねむいよう……」
「エリカ、ご飯食べながら寝ちゃわないでね?」
「わかってるよぉ……あれ、なんかリリアナ、今日いつもより気合い入ってる?」
「ええ、今日から新しい主に仕えるんだから」
にっこりと微笑んで答えると、エリカとアリアがきょとんとした顔を向けてくる。
「新しい主……そんな話あった?」
「わたし知らないよぉ、リリアナちゃん誰のとこ行くの?」
「サファロニア殿下だけど……」
一瞬の間。食堂全体が静まり返った気がした。
「「はあ!!?」」
「リリアナ、ちょっとどういう事よ!?」
「あの『悪魔王子』に仕えるのぉ!?リリアナちゃんいなくなっちゃやだよぅ!」
「そうよリリアナ、まだ十六歳の若い身空であの悪名高い『悪魔王子』に身を捧げるつもり!?やめなさいよ、傷モノにされるわよ!」
「き、傷モノって……」
二人の迫力にたじろぎながら、サファロニア殿下の情報を思い出す。
サファロニア・リーベルド・ラトレイユ殿下。この国の第六王子。
彼は六月六日の六時六分六秒に、悪魔の色とされる黒髪と赤い目を持って生まれた。
その顔は、母たる王妃の可憐な美貌にも王の端正な顔立ちにも似ておらず、ひどく醜いと言われている。
余りの醜さから王妃に厭われ、王城の一端にある塔に住んでいるらしい。
確か先日二十歳になられたはず。
「で、でも、陛下と、大恩ある伯母さまの頼みですもの、聞かないわけには行かないわ。それに、ちゃんと距離を持って接するし、大丈夫よ!ほら、早くご飯食べなきゃ!遅れたら伯母さま……じゃなかった、女官長に叱られるわよ!」
女官長に叱られる、という言葉に反応して、二人は慌てて食事を始める。
私もご飯を口に運びながら、早くも不安になり始めた自分に、内心溜め息の出る思いだった。
‡ ‡ ‡
女官長の点呼が終わり、私は騎士さんに連れられて、サファロニア殿下の居る塔へ向かった。
彼はサファロニア殿下付きの騎士だそうで、ニコニコしながら私の質問に答えてくれた。
「殿下はやはり、恐ろしい方なのですか……?」
「あー、そんなことないですよ?温和な性格です。いっつも顔が隠れるようなフード付きのローブ着てるからおどろおどろしく見えるだけで。」
「じゃあ、あの……殿下付きのメイドが次々辞めていくっていうのは……」
「あ、やっぱ噂になってるんですね、それ。殿下のせいじゃないですよー?全然。あ、つきました。ここが殿下のお住まいの塔です。」
どうして彼女たちが辞めていくのか説明をして欲しかった……!
微妙なもやもやを抱えつつも、説明された通りに殿下の部屋へ歩いていく。
要所要所に騎士が立っているし、たまに下働きらしき女性たちも見かけるので、とりあえずは安心する。塔に噂の殿下と二人きりとか、恐ろしすぎる。
最上階の部屋の、重そうな扉を叩く。すぐに『どうぞ』と返事があって、私は恐る恐る部屋に入った。
「失礼します……本日から殿下に仕えることになりました、リリアナ・オルデンベルクと申します。」
「そんなに畏まらなくてもいいですよ。俺は大した主ではないですし。リリアナ嬢、こんな主で申し訳ないですが、よろしくお願いします。」
室内にいた人物が立ち上がって返事をしてきた。
なんというか……ものすごく、いい声。
ずるっずるの、床に引きずるほど長い、着ていると体型も分からなくなるようなだっさいフード付きローブを着ている。フードは目深に引き下ろされており、顔が窺えないようになっている。
そんな外見超アヤシイ人なのに、声がものすごく良い。
うわー、なんだこの残念な人。これで外見良かったら最高だろうに。
「着いたばかりの所で申し訳ないんですが、水を桶に一杯用意していただけますか?」
……はい?
「それが終わったら夕方まで休んでくれて構いませんよ。俺の方から呼び出すこともないと思うので、六時くらいまでなら王城に居てくれてもいいです。」
「ちょ、あの、ご飯とか……」
「朝食はもう食べました。俺は朝が早いので……。」
「お、お昼はどうなさるんですか!?」
「大丈夫ですよ。俺の世話ごときのために、若い女性が長時間こんな湿っぽい塔に居るなんて、良いことではありません。」
優しい声で、有無を言わせずに言い聞かされる。
……私にどうしろと。
とりあえず私は、桶に水を一杯用意することにした。
‡ ‡ ‡
夕方。
結局、否と言えずに夕方まで王城で休んで来てしまった。
女官長にあれこれ尋ねられたけど、『殿下のご命令で』と言うと頭が痛そうな様子でどこかに行ってしまったので、とりあえず問題はないとする。
夕食を持って塔に戻ると、殿下の部屋の方からやってきた騎士とすれ違った。
……警備に問題でもあったんだろうか?
疑問に思いながら部屋に入る。
「失礼します。殿下、お食事をお持ちしました。」
……ん?なんか血の臭いがする気が……
何だろう?
「ありがとう、リリアナ嬢。そこに置いてくれますか。」
「はい」
「ご苦労様。あとは自分でなんとでもできますから、帰っても構わないですよ」
「いえ、でも仕事ですし……」
「夜遅くに女性が一人で出歩くのは危ないよ。騎士を付けてあげるから、早いうちに帰りなさい。」
……そういう問題じゃなくて!!
どうしよう、この人、なんかすごく感覚がズレてる……
そう思いつつも命令に逆らうことは出来ず、行きとは違う騎士さんに連れられて、てくてくと寮に帰る私だった……