第八章:決闘の申し込み
私は何処に向かっているのか分からない。
人ごみに紛れ込んで必死に逃げ続ける。
だが、彼の追う気配は遠ざかる所か近付いて来るばかりだ。
モンマルトルを出て、何処に向かっているのか自分でも分からない。
夜の街は暗く、私と彼だけが踊る舞踏会のような静けさを保っている。
ただ、ひたすら走って、走って、走り続けた。
転倒しては荷物を落としたが、拾う時間も惜しいから構わず走り続けた。
もっと速く。
もっと速く走って、あの足音から逃げなくては・・・・・・・・・・・・
恐怖と言う感情など無かった。
だが、今は怖い。
そう純粋に怖いと言う感情が私の身体を支配し、活動させていた。
壁を曲がろうとして銃弾が顔を掠めた。
弾は壁を僅かに抉り、地面に欠片が落ちた。
私は伯爵を見た。
「追いかけっこは、終わりじゃないのかい?」
伯爵が冷たい声で話し掛けてくる。
右手に持たれたマウザーからは白い煙が上がっている。
「まだ・・・追いかけっこは続きます」
「俺としては、そろそろお預けは勘弁して欲しいんだがな」
「貴方の気持ちなんて知りません」
そして男を焦らすのも女の特権と強がりを言ってみせた。
だけど、声が震えているから大して意味は無い。
それでも言えるなら言った方が良い。
「本来なら女の意見は尊重したいんだが、今回ばかりはそうはいかないんだ。そろそろ片を付けようじゃねぇか?」
伯爵は白い煙を吐くマウザーの銃口を私に向けたまま言った。
その声は、断固とした意志を宿していた。
「・・・分かりました」
どうせ追いかけっこをしても何時かは捕まる。
それなら速い内に片を付ける方がどちらにしても都合は良い。
怖いが、何時までも恐怖から逃げる事は出来ない。
何時の日かは向き合わなければならなない時が来るのだ。
私の様子を見た伯爵はこう言った。
「後日、改めて会おう。場所はパリ郊外の西にある森。時間は午後2時だ。もしも、来なければ地の果てまで追われる事を覚悟しろ」
伯爵はマウザーを仕舞い背を向けた。
『やるなら今・・・・・・・・』
心の中で暗殺者の声が私に語り掛けた。
私は左腋に吊るしたコルトに手を掛けたが、止めた。
これは決闘だ。
ならば、変な真似はしない方が良い。
私はコルトに掛けた手を離した。
「・・・・誇りを完全に捨てては居ないようだな」
「えぇ」
伯爵は笑って姿を消した。
その後ろ姿を私は見ていた。
ふいに煙草を吸いたい気持ちになり吸おうとしたが、生憎と空だった。
「ちっ・・・・・」
舌打ちをしながら、私は隠れ家へと戻る為に足を進めた。
空の煙草箱だけが地面に残った。
隠れ家へと戻ったが、妙な気配を感じて私は部屋の手前で止まった。
「・・・出て来なさい」
私が声を掛けると別のドアが開き、セフィム一族の者たちが現れた。
「この前に続いて懲りない連中ね」
「黙れ。貴様のような生き残りが居ると、我が一族の栄光に陰りが見える」
セフィム一族の連中は殺気だった瞳で私を睨みながら言った。
「何も分かっていないわね」
私は手を垂れ下げた。
「なに?」
「貴方達は、何も分かっていない。・・・・・栄光だけが続くなんて有り得ないわ」
何処かで必ず陰りが見えるものだ。
それをこの者達は分かっていない。
私たち一族がそれを見せたのに・・・分かっていないのね。
「黙れっ」
男が手から拳銃を取り出そうとした。
その首にナイフを突き刺す。
血が跳び出て顔に付着する。
「・・・貴方達には悪いけど、私は忙しいの」
ナイフを抜いて残りの男達に向ける。
「・・・・・大事な用事があるから、死んでもらうわ」
笑みを浮かべて男達をナイフで殺した。
こいつらには恐怖を感じなかった。
いつも通り冷静に確実に相手を一撃で仕留められた。
廊下は夥しい血で染まったが、知った事ではない。
死体を自分の部屋に運んで火を点けた。
ここを燃やすのは余り良い気がしない。
だけど、事が事だけに仕方が無い。
燃え盛る遺体を見てから私は宿を後にした。
勿論、血などは拭き取っている。
離れて宿を見れば「火事だ!!」と叫び「消防車を呼べ!!」と人間たちが慌てふためく声が聞こえて来る。
嗚呼、どうして私の周りはこうも血生臭いのだろう。
そんな気分になり煙草を吸いたかったが、空だ。
明日にでも新しい煙草を買わないといけないな。
だが、明日は決闘。
死ぬかもしれない。
でも、逃げ続ける事も出来ない。
結局はいつ死ぬかどうかの違いでしかない。
それに私は恐怖を感じていた伯爵に今は恋焦がれていた。
嗚呼、早く貴方と剣を交じ合わせたい。
恋する女性はこんな気持ちなのだろうか?と思いながら私は暗闇へと消えた。