第四章:表と裏
俺は、マルセイユの丘に立つ家の中にあるテラスの外で煙草を燻らせていた。
狙撃されてから既に4日が経った。
しかし、あれから荒鷲が動いた形跡はない。
どういう事か。
俺は考えてみた。
俺があいつの立場ならきっと様子を見ている筈だ。
期限が無ければ、何時までも待つ。
獲物が巣から出るまで待つようなものだ。
だからあいつも待っているに違いない。
これは確信的な考えだ。
煙草を指で挟んで煙を吐く。
煙草が消えた。
水が落ちて湿ったのだ。
「・・・雨、か」
雨は嫌いだが、好きだ。
どれだけ大声で泣き叫ぼうと聞こえない。
あの時も、雨が降っていたな。
俺が・・・人間だった頃、そして人間を止めた時。
あの時も、こんな風に雨が降り出した。
最初は小さな雨だったが、少しずつ強くなり最後には大雨になった。
あの時、俺は何も出来なかった。
一人で何でも片付けられる、などと自惚れていた。
大して力も無かったくせに自惚れていたのさ。
俺は・・・・・・・・・・
その代償は・・・大きかった。
何もかも失った。
いや、言い直そう。
一つだけ失わなかった。
魂だけは、失わなかった。
「・・・・茶番だな」
そう。
今では、あれは造られた茶番だと思えるようになった。
あれがあってこそ、今の俺が在ると同時に、あれがなければ人として一生を終えていた。
あの惨劇と言う劇は、予め造られていたんだ。
会った事もない下種によって綿密に作り上げられた脚色の下、あの女達が糸を引いていたんだ。
俺はそれを知らずに、ただ糸で操られ踊る人形だった。
あの女達によって、糸を引かれて踊る人形。
今、思い出しても腹立たしい。
『貴方を愛しているの。だから・・・・・これも貴方の為なの』
『貴方は私の物。そして私は貴方の物。だからこそ、私は貴方から全てを奪い取り、貪り喰らう。それが私の愛情よ』
あいつ等は、俺にそう言った。
鋭く尖った短剣は、俺の心臓に突き刺さり、抜きたくても抜けない。
そして、糸を切りたくても切れなかった。
だが、今は違う。
俺は糸を操る方に立ち、糸に操られない人形となったのだ。
自分の意志で立ち、踊り、止める意志を持つ人形だ。
二度と他人に踊らされて堪るか。
心臓に突き刺さった短剣を抜き、糸を断ち切った。
夥しい血が吹き出たが、関係ない。
血が吹き出ようと、自由になったんだからな。
未だに血は溢れ出て、止まる事を知らない。
何れは、止まる。
そう・・・・何れは、あいつ等二人の首を取り、止めてやる。
俺は消えた煙草を持ったままテラスから去った。
部屋へと戻り、新しい煙草に火を点けた。
・・・・・必ず、お前らの首を頂く。
だが、その前に・・・・・・・荒鷲を何とかしなければならないな。
それと組織の事もあるが、あれはジャック達に任せてあるから問題ないだろう。
ジャック達なら、組織を壊滅させられる。
それこそ国一つが混乱に陥るだろうが、俺の知った事ではない。
俺は煙を吐きながら、次の手を考えるためにネルガルから渡された資料を手に取り読み返した。
“ヴラド一族の資料”
こう資料には書かれている。
1ページを捲る。
『初代当主ヴラド・ヴィルヘルム・ヴァリカスによってヴラド一族は、かつて荒廃の地と謳われた東で誕生する』
東は荒廃した土地で農作物がまともに育たなかったらしく、男女そろって身体が唯一の宝であり資本だったらしい。
男は傭兵になり女は娼婦になった。
しかし、この一族はどう言う事か、余り仲が良いとは言えないらしく些細なことでも殺し合いに発展する事が多かったようだ。
だが、それでは生き残れないとヴィルヘルムは考えたのだろう。
一族を纏め上げ絆を強くすると同時に一族全員を傭兵に仕立て上げたらしい。
彼等一族では肉体が資本だった故に、通常の悪魔より優れた肉体を持ち五感にも優れていたらしい。
それは東の地に住む者たち全員に値するが、この一族は殺し合いを日常茶飯事のようにしていたからそれ以上に優れていたようだ。
『武器として主に大剣などの刃物類を愛用し、相手を一撃の下に倒す事を旨としつつ死ぬ時は相手も道連れにする、という心構えを持たせた』
「・・・なるほどな。だから、剣術が異様なほど強かった訳だ」
あいつ等は皆が剣の扱いに長けていた。
戦場で剣なんて殆ど使用しない。
使うとすれば槍だ。
弓矢で大体の敵をせん滅し、槍を持ち馬で突進し殺す。
大体がこんな方法だ。
だが、槍は懐に入れば問題ない。
それを防ぐ為に剣を持たせたような物だ。
何より東の地では槍より剣の方が優れていたらしい。
確かに、東は槍より剣の方が優れていたし、また作る過程においても優れていたのを覚えている。
だから、ヴラド一族が剣を主体にしたのも頷けた。
ページを捲る。
『そして傭兵一族として颯爽と荒廃と破壊に満ちた魔界で、その存在を遺憾なく知らしめる事に成功した。
2代目からもそれは受け継がれた。
しかし、3代目つまり荒鷲の父親の代でその栄光も終わりを遂げた。
魔界で法や制度が確立し、戦も無くなった。
東の地でも荒廃した土地でも実る農作物が出来て土地は潤った。
だが、ヴラド一族は帰ろうとしなかった。
今さら剣から鍬に変えて土地を耕す事に嫌気が差したのだろう、と俺は推測した。
戦いの場に生きてきた者にとっては、戦場こそが畑のようなものだ。
だから、嫌気が差すのも頷ける。
そして典型的な盗賊騎士団になり最終的には暗殺者に成り下がった。
所が、ここで問題が発生した。
ここでヴラド一族の分家に当たる一族が離脱したのだ。
セフィム一族という分家でヴラド一族とは兄弟同士だったらしい。
だが、兄弟と言っても異母が先に着く。
弟は天使を母に持つが、兄は悪魔を母に持つ。
兄が長になり弟がそれを補佐していたが2代目から完全に部下に成り下がったのを屈辱と取っていたらしい。
まぁ、悪魔が天使を侮蔑するのは当たり前の事だが、それを2代目以降も続けるのは酷い話だ。
それと同時にかつては傭兵でも誇り高かった一族が盗賊になりついには暗殺者になった事が許せなかったのだろう。
そして彼等は一族を出て新たに騎士団として身を起こした。
騎士なら帝国に忠誠を誓うし、東の地はまだ荒れていたから自警団的な面でも役立つ事を考えたのだろう。
それに対してヴラド一族は離反は許さないとばかりに何度も戻るように言い、実力行使も厭わなかったが結局は失敗に終わった。
ここで一族は完全に分裂した。
片方は表舞台で騎士として繁栄し、もう片方は裏舞台暗殺者として暗躍した。
「コインの表と裏だな」
ここまで裏表の出た一族も珍しい。
更に資料を捲った。
暗殺者として生活して行ったが、最後は魔界皇子暗殺を依頼された。
しかし、皇子を暗殺しようとするも尽く失敗に終わり最後は一族総出で討ち死にした。
死体は全て荒野に捨てられ、獣の餌になり腐るまで放置された。
同族であるセフィム一族は死体受け取りを拒否したからだ。
同族嫌悪もここまで来ると清々しいと思う。
そして一族は滅亡した。
「・・・・・セフィム一族を使うか」
この一族は魔界で近衛騎士団のメンバーを数多く輩出している家柄だ。
それ以外にも貴族の個人騎士団のメンバーを輩出している。
それを考えれば何人か腕利きは居る事だろう。
俺は受話器を取りダイヤルを回した。
『はい。こちらネルガルです』
「俺だ。セフィム一族と連絡は取れるか?」
『はい。それは可能ですが、どうかしたのですか?』
「キングを取る時、動かして効果がある駒は何だ?」
『クィーンが妥当ですが、そうでないならナイトかビショップが妥当ですね』
「それで、お前ならどっちを動かす?」
『・・・なるほど。了解しました。では、ビショップを動かしましょう』
「頼む」
俺は受話器を置いて煙草に火を点けた。
「さぁ、どうでるかな?」
まだチェスは始まったばかりだぞ?